第143話 熟練度カンストの拾得者

 その日はソハン邸に帰ったのである。

 スラッジは精神的になかなか辛そうではあったが、恨むなら父親を恨むしかない。

 さもないと、彼が死ぬしか無いわけだからな。


 そうそう。

 夜はサマラの猛烈なアタックと戦った。

 だが、サマラも知識があるわけではないので、体力で劣る俺があわやサマラにのしかかられて、あーれーって感じになりそうだったのだが、彼女がその後に何をやったらいいのか考え込み始めてしまった。


 そうだ。

 こいつ、文字もあまり読めないし、部族にいたころも巫女の修行ばっかりだったみたいだからな。


 純粋培養なのである。

 ということで助かった俺であった。

 今度はサマラよりも体力をつけよう。


「大変だ! バルサートゥが氾濫して……」


 外が騒がしい。

 バタバタと駆け回る音で目が覚めた。


 確か……バルサートゥというのは、アウシュニヤ王国を流れる巨大な河の名前だったな。

 それが突然溢れ出し、近隣一帯を飲み込みかけたのだという。


 ちょっとした大騒ぎである。

 だが、幸いにも死者はほとんどいなかったらしい。

 バルサートゥは死者を迎え入れる河でもあるので、河岸で暮らす者の中には、死期が近づいた老人などもいる。そういう人間たちは死んだとか。


「起きていますか、ユーマ。大変なことが……アッー」


 扉を開けたスラッジが、真っ赤になって引っ込んだ。

 うむ。気持ちは分かる。

 昨夜の俺とサマラの激しい攻防は、そりゃあもう、着衣を気にする余裕など与えてくれなかったのだ。


 結局何もなかったと言うのに、二人とも攻防戦で疲れ果てて素っ裸で転がっているのだから、勘違いされないほうがおかしかろう。

 今は知識が無いため、攻撃に移れないサマラではあるが、これが現地の言葉を覚えて無駄な知識を仕入れてしまっては、それこそ危険である。

 早々に他の仲間たちと合流し、彼女を牽制せねばならぬ。


「落ち着くのだスラッジ。俺は無事だ」


 貞操とかな。

 サマラも目が覚めて、


「あっ、ユーマ様おはようございま……きゃあっ」


 サマラが悲鳴をあげた。

 何がきゃあ、か。

 そう言えばこの娘、昨夜はガンガンにアウシュニヤの地酒を飲んでいたな。


 酒癖が大変悪いということは理解した。

 そして全く二日酔いとかそんな気配がないから、酒に異常に強いのだろう。


「大変って、河の氾濫のことか? そりゃあ災難だっただろうが……」


「いいえ!」


 サマラが胸元を隠したので、スラッジはホッと一息ついて続けた。


「第四王子ジュセルが何者かに討ち取られたんです! その、昨夜いきなり、河が荒れ狂って暗殺教団ごとジュセルを飲み込んだと……!」


「なんだそりゃ。まるで河が生き物みたいにってか? そんな馬鹿なこと……ああ、いや、あるな。あるある」


 俺は素早く服を着込むと立ち上がった。

 サマラは毛布に隠れて、ごそごそと服を着込んでいる。

 他人の前だと普通に恥じらうのになあ。


 ともかく、聞いた話、俺には心当たりがある。ありすぎる。

 ミルクとシナモンたっぷりの紅茶と、バター香る平たいパンの朝食を胃袋に収めて、俺はバルサートゥに向かった。

 サマラとスラッジはともかく、なぜかアムリタまでついてくる。


「悪い!? あんた、昨夜は殿下に無茶させたそうじゃない! もう、私が目をつけてないとだめね!!」


 おお、朝だと言うのに絶好調のツンツンぶりである。

 サマラはこの娘が気に入らないらしく、俺が止めないと辺りごと焼き払ってしまいそうだ。


 俺がサマラを抑え、スラッジがアムリタを抑えと、まあ大変なのだ。

 そんなわけで、俺達は一触即発の空気を漂わせながらバルサートゥに到着した。


「これはひどい」


 俺の第一声である。

 周囲にあったであろう、バラックは流されて粉々になっている。


 バルサートゥは流れ続けるから、瓦礫や家の破片、死体などは下流に送られてしまったらしい。

 川面には何かが浮かんでいるということもなく、呆れるほどの大河が悠然と流れ続けている。


「しかし、これで死者が少なかったのは本当に幸運だよな」


「はい。河の氾濫は、まるで一箇所を目指して集まってくるようだったそうです。生き物のように集まり、暗殺教団の者たちを飲み込んでいったと。そして、ジュセルは逃げ切れずに巻き込まれて」


「トロかったんだなあ……」


 ぷらぷらと川べりを歩き回る。

 この辺りに住んでいる連中はたくましく、既に瓦礫から使える資材を見つけ出して、また掘っ立て小屋を作り始めている。


 あちこちで火を使い、氾濫で打ち上がった川魚を焼いて食っているではないか。

 ほうほう、美味そうな匂いがするのう。

 俺は目線をそっちにやると。


「美味いっ! 塩と香辛料だけでも、これほど川魚は旨くなるのだな。貴様、もしや名のあるシェフでは……? なに、違う?」


 うーむ。

 黒髪でほっそりとした、お嬢様然とした娘が豪快に川魚をかじっているなあ。

 大変見覚えがある。


「おーい」


 手を振る。

 すると、彼女は川魚の内蔵までモリモリと食べながらこっちを見た。


「むぉ!」


 口いっぱいに食べ物を頬張りながら、彼女が驚きの声をあげる。


「ひゅーまれはふぁいか! ももも、むむもむも」


「オーケーオーケー。食べ終わってから話そう」


「ローザがいるー!」


 サマラは嬉しそうだ。

 俺以外で言葉が通じる相手が見つかったわけだしな。

 というか、ローザは平気で現地の言葉をマスターし、この辺の住人に溶け込んでいたな。


「んむっ……! ふう、美味い魚であった。内蔵まで火が通っているから、寄生虫の心配もないしな。何、焼けてしまえば寄生虫と言えど栄養よ。おう、久しいなユーマ。アンブロシアはその辺りで寝ているぞ。やはりサマラと合流していたのか」


 彼女に対する周辺住人の態度は、まるで地位が高い人間に接するかのようだ。

 表情には信頼と畏怖が見える。

 彼らは、この河の氾濫を誰が引き起こしたのか、正確に理解しているらしい。


「おい貴様。アンブロシアを起こしてこい」


「へい!」


 すっかりローザの下僕みたいになった現地の男が、掘っ立て小屋目掛けて走っていった。

 少ししてから、


「な、なぁんだってぇ!?」


 おお、相変わらず元気だなアンブロシア。

 この土地では大変めずらしいであろう金色の髪を豪快に揺らしながら、彼女がやって来た。

 走ってきた。


「やっぱり生きてたのかい、ユーマ!! このぉー!」


 アンブロシアを起こした男たちは、皆彼女を畏敬に満ちた目で見ている。

 これは支配者を見るだけの目ではないな。


「この土地に広まったウーディル教の神に、金髪碧眼である豊穣の女神プリティヴィーというのがいてだな。それがアンブロシアの容姿にピッタリだと……ぬわーっ」


 走ってきたアンブロシアに、ローザが弾き飛ばされた。


「うひょー!」


 サマラが慌てて駆け寄って彼女をキャッチしているうちに、アンブロシアは俺の前で立ち止ま……らない。猛烈なハグが俺を襲う!

 そして、


「!?」


 俺の唇を、柔らかく濡れたものが塞いだ。


「あーっ!!」


「むう!!」


「あっ」


「ひええっ」


 サマラが、ローザが、スラッジが、アムリタがそれぞれに声を漏らす。

 人前でキッスというのはいかがなものかねアンブロシアくん!!


「いいじゃないのさ? 一度キスしたんだから、何回したって同じさね?」


「アンブロシアー!! おまっ、おまっ、おまえー!!」


 サマラ激怒である。

 抑えきれない火の精霊が胸元から溢れ出している。うわ、やめろ、サラマンダーを呼ぶんじゃない!


「あっはっは! 受けて立つよサマラ! 出ておいで、カリュプディス!!」


 アンブロシアも水の大精霊を召喚する。

 こんなところで洒落にならないじゃれ合いを開始するつもりか。

 周辺住民は悲鳴を上げて逃げ惑う。


「ユッ、ユーマ! いいんですかあれは!?」


「あんた! なんとかなさいよ! 全員あんたの女なんでしょ!?」


「うむ。だがああいうのは発散させた方がいいかなーって」


「無責任すぎるぅぅぅ!!」


 アムリタが咆哮をあげた。

 うん、分かっちゃいるが、俺はキャットファイトに入り込んで面倒なことになるのはいやなのだ。


「それでな、ユーマ」


「うん? なんだローザ」


「うむ。私も、再会の挨拶というやつをやっておこうと思ってな」


 彼女は俺よりも頭半分ほど小さい。

 自然と上目遣いで俺を見上げる形になる。


 ローザの手が俺の胸辺りに当てられ、そっと彼女が背伸びする。

 何をするつもりかね……?

 そう思った俺の唇に、ローザの唇が触れた。


「むう!!」


「ふふふ、私もしてみたかったのだ。許せ」


 ローザはちょっと頬を赤らめながら微笑み、離れていった。

 うーん。

 可愛い。


「本当にみんな、ユーマのパートナーなんですね……」


 スラッジが感心したように言う。


「何を言う。王族なんだから、お前も側室くらい持つようになるだろ。この戦に勝ったら大変だぞ。女は数が増えると、乗算的に賑やかになっていくからな」


「そ、そうなんですか。でも、僕にはアムリタがいるから」


「嬉しい! スラッジ!」


 おうおう、ちびっこカップルも見せつけてくれるな。

 まあ、アムリタがたくさん子供を産めばいい話だな。

 二人がいちゃいちゃし始めたので、俺はローザと並んでまったりとすることにした。


 目の前では、大精霊同士が大地を揺るがせるような決戦を行っている。

 おおっ、大精霊が増えた!


 複数同時召喚とか、二人とも腕を上げているな。

 精霊王を使わないあたりはまだ理性が働いているのだろう。


「それで、貴様はこれからどうするのだ? デスブリンガーの手のものは見つかったのか?」


「ああ。召喚師だ。しかも、恐らく色々あちこちに仕込んでるような性格が悪いタイプだな」


「あのクラウドとか言う男か?」


「いや、あいつは愉快犯だ。そうじゃなく、もっと悪意や自己保身から悪事を働く女だな。そういうタイプのがこの国に入り込んでる。でな、あそこで抱き合ってるちびっこカップルの女の方いるだろ? あいつ、多分何かを仕込まれてると俺は睨んでるんだよな」


「ふむ、話が早いな。だが召喚師の行方は分かっていないのか?」


「分からんな。だが奴らの目当てはスラッジだ。俺が同時に行動していれば出てこざるを得まいよ。……そうか、アムリタも一緒に行動すれば一挙両得だな。俺一人じゃ手が足りなかったが、お前たちがいればなんとか……あっ」


「貴様、今私が精霊を召喚できないから手勢に数えられんという顔をしたな? 一応は私も訓練をして、大精霊までなら呼び出せるようになってきているのだぞ?」


「えっ、本当か」


「うむ。私は嘘はつかない……ことはないがこれは本当だ」


 ローザの精霊召喚か。

 これはちょっと楽しみかもしれない。


「では、頼りにさせてもらうことにしよう。あいつらのじゃれ合いが終わったら昼飯でも食って、王宮に向かおうと思ってる。そこに第一王子がいるからな。あとは死にかけの王様がいる」


「ははは。また貴様は面倒なことに首を突っ込んでいるな。さしずめ、あの小童が王になるための戦に手を貸しているのだろう。良かろう。灰王と魔女たちが軍勢に加われば、王を選ぶ戦いなどすぐに終わると言う所を見せつけてやろうではないか」


 こういうところ、ローザは頼もしいな。

 さすがは二十年以上もヴァイデンフェラー辺境伯として、貴族社会の権謀術策を生き抜いてきていない。さらにはディアマンテ帝国との国境線を担当していたから、戦の経験もある。


 為政者、将軍、巫女、全ての経験者なので、俺の女たちの中で、唯一俺を知識や技能や経験という面で大きく上回る。

 事が大きくなれば、ローザが俺の片腕を勤めてくれることで、大変仕事がやりやすくなるのだ。


「ところでだな、ユーマ」


「なんだ?」


「もう少し、あやつらの小競り合いは終わらんだろう。その間、もっと近くにくっついてくれてもいいのだぞ?」


 そう言いながら、ピッタリと寄ってくるローザ。

 しばらく会わないうちに、なんだか気持ちの距離が近くなっていませんかねえ……。

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