第84話 熟練度カンストの解放者

 彼女が、辺境伯領を受領したのは二十年ほど前のことである。

 先代国王の取り計らいにより、本来であれば古き時代の象徴として消え去るはずだった彼女は、新たな土地と地位を得て、王国の臣下として生きることになった。


 土の巫女。

 土の精霊女王レイアを祀る、古き一族の末裔である。


 時代は移り変わりつつあった。

 大自然の権化たる精霊を、災害が起こらぬよう、被害が広がらぬよう、恐れ奉る信仰は終わりを告げつつあり、信ずる事で現世と来世に利益をもたらす他力本願の信仰である”神”なるものが発明された。


 神とは、人の心を安定させる装置である。

 それはある日、突然ディアマンテの土地に降り立った。

 神は大いなる奇跡をかの地に示し、かの神を信じる三つの教えが世界に広がっていく。


 初めにエルド教。

 次にラグナ教。

 最後にザクサーン教。


 かの宗教は、神では無いものを奉じる教えを許さない。

 古き教えを守り続けていた彼女の村が、王国によって消し去られたのも必然だったと言えよう。

 それは世界のあちこちで起こっていた、ごく当たり前の光景である。


 世界は、大自然の象徴たる精霊と共に生きる”人と精霊”の時代から、己の力のみで自然を克服し生きる”人の”時代へと移り変わろうとしていっていた。

 ただ一つ、その村が違っていたのは、そこが王家にとっての保養地であったことだ。


 若き国王は、その地で不思議な力を使う少女と出会った。

 土の巫女であると名乗った少女は、土の精霊ノームを呼び出し、不思議な技を見せてくれた。


 国王は彼女が気に入り、彼女もまた、国王と親しくなった。

 彼も彼女も、互いの立場、地位を忘れて名前で呼びあった。


「ローザ、ローザリンデ。見てご覧」


「どうしたの、ディート? また何か、面白いものを見つけたのかしら」


「うん。本当に面白い。あそこで、木々の上から蛙が落ちてきたんだ。蛙は池に住んでいるものなのに、彼らは木の上で一体何をしていたんだろう?」


「ディートフリート。池で暮らすものが蛙だというのは、私たちの狭い常識が言わせているものだわ。蛙にだって、木の上で暮らさなければならない事情を持ったものはいるの。

 人と同じよ。みんな違っていて、それぞれちゃんと理由があるの」


「そのようなものなのかい。それはまるで私と……」


「ディートと私のよう? ふふふ、そうかもしれないわね」


 彼女の年齢はどれくらいであっただろう。

 確か、年下だったはずだ。だが、随分と大人びているようにディートフリートには見えた。


 先の国王と土の巫女。

 相容れぬはずの二人は、保養地で過ごすひと時の間、ゆっくりとその距離を縮めていった。


 恐らく、二人の間には男女が互いに抱く、恋情のようなものがあっただろう。

 だが、互いの立場が余りにも違いすぎた。

 二人の愛情の結晶を宿すには、彼女は余りにも巫女という立場に対して忠実すぎたし、彼は隣国ディアマンテの脅威に常に晒される祖国のため、自由な恋愛など行なう事は出来なかった。


「では、私は戻るよ。今度は……いつ君に会えるか分からないが」


「ええ。いつか、レイアの導きで再会出来る事を。私はこの姿のままで役目を果たし続けるわ。いつかあなたが役割から解放されたなら……」


「そのような時が来るといいがね」


 ディートフリートは笑って、去っていった。

 それからほどなくして、彼は若くして王位を継いだ。

 風の噂に、王がアルマース帝国の姫を娶ったと聞いた。


 やがて、王と王妃の間には子が生まれた。

 次代の王となる、王子である。

 ディートフリート王の治世は穏やかに続く。


 やがてエルフェンバインは、ディアマンテと国交を樹立。未だ緊張関係を続ける仲でありながらも、国家の後押しを受けた交易が行なわれるようになった。

 ラグナ教の教えが強化されたのもこの頃である。


 ディアマンテからの巡礼者がエルフェンバインを通るようになり、土着の宗教であったレイア信仰は、徐々に隅へと追いやられて行った。

 国王は、この流れを押し留めようとしていたのだが、ラグナ教の隆盛と土着信仰の衰退は止められなかった。


 ある時である。

 王都に訪れた女性がいる。

 彼女は土の巫女と名乗り、王城を守るあらゆる警備をすり抜け、王の目の前に現れた。


 巫女の願いは、レイア信仰を続ける民の保護である。

 本来であれば、叶えられる事の無い願い。

 だが、それは王が下した命によって叶う。


 ディアマンテ国境付近に設けられた、辺境伯領。

 嫡子に恵まれず、財政も思わしくなく、これという資源も無く、消え行くだけというこの地方の領主が、彼女を養女として迎え入れる事になったのだ。

 新たなヴァイデンフェラー辺境伯の誕生であった。




「……ううっ……」


 暗闇の中で目覚める。

 幾度目の目覚めであろうか。

 まぶたが、体が重い。


 ケラミスを精製するため、魔力を振り絞った影響である。

 ここは、王城の地下にある特別製の牢獄。

 エルフェンバインの武力を支える事になった、特殊素材ケラミスを生産する場所でもある。


 ケラミスとは、土から生まれる陶器質の素材である。

 鉄よりも遥かに軽く、そして並び立つほどに強靭。

 熱に耐え、錆びる事が無い。


 生み出された形のまま、武器や鎧として使用することが出来る。

 理想的な素材であった。

 問題は、これを生み出すことが出来る者が一人しか居ない事。


「目覚めたようだな」


 足音高くやってくる者がいる。

 護衛の騎士を引き連れ、掲げた松明の光が近づいてくる。

 その男は、褐色の肌をしていた。


 アルマース帝国人の血が混じっているのだ。

 年はまだ若い。

 故に、彼の瞳にはギラギラとした野心と若さから来る全能感が宿っている。


 普段ならば、である。

 今は、彼の瞳には焦りの色が濃かった。


 エルフェンバインの新たなる王、ディオニュース。

 彼女をこの牢獄へ閉じ込め、命を削るような連続したケラミス精製を命じる男である。


「ケラミスが足りん。彼奴らの数がまた増えたのだ。あの化け物どもめ! 一体何が目的で、エルフェンバインを襲うのか……!」


「分が悪いようだな。焦りが顔に出ているぞ」


「何が可笑しい! 貴様を生かしてやっているのも、そのケラミスを生み出す力ゆえぞ! 俺の情けが無ければ、父上に取り入った邪教徒の毒婦など即座に斬首していたところだ」


 ディオニュースは苛立たしげに牢を蹴った。

 だが、彼女は動じない。


「いいか、ノルマは以前の二倍だ。ケラミスを作れ! まだまだケラミスが足りぬのだ! さもなくば、貴様の領民だった者たちがどうなるか……」


「分かっている……」


 暗闇の中、彼女の瞳だけが輝いている。

 周囲には、土が焼ける臭いが漂っていた。

 ケラミスが生まれる時に副産物として産み出される、陶器の香である。


 彼女は疲弊しきっていたが、止めるわけには行かなかった。

 ディオニュースの言葉の全てを信頼するわけではない。


 だが、彼女の民を守るためには、この男に従う他無い。

 彼女……ヴァイデンフェラーではなくなった、ただのローザリンデは、変わることなく愚直であった。


「ふん!」


 ディオニュースは憤然と鼻を鳴らすと、もう一度牢を蹴り飛ばした。

 そして踵を返す。

 そこへ駆けて来る兵がある。


「陛下! ご報告がございます! マ、マルクスブルクが陥落致しました!」

「なんだと!? 馬鹿な……また、また一晩でか……!! かの地には、フランチェスコ殿から借りた執行者も配備されていたはずだぞ!」

「それが……彼奴らの王が遂に姿を現しまして。灰色の王と名乗る、恐ろしいほどの剣の使い手でして」

「灰色の王……だと……? たかが剣士が執行者を破るなど、聞いた事も無いわ……!」


 ローザは一瞬、耳を疑った。

 灰色の。

 それは、数ヶ月前に別れたとある男を連想させたからだ。


 まさかな、と思う。

 半月ほど前に、突如出現した謎の軍勢。

 それは瞬く間にヴァイデンフェラーの都市を占領していった。


 如何なる城壁も、装備も役には立たぬ。

 明らかに人ではない者たちを数多擁するその軍勢は、ラグナ教が語る悪魔の如き集団であった。

 いつしか、人々はそれらを魔族と呼び始める。


 魔族の軍勢。

 それは明らかに、王都を目指してやって来ていた。

 日が経つごとに、軍勢は数を増やしていく。


 エルフェンバインは、彼らに対して打つ手を見出せないでいるのだった。

 それこそ、訪れていたラグナ教の特使の力も借りるほどである。


 だが、それさえも通じない相手が現れた。

 灰色の王とは。


「こうなれば……フランチェスコ殿直々に力を借りる他無いかも知れん……」


 王は立ち去っていく。

 また、暗闇となった。

 ローザは震える足で立ち上がると、牢の壁面に設けられた燭台に手をかざす。


 魔力を受けて光を放つ装置である。

 ぼんやりと、薄明かりが宿った。

 牢獄の全体が明かされる。


 壁面は深く掘られ、坑道の横穴のような姿である。

 牢獄の土から、ケラミスが生まれる。


 一体どれほどの量を精製してきたか。

 だが、その日も終わりを迎えそうだった。


「私の命が尽きるのが早いか……。灰色の王とやらが来るのが早いか」


 掠れた声で呟いた後、ローザは微かに笑みを浮かべた。


「それが、あの男だったとしたら……運命とは随分……」


 不思議な確信があった。

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