第89話 熟練度カンストの脱出者

「私の……私の民は無事なのか……?」


 オーベルトに支えられて立ち上がった辺境伯、第一声がこれである。

 彼女が土の巫女なら、地下牢など抜け出すのは造作も無い事であろう。

 それが脱獄する事もせず、命を削るような真似までしてケラミスを作り続けていたのは、彼女が民を案じていたからであろうと想像がつく。


 この人にとって重要なのは、常に自分以外の守るべき相手なのだ。

 素晴らしく善人である事は確かだが、何と言うか、うーむ。

 世の中、そういう善人を食い物にする連中だらけなのである。


「うむ、む……」

「お館様、そ、その……」


 オーベルトとダミアンが言い淀んでいる。

 リュカも何か、口をモゴモゴさせている。

 そうだな。


 我が身を削って、民のために人質になった辺境伯だ。

 その行為に対して、王国がとったやり方が領民の追放やら騎士団狩りなんてのは、なかなか言えるものじゃないよな。


 だが俺は言うぞ!

 こういうので空気を読まないのが俺だ。


「約束は全部破られていたぞ」


「なっ……!? ユーマ殿!?」

「そ、それは……!」

「うほー」


 学者先生、そのうほーってのは何だ。

 妙に嬉しそうだな。


「あんたの領地に住んでいた連中は散り散りだ。王国は辺境騎士団を狩り立て、辺境伯領には王の子飼いの貴族を送り込んだ……んだよな?」


「ですぞ」


 エドヴィンに確認する。そうらしい。

 辺境伯、ショックを受けたように一瞬立ち尽くしていたが、すぐにフッと自嘲気味に笑った。


「そうか……。やはりな……。私がやったことは……彼らに利用されていただけだったと言う事か」


「へんきょうはくさん」


 リュカがオロオロしている。

 辺境伯は彼女に、大丈夫だと手で制すると、


「私は地位を剥奪された。もはや、ヴァイデンフェラーでもなければ爵位も無い。ただのローザリンデだ。ローザと呼ぶといい」


「えっ、そういう名前だったの」


 俺はびっくりした。

 実にお姫様チックな名前ではないか。

 俺が妙なところに驚いているので、リュカが肘で突っ込んできた。


「んもう、ちゃんとして、ユーマ!」


「お、おう! 大丈夫だ辺境……じゃない、ローザ。ヴァイデンフェラー領の生き残りは、このオーベルトとヨハンが集めてくれた。今は、戦場から離れた場所に保護しているぞ。……あれっ、オーベルト、ヨハンどうした」


「ヨハン殿は民の護衛をしているが。火竜が出るという山に向かったはず」


「そうだったかー。じゃあ、次の目的地はそこだな。……あれ、何の話だったか」


「ユーマ、お前は良く喋るようになったな」


 ローザが笑った。

 そして、俺に向かって頭を下げる。


「皆を、助けてくれたのだな。私には出来なかった事だ。本当に感謝している。ありがとう……!」


 我ながら、俺の言葉はあちこち言葉足らずなように思ったが、それでもローザは満足してくれたらしい。


「お館様、ユーマ殿の動きは迅速でした。我らをすぐさま、国中に散った民を集める為に派遣し、自らも動かれて……」

「うむうむ、ユーマ殿のフットワークの軽さは、何者にも、どんなしがらみにも縛られていないからでしょうな。いや、彼についていって、本当に世界が広がりましたぞ! 面白い! 世界は本当に面白くなります!」


 オーベルトの隣で、まくしたてるエドヴィン。

 彼が懐を開くと、そこからとんでもない量の羊皮紙があふれ出した。

 その全てに、びっしりと今までの旅の記録が書き付けられている。


「お館様、私はこれをまとめ、本にしようと思いますぞ。これはちょっとした見ものですぞ!」


「ははは、変わらんな、エドヴィンは」


 ちょっとホッとした風なローザである。


「よし、じゃあ脱出しよう。誰か、ローザを抱えてくれ」


「無論、力仕事は俺の出番でしょうな!」


 ダミアンが進み出る。

 すっかり運搬役である。


 しかし、オーベルトを運んだときのように杜撰に担ぎ上げるのではなく、壊れ物を扱うように、そっとローザをお姫様抱っこする。

 流石は妻帯者、女の扱いを知っている。


「な、何やら気恥ずかしいな……」


「ローザさんは女の子なんだから、いいの!」


 リュカが嬉しそうだ。

 ローザが領主という地位を脱ぎ捨て、等身大の女性になったことを、好ましく思っているのだろう。


 彼女はいつもそうだ。

 サマラにせよ、アンブロシアにせよ、彼女たちが縛られている役目や使命というものを、リュカは良く思っていない。

 俺と出会った頃のリュカ自身が、自らが死んで時代の変化を司る、と言った役割に縛り付けられていたせいかもしれない。


 で、そこにやってきた右も左も分からない俺が解き放ったと。

 何やら、リュカが俺をチラチラ見てくる。

 なんだなんだ。何故俺を見て意味ありげに微笑む。


「どうしたんだリュカ?」


「いいの!」


 前に進んできたリュカが、俺の腕に手を絡めた。

 とても、戦争からの脱出行とは思えぬ我らの様子である。

 今から戻る道には、あのフランチェスコと国王がいるんだぞ。


 流石にフランチェスコも、逃げようとする国王を放ってはおけまい。

 あの男、ああ見えて生真面目でもあると見た。


「なんとか、あいつらに遭わずに脱出したいな。この地下に地下水が走ってるそうなんだが……」


「下に進むことが出来ればいいのか?」


 俺の言葉を聞いて、ローザが思案を始めた。


「であれば……この辺りの岩盤は分厚い。貫くことは容易では無いだろう。私ももう、魔力が残っていないからな。だが……」


 彼女の視線が、牢の中へ注がれる。

 そこには、坑道のような、大きく口を開けた横穴がある。


「私がケラミスを掘り進めた穴だ。あれを下っていけば、地盤が薄くなっているだろう」


「よし、それで行くか。リュカ、水の連中に呼びかける準備を」


「はーい!」


 だが、少々俺たちはのんびりし過ぎたらしい。

 集団が道を戻ってくる音がする。

 まあ、そうだろうな。


 フランチェスコという強い味方を得れば、国王が城内でうろつく俺たちみたいな侵入者を、放っておくはずもない。

 大方、俺たちの人数相手であれば勝てると判断したのだろう。


「賊め! そこに直れ! お前を討ち取れば、魔族の軍勢も総崩れだろう! そうですよねフランチェスコ様……ふへへ」


 おお、威勢のいい声が聴こえる。

 なんかフランチェスコに完全に従わされた感じだな!


「元気な国王だな」


「ああ……ディートは、子供の教育は得意でなかったのかもしれない……」


 少し懐かしいものを見る目をして、ローザが苦笑した。


「エルフェンバインの騎士団は物の数じゃない。連中を率いている大司教がやばいんだ。さ、早く逃げるぞ」


 俺はみんなを急かす。

 牢の中へ入っていき、奥へ開いた坑道へ。

 明かりが無くなって、視界が闇に閉ざされる。


「お前たち。風の巫女と私の指示に従うのだ。私たちは、目で見えなくても精霊の動きを察知する事が出来る」


 ローザが、騎士たちを統率する。

 信頼する元辺境伯がいるお陰で、騎士たちは暗闇でも慌てることはない。

 全幅の信頼と言うやつを感じるな。


 俺たちはゆっくりと、坑道を進む。

 さほどの奥行きではない。


 すぐに行き止まりになった。

 行き止まりの中央辺り、僅かに下に向けて窪んでいる気がする。


「この下の岩盤が薄くなっている。だから、私はこれより先に掘り進むことが出来なかった」


「ふむ」


 俺はバルゴーンを抜き放つ。

 この剣は、暗闇でも自ら虹色の輝きを放つ。


 騎士たちが声を上げて目を覆った。

 下手にこいつを抜くと、闇に慣れた目は眩んでしまう。

 さらに、闇の外側からもいい標的になるわけで。


「いたぞ!」


「見つかったな。さっさとケリをつけるか。ローザ、ここか?」


「ああ。出来るか、ユーマ?」


「無論」


 俺は武器を大剣の形に変化させ、大地目掛けて突き立てた。

 そして、剣を支えにしながら宙返りの要領。

 天井を足場に見立てて、強く踏みしめた。


「おおぉっ!!」


 口を衝いてでる咆哮。

 俺が力を込めてバルゴーンをねじ込むと、大地がメキメキと音を立てた。


 天井の突起に足を引っ掛け、俺は握った柄に力を込める。

 押し込みきった段階だ。

 ここから一気に……振り抜く!


 金属が砕け散る音が響き渡った。

 この下に広がる、金属や土、岩といったものをまとめて断ち割ったのだ。


 ずるり、と闇の一部がずれた。

 それは、支えとなっていた坑道から切り離され、ゆっくりと崩れ落ちていく。

 水が流れる音が聞こえた。


「聞こえる? 水の妖精の人たち……!! 今から行くよ!」


 リュカが声をあげる。

 彼女の声は、シルフの力を借りて、崩れた坑道の奥、広がった広大な地下空間へと反響していく。


 少しして、背後からエルフェンバインの騎士たちがやってくる騒々しい物音がし始めた。

 いよいよ余裕が無いなと思ったところで、水面を複数の生き物が跳ねる音。


「来たよ!」


「よし! 騎士たちから飛び込め!」


 俺は指示をした。


「下は水だが、マーメイドたちが支えてくれる! 信じて勢い良くダイブだ!」


「王城の地下に、水脈があったとは……!」

「しかも、そこに鎧を着て飛び込む事になるとはなあ……」

「ははは、どうせ一度失ったような命だ。お館様のために投げ出すのも一興だろう!」


 騎士ども、一瞬だけ躊躇したが、すぐに決意を固めて飛び降りていく。

 うむ、本当に命知らずな連中である。

 そして、オーベルトとダミアン、抱えられたローザも。


「なんとも、派手な脱出劇になってしまっているな」


「ユーマといると、ずーっとこうだよ。退屈しないよ!」


「ははは、全くだ。よし、行け、ダミアン」


「はっ! 行きますぞお館様!」

「お供します!」


 飛び降りていった。

 残ったのは、俺とリュカ、そして学者。


「ひー。私は高所恐怖症なんですぞ」


 なんだと。

 いいから飛べと言うのに。


 だが、学者がグズグズしている。

 その間に、最悪の奴が追いついてきた。


「灰色の剣士……! おのれ、お前はいつも私の予測を超えていく……! 危険だ……!!」


 ビームが飛んできた。

 俺がそいつを弾くが、狭い坑道の中だ。

 反射も上手くは行かない。

 跳ね返した光が天井に突き刺さり、激しく坑道が揺らいだ。


「ひぃっ、あひぃー」


 おっ!

 今の振動でエドヴィンが落っこちたぞ。

 ちょうどいい。


「よし、行くぞリュカ!」


 俺が手を差し出すと、


「うん! 行こう!」


 リュカが手を握り返す。

 そのまま二人で、地下水脈へ向かって飛び降りていく。

 下では、俺たちを待つマーメイドとマーマン。


 水の魔法が形作る泡に受け止められつつ、俺は頭上を見た。

 ぼんやりとした光を纏いながら、フランチェスコが立っている。


「あばよ」


 俺は奴に向かって告げながら、地下水の流れに従うのだった。

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