第56話 熟練度カンストの水泳者

「しぬう」


「そらそら、何やってるんだい! 犬だってもっとましな泳ぎ方をするよ!」


 息継ぎに失敗して、プカリと土左衛門めいて浮かび上がった俺を、アンブロシアが容赦なく叩いた。

 いたい!


「だがアンブロシア。人間は水の中で生きられるように出来ていない」


「泳げばいいんだよおばか!」


 またぶった!

 この娘、とにかく手が早く、口が悪い。

 口頭で伝えるよりも実戦で学ばせるタイプで、俺を水に放り込んで、朝から地獄の水泳特訓である。


 岸では、俺に付き合って泳ぎを学ぼうとしたサマラが、大量の水に浸かったダメージでダウンしている。

 彼女に膝枕しながら、リュカは呑気に応援だ。


「ユーマー、がんばれー」


「が、がんばる」


 暖かな声援を受けて、俺はもうちょっと頑張るのである。

 息継ぎはダメだ。

 もうこれ人間に出来る行為じゃないな。難易度高すぎ。無理。


 ……はっ。

 ならば、息継ぎしなきゃいいんじゃないか。


 それだ。

 凄い。俺天才。

 俺は思い切り息を吸い、肺の中の空気が続く限り泳いで見る。


「おー! やれば出来るじゃないか! その意気だよ!」


 アンブロシアが俺を褒める。

 なるほど、このやり方か。覚えたぞ。何か決定的に違った方向の気がするが、俺は泳ぎを理解し始めた。


 俺が持つ、数多い弱点のうち一つが金槌であることである。

 この特訓で弱点を克服する事で、俺は海を制する事ができるようになるのだ。


「アンブロシアは見本を見せてあげないの?」


「あたしは泳げないからね」


 リュカと会話していたアンブロシアの言葉に、俺は一瞬耳を疑った。


「な、なにぃ」


「何驚いてるのさ? 当たり前だろ?」


 泳げないと口にした女が、全く悪びれる事無く俺を見下ろしている。


「あたしは水の精霊を使って、水中で呼吸したり地上より早く進んだり出来るんだよ? 泳ぐ必要なんか無いじゃないか」


「な、なるほど……!!」


 今初めて、巫女が羨ましいと思った。

 泳げなくてもいいなんてずるいぞ。

 そこではたと気付く。


「では、この泳ぎの特訓は」


「あたしのフィーリング。何ていうかさ、泳ぎなんて決まった型に嵌まらなくていいじゃないのさ。あたしは精霊を使う。あんたはあんたで、得意なものを使って泳いだらいいのよ」


「おおー」


 リュカが感心したようである。

 うんうんと頷いている。

 しかし、そうは言ってもだ。


 俺が長らく通っていた日本の学校では、泳ぎとはこのようなものだと教えていたのだ。

 俺はビート板があってすら沈降する、筋金入りの金槌であった。

 水に嫌われているんじゃないかとすら思う。


「泳ぎなんてのはね、水を支配できない奴の言い訳さ! 水に従って、合わせてやって、それでやっと地上で歩くくらいの速さで泳ぐ事が出来る。

 だけどあたしをご覧よ!」


 そう言うと、アンブロシアは着衣のまま水中に飛び込む。

 ちなみに俺は、パンツ一丁である。

 服が塩水で濡れてしまう、勿体無い……などと思っていたのだが。


 アンブロシアは、腕組みをしたまま、体の半分を水に浮かせているではないか。

 彼女が飛び込んだところが、ちょうど腰を飲み込む程度の深さに凹んで、直立しているようだ。


「行くよ、ウンディーネ、ヴォジャノーイ!」


 水の巫女が号令を発する。

 すると、アンブロシアの背後で水面が爆発した。


 まるでジェット噴射のような勢いで、水が後ろへと吐き出されているのだ。

 アンブロシアが直立の姿勢のまま、海を切り裂きながら突き進んでいく!


 凄い。

 凄くシュールだ。

 だが凄く速い。


 馬くらいの速度を出しているのではあるまいか。地上を走るよりも速いとか、どうなのか、それは。

 リュカの場合もそうだったが、巫女が精霊を行使する能力は、恐ろしく応用が利くようだ。

 それこそ、巫女のイマジネーションによって無限に近い用途があるのだろう。


 アンブロシアは、比較的頭が柔らかいタイプと見た。

 常識に囚われないタイプの女だな。

 リュカは次元が違うとして、サマラはちょっと自分の常識に凝り固まっているタイプ。火の精霊も、色々な応用が出来そうではある。


「これがあたしの泳ぎだよ! つまりこんなもんでいいのさ! さああんたもやってみな!」


「俺もやるのか」


 精霊を使えない。

 さらには根本的に金槌でもある俺が、どうやってアンブロシアの超常の泳ぎに対抗するか……。

 俺の得意なもの……。


 思い浮かぶのは、唯一つ。

 剣である。


 剣で泳ぐ?

 どうやって? ハウドゥーイット?


「ユーマ様」


 サマラの声が聞こえた。

 ちょっと元気になったらしい。半身を起こしながら、訴えかけるように言う。


「アタシ、覚えてます。アータル様の中に閉じ込められたアタシを、ユーマ様が助けに飛び込んできたとき。リュカ様の起こした風を剣で受けて、空を飛んで……! ああいう風にしたらいいんじゃないでしょうか」


「そ、それだ!!」


 俺の目から鱗がポロリである。

 俺は常識に囚われてしまっていたのだ。

 生身で泳げないなら、得意な剣で泳げばいい。それも、俺が必死に手足で水を掻く必要など無いではないか。


「バルゴーン!」


 手をかざし、虹の刃を呼ぶ。

 形態は、大剣。抜き放ちざまに疾く、強く水面を打つ。

 一瞬、俺の眼前で海が割れた。


 ここだ!


 俺は割れた海に大剣の腹を浮かべ、飛び乗った。

 海が戻ろうとする復元力に乗り、大剣が進み始める。

 それは徐々に加速し、俺はさながらサーファーの如く、華麗に水上を疾走し始めた。


 原理は簡単である。

 常に大剣が浮き上がる方向へ、水の復元力が作用するように力を加えてやればいい。

 手のひらで加減するのも、足の裏で加減するのも対して変わらんだろう。


 俺は踏みしめた刃の腹に力を加え、適時水面を割るように動作を行なう。復元力は一瞬遅れて働くから、それを先読みしてやればいい。

 少しこの動作を繰り返すうちに、要領がつかめてきた。


「おお、やるじゃないか! そう、泳ぎってのはそれでいいのさ!」


「ありがとうアンブロシア。俺は泳ぎを理解した」


「うーん、うーん……」


 一人、頭を抱えて懊悩するのは岸にいるヨハンである。


「違う……明らかに間違っている……! だが何もかも間違いすぎてて、何も言う事が見つからない……!!」


「ヨハンさん、ユーマ様は剣を扱うのが得意だから」


「そういう次元の話なのか……?」


 サマラの言葉にも、納得できなさそうなヨハン。

 こうやって実際に、俺が泳ぎをマスターしているのだ。これでいいではないか。

 大剣で滑走する水上の、気持ちいいこと!


「さて、泳ぎをマスターしたついでに話があるよ。詳しくはこの間話した通りだけどね」


 アンブロシアが併走してきた。

 彼女も一瞬、俺の足元を見て首をかしげた。

 あれ、精霊を使ってるわけじゃないの? とか呟いた気がするが気のせいだろう。


「この辺りの島で、移住の話を進めてるんだよ。そりゃ金をかけずにやるって訳にゃいかないけど、伊達に荒稼ぎはしてないからね。衣類だって集めてみれば、結構な金になるもんさ。

 金さえありゃ、なんとかなるもんでね。移住に関しても、出すもの出せば来てもいいって島があった。

 だけど、島の連中はいいと言っているのに、邪魔をする奴らがいる」


「エルド教の連中か」


「そうさ。しかも導き手が複数いる。一人はあたしがとっちめて、こうして魔法の筒をたっぷり奪ってやったんだけどね。そうしたら連中、根に持っちまって」


「ふーむ」


 俺は腕組みをして考えた。

 下手に手を出すと、逆恨みして反撃してくる。


 ならば、どうすればいい。

 むむ、何やらアンブロシアがチラチラ見てくる。


「あ、あんたヒョロいかと思ったら、結構体つきががっしりしてるのね」


「うむ……リュカと旅をすると鍛えられる……」


 かつて家に篭りきりでゲームのみを世界としていた頃、俺は不健康に痩せ、しかし下腹部だけは膨らむような餓鬼的体型であった。

 それがリュカと旅をするようになって、あら不思議。

 粗食にサバイバル、激戦と常に変化し続ける環境に晒され、見る見る俺の体は野生の力を取り戻していった。


 まさか俺の腕に力こぶが出来るようになるなんてな。

 ……何を顔を赤らめているのだ。


「な、な、なんでもない!!」


 ピューッとアンブロシアは行ってしまった。

 流石に、大剣を使った泳ぎでは水の巫女には追いつけんな。


 俺はマイペースで行こう。

 ぷかぷかと水上を走破し、岸に帰還してきた。


「ユーマすごい!! 私も乗せて!」


 リュカが服の裾が濡れるのも構わず、水の中に駆け込んでくる。


「よし、来い」


「やったー!」


 二人分の重量が乗ると、なるほど大剣は沈み込もうとする力が強くなるな。

 普通に浮くのは難しいかもしれない。


「なあユーマ。どうして剣が水に浮いているんだ……」


 ヨハンがとても疲れたような顔をして尋ねてくる。

 俺は答えてやった。


「長いものが沈む時、どちらかから沈もうとするだろう。ならば沈む前に逆に力をかけてやれば、沈もうとしている側が浮かび上がる。それを繰り返しつつ、復元力を推進力に利用するだけだ」


 な。

 簡単だろう?


 だがヨハンめ、ますます分からなくなったようで、頭を抱えてしまった。

 こいつは頭が良さそうに見えたのだが、違ったのだろうか。


「ユーマ、私がシルフさんに風を吹かせてもらうから、それで浮きやすくなる?」


「なるだろうな」


 大剣で風を受けられるように調整すれば良いだけだ。

 上手くやれば、アンブロシアに追走出来るぞ。


「じゃあ、シルフさん、お願いっ!」


 リュカの言葉に応えて、猛烈な追い風が吹いた。


「よし、掴まってろ」


「うん!」


 リュカがぎゅっとしがみついてくる。

 服が濡れるのもお構いなしである。

 俺は彼女の重みも考えつつ、大剣の腹で風を受ける。


 これはさらに精緻な剣捌きが必要になるだろう。だが、剣で風を受けて飛んだ時に状況が近いと言えば近い。なんとかなる。

 果たして、俺とリュカは凄まじい速度で水上を疾走し始めた。

 やれば出来るものだ。


「おお! やるじゃないか! まさか水の精霊の助けなしに、それだけの速さで海を走れる奴がいるとは思わなかったよ!」


「うむ、泳ぎを教えてもらったお陰だ。ありがとう」


 俺はアンブロシアに礼を言う。

 こうして風を切って走っていると、とても晴れやかな気分だ。いつもは言えない様なこんな礼の言葉も簡単に口を突いて出る。

 すると水の巫女は、照れたらしい。


「お、おう! だけどまだまだだよ!」


 手厳しい。


「ユーマ! お魚! ぴょんぴょん跳ねてるよ!」


 リュカの歓声があがった。

 おお、俺たちと並んで、トビウオのような魚が連続ジャンプしてついてくる。

 仲間だと思っているのだろうか。


「この辺りは、こいつらの天敵が入って来れないからね。こうして遊ぶ余裕があるのさ。天敵がいたら、とてもそんな暇は無くなるさね」


「ほう……天敵……。 …………それだ」


 ピンと来た。

 エルド教の連中に、島の住民の移住を邪魔させない為にはどうしたらいいのか。


「アンブロシア、耳を貸せ。策がある」


 これより、大移住作戦の始まりである。

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