第131話 熟練度カンストの希望者

 森の中を潜り抜けていくのである。

 ここは、リュカとともに歩いた道だ。

 当初は、リュカが森の構造などをよく知っていることに驚いていたものだ。


 飲み水に食べ物、キャンプやら何やら。

 思えば現実世界からこちらにやってきて、最初の洗礼だったように思う。


「あ、川がある」


 リュカの隣を歩いていたサマラが、せせらぎの音を耳にしてぴょんと飛び跳ねた。


「実は、喉が渇いてて……」


「水ならあたしが幾らでも出したのに」


「アンブロシアが出す水って、その場所の湿気なんかを集めるんでしょ? 森の中だと、ちょっと癖のある臭いになるから……」


「ははあ、サマラ、あたしを使って川の水を濾過するつもりだね……?」


 これから、世界の命運をかけた戦いに臨むと言うのに、俺たちに緊張感は無い。

 そもそも、向かう土地はリュカの故郷。滅ぼされた村だ。

 だが、彼女の中でも、既にこの事には決着がついているらしい。


 元々リュカは、自分のこととなれば割りきりが早いほうだった。

 自己犠牲の精神を持っているのだろうか。だからこそ、俺が出会ったときに彼女は処刑されようとしていて、その時も恐れる様子は無かった。

 リュカが恐れるのは、自分が親しくしている人々が傷つくことだ。


 今は、リュカと親しい娘たちが、皆、俺の切っ先の届く範囲にいる。

 それが絶対的な安全を意味するのだと知っている。

 だから、リュカは緊張などせず、自然体でいられるのだ。


 リュカの雰囲気は、みんなにも伝播する。

 サマラはアンブロシアと減らず口を叩きあっており、ローザは森の中を歩く足取りが危なっかしい。彼女をハラハラしながら見守り、つまずいたりした時にサポートしているのはアリエル。

 良い関係なのではないだろうか。


「ほう、川か。アンブロシアがいれば、水には困らんが、臭いのしない水も恋しくなってきていた頃だ。どれ、いただこう……」


 ローザが川に近づいていく。

 あっ、嫌な予感がするぞ。


「あっ」


「あっ、ローザが足を滑らせた!」


「ローザさん!?」


「あー」


 流されていく。

 いかん。

 慌てて、アンブロシアが水の精霊を呼んだ。


 ウンディーネが川の流れをゆったりしたものに変える。

 俺はバルゴーンを大剣に変えて飛び込んだ。

 剣をサーフボード代わりに操り、ローザに追いつくと、


「ローザは本当に運動音痴だな……」


「私は頭脳労働専門でな」


 悪びれない彼女を拾い上げた。

 振り返ると、リュカが笑っている。


「前に流されたのはユーマだったもんね?」


「うむ……何もかも懐かしい」


 川原で一晩を明かすことにする。

 記憶の中にあった、黄色い果実を切り落としてみんなに手渡す。

 トバトの実とか言ったっけ……。


 生活能力ゼロの俺の命を繋いでくれた木の実だ。

 リュカが紹介した実で、一番美味かった気がする。


「風の音がする」


 リュカが果実を齧った後、木々の合間から覗く空を見上げる。

 森を吹き抜ける風は無い。

 だが、ゴウゴウと低い音を立てて流れる風の音だけが響いているのだ。


 ありとあらゆる風が、ゼフィロスに吸い上げられているのだろうか。

 風が流れなくなれば、空気は停滞し、淀み、やがて腐っていく。

 オケアノスに支配されていた、ネフリティスの海と一緒だ。


「風は流れるようにしないとね。そうしないと……」


 リュカの言葉は少し曖昧で、だが不思議と心に染みる。

 翌日、アリエルが植物の精霊たちと交渉し、森を抜ける近道を教えてもらった。

 以前とは比べ物にならないほどの短時間で森を抜ける。


 その先にあるのは、リュカの村とは違う、もう一つのラグナ教に滅ぼされた村だ。

 今や、草木が村を侵食し、畑があったところにはぼうぼうに野草が生い茂る。

 誰も、この村に戻ってきてはいなかった。


 山に逃げた、老婆と子供たちはどうなっただろうか。

 進む先、俺が作った村人たちの墓の跡が見えた。


 そこに植えられていたオークの苗は、僅かに大きくなっているような気がした。

 葉が、さやさやと風にそよぐ。

 ……風に……?


「遍く風の王ゼフィロス。今、人の子らが新たに、あなたの子らへと加わります。彼らを迎え入れ、祝福をくださいますよう」


 リュカが呟いた。

 それは、精霊を信じる人々が風の王に死者を送る時の、祈りの言葉だ。


 ゼフィロスが死者を迎え入れる……。

 風の王は、死者に祝福を与える。

 あの黒い風は……触れた生き物を殺してしまう風だ。


「うん。ゼフィロス様を信じていた人たちは、みんな死んでしまったのかもしれない。もう、私以外、誰もゼフィロス様を知らない。ゼフィロス様に気付かない。ゼフィロス様をお祀りすることもない」


 ゼフィロスは忘れられ、ただのそういう、自然現象として人々に認識されるようになっていくのか。

 ならば、あの黒い風は。

 世界を覆ったスーパーセルは、ゼフィロスの最後の抵抗だったのだろうか。


 村を抜けていく。

 街道を真っ直ぐに進む。

 ゼフィロスの風により、国家でさえも地域によって分断されている。


 ラグナ教の連中が、ここまでやってくる事は出来まい。

 誰ともすれ違うことなく、俺たちはただ、道を進んだ。

 やがて……。


「見えた」


 リュカの言葉が無ければ気付かなかった。

 道の途切れた先で、あの村があった。

 既に、村であったと言う形も残ってはいない。


 それは、まるで数十年を経たかのように木々に覆われ、だがしかし、生き物の気配を感じない死んだ森になっていた。

 森の中央だけが、不自然に木々がよじれ、道をあけている。


 俺が近づいてみると、足元にサラサラとした灰があるのに気付いた。

 これは、ラグナの執行者が分体を使って放つビームの副産物だ。

 誰かがここでビームを放ち、真っ直ぐ先にあった、リュカとゼフィロスが接触した聖地を攻撃したのだろう。

 

「ねえ、誰かいるんだけど」


 サマラが気付いたようだ。

 彼女の目線の先に、一人、佇む者がいる。

 俺も目を凝らした。


 恐ろしいほど静かな場所だ。

 ここには、ゴウゴウと渦巻く風の音も聞こえない。

 俺たち以外に何の気配も無い。


 だから、そいつがいることに気付かなかったのだ。

 そいつは、聖地があった場所に立ち、じっとこちらを見つめている。


「……お前は……」


 俺には見覚えがある顔だ。

 二度、俺が倒した男だ。

 勇者リョウガ。


 一度目は足を斬り飛ばし、二度目はとどめを刺した男。

 ゼフィロスの力を受けて、強化されたデスブリンガーのリーダー。


「ここでやるつもりか?」


 俺が問いかける。

 だが、奴はじっとこちらを見るばかりだ。

 表情と言うものは無い。


 正常とはいえない状態である。

 ふと気付いた。

 奴が手に握っているものは何だ。


 あの男の得物は、最強の魔剣デュランダル。黄金に輝くロングソードだ。

 俺が折った剣である。


 しかし、それは元の形を取り戻している。

 リョウガは緑色のマントをたなびかせ、無表情にこちらを見つめている。


「な、なんだか……背筋が寒くなってきます」


 アリエルが青い顔をしている。


「人間と向き合ってる気がしないね……。ありゃ、一体なんなんだい?」


「デスブリンガーの一味だったはずだが……まだ生き残りが……いや、違うな」


 アンブロシアが湧き上がる恐れを隠すように相手を睨みつけ、ローザは考える。


「あれは、ゼフィロスなのではないか? 死体を動かしているのだ」


「うん……あの人から、強い風の力を感じる。感じ始めた」


 リュカの言葉と同時に、リョウガの姿をしたものは歩き出した。

 まるで地面が無いかのように、草木の間をすり抜け、こちらにやってくる。


「そうか。俺に合わせてくれたってわけか?」


 俺はバルゴーンを抜き放つ。

 奴はぶら下げていたデュランダルを無造作に天へ向け、突き上げた。


『定命なる人の子よ』


 そいつは……唇を動かすことなく、話し始めた。


『かくして、精霊の時代は終わる。人の時代は来ない』


 マントが膨らみ、そいつは空に浮かび上がっていく。

 最早、疑う余地は無い。

 あれはゼフィロスだ。


『全ての人の子を迎え入れ、新たな時代の夜明けを告げよう』


 剣ごと、両手を空に向けて掲げる。

 バンザイのようなポーズだ。

 俺はその姿に、初めてカミサマってやつを感じた。


 ああ、そうか。

 こいつは、自分の信者だろうと、自分を排除する人間であろうと、平等に迎え入れるんだな。


 だがまあ、迎え入れるってのが死と同義なんだ。

 そりゃあ遠慮したい。


「ユーマ、いくの?」


 リュカに声を掛けられて気付いた。

 俺は自然と、奴に向かって歩き出していたようだ。

 参った。


 これはいつもの癖だ。

 考えるよりも先に、体が動いてしまう。


「ユーマ様、それは、アタシたちのためですか?」


「また、人を助けるために行くのかい?」


「私たちだっているのだ。また全て背負うつもりか?」


 うむむ。

 女たちが口々に言う。


 そうか?

 そんなか?

 俺はそんなに、人のために我が身を犠牲にしてるか?


 うーむ、確かに、俺にはこれといってやりたい事など無かった。

 だから、俺が親しくなった誰かが喜ぶ事が、俺のやりたい事なのだと思ってきた。


「ユーマさん。私はですね、あなた、もっとわがままになった方がいいと思うんですけど」


 むっ。


「ユーマ」


 俺の腰の辺りを、リュカがつんっとつついてきた。


「なんだなんだ」


「ユーマがやりたいようにしたらいいんじゃないかな。今しようとしてる事ってさ、ユーマがやりたい事?」


 俺は一瞬だけ考えた。

 ゼフィロスを倒す。

 そうしたらどうなる。


 大体、面倒な事は終わる。多分終わる。

 そうなったらどうする。


 ……みんなと、ちょいと長い間、まったりしてもいいじゃないか。

 いいな、それ。


「うむ。結果的にそうなるな」


 すると、リュカが笑顔になった。


「ユーマがやりたい事なんだね? 良かった! これからさ、戻ってきてからさ、もっと色々見つかるよ。やりたい事見つかるよ」


「うむ。そうだといいなあ」


「うん、だから、ちゃんと、戻ってくること」


 彼女の眼差しを、俺は目を逸らすことなく見つめ返す。

 頷いた。


「いつも通り戻ってくる」


 俺の口元にも、笑みが浮かんでいた。

 そうだな、それじゃあ、とっとと目の前のことを片付けないとな。


「シルフさん、お願い……」

 

 リュカの言葉が響く。

 周囲で、風が巻き起こった。


「リュカさん、ゼフィロス様からシルフの支配権を奪ったんですか!? ありえない……」


 リュカならやるだろうさ。

 風が俺の背中を押す。

 俺の体が空へと舞い上がった。


 ゼフィロスは、じっと俺を待っている。

 よし。

 最後の戦いを始めるとしよう。

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