第121話 熟練度カンストの奪還者

 明らかに攻撃の手が緩んだオケアノス。

 今この時が最大のチャンスであろう。


「アリエル、出来るだけ強い風を!」


「は、はいっ!」


 アリエルが俺に向かって、強烈な風を起こす。

 俺は大剣を背負い、マスト代わりにして風に乗る。

 ちょっとリュカよりもパワーが無いな。あまり飛距離は出ないだろう。


「パラム! ゲソを頼む!」


「げ、ゲソ!? 分かりました!」


 ニュアンスは伝わったのだろう。

 俺が飛び上がった先に、クラーケンの触腕が延びてくる。

 そこを足場として着地し、俺はアンブロシア目掛けて一直線。


「目を覚ませアンブロシア! 水の精霊王だか嫉妬の精霊王だか分からん奴に負けるな!」


「し、嫉妬の精霊王だと貴様……!!」


「ユ……マ……ッ……!」


 アンブロシアの口から、二つの声が発される。

 細い掠れた声がアンブロシアだろう。

 オケアノスの支配力は強いらしい。サマラの時よりも、余程消え入りそうな小さな声だ。


 俺は大剣を片手剣に変えると、クラーケンの触腕からオケアノス……アンブロシア目掛けて跳んだ。

 足場は、水で出来た船。

 普通なら着地できるはずがない。


「アンブロシア、知っているだろう! 俺は泳げないぞ!! 泳げないということは、このままだとどうなるか!! 分かるだろう!!」


 その瞬間、カッと彼女の目が見開かれた。


「仕方ないねえ……! ウンディーネ!」


「な、なにぃっ……!!」


 先ほどよりも力を増したアンブロシアの言葉と、驚きに満ちたオケアノスの言葉。

 着水した俺を支えたのは、水の乙女たちが形作るふわふわした足場だった。


 これだけあれば充分。

 さあ、彼女の体から、お邪魔虫は出て行ってもらおう。


「何故だ! なにゆえ、わしの支配から抜け出したのだ水の巫女よ! おぬしは非才! 歴代の中でも取り立てて優れたところのない凡庸な巫女に過ぎぬ! それをわしが、オケアノスが力を貸して、こうして一流の巫女にも匹敵するようにしてやったというのに……!」


「あたしは……別に、巫女の力なんて……いらない……っ!」


 絞り出すように、アンブロシアは言った。

 彼女の輪郭がぶれ始める。

 出るぞ、出るぞ。


「ぬう、ぬうぉぉぉぉっ……!! わ、わしを追い出そうとするか……! だが、おぬしの弱々しい魔力では、わしを追い出すことは敵わんぞ……!!」


「くぅっ……」


 アンブロシアの唇から血が滴った。

 強く、唇を噛み締めていたのだ。ぶるぶると体が震えている。

 彼女の中で、アンブロシアとオケアノスがせめぎ合っている。


 俺が見る所、オケアノスが優勢だ。

 これはいかんな。

 俺は天を仰いだ。


「リュカ、済まん」


 一言謝り、俺は前に一歩踏み出した。


「ぬううっ、この隙に仕掛けてくるかっ……! だが、わしは水の巫女と一体になっている……! いかな貴様の剣とて、巫女ごと斬る他あるまい……!」


「い、いいんだよユーマ……! このくそったれな精霊王を、あたしごと、やりな……!」


 アンブロシアは動かない。

 オケアノスは逃げようとしているのだが、アンブロシアがそれを許さないのだろう。


「あたしは、ほら。巫女になった時から、まともな幸せとか、諦めてるからさ」


「ああ、それは知っている。だが知った事かよ」


 俺は、彼女の頬に手を当てた。

 そのまま、俺の顔を近づけて……。


「ユー……マ……?」


「き、貴様ななな、何っ、を……!」


 アンブロシア、お前に俺のファーストキスをやろう!!

 俺は覚悟を決めて、彼女に唇を重ねた。


 柔らかな感触。

 血の味がした。


「………………ッ!!」


 アンブロシアは目を見開いて、俺にされるがままだ。

 だが、俺もここから先は知らんぞ。知識でしか知らん。そしてそこまでやれるほど精神的に余裕は無いぞ。


「ぐ、ぐ、ぐ」

『ぐおわあああああああああああっ……!! 男のッ……!! 男の接吻はやめろぉぉぉぉぉ……!!』


 いきなり、アンブロシアの背中から猛烈な水しぶきが飛び散った。

 そいつは見る見る形を作ると、カリュプディスを何倍にもしたような、馬鹿でかい渦巻きの形になった。

 渦の中央に、一対の目玉が付いている。


 これがオケアノスか。

 確かに、この目玉は見た記憶がある。

 オケアノスは、


『おええええええっ……! おええええええっ……! き、気持ち悪いっ……おえええええっ……!!』


 とかひどい声をあげてのたうち回っていた。

 アンブロシアが、俺の胸に倒れ込んでくる。

 いつの間にか唇を離していたようだ。


「せ、責任ちゃんと取ってよね」


 小さく聞こえた言葉は、いつもの姉御っぽい彼女とは別人のようである。


「元からそのつもりだ。だから、一つ頼みがある」


「な、なんだい」


「リュカへの言い訳を一緒に考えてくれ」


「……あー」


 アンブロシアが頭を抱えた。


「今はとりあえず、考えるのやめとく。行くよ、ユーマ!」


「おっ、いつものアンブロシアに戻ったな」


 彼女は俺から離れると、ふうっと一息。

 手にした指輪が、きらきらと輝く。

 共鳴するように、オケアノスの体が煌めいた。


 あいつから無理やり、魔力を吸っているのだ。

 輝きは俺の足元までやってきて、何やら靴の辺りが光りだした。


「これで、あんたも水の上を動けるよ。急ぎな。ほら、デスブリンガーの連中が戻ってきたから」


「了解だ。さっさと片付けるさ」


 俺は、水で形作られた船の上を走る。


『お、おのれえ……! 浮力を……奪えないだとぉ……!! 水の巫女ぉぉぉぉ……!!』


「あたしはアンブロシアだよ! 水の巫女なんていう称号で呼ばないでおくれ!」


 アンブロシアが啖呵を切る。

 彼女の魔力が、オケアノス自身の力を吸っているとは言え、精霊王と拮抗しているのだ。

 お陰で、俺はスイスイと奴に接近できた。


『うぬう……! わしがこの程度で、貴様を攻められぬと思うたかぁ……!! 死ねぇい……!!』


 オケアノスの前に生まれるのは、巨大な水の円盤。

 そいつは高速で回転しながら、その全身を泡立たせる。

 こいつは、水のガトリングガンを無数にぶっ放すつもりだろう。


 馬鹿の一つ覚えというやつか。

 だがな、俺相手に何度も見せた魔法を使うのは得策ではないぞ。


『砕け散れぇ……!!』


 水の弾丸が、無数に放たれてくる。

 なるほど、弾丸の密度が先程の比ではない。

 だが、この魔法は既に見た。


 俺は片手剣型になったバルゴーンを腰に収めて、初弾に合わせて抜刀した。

 水を、弾く。


 個体を穿つほどの硬度に引き絞られた、高圧の水である。

 それは指向性を有して、水本来の不定形という性質を失っている。

 だから、つまりは普通にガトリングガンの弾丸を弾くのと変わらないのだ。


 弾いた水と水がぶつかり合う。これが障壁となり、水の弾丸の勢いを殺す。

 勢いを失えば、かかっていた圧力も逃げる。


 弾丸はただの水しぶきとなり、飛び散る。

 俺は一歩一歩進みながら、水の弾丸を弾く、弾く、弾く。


『お、お、お、お、おぉぉぉぉ……!? こ、この、この化物めぇぇぇ……!! レイアめ、話が、話が違うではないかあああ……! この男、異世界の小僧どもと、全く異質の……!』


 ガトリングを生み出す水の円盤に接敵。

 これを、一刀で切り捨てる。


 返す刃で、オケアノスめがけて突き込んだ。

 虹色の輝きが、水の精霊王の目玉と目玉の間を貫き通す。


『お……あ、あ、あああああああああああっ……!! わしが、わしがここで……滅びる……!! いやだ、もっと、もっと巫女を愛でて、わしのものに……!!』


 刃を捻り、切り裂きながら真横に抜く。

 これで、オケアノスの怨嗟の叫びは止まった。

 目玉を持った渦は、ゆっくりとその実態を失い、ただの水へと崩れ落ちていった。


 この水で出来た船もまた。

 俺たちの背後では、迫ってきていた金の武器を持った連中が、足場を失って水に沈んでいくところだ。


 一応は泳げるようでばたばたしているが、代わりに浮上してきたのは水の妖精たちだ。

 プリムもいる。


「ユーマ様! 今まで浮力を奪われ、水底に縛られていましたが、これで私たちもお力になれます! さあ皆、侵略者たちを水に引きずり込みなさい!」


「や、やめっ、がばぼぼぼ」

「あばぼぼぼっ」


 どれだけ強い武器を持っていようが、足場もないところで水の妖精と戦うのはよろしくないよな。

 すぐに、連中の姿は無くなってしまった。


 魚の餌にでもされているのだろう。

 そういえば、クラーケンは人を食う事もあるのだったな。

 アンブロシアが水を操作し、足場を作ってくれる。


「とりあえずさ、ユーマ」


「おう」


「一緒に、その、言い訳は考えてやるからさ。今日は……少し、あの、その……」


「……分からん」


「分かりなよ! あー、もう! 甲斐性のない男だねえ!? そんなんだからリュカとの間もいつまでも進展しないんじゃないかい! だからね、あたしが今日くらいはあんたに甘えさせてって……」


 皆まで言ってしまったようだ。

 アンブロシアが真っ赤になる。


 おっ。

 おっおっ。

 こいつ、結構可愛いんじゃないか。いや、元から気に入ってはいたんだけど。


「あーっ!! アンブロシア、ユーマ様とくっついてる!? は、離れっ」


「サマラさん、今日はいいじゃないですか。ねえ。ほら、どうどう。ステイ! サマラさんステイ!」


 アリエルもサマラの御し方を覚えてきたか……。

 さあ、次に助けるのは、リュカかローザか……。







 と、思っていたら。








 俺たちは、エルフェンバインの港で呆然としている。


「や、やあ、遅かったな」


 そこにいたのは、黒いミニスカート姿の、スレンダーな黒髪の美少女。

 一見して、彼女の実年齢がアラフォーだと分かる人間はおるまい。巫女って外見年齢が変わらないから便利だなあ……。

 ところで。


「なあ、ローザ」


「ああ、なんだ?」


「なんでお前、いきなりいるんだ……?」


「うむ……実はな……」


 土の巫女、ローザはとても複雑そうな顔をしたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る