第62話 熟練度カンストの制御者2
「はあっ……や、やばいよ。胸がドキドキする。ええい、海に出たての小娘じゃあるまいっ。しっかりおし、アンブロシア!」
「……そう言えばさ、アンブロシアって幾つなの? 私は十五歳ー」
「アタシは十八です。リュカ様ずっと年下だったんですね」
「はぁ? あんたたち、見た目通りの年齢だったのかい!? てっきり年季の入った巫女かとばかり……。あたしは二十四だよ。ヴォジャノーイの指輪をつけてから、どうも成長が止まってね……」
女子トークかな?
アンブロシアの実年齢が俺に近かったのでびっくりした。
サマラくらいかと思っていたのだが。
「なんだ、年下だったのかい……。緊張してて損した気分だよ」
「うん、じゃあアンブロシア、指輪嵌めよ?」
「ちょ、ちょっと待っておくれよ。あたしにも心の準備ってものが」
「いつまでも心の準備って言いそうだもん。ほらほら、勢い良く付けちゃおう」
「ひいっ、や、やめろー! 無理やり付けようと……ぎゃわわーっ、な、なんて馬鹿力だい!? お、押し返せないィィーッ!!」
アンブロシアが悲鳴をあげておる。
こういう時、リュカの押しの強さは凄い。
基本的に相手の事情を考えないからな。
そして、サマラはリュカ絡みだと押しが弱くなる。今も横で、ハラハラドキドキしながら見守っているではないか。
俺も見守っているのだが。
おお、体格差をものともせず、アンブロシアの抵抗を力で押し切っている。
根本的な腕力が違うな。
リュカは巫女にならなくても、恐らくあの身体能力を生かした狩人やらで生計を立てられただろう。
全く、天は二物を与えるものである。
「や、やめてえっ!? あたし、ちゃんと自分で付けるから!」
「そお?」
リュカがスッと体を離す。
アンブロシア、肩で息をしている。
まあ、これもリュカがただ強引なだけではなく、俺の作戦にアンブロシアの本当の力が必要だからこそやっていることなのだよ。理解して欲しい。
俺はこうして傍から見ているだけなのだが。いやあ、リュカの本気は怖い。逆らわないようにしておこう。
「もう……年上に対しての敬意ってもんがないのかね……」
「巫女は見た目じゃ、年が分からないからね。アタシだって、アンブロシアが年上だって知ってびっくりしたよ」
「そりゃ、ただの小娘じゃ島に引越しをする交渉やら、あの荒くれどもを纏めるやらは難しいだろう? あたしは巫女に選ばれたばかりの頃から、十年はこの仕事をやってるからね」
十四歳から海賊をしていたのか。
それは年季が入っている。
その上、精霊を操る力があるわけだから、海賊どもも大人しく従うはずである。
「指輪嵌めよ?」
「わ、分かってるよ!」
風と水の巫女で、力関係がはっきりしてしまったようである。
やはり頂点にはリュカが立つのか。
もう、辺境伯でもここに加わらない事には、このヒエラルキーに変化は訪れなさそうだ。
「じゃあ、やるよ……!」
この場に漂っていた空気が変質する。
柔らかなものから、どこか硬く、冷たい性質のものへ。
俺はふと、視線を感じた。
どこからか見つめられているというものではない。
言うなれば、何者かの視界の只中に入り込んでしまったような。そいつは360度を同時に見通す目を持っていて、俺はどこにいてもそいつの視界の中なのだ。
強く気配がする方向に、俺は目をやる。
船の外……海だ。
なるほど。
彼方に、巨大な渦に似た潮流が生まれている。
あれは何かと言えば、目である。
水の精霊王オケアノス。
そいつが、俺たちの事をじっと見据えている。
この群島海域を包み込む、海そのものがオケアノスだったのだろう。
「うっ……くうっ……!」
ゆっくり、アンブロシアの指にリングが収まっていく。
水の巫女は眉を寄せて呻く。
こちらからも分かるほど、彼女の周囲が異常な空気に包まれていく。
大気が青く発光を始め、まるで水のような粘度を伴う。
俺はテクテクと出て行って、ぼーっと見ているサマラを引っ張った。
「サマラ、ちょっと離れよう。これはいかんやつだ」
「は、はい? ええ、ユーマ様が言うなら」
火の巫女は訝しげな顔をしつつも、俺に従う。
そのすぐ後、残っていたリュカが、
「ひゃっ、冷たい!」
とか言ったので俺の予想は合っていたらしい。
今、アンブロシアの周囲は、擬似的な海に変わっている。
指輪は完全に、彼女の手に収まっていた。
三つの指輪が、白、水色、蒼のグラデーションを描いて輝く。
最初は指先を包み込むばかりだった輝きは、ある瞬間を境に、アンブロシアの全身へ向けて広がっていった。
「ゥううっ、ああ、ああああああ!!」
アンブロシアは腕を押さえつけるようにしながら、叫ぶ。
あれは、痛みとか苦しさで叫んでいる感じではない。
なんだろう。
もっと深いところから声が漏れ出しているような。
「あっ」
リュカが驚いた声をあげる。
彼女の目の前で、アンブロシアの姿に変異が生じ始めていたからだ。
全身の肌色が青く染まっていき、指輪を嵌めた手に、人のものとは違う膜が張っていく。
あれは、水かきか。
グッと閉じられていたアンブロシアの目が開くと、それは横に開く瞳孔がある、人間ではないものの瞳である。
なんだこれは。
指輪は、嵌めたものを人外に変えてしまうのか?
しかし、人が半魚人のように変わっていく目の前の有様は、まるで進化の系譜を逆に回しているようだ。
指輪にこれほどの力が……いやいや。
俺は立ち上がり、バルゴーンを抜く。
ちらっと海を見ると、そこには変わらず、大きな渦。
渦であるのに、海流を操る事もせず、この船を引き込みもしない。
ただ、じっと渦の目がこちらを見ているばかりだ。
うむ、あそこから力が流れ込んでいるな。
渦からアンブロシアまで視線を送り、より強い輝きを放っている指輪を注視する。
輝きの形が少し、おかしくはないだろうか。
「ユーマ、いける?」
「ケアするような約束をしたからな。果たすさ」
アンブロシアは叫び続けている。
人ならざるものへ変わって行ってしまう、恐怖の叫びである。
やれやれ、オケアノスとか言う精霊王は、随分性格が悪いらしい。
俺は、三つの指輪が輝くやや上辺りに、バルゴーンを叩き込んだ。
一見して、虚空。
だが、確かに手応えがあった。
指輪が放つ輝きの形は、不自然なほどに上に向かって延びていた。
そこに当たりをつけたのである。
もし、あれが、指輪から放たれた輝きではなく、あの渦の目から発された何らかの力を、受信しているのであったならば。
「連れて行かせる気は無い」
俺がオケアノスに向けて宣言すると、周囲の海が一気に泡立った。
沸騰したかのような変化だが、つまりはこれ、水の精霊王が怒ったと。そういうわけだ。
オケアノスの影響力が断たれたせいか、アンブロシアの様子は落ち着いてきていた。
肌は人の色に戻ってきている。
水かきも消えたな。あの水かき、指輪と融合するような形をしていたけれど、どういう仕組みだったんだろうな。
そして、まだオケアノスは往生際悪く、アンブロシア目掛けて手を伸ばしてくる。
手というのは例えで、言うなれば奴の魔力みたいなものだ。
一度切り払ったらよく見えるようになってきたので、うにょうにょと延びてくるそれを片っ端から斬る。
「今の内に、指輪を御しちまえ」
「あ、ああ!」
アンブロシア、指輪の嵌まった手を強く握りこむ。
指輪自体も発している輝きを、自らの中に取り込もうとしているかのようだ。
そうするうちに、彼女の金髪が青い光沢を帯び始めた。
ちょうど、リュカやサマラに似たものを感じる。
そこへ向かって、オケアノスが今までとは比べ物にならない魔力を展開してきた。
船を包み込むほどのサイズである。
「ひえええ」
海に落ちたら一巻の終わりであるサマラ、樽にしがみついて震える。
ようやく指輪をコントロール出来てきたアンブロシアも、少々青ざめている。
「だ、だからあたしはやりたくなかったのに……」
泣き言を仰る。
そこへ出てきたのは、巫女たち最年少にしてヒエラルキーとっぷであるリュカさんである。
「オケアノスって、多分すごく欲しがりなんだと思う。それで、指輪を付けて自分に近いものになろうっていう女の人を、手に入れたがっちゃう」
リュカの周囲で、旋風が踊り始める。
まだ、彼女はいつもの、シルフにお願いする言葉を口にしてはいない。
会話の言葉に混じる呼気で、シルフを呼び出しているのだろう。
明らかに能力がレベルアップしている。
「でもね、アンブロシアはまだあげない。だって、私たちの仲間だから! シルフさん!」
リュカが腕を振り上げると同時だ。
空に湧き上がっていた雲が、突如として二つに割れた。
雲を引き裂き、下ってくるものがある。
それは風だ。
ちょうどこの船を避けるように、二つに割れた強烈な風が海に叩きつけられようとしているのだ。
海に浮かんだ渦の目が、驚愕に見開かれたように見えた。
それが、一瞬で真っ二つに切り裂かれる。
海が割れた。
すると、嘘のようにオケアノスの魔力が消失する。
「アンブロシア!」
「おおっ、おう!」
リュカに発破をかけられて、アンブロシアも気合を込めて指輪を握り込む。
「あたしのものになれえっ!!」
指輪がめいめいに発していた輝き。
それが、徐々に落ち着いたものに変わっていく。
やがて、三つの輝きは調和し、どれもが等しい水色の輝きを放つようになる。
「い、いけた……!」
指輪の制御終了にして、アンブロシアのパワーアップ完了である。
そして、このタイミングで、割れた海が元に戻ろうとする。
こんな船など、波間の葉っぱと一緒である。
大変揺れる。
「ひぃやああー」
サマラの悲鳴が響いた。
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