第61話 熟練度カンストの制御者

 戻ってくると同時に、今まで俺たちがいた洞窟は崩れる……と言うお約束なんだろうか。

 急激に、海水が溢れ出してくる。


 それは階段を登っていく俺たちの足元で、空間を満たし、次々に押し寄せ、おおよそ海と同じ程度の高さまで流れ込んで安定した。

 今までは、指輪の力が水の流れ込む量をコントロールしていたとでも言うのだろうか。


「怖い怖い」


 俺は女子たちの背中をグイグイ押しながら昇っていく。


「きゃーっ、ユーマくすぐったいー!」


「はーい、リュカさん暴れないでー」


「あっ、お前あたしのお尻触ったね!」


「いえ、不可抗力です」


 上にいる相手を押すにはお尻でも触るしか無いではないか。

 凄い。こんな感触なのか……!


「あっ、あのっ、ユーマ様、そんなにいっぱいさわさわされると……!」


「あっすみません」


 いかんいかん、我を忘れていた。

 ということで、三人を外に押し出して、俺も這い出てくる。


「むむむ……お、男に初めて尻を触られた……!」


 アンブロシアは部下が全員男の癖に、ボディタッチにも敏感なのだな。

 で、手の中で、先程取ってきたばかりの指輪を弄んでいる。

 装着しないのだろうか。


「つけないの?」


 リュカが直接切り込んでいった。

 すると、アンブロシアはちょっと引きつった笑みを浮かべる。


「あ、いや、そのー、な。こういうイベントは、きちんと心の準備をしてからじゃないと、な?」


 ふむ、怖いらしい。


 水の精霊王の名を冠する祭器である。

 この指輪単体で、あれだけのヴォジャノーイを制御することが出来る代物なのだから、装着するには確かに勇気がいるかもしれない。

 ひとまず船に戻るとしよう。




「おや、引っ越し荷物とやらはどこだ?」


 出迎えたヨハンが首を傾げた。

 行ったときと変わらない様子で帰ってきたのだから当然である。

 引っ越しというから、大仰な荷物を予想していたのかもしれない。


「こいつだよ」


 アンブロシアが手のひらを開いてみせると、そこに載った小さな指輪に、ヨハンは目を丸くした。


「……それを取りに行ってたのか。一人で良かったんじゃないのか?」


「ヨハンはあそこにいなくて正解だったよ。すっごく危なかったんだから」


「危なかったのか!? 引っ越しが!? 何があったと言うんだ……」


 リュカの説明は具体例が無いので大変わかりづらい。

 ひとまず、引越し先の島に顔出しが必要であろう。

 それら本来する予定であった仕事を終えてから、アンブロシアに指輪を嵌めてもらおうではないか。


 船はゆったりと動き始めた。

 もう、渦潮を作っていた祭器は回収されているため、この辺りはただの海である。


 アンブロシアは上の空。

 きっと、指輪をどうやって嵌めるかばかりを考えている。

 だが、ウンディーネのコントロールは見事なものである。


 この船は、どうやらウンディーネによって操作されていたらしい。

 荒事担当はヴォジャノーイ。

 細かな作業にはウンディーネ。


 水の精霊は、どちらを呼び出すかでその性質が大きく変化する。

 そして、アンブロシアは恐らく、ヴォジャノーイを扱うよりもウンディーネ向きだ。


 本人は頑張って荒事バッチコイ! って感じの姉御を演じているのだろうが、あれは素では普通の娘なのではないだろうか。

 深く洞察する俺なのである。


「なぁに、ユーマ。さっきからアンブロシアをじーっと見ちゃって。好きになった?」


「リュカ、それはたいへん答えにくい質問だ」


 別にリュカは不機嫌な様子ではない。

 彼女、俺がサマラの胸を凝視したりしていると尻をつねってくるのだが、あれはもしや、嫉妬のような感情の発露なんだろうか。

 だったら、彼女が嫉妬する基準みたいなものがよく分からない。


「リュカは尻をつねるだろう」


 とりあえずかまをかけるつもりで、直球になった。

 うむ。俺は言葉で駆け引きは出来んな。


「あれはユーマが、えっちな目でサマラのおっぱいを見てたから! こう、なんかむかむかっとして、ね?」


 なるほど、分からん。

 とりあえず、目線やら何やらは気をつけておこう。

 そして話は戻ってアンブロシアである。


「アンブロシア、それ付けないの?」


 さっきあったような会話を、今度はサマラが持ちかけた。


「アタシのとこの精霊王様も、祭器で呼び出してたんだよ。だけど、アタシが未熟だったのと、なんか色々よくない状況で精霊王様を召喚しちゃって……。聖地だった山が一つなくなっちゃった。見渡す限りも焼け野原になって……」


「ひええ、お、お前よく無事だったね!?」


「うん、アタシもダメかと思った。だけど、助けてって言ったら助けてくれた人がいたんだよ。だから、アンブロシアは安心してこの指輪をつけるべき」


「なんで安心すると言う話になるんだか……」


 なにやら話し込む二人をよそに、村人の引越し先である島が見えてきた。

 これは島と言うにはいささか大きい。

 見渡す限り、大地が続いている。


 群島の中では、比較的大きいほうなのではないだろうか。

 ヨハンに確認してみた。


「ああ、ここはな。だが、近年若者が、ネフリティス本島へ出て行ってしまう状況が続いて、村落自体が高齢化しているのだそうだ。そういうわけで、海賊団員を含めた若者が多いオケアノスの村は歓迎されてるようだな」


 なるほど、言われて見ると、港付近で動き回っている人々は、それなりに年をとった男女である。

 間に混じって働いている若いのもいるが、そいつらはオケアノス海賊団の村で見た顔だ。

 ちなみに、オケアノスの村落で、老人の数はそれほど多くは無い。


 小さな島で、安定した生活を送れないため、老境に差し掛かっても働き続けるためだ。

 そのために、五十代くらいで死ぬ者が多いのだとか。

 もちろん、一番多いのは乳幼児の死亡率だ。


 比較してこちらの大きな島は、環境が割りと安定している。

 そのため、過酷な労働をし続けなくても良く、やや寿命が長い。

 しかしこれと言った特筆すべき産業が無く、豊かさを求めて若者は都会へと出ていく。


「島や村落っていうと、排他的なイメージがあるが」


「どこだって、少なからずそういうのはあるだろうな。だが、オケアノス側も必死だ。巫女が信仰を捨てることに言及するくらいだぞ。それだけの覚悟があるのだから、最初からこの島の習俗に溶け込むつもりだったのだろう。

 ならば、老人ばかりで不安定になった島側が受け入れないはずが無いだろう」


 どうやら、アンブロシアの先導で、この村落との交渉は長く行なわれて来ていたらしい。

 だが、エルド教が交易船を出して、エルド人を滞在させていた。そいつらが邪魔をしていたのだ。


 そこで、俺たちが交易船相手に大暴れし始めて、あちらさんはエルド人を回収した。

 エルド教徒総出で交易ルートを守る方向に動いたわけだ。


 その隙に、移住を完了したわけである。

 そんな話をしていると、船は港に横付け。

 食料やら資材を仕入れた後、わらわらと海賊団員が降りていった。


「お、出て行くぞ」


「暇をやったんだよ。あいつらにはかたぎになってもらわないと困るからね。それに、操船はあたし一人で出来る」


 アンブロシアが遠い目をした。


「そろそろなんだろう? あんたが考えてる決戦とやらは」


「うむ。面子を潰され続ければ、エルド教は本気になる。叩く相手が必要になる。オケアノス海賊団は、分かり易い悪役になって、上手に負けてやらなきゃならん」


 移住計画の次の段階にある作戦であった。

 そもそも、移住を完了した住人たちに目を向けられては困る。


 俺たちは移住者とは異なる、分かり易い悪の海賊として交易船団と対峙。

 全てのヘイトを背負って敗れ去り、エルド教の強さと正統性を証明してやらねばならない。


 何せ連中、数でも力でも、こちらを大きく上回っているのだ。

 勝とうと思ったら、どちらかが滅びるまで戦い続ける事になる。

 真っ先に滅びるのは、水の精霊を祀る側であろう。


 俺と巫女たちが生き残っても、守るべき対象が無くなってしまえば負けだ。

 ならば、ここは人身御供としてオケアノス海賊団をアピールし、分かり易い悪役を演じる。

 そこを叩いてもらい、上手に負けて戦いを終わらせるのだ。


 アンブロシアが、全ての祭器を持ってこの群島海域を出て行けば、精霊信仰が行なわれていた証拠の大部分は消え去る。

 拠点だった島は、ただの無人島になる。


「あんた、意外と策士だったんだねえ。剣だけの男だと思っていたのだけど」


「まあ、俺なりに考えちゃいるんだ」


 VRMMOを遊んでいた頃、ギルド戦なんてのは魑魅魍魎の集まりであった。

 それぞれのギルドは腹に一物持って交渉し、最終的な勝利をもぎ取ろうとする。


 戦力の違い、練度の違い、人数の違い。

 様々な差を乗り越えて勝利するためには、それこそげっぷが出そうなほどの権謀術策が行き交う。


 無駄にゲーム暦が長い俺は、それを間近で見続けてきたわけだ。

 なので、こいつはあくまであのギルド長たちの……特に、双銃を使うあの男の真似事に過ぎない。

 俺の本分は、一介の戦士である。


「で、まあ、お前に仕事をしてもらわないといけないんだが。その指輪」


「え? あ、ああ、オケアノスの指輪かい? ……どうしても、付けなくちゃならないのかい……?」


「アンブロシアがリュカやサマラと並ぶ力を持つことが、前提条件だ。そうでなければ、何人も死ぬぞ」


「ぬ、ぬぬぬ……。あたしの我儘を聞いてもらって、それで誰かが死ぬっていうのは、流石にきつい……」


 アンブロシア、呻く。

 俺としても、仲間の命を交渉材料にするようなやり方は好きではない。

 だがまあ、俺は物の言い方を知らんのだ。


 他人との遣り取りにおいて、とにかくさっさと事を伝えようとしてしまう。

 ここは直さんといかんだろうか。


「はじめに言っとくよ。あたしは暴走するかもしれないからね。正直……あたしは先代よりも才能が無いんだ。オケアノスの力に耐えられないかもしれない」


「そこは、他に巫女の先輩が二人いるだろう」


 俺が合図をすると、リュカとサマラが駆け寄ってきた。


「任せて! どーんと!」


「微力ながら手を貸すからね」


 二人は、いわゆる本物の巫女である。

 アンブロシアが仮に暴走しても、なんとかしてくれるだろう。

 多分。


「任せてって言えるのは、ユーマもいてくれるからなんだけどな」


「え、何か言った?」


「なんでもなーい」


 リュカはプイッとしてアンブロシアの後ろに行ってしまった。

 ふいっと大事なことを言うのは勘弁してほしい……!!

 何かとても甘酸っぱいことを言われた気がするのだが……!


「おいユーマ、始まるようだぞ。俺は危なそうだから、そこの樽の影にいるからな」


「おう、世話をかける、ヨハン」


 ヨハンはもう、当たり前のような顔をして樽の横に身を寄せる。

 よし、それじゃあさっさと、アンブロシアをパワーアップさせるとしよう。

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