王国の反逆者編

第68話 熟練度カンストの参戦者再び

 希望なき逃走である。

 騎士オーベルトは、既にその地位を失い、一介の野伏となった。

 かつて戦場であった野を駆ける。


 後を追うのは、新たに着任した辺境伯、アルムガルトに従う兵士たちである。

 馬の近づく足音がする。


 オーベルトは地を蹴り、横っ飛びに跳んだ。

 今までいた場所を、槍が貫くのが分かる。


「ちっ……!」


 腰に佩いた剣は二つ。


 一つは重厚な広い刃の剣。

 これは馬相手には効果が薄い。


 もう一つは、近接用の小剣。

 敵を引きずり下ろすことが出来れば、あるいは。


 だが、状況は悪い。

 敵は複数。


 こちらは一人。武器は剣が二振りのみ。

 弓を持っている者もある。

 当てられれば、機動力を奪われて殺されるだけだ。


「お館様……!!」


 今は囚われの身となった主を思う。

 先王が崩御したのは、一月ばかり前である。

 先王は、ヴァイデンフェラー辺境伯と幼い頃から交友を持っていた。


 そのため、彼が王となった時、国教であるラグナと異なる教えを奉じる彼女を、断ずる事無く辺境領の管理者としたのである。

 辺境は敵国、ディアマンテとの国境であった。

 命を賭けて守備せねばならぬ領地であったからこそ、他の領主からの文句が出ることも少なく、それ故に辺境伯は、我が身を粉にして国境線の防衛に勤しんだ。


 その中で、行き場所がなかったオーベルトも、彼女の食客に加わる事となる。

 あれは、オーベルトにとって家だった。

 守るべきたった一つのものだったのだ。


「囲め! 反逆者を生かして帰すな!」

「射れ! 動きを止めろ!」

「くっ……!!」


 オーベルトは、なりふり構わずに逃走を開始する。

 急な方向転換に、馬が対応しきれない。


 少しでも障害物が多い場所へと逃げ込み、敵を撒かねばならない。

 死ぬわけにはいかないのだ。


 耳朶を掠める、矢の音。

 少しずれていれば、頭を貫いていた。

 躊躇なく、間近に迫った茂みに身を踊らせる。


「ええい、ちょこまかと……!!」


 叫びながら駆け寄った騎兵が、槍を茂みに突きこんだ。

 これを、オーベルトは紙一重で躱す。

 そして、逆に槍を掴んで満身の力を込め、引く。


「うおおおっ!?」


 油断があったのか、騎士は力負けし、馬上から引きずり降ろされた。


「しめた……!」


 オーベルトは鐙を踏み、すぐさま馬に跨った。


「奴め馬を!!」

「この上、さらに罪を重ねるか!! ヴァイデンフェラーの残党めが!」


 罵声を背に、馬を走らせる。

 潰れてもかまわない。少しでも遠く、奴らから離れ……。


 いや、ダメだ。

 エルフェンバインから逃げるわけにはいかない。


 それでは、あの方を。 

 異教の巫女と蔑まれてもなお、エルフェンバインを守ろうとしていた主、ヴァイデンフェラー辺境伯を救う事が出来ないからだ。

 この追っ手を撒き、必ずや辺境伯を救うための手段を得て、今は雌伏の時を……!


「やれやれ、巫女に従っていた者は、やはり神の教えを理解できんと見える」


 甲高い声が響いた。

 黒い馬に乗って、その男はやって来る。


 首から下げたラグナリングが輝く。

 ラグナ教の執行者だ。


「お前たち、かの男を囲むのだ。逃げられぬようにすれば良い。後は私が誅するとしよう。そら、その川べりは厳重にな。水に逃げ込まれては敵わん」


 男の指示に、一瞬騎士たちは鼻白む。

 この執行者は、彼ら騎士の上司と言う訳ではない。

 王城へやってきた、ディアマンテからの使節の一員でしかないのだ。


 だが、立場上国賓であることは確かで、彼の身を守ることもまた、騎士の役割であった。

 護衛として二名が執行者の傍につき、他の騎士や兵はオーベルトを追う。


「おお、天に在す我らが神よ! 忠実なる信徒、アルフィオが乞い願い奉る! 御身のお力を、今、ここに!!」


 執行者アルフィオが馬を走らせながら祈る。

 すると、ラグナリングが照り輝いた。

 すぐさま、馬と並走するように、宙に浮かぶ分体が出現する。


「裁きの光を!」


 分体の翼が輝いた。

 そこから、光の羽根が射出される。


 飛翔する矢の如き速度である。馬で振り切れるものではない。

 オーベルトが跨る馬の尻に、羽根が突き刺さる。


「ぐわあっ!!」


 馬が鳴きながらバランスを崩して倒れ込む。

 オーベルトもまた、投げ出された。


 寸での所で体勢を立て直し、受け身を取った。

 転がりつつも顔を上げると、既に囲まれている。

 目前には、執行者。


「さあ、お前たち、よく見ているのだ。これが偉大なる神の力。信仰とは、人を超えた力を与えてくれるものなのだ。お前たちの王は賢い。神に抗う愚かさを知り、ラグナの教えを深く受け入れることにしたのだから」


 誰かが、チッと舌打ちをした。

 執行者アルフィオ、嫌われている。


 だが、オーベルトはそれどころではない。

 必死に考えを巡らし、生き残る術を模索する。

 何か、何か無いのか。


 水に飛び込めば、あるいは。いや。そこには兵たちがいる。

 体勢を立て直したとして、分体が先程放った攻撃を避けられるのか。

 分からない。


 そもそも、執行者までもが追いかけてくるなど、計算外だった。

 あれは、自分を仕留めて己の立場を高めようと考えている輩だ。

 容易に逃げられるものとも思えない。


「ここまで……なのか!? ならば、せめて、せめて一太刀……!」


 囚われた辺境伯を救う手立てすら、見当もつかぬまま死んでいく。

 我が身の不甲斐なさが恨めしい。


 せめて、もう少し己に力があれば。

 この剣で守るべき人を守れる、そんな力があれば。

 あの、二ヶ月前にこの地で、戦を終わらせた剣士のように。


「神の力を相手に、剣で立ち向かうか!? ははははは!! 愚か、愚かよな! さあ見よ! 神の教えに背いた背信者が、今裁きの光に焼かれるぞ!」


 執行者は指示を下す。

 分体は、オーベルトに戦う隙を与えない。

 無情に処分すべく、光の羽根を放ち……。


「ぐわーっ!?」


 その時兵士が吹き飛んだ。

 なんと川底から船が飛び出してきたのである。


 水中からである。

 何故船が水中を進むのか。どうやって飛び出してくるのか。


「な、何事!?」


 アルフィオは驚愕するが、分体に与えた命令は変わらない。

 分体は機械的に羽根を飛ばし。

 それが、突如そこに生まれた虹色の軌跡によって、残らず跳ね除けられる。


「おっ、ちょっと矢とは違うな。だが覚えた」


 オーベルトの視界に、灰色のマントが翻る。

 

「ええい!! 何事か!! 闖入者!? ならば諸共にこの神の裁きで!!」


 分体が機械的に、羽根を射出する。

 今度は先程に倍するほどの量だ。

 これを、虹色の剣を握った男が、


「曲刀の型”リバース”」


 羽根の一つを曲刀で受けた。

 いや、それを曲がった刃に沿わせて、進ませていく。

 巧みな誘導が、羽根の飛翔する方向を百八十度変化させ……。


 放った全ての羽根が、分体に返ってくる。

 己が放った力をまともに受け、分体の構造が歪んだ。

 輪郭が怪しくなり、何度か姿がぶれる。


「な、なななななっ!?」


「ええい!」


 周囲の兵や騎士が、槍を投げ、矢を放つ。

 これに向かって、剣士は曲刀を向けた。

 矢と槍のベクトルが操作される。それらはあらぬ方向へ逸らされ、なんとオーベルトを包囲した他の兵や騎士に直撃した。


「ぐわああああ!?」

「ひいいっ、なんだ、なんだああああっ!?」


 数発が誤射するというのではない。

 全ての飛び道具が狙い過たず、味方のみを捉えたのである。

 包囲網は一瞬にして潰えた。


「おおっ……お前、お前は、一体、なんだ……!?」


 執行者アルフィオは、馬上にて腰を抜かしていた。

 剣士はまるで散歩をするかのような足取りで近づいてくる。

 そして、


「戦士ユーマだ」


「そ、その名! 灰色の剣士!!」


 すぐさま思い当たった。


 叢雲の如き分体を、ただ一人で滅ぼした剣士。

 悪魔の如き剣の使い手。

 そんな男が、何故、ここに。今、このタイミングで!


「え、ええい、裁きの……」


「ほい」


 アルフィオの眼前で、分体が袈裟懸けに切断された。

 ラグナの力の象徴が崩れ、空気に解けていく。


「あひいいいいいい!! 助けて! お助けえええええ!!」


 その瞬間、アルフィオは脱兎のごとく逃げ出していた。

 馬もまた、何か恐怖を感じ取ったらしく、全力疾走である。


「執行者殿!? ……う、ううう、ええい、退却だ! 退けー!!」


 残った騎士の一人は、執行者の逃げる姿に目を丸くする。

 そして周囲で倒れた仲間たちの惨憺たる状況を目にして、退却の命令を出した。


 無事な者たちは訳が分からないながら、一瞬で追っ手の半数を戦闘不能にした剣士に不気味なものを感じた。

 彼らは、傷ついたものを支えながら、戦場を後にしていく。

 結果的に、彼らの選択は正解であった。


「ひょう! いきなり飛び出していったかと思ったら、やっぱりユーマはやるもんだな。というか、なんだあの羽が生えた巨人は、消えちまったが」


「分体だ。何やら執行者が呼ぶ何かだ」


「なるほど、分からん」


「ひえー、いきなり戦ってたよ。大丈夫?」


 オーベルトを助け起こす手がある。

 一見して小さな手だが、見た目からは想像も出来ない腕力で、やや大柄なオーベルトをぐいっと引き起こす。


「そ、その声は……! ユーマ殿、リュカ殿!」


「おっ! オーベルトじゃないか。元気……じゃなさそうだな」


 丘に上がった船からは、さらに二人の女声が降りてくる。

 その姿を見て、オーベルトは再会の喜びを忘れるほどの驚きを感じた。


 炎の色をして、燃え上がっているかのように揺らめく艶を放つ髪の、褐色の肌の女性。

 金色の中に、押し寄せる波のような蒼い艶が揺れ動く髪の、白い肌の女性。

 そして、見覚えのある少女。


 銀髪が、虹色に照り返す、虹の瞳を持った彼女は、風の巫女。

 共に戦った仲間であり、辺境伯の友。


「うむ。三人揃ったんだ」


「で、では……お館様の事は」


「知ってる。助けに来た」


「おお……!!」


 オーベルトは天を仰いだ。

 絶望としか思えなかった逃避行に、希望の光が差したのだ。

 何か一名、見知らぬ男もついてきているが。


「さあオーベルト、話を聞かせてくれ。エルフェンバインはどうなっている?」


 かくして、前よりも少し、言葉遣いが流暢になった灰色の剣士は、象牙の王国と讃えられる混乱の地へと降り立った。

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