第76話 熟練度カンストの宣戦者

 ある日、エルフェンバイン王国は謎の集団による襲撃を受けた。

 つい先日行われた、ディアマンテ帝国との小競り合いの他は、大きな争いもない時代である。


 ディアマンテと争うアルマース帝国は、海を挟んで常にディアマンテとにらみ合いをしている。

 二国を陸地で繋ぐ位置にエルフェンバインは存在していた。


 争う帝国同士の緩衝地帯となることで、二国の貿易の中継を行い利益を得る。

 それがエルフェンバインのスタイルであった。


 エルフェンバインは強国である。

 ラグナ本教会や、ザクサーン教と言った特殊な戦力を有する宗教には肩入れしないものの、自国のみでも豊富な鉱山資源を所有し、それが生み出す性能の良い武具が、優れた兵士や騎士を育て上げる。


 誰も、エルフェンバインに正面から戦争を挑もうなどとは考えていない。

 この間のディアマンテとの小競り合いも、最終的にはあちら側からの賠償金を受け取る形で決着している。


 故に。

 遠目にアルマース帝国の大地を望むこの砦。

 勤める者たちの心根が少々緩んでいたとしても、仕方はあるまい。


「何かよ。こうやって見張ってても、今日だって何が起こるわけでも無い」


 見張り塔に詰めている兵士の一人がぼやく。

 毎日毎日、代わり映えがしない。

 こうして国境線を眺めて、アルマース帝国の様子を見る。


 ほんの一月半前、ここから望める大山、ガトリング山が大変なことになったのだが、それ以来ぱったり、ここから眺める光景に変化は訪れていない。

 削り取られた山にもすっかり慣れてしまった。


 アルマース帝国は大混乱だったらしいが、それはエルフェンバインには大きな影響が無い。

 せいぜい、中継貿易の量が少し減った程度だ。

 じきに回復するだろう。


「戦争が起こってほしいって訳でも無いんだけどな。国王が変わっても、俺たちの待遇は変わらんしなあ」

「知ってるか? ヴァイデンフェラー辺境伯が更迭されたってよ」

「ああ。新王陛下が、辺境伯領の土地を接収したがったんだよ。あそこ、ケラミスの元になる土が豊富に出るからな。前王陛下が辺境伯に、全部管理させてたらしい」

「独り占めはよくねえよな。だけど、辺境伯ってすげえいい女だったらしいじゃないか。ちょっと勿体無いよな」

「いやいや、まだ更迭されただけで死んで無いだろ。ていうか、ケラミスの加工技術を知ってるのはあの人だけだって話だぜ?」

「おっ、そんじゃあ、今頃王城で馬車馬のように働かされてるのかもしれねえな。もったいねー。いい女なら、俺たち兵士に下賜してくれりゃいいのに」


 いつも通りのバカ話である。

 そんな彼らは、ひとしきり話を終えると、また見張りの任務についた。

 また退屈な見張りの時間がやってくる……と思われた時だ。


「おい。あれ、なんだ」


 兵士の一人が、異常なものを発見した。

 彼が指差す先にあるもの。

 それは、砦に向かってやってくる一団である。


 兵士の軍団であろう。

 ギラギラと陽光に照らされた金属鎧が眩しい。


 ある一団は馬に乗っていた。数は多くない。弓を装備して、鎧は軽装。

 ある一団は徒歩であった。一様に腰から赤い布を翻らせている。槍を装備して、鎧は重装。赤い布はかなりの質量があるようで、腰の後ろに伸びたまま揺らがない。


 そして。

 彼らに従う一団こそが異形だった。


 馬を含めた馬車ほどの大きさがある、四足歩行のトカゲ。

 翼のある、馬ほどの大きさのトカゲが空を飛び、小山を背負ったような姿のトカゲが、背中から赤い炎を吹きながら歩む。


 それら怪物の一団の中、頭から背中にかけて、平たい台座のようになったトカゲがいる。

 上には、オレンジ色の髪をした女らしき姿。


「なんだ、なんだよあれ……!」

「知らせるんだ!」


 退屈していた兵士たちは、無能というわけではない。

 すぐさま状況の異常さを感じ取り、見張り塔に設置された鐘を叩き始める。

 砦に漂っていた気怠い気配が払拭され、すぐに緊張感を帯び始める。


 想定されている、通常の襲撃であれば、この砦を落とすことは敵うまい。

 門は固く閉ざされ、城壁には弓を構えた兵士たちが集った。

 完全に迎撃を行う態勢。


 やがて、彼らの前に、その異形なる一団が揃う。

 兵士の誰かが、恐怖にうめき声をあげた。


「あれ、なんだよ……。鎧を着てる奴ら、人間じゃねえ……!」

「トカゲ人間だ……!」


 金属の甲冑に身を固めた、リザードマンの軍団。

 そして、彼らの背後には遊牧民たち。

 怪物たちはゆっくりとその場にたどり着き、めいめいに動き始める。


「何者か!」


 誰何したのは砦を任された騎士。

 そろそろ老境に差し掛かろうかというその男にも、目の前に展開する集団が何者なのかは分からない。


「何者か!」


 再度声を放った。

 すると、台座の頭をしたトカゲが前に進み出た。


 兵士たちが緊張する。

 トカゲの頭上には、女の姿。


「我らは、灰色の王の軍」


 間近で見れば、女の髪がまるで燃え盛る炎のように、光沢を揺らがせている事に気付く。

 髪の光沢が、光の加減に関係なく揺れ動いているのだ。

 人間ではあり得なかった。


「故あって、そちらの砦を落とさせてもらう」


「なっ、何を……!」


「アタシは炎の魔女、サマラ」


「ひぃっ」


 兵士の一人が、番えていた矢を放った。

 狙いは偶然にも、その女の胸を目掛けて一直線。

 誰もが、女が射られる姿を想像した。


 だが、次の瞬間だ。

 女の胸から、突如として炎が吹き上がった。

 金色に輝く炎である。


 矢が燃え、鏃が溶け崩れる。

 矢は女に到達しない。

 遊牧民たちが怒りの声をあげる。


 奇襲とは。

 不意打ちとは、卑怯なり。

 炎の魔女を名乗った女は、胸をなでて頷いた。


「そちらからの宣戦布告を受け取った。では、始めよ」


 静かな宣言である。

 だが、決定的な言葉であった。

 トカゲ人間……リザードマンが動き始める。


 怪物……亜竜たちも、めいめい勝手にその行動を開始した。

 魔女の姿が視界から消える。





「お疲れ様でした巫女様!」

「フシュ、凄い汗。大丈夫カ」


 遊牧民の娘と、リザードマンの娘がサマラに水と汗拭きの布を持ってくる。

 二人はサマラに付けられた侍女。


 遊牧民の娘はアイ。

 リザードマンの娘はマルマル。


「ふひー! 緊張したあ……! もう、もう、心臓がバックバクで死ぬかと思ったよ……!」


 サマラ涙目である。

 この場における最高責任者はサマラなのだ。

 今頃、ユーマは海に向かい、リュカやアンブロシアと合流している頃であろうか。


 背後で、怒号と激しく打ち合う音がする。

 亜竜が城壁に体当たりをしているのだ。


 彼らの背中を駆け上がり、リザードマンが城壁の上端近くに飛びつく。重装備でも恐ろしく身が軽い。

 それに向かって、城からは煮えたぎる油や湯をぶっかけているのだが……。


 サマラが率いる軍勢は、火の精霊を宿す眷属たちである。

 熱による攻撃は意味を成さない。

 リザードマンの一人が、熱湯をかぶりながら悠然と城壁を登りきった。


 周囲から槍が、矢が放たれる。

 だが、これは鎧に阻まれて打撃とはならない。


 生来の鱗と、ドワーフが鍛え上げた強力な鎧の二重構造である。

 これを刃で抜くことは不可能なのだ。


 更に、空を飛ぶ亜竜が何人かのリザードマンを城内へと投擲していく。

 リザードマンは壁面に尻尾を突き立てながら落下速度を殺し、着地していく。


 遊牧民は遠くから、ピシピシと矢を射る。

 賑やかしのようなものなのだが、この鏃が燃え上がっているので、また意外と馬鹿にならない。


「みんなやってるわね……。アタシ、戦争の事とかサッパリだから」


「頑張ってます!」

「頑張ってル」


 アイとマルマルが、あまり意味が分かっていないのだろうがサマラに追従する。

 すっかり見物人となった彼女たち。

 三人で揃って飲み物など口にしつつ、台座になった亜竜ことチェア君(サマラ命名)の上でくつろぐ。


 大変な阿鼻叫喚状態なのだが、三人共、戦というものが分からないので、何か派手なことをしているなあと思っているだけだ。

 大きなものが崩れる音がした。

 亜竜の一体が、城壁を真っ向から破壊したのだ。


 そこから、残る亜竜とリザードマンたちが突撃していく。

 チェア君がグルル、と喉を鳴らした。

 マルマルが翻訳する。


「中に入るカ? って」


「いいよ。みんなに任せるよ。アタシが行ってもなんにも分からないし。あ、でも逃げようとする人は見逃してね。その人たちが、アタシたちの事を他の町に伝えてくれるんだって」


「それ、灰王様が?」


「そう。なんか慣れないなあ。ユーマ様のこと、灰王って言うの」


 砦は、戦いの定石が通用しない敵を相手に、為す術もなく攻略されていく。

 抵抗したものは容赦なく攻撃された。

 死なないように、細心の注意を払って。


 逃げるものは、寛大に見逃された。例え目前で背中を向けて逃げる者がいても、それはスルーされた。

 実に不自然な戦争である。

 事故的に死んでしまう者も出るのだが、それは仕方が無かろう。


 戦闘時間は、およそ一時間。

 砦が陥落した。


 既に、戦えるものは一人も残っていない。

 多くの馬が、人を載せて外へ逃げ出してしまっている。


「はい、お疲れ様ー!」


 サマラが戦闘終了を宣言すると、リザードマンと遊牧民、亜竜たちがウェーイ、と歓声をあげた。


「戦いの後、すぐで悪いけどお願い。この辺りを火の領域にしちゃおう」


 サマラがチェア君から降りてくる。

 すると、周囲に亜竜とリザードマンも集まってきた。

 みんなで一所に固まり、瞑想をする。


 徐々に、彼らの中にある火の精霊力が強まっていく。

 足元の雰囲気が変わった。

 平らに均された地面が、凸凹とした岩場に変わっていく。


 高山植物が茂り始め、地中にあった鉱石の類が飛び出してくる。

 たちまちの内に、周囲は火竜がいた山によく似た姿に変わる。


「ふう……こんなもんかな……」


 予定していた仕事を全て終え、サマラはため息をついた。

 アイがまた水を持ってくる。

 それを一口飲みながら、


「でも……これだけ大げさな事をやって、まさか巫女を一人助け出すのが目的だとは、誰も思わないだろうなあ……」


 サマラは呟くのだった。

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