第55話 熟練度カンストの連行者

 中世的な船旅というものは、大変過酷なものであると聞いた事がある。

 何せ、閉鎖された環境下だから、衛生面は悪化し易いし、木造の船の上だから火を使うことも難しい。


 栄養バランスを保つ為の野菜などはすぐに腐ってしまうし、腐敗防止のために加熱処理をすると栄養素が壊れてしまう。

 食べ物に虫は涌くし、長旅になればなるほど地獄である。


 海賊砦への連行と聞き、俺は一瞬そんな悲惨な旅を連想した。

 だが。


「よし! ついたぞお前ら!」


「うおー!」


 二日かからないくらいで到着したのだが。


 そうか……。

 このネフリティス近海は、ごく近い範囲に無数の島がひしめく群島地帯である。

 俺の記憶によると、グー〇ルアースで見た広島・愛媛間の瀬戸内海辺りがイメージとして近いだろうか。その間隔がもっと広いものを想像してほしい。


 なので、エルドの船が交易をすると言っても、あちこちに点在する島の間をちょこちょこと停泊しながら移動する。

 海賊船だって同じだろう。


 マメに補給だって出来るから、衛生面や食料の問題は発生しないわけだ。

 ガレー船に使われている、漕ぎ手の奴隷だって、そこそこの労働で済んでる可能性があるな。

 これが遠洋航海ともなるとはっきりとした事は分からないが。


 目視出来る所に島がある。

 だが、どうもその島の周りに、物凄い音を立てて回転する渦潮めいたものが大量にある気がするんだが。

 これは普通に、船では越えられないだろう。


「ウンディーネ、あたしの帰還だ。道を開けろ!」


 するとアンブロシアが、指輪をつけた腕を空にかざした。

 彼女の腕全体が、指輪から広がる青い輝きに包まれる。

 これが渦潮を消す合図だったらしい。


 船の前方にある渦だけが、嘘のようにすっかり消えていく。

 海賊船は悠然と、渦潮の中に生まれた静かな海域を進んで行った。


「これ、渦潮も祭器の力で起こってますね」


 サマラの分析である。

 すると、巫女というのは本来祭器と不可分で、特別な力を発揮する時には大体必要なものなんだろうか。


 サマラは本来、未熟な巫女だった。祭器があって初めて精霊王であるアータルを呼べたわけだが、それをコントロールする事は出来なかった。

 今は色々あって、アータルから吸い取った力で巫女としてのステージが上がっているようだ。


 ちなみにリュカは最初から巫女として頂点らしい。

 何せ、何の媒介も祭器も必要とせず、風さえ吹いていれば風の精霊の力を自在に行使出来る。その上、精霊王ゼフィロスを割りとスッとすぐ呼び出して、コントロールも出来ているように感じる。


 まあ、被害規模のコントロールだけは出来ないようだが。

 ということは……今、ドヤ顔で俺たちに振り返るアンブロシアは、未熟な巫女なんだろうなあ。

 俺が生暖かい笑顔を向けると、奴は、


「なっ、なんだいその気持ち悪い笑顔は!」


「失敬な」


「でも今のユーマの顔、私もちょっとへんてこだと思ったなー」


 リュカまで!

 俺の笑顔はそんなにいかんのか。


 若干ショックを受けつつ、海賊の砦があるという島に到着だ。

 着いてみれば、ここは全体が普通の島ではない。


 見渡せば、あちらこちらに岩を積み上げて作った見張り台のようなものが。

 そして、やや小高くなった島の中心に見えるのは、木造の砦である。


 港に当たる部分は開かれているが、砦と居住地らしき場所を囲んでいるのは、鬱蒼とした森だ。

 そして今、海賊船を出迎えるのは。


「おーい、巫女様ー」

「おー、皆の衆、巫女様が無事じゃったぞー」

「わー、そりゃあめでてえなあ」

「巫女様が死んだらわしらも終わりじゃからなあ」


 純朴そうな村人たちであった。

 船の到着と同時に、渡し板が掛けられる。

 アンブロシアは胸を張って凱旋である。


「あたしが帰ったよ!」


「おおー、巫女様、今回もご無事でー」


 何やら常にプルプル震えているじいさんがやって来た。

 杖をついているのだが、大変足取りが危なっかしい。


「あっ、長老、だめじゃない無理してこっちまで来たら。あたしがちゃんと後でそっちに行ったのに!」


「ふぉっふぉっふぉ、巫女様が帰ってくると聞いたら、居ても立ってもいられなくてのう」


 なんだこれ。


「なんだかアットホームな海賊砦ですね……」


「おー、めんこいお嬢ちゃんがいるのう」

「はりゃ、髪が虹色じゃ。さてはあの子も巫女様か!」

「ほれお嬢ちゃんこっちおいで。お菓子あげよう」


「ほんと!?」


 あっ、リュカが手懐けられている。


「なんつうかな、海賊の砦って言うから、拷問されたりサメの餌になるんじゃねえかって戦々恐々としてたが……こりゃあ……」


 おお、ヨハンではないか。

 ヨハンとサマラが並ぶと、大変常識的な意見が聞けそうで重宝する。


「ユーマ、ここはあれだぞ。海賊の砦なんかじゃねえ。ただの、群島に出来た小さな村だ」


「そうだったのか……!」


 言われてみれば、岩の見張り台らしきものは、明らかに作りが雑である。

 それっぽく見えるが、遠近法で大きさがわかりづらいだけで、よく見ると人の背丈程しか無い。


 木製の砦は、ちょっと大きさがある一般住宅だし、森の近くには畑が広がり、牧歌的に山羊が草を食んでいる。

 どこからどう見ても、村であった。


「どうだい、あたしの砦は! 立派なもんだろう!」


「それ本気でおっしゃる?」


 俺が問い返すと、アンブロシアはスッと真顔になった。


「あのさ、世の中ハッタリだけじゃやっていけないわけよ。あたしらにも生活とかあるわけ。分かる?」


「うむ」


「よろしい。じゃあ、砦に案内しようじゃない。ついて来な!」


「うーむ?」


 なんだかおかしな事になってきた。

 俺は首を傾げつつ、先行するアンブロシアの後ろに付く。

 他の海賊どもは、荷降ろしをやっているようだ。


 俺たちを助ける前に、どうやらオケアノス海賊団はひと仕事してきたらしい。

 食べ物や、衣類が卸される度に、村人から歓声が上がる。


 荷物の内訳は、食べ物、食べ物、食べ物、食べ物、衣類、衣類、衣類。

 ……?

 貴金属や装飾品などの贅沢品が無い。


「ばっかだねえ。貴金属や装飾品が食べられるかい!? 食べられないだろう!? たまにはちょっと気が向いて持っていく事はあるけれど、基本的に重要なのは食料さ! そらそら、そんな事よりもついておいで!」


 色々と思うことはあるのだが、今はアンブロシアの招きに応じるとしよう。

 俺、ヨハン、そしてサマラがお菓子に釣られたリュカを奪還して連れてきている。

 リュカ、何をもぐもぐやっているのだ。


 水の巫女じきじきに案内され、通されたの砦。

 大仰な扉が目の前に存在し、これが両開きで俺たちを出迎えるのか……と思いきや、斜め右下辺りに小さい扉があって、そこをガチャっと開けて中に入った。

 中に入ってまた驚く。


「……はりぼてだ、これ」


 前方と片側側面だけ、板と丸太でらしい砦を作り、奥にあったのはやや広めの平屋である。

 大変牧歌的なログハウスなのであった。


「なんだこれ」


 俺は本日何度目かになる感想を漏らした。


「ふいーっ」


 アンブロシアが大きなため息を吐きながら、帽子とマントを脱ぎ捨てた。

 下に着ているのは、そこそこ上質な衣装である。だが、思ったよりも女性らしい服装だった。


「まあ、くつろぎな。別にあんたたちを取って食おうって訳じゃない」


 俺たちはめいめいに、ログハウスの床に座った。

 リュカがてててっとやって来て、俺の隣に腰を下ろす。


「あんたらが、あたしと同じような巫女だってのが分かったのは幸いだった。あたしらオケアノス海賊団だけど、ご覧の通りでね」


「普通の村みたいね」


 サマラの感想に、アンブロシアは頷いた。


「ここはね、水の精霊信仰なんていう、マイナーな神様を祀ったケチな村さ。そして、あたしは村の巫女。たまたま水の精霊と交信できる才能があったから、こうやって村を率いることになってる」


「それで、海賊か」


「エルド人どもがネフリティスにやって来てから、交易船が増えてるのさ。奴ら、国の信仰に口出しはしないが、あたしら精霊信仰のことは気に食わないとさ。

 ネフリティスの信仰は、何の力も持っていない。

 だが、あたしらのそれは違う。現にあたしやあんたたちみたいな巫女が生まれ、精霊の力を行使出来る。そいつは連中にとっちゃまずいのかもしれないね」


「違うよ。精霊さんは、行使するのじゃない。お願いして、仕事をしてもらうの」


 リュカがアンブロシアの言葉を訂正した。


「何を言ってる? 精霊なんざ、あたしらが命じなきゃ何も出来ないじゃないか。あたしの手足の延長みたいなもんだろう?」


「あなたは、精霊さんが何を考えてるか、何が出来るのか、ほんとうはどうしたのか。それが分かってない」


 リュカはアンブロシアから目を逸らさない。

 じっと、大きな虹色に輝く瞳で見つめる。

 水の巫女はすぐに根負けし、目を伏せた。


「何を言ってるか、さっぱりだよ! だけど……なんか、異常に説得力があるような気がするね……」


「大巫女様だもの!」


 何故か胸を張るサマラ。

 すぐにリュカにじろっと睨まれ、


「リュカ様」


 と訂正した。

 とりあえず、アンブロシアにとって、巫女の力は便利な超能力や魔法程度の感覚なのだろう。その気持ちはよく分かる。


 だが同時に、俺はリュカと精霊王ゼフィロスの交信を目にしている。

 精霊には何らかの意思があり、それがリュカを東へと向かわせることになった。


 精霊とは、行使されるだけの力の権化ではない。

 もっと異なる何かなのかもしれんな。


「とにかくだ! あたしがあんたらを連れてきた理由を聞くんだ!」


「ほいほい」


「虹色の髪をしたお前と、胸がでっかいお前! あと、お前だ剣士! あんたたちがいるなら、実行できそうなんだよ! 手を貸せ!」


「何にだ?」


「……お前……なんて言うか調子が狂うな……。すごく端的に返答しやがって」


 アンブロシアは俺を睨みながら咳払いした。

 そして、


「村の人間を逃がす。別の島にだ。そのために、あんたらの力を借りたい」


 何やら、余裕が無いように見える。


「面白おかしく海賊稼業をやっちゃいるが、裏を返せば、あたしらはそうでもしないと、もう生き残れないんだよ。島と島の交易は、エルドに握られた。エルド人は精霊信仰を許さない。あたしらはね、信仰を捨てないといけないところまで来てる」


「現実的な考えだ。リュカ、サマラ」


 二人に目配せをする。


「いいよ。ユーマ、その子助けたいんでしょ?」


「私は納得いきませんけど……ユーマ様とリュカ様が仰るなら協力します」


「だ、そうだ。手を貸す」


 俺は決断した。

 頭のなかで、どこかで聞いた誰かの言葉がリフレインする。


『全ての巫女を守って下さい。この世界は、人と精霊が契約を交わし、長き時を過ごしてきました。今、それが失われようとしています。勇者よ。あなたの剣で、世界の変化に抗って欲しい』


 別にそいつの言葉に従ったわけじゃない。

 俺がやりたいからやるのだ。

 だが、


「交換条件がある」


 俺の言葉に、アンブロシアは緊張した面持ちになる。


「な、なにさ。あ……あたしの体だって言うなら、調子に乗るなって言いたいとこだけど……」


「泳ぎを教えて」


「は?」


 アンブロシアの目が点になった。

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