第54話 熟練度カンストの討伐者2

「よーし、こいこいこい」


 呟きながら、巻き上げ式の機械弓を構えるヨハン。

 これもエルド教の産物らしい。矢の周囲に油を染み込ませた布を巻き、火を付けて放つ。


 本来なら篝火を使って火をつけるのだが、それではクラーケン相手には少々タイミングが悪くなる。

 てなわけで、サマラである。


「今っ」


「はいぃっ、ヴルカン!」


 サマラの胸元から、小さな炎の小人が出現する。

 そいつがいそいそと矢の上を走り、油が染み込んだ布に飛び込んだ。

 一気に着火する。


 ヨハンは矢を放った。

 いいタイミングで火が付いたそれは、一直線にクラーケンへと向かい、烏帽子のような部位に突き刺さる。


 甲高い叫び声が響き渡った。

 イカめ、でかい声を出しやがる。

 しかし、あのでかくてヌメヌメした奴によく刺さるもんだな。


「こいつは……おいユーマ。どうやらあのイカ、粘液が出ていないところがあるぞ。そこなら刺さるようだ」


「なにい」


 それは良い情報である。


「リュカ、その話を向こうの船にも伝えてくれ。ヨハン、どのあたりだ」


「あの頭の尖った辺りだが、どうやら粘液を生み出している穴があるようだ。その上辺りに刺さったな」


「うん、それ伝えるね。複雑だなー」


 リュカは思案して、何か彼女なりの言葉にまとめ、シルフに声を運ばせたようだ。

 すぐに、あちらの船からも矢の雨が降り始める。


 向こうはサマラがいないため、火矢の準備が容易ではない。

 そのため、大半はただの矢だったが、それなりに狙った場所に突き刺さってはいる。

 クラーケンはこいつを大変嫌がった。


 特別長い、二本の触手……触腕というのだったか。それを振り回して暴れ始めた。

 おっと、あちらの船が大きく揺れた。もう少しでひっくり返るところだったな。

 巨大なイカが暴れるから、水面が激しく波打つ。


「ひいいー!」


 サマラが悲鳴をあげて、手近な樽にしがみついている。

 うーむ、こいつの炎は直接ぶち当てられれば、クラーケンに対する切り札になりそうなんだがな。

 仕方ない。


 地道に矢を降らせ、俺は俺の仕事をしよう。

 俺に出来ることは、せいぜいこの剣を振り回すことだけだ。

 ということで、近場までやってきた触腕やら触手を斬りつける事に専念する。


 ぶんっ、と、とんでもない遠心力で叩き付けられて来る触腕。

 こいつを紙一重で躱しながら、呼び出したバルゴーンの抜刀にて迎撃する。

 俺が持ちうる最速の剣技である。

 

「抜刀の型、”ソニック”」


 アクセルよりも遥かに速いから、そう名づけた。

 俺の腰の回転、剣を引き抜く動き、踏み込み、そして、逆側から鞘を引き抜く動作を連携させて行なう。

 これによって、一瞬だが音速を超えることが出来る。


 ちなみにどういう原理か知らないが、技の鋭さゆえに発生したソニックブームをも斬り裂くようで。

 ぱんっと、張り詰めたものが断たれる音がして、巨大な触腕が宙を舞った。


 俺の剣が、イカの腕を半ばから切断したのだ。

 触腕は振り下ろされる動作を完了できず、俺の剣が時間差で生み出す不規則なソニックブームに煽られ、高く宙に舞う。


「どうする。触腕じゃ俺を仕留められんぞ」


 呟きながら、クラーケンの動向を見守る。

 奴は突然断たれた触腕に気付かず、半分になった腕を振り回す。

 あまりのでかさゆえに、感覚が追いつかないのかもしれない。


 少しして、奴はとんでもない絶叫をあげた。

 俺の頭ほどもある、巨大な目が真っ赤に染まる。

 おうおう、怒り狂いやがった。


 そいつは的確に俺を捉えている。

 こいつはただの動物じゃない。


 誰が何をやったのか、それを認識できるだけの頭があり、しかも感情を有している。

 高等なイカだ。


「凄いな……! なんだ、今の剣は……」


 ヨハンが唖然として言う。

 だが、その問いに答えるような暇は無いのだ。

 海上に半ば浮かんだ巨体が急速に沈んでいく。


 ほとんど水中に没した、烏帽子のような頭が、高速でこちら側へ向いた。

 来るぞ……!

 次の瞬間だ。


 水面が爆ぜた。

 クラーケンが、漏斗と呼ばれる噴水口から、爆発的に水を噴出したのだ。


 誰もが目を疑う。

 篝火に照らされながら、あの巨体が、噴き出した水の勢いで空を飛ぶ。


 真っ赤な目が俺を睨みつける。

 巨体は一瞬で俺たちの船まで到達し、強烈無比な体当たりを敢行した。

 俺はバラバラに離れないよう、近くにいたリュカとサマラを抱き寄せる。


 船のあちこちが軋み、木材が砕ける音がする。

 おお、これは沈むな。

 この船は終わりだ。


 イカは木材に食い込みながらも、身を捩って再び水中に没しようとする。

 させるかよ。


「サマラ、リュカ、頼む!」


「はいっ!」


「うん!」


 俺の腕の中で、サマラとリュカが応える。

 サマラの髪が、オレンジ色の燃える輝きを放ちながら逆立った。

 胸元の火口石は煌々と照り、篝火をも飲み込むほどの明るさを放つ。


「ヴルカンッ!!」


 サマラを支える俺が、一瞬、この傾いだ甲板上でたたらを踏むほどの反動が襲い掛かる。

 サマラの胸から、恐るべきボリュームの炎が噴出したのだ。

 そいつらは、無数のヴルカンである。


 夜闇が明々と照らされるほどの光量。甲板を焼き焦がすほどの熱量。

 そこに、リュカがタイミングを合わせてくる。


「シルフさん、お願い!」


 リュカの呼びかけに応じて、シルフが樽の中に詰まっていたそれを巻き上げる。

 油だ。

 大量の油を巻き込んだつむじ風がクラーケンに降り注ぐ。


 そこへ、大量のヴルカンが飛来した。

 クラーケンの皮が、一瞬爆発したように見えた。

 耳をつんざく絶叫が響く。


 クラーケンは、あたかも巨大な生ける松明だった。もがき、苦しみながら燃え上がる。

 奴は耐えきれず、大慌てで水中へと飛び込んでいく。

 炎は水中でも、しばらくは消えまい。

 だが、俺たちは奴を追うことが出来なかった。


 すぐに、水面全体を黒い墨が覆って行ったからだ。

 イカの墨は、一瞬濃く吹き出され、すぐに薄く広がると言う。

 しばらく、この水面を見渡すことは難しいだろう。


「逃げたか……」


「おしっこくさーい」


 リュカが鼻を摘まんだ。

 うむ。クラーケンめ、とんでもないアンモニア臭を放ちやがった。


 そして……。

 順調に、我が船は沈み行くのである。


「小船で脱出か」


「ユ、ユーマ様、小船も壊されちゃいました……」


「なにぃ」


 サマラ、もう引きつり笑いである。

 俺と彼女は天下御免の金槌組なので、泳げないのだ。

 リュカに一人助けてもらう事は出来るだろうが、二人は無理だろう。


 これは、ヨハンにもう一人お願いするしかないか……。

 急激に、逆立つように角度を変えていく船の中、俺は考えた。

 いかにヨハンといえど、馴染みの薄い男にサマラを行かせるのは可愛そうだ。


 ここは俺が行くか……。

 男かあ……。

 などと思っていたらだ。逆立って沈み行くはずの船が、ピタリと動きを止めた。


 なんであろうか。

 まだ残る篝火が、水面に蠢く連中を照らし出している。


 あの、半透明なのは。

 あの見覚えがある河童どもは。


「アーッハッハッハ!! お困りの様子だねえ!」


 高笑いが響き渡った。

 なんだなんだ。

 誰なのかは大変良く分かるけれど、どこにいるんだ。


「お前たちが、頭を甲板に擦り付けて助けて下さいアンブロシア様お願いしますって言えば助けてやらないこともないよ!」


 いつの間にか、海賊ハットに海賊マントの娘、水の巫女ことアンブロシアが船の舳先に立っているではないか。

 なんという派手な登場であろう。


「げえっ、あいつが噂のアンブロシアか!? な、なんて時にやってくるんだ!」


 ヨハンが呻いた。


「そりゃあもう、あたしらだって、さっきの怪物を追いかけてたのさ! エルドの船が襲われて交易が止まれば、交易船を襲って生計を立ててるあたしらもおまんまの食い上げだからね!」


 なにい。

 

「大義があってエルド教と敵対している訳ではないのか」


 俺は思わず突っ込んだ。

 すると、アンブロシアはギクッとした顔をする。


「も、もちろん大義があって戦っているさ! あたしは水の一族を率いる水の巫女だからねえ! エルドの横暴を許していたら、これから大変なことになるよ!」


「なるほど」


 色々、腹に一物抱えているようだ。

 こいつは、リュカともサマラとも全く違うタイプの巫女だ。

 分かることは、とにかくこいつは生臭な人間であるということである。


「よし、助けてくれ」


「頭を下げるんだよ! あたしに! どうか! お願いします! アンブロシア様って言え! お言いー!」


 おお、なんかこいつ、ボルテージが絶好調じゃないか。


「なんか感じわるーい! この人だれ?」


「もしや、その指輪は水の祭器……!? アンタ、水の巫女なの!? 嘘、そんな俗っぽいことを言う巫女だなんて……!」


 リュカがむくれ、サマラは口元を抑えて信じられない! ってポーズをした。


「ええい失敬な!! そういうあんたたちは誰なんだい!! …………え、他の巫女? ほんと?」


 リュカとサマラの見た目で、理解したらしい。

 自己完結している。

 忙しい娘である。


「よし、あんぶろしあさま、どうかたすけてください、おねがいしますー」


 俺が跪いて、ははーっと頭を下げた。


「そ、そんなユーマ様、頭を上げて下さい!」


「むむー!」


 サマラは慌てる。リュカは状況を理解しているようで、口をへの字にしている。

 これはかなり、アンブロシアに対して怒っているな。

 だがまあ、頭を下げてサマラの命が助かるなら、安いものなのである。こいつ明らかに炎属性だから、海に没したら死ぬだろ。


 アンブロシア、呆気なく頭を下げた俺に、一瞬びっくりしていたようだった。

 すぐに、すごくいい笑顔を満面に浮かべる。


「うふ! あは! あっはっはー!! あの、あの生意気な強い戦士が、あたしに頭を下げてる! うひゃー! 超気持ちいいー! いいわよ、助けてやろうじゃない! ただーし!」


 アンブロシアが指輪をつけた手を空にかざす。

 すると、指輪とともに彼女の腕が青く輝く。

 彼方から、何かがものすごい速度で近づいてきた。


 おお、ありゃあ、アンブロシアの船じゃないか。

 恐らくは水の精霊の力で動く、この世界唯一の超高速艦艇。

 そいつが沈みゆく俺たちの船に横付けする。


「あたしと一緒に来てもらおうじゃないか! ふっふっふ! 海賊の流儀って奴を教えてやるよ!」


「お、おいおい、俺はまだ何も」


 哀れヨハン、トントン拍子で状況が進み、巻き込まれることになってしまった。

 俺は、リュカとサマラと一緒にアンブロシアの船に乗り移る。


 すぐに、船はアブクを吹き上げながら沈んでいってしまった。

 おお、危ないところだった。


「で、どこに連れて行く気だ?」


 俺が尋ねると、アンブロシアはニンマリと笑った。


「そりゃもう。海賊の砦さ」

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