第52話 熟練度カンストの食客

 耳を澄ませば、遠く響き渡る波の音。

 船は悠然と大海原を行くのである。

 俺は適当に、古い帆を日除け代わりにして、甲板の隅っこで並べた樽の上に寝転がっている。


 ここは、俺たちが雇われた船の上。

 商船とは違い、ある特定の仕事に特化した帆船である。

 聞いてみた所、この世界の一般的な船はガレー船だとの事。


 男の奴隷をいっぱいに詰め込んで、漕ぎ手として使用する。

 その多くは、借金やら敗戦後の捕虜で身代金が出ない連中で、使い潰しても問題ないらしい。

 俺、リュカ、サマラが乗ってきた船も、そんな漕ぎ手たちによって支えられていたわけである。


 いやー、ブラック。

 だが、この世界にはまだ布を大量生産する技術が無い。

 そのため、帆船など本来は作ることそのものが不可能なのだが……。


「すっごい髪してるな! えっ、巫女なの? 巫女って言うとあのアンブロシアも巫女とか言ってたけど、巫女って海賊のスラング?」


「違うよ。巫女は巫女だよ」


 リュカが船に乗り込んだ傭兵と会話する声が聞こえる。

 サマラは、やたらと男たちに口説かれるので、恐れをなして俺の脇にある樽の影に寝転んでいる。


 体は大きいのに、何故そんなに君は気が小さいのか。

 そして体が小さいのに物怖じというものを知らぬリュカさん。


「でも、巫女っていうのはあれだろ。神話に出てくる、神様を崇めていて神様の子供を産んだりするって奴」


「その神話は知らないなあ。私は風の精霊王ゼフィロス様の巫女だよ?」


「ゼフィロスかー。うちの神話の神様の一人だな。風のゼフィロス、火山のアータル、大海のオケアノス、大地の女神レイア」


「そうそう、それ」


「風だけを信仰しているところがあったのか。それに髪の色からして、祝福って奴だろ? へえ、本当にいるんだなあ」


 オケアノス海賊団の名前は、水の精霊王から来てるってことか。

 で、大地だけ女神なんだな。


「ユーマ様ぁ」


 横から情けない声がした。


「なにかね」


「も、もう回りに男の人いないですか?」


「リュカが食い止めてる」


「ううう、リュカ様には足を向けて寝られない……」


 サマラももっと気にせず、ガンガン話していけば良かろうに。

 いや、コミュニケーションを避けてここで昼寝している俺が言えたことではない。

 我が一行のコミュ担当リュカ、頑張れ。応援している。


「で、さっきの話を聞いたんだが、ネフリティスの神と、地水火風の精霊王は対応してるの」


「ええ、はい。正確に対応しているみたいです。言うなれば、ネフリティスはそれぞれの精霊王を均等に信仰しているみたいです。でもご覧の通り、小さな島が無数にある群島地帯ですから、島によっては信仰が違うんじゃないでしょうか」


「エルド教が進出してるみたいだけど」


「エルド教は、改宗しないものを虐げたりはしないんだそうです。ただ、同胞とはみなさないとか。一応、ラグナ教やザクサーン教と比べると、他の宗教と仲良くやってるほうです。でも、彼らの本当の気持ちは分からないですけど」


 今、俺たちはデヴォラに雇われて、群島の害獣退治にやってきているところである。


 この帆船は特別製で、エルド教徒にしか用意できない代物であること。

 任務中にエルド教に改宗したら、報酬が四倍になること。

 エルド教は、エルドの民になるならば巫女ですら受け入れること。


 そんな話をされた。

 話だけを聞くと、大変良いことのように思うのだが。


 それと、エルド教の導き手というのは、銃や帆船といった、この世界のテクノロジーを大きく越えた武器や乗り物を作り出し、行使することが出来る存在らしい。

 聞きようによっては、技術を独占している宗教と言う見方も出来るな。


「それじゃあ、お話相手をしてあげたんだから、言葉を教えて?」


「分かった分かった。後で飯にも付き合ってくれよ? もう、傭兵なんぞやってると、女日照りでなあ……あんたみたいに気さくな娘が乗り込んでて助かったよ」


 なんだ、向こうでリュカが傭兵と話してると思ったら、交換条件でそんな取引をしていたのか。

 傭兵の兄ちゃんと差し向かいで甲板に座って、何やら喋り始める。


 すると、周りにわらわらと傭兵がやって来た。

 なんだなんだ。


「ヨハン何やってんだよ、お前だけ女と話してずるいなー」

「お勉強なら俺が教えてやるぜ! こう見えて計算とか得意なんだよ! もちろん夜のお勉強も……」


 これはいかんやつだ。

 俺は立ち上がると、のしのし近づいていく。


 傭兵と言う者は、どうもガラが悪くていかんな。

 アルマース帝国へ向かう途中で出会った盗賊も、傭兵崩れだった。

 俺は彼らの中へと無言でもりもり割って入る。


「うわ、なんだなんだ」

「押すなよ、お前なんだ」


 男どもの輪の中できょろきょろしているリュカの肩に、ぽむ、と手を置くと、


「妻だ」


 と宣言しておく。

 まだアンクレットと腕輪はしているからな。

 ありがとうハッサン。お前の忠告は今も生きている。


「なにぃ……」

「お、お前みたいなちんちくりんな男に、こんな可愛い嫁が……!?」


「つ、妻」


 リュカがボッと赤くなった。

 俺もちょっと赤くなった。は、はずかちい。


「へいへい、てことで、お前ら解散! 俺がこのちっちゃい人妻と勉強会するんだからよ!」


 ヨハンと呼ばれた傭兵は、めげない。


「旦那さん、ちょっと奥さんお借りしますよ。安心して下さいよ、手は出しませんって。ちょっとお勉強で長々お喋りするだけで」


「フーム」


 リュカとこの傭兵の最初の約束だしな。


「よし」


「ユーマありがとう! じゃあ勉強しよ?」


「よっしゃ。じゃあ、まずはネフリティスの挨拶から言ってみよう……」


 傭兵どもも解散するわけではなく、遠目にリュカとヨハンの会話を見物している。

 奴らめ、何をニコニコしているのか。


 とか思ったが、たどたどしいネフリティス語を口にするリュカは大変可愛らしい。

 なるほど、癒される。


「リュカ様、凄いバイタリティ……」


「サマラはいいのか」


「私は、初対面の男性と二人きりとかはもう無理です……! あ、後でリュカ様に教えてもらいます!」


 俺もそうしようかな。



 船は俺たちがいた、港町ピレアスを出港。そのまま東南東へと舵を切る。

 周囲は幾つもの群島があり、大きな島々には人が住んで、小さな国を形作っている。

 ネフリティス王国は、これら小国をまとめる役割も持っているのだとか。


 そして、それぞれの島では気候や植生が微妙に異なり、独自の特産品が存在する。

 これらを、船を使った交易でやり取りしているのだ。


 だが、最近問題が発生したと言う。

 どこの海からやってきたのか、船を沈めるほどの巨大な蛇がうろつくようになったのだそうだ。

 シーサーペントという奴だな。


 交易に使用する船は、エルド人が貸しているそうで、交易で収益が上がらなければ貸し賃が入ってこないのだそうだ。


 そんなわけで、交易環境正常化のために駆り出された俺たちである。

 他、流れの傭兵が数名。

 皆、最近起こった、ディアマンテとエルフェンバインの戦争を当て込んでやってきたのだが、それが一日で終わったと言う事で、食いっぱぐれた連中だった。


 あれっ、戦争を終わらせたのは俺たちだから、悪いのは俺たちなのか?


 旅路は概ね良好。

 とか思っていたら、その晩、サマラとリュカに夜這いに来た馬鹿者がいた。

 俺は一見すると強そうに見えないので、舐めていたのだろうな。


「女は二人もいるんだから、一人くらいいいだろうが」


 などと舐めたことを抜かすので、


「だが断る」


 と返してやった。

 その後、俺とそいつら……そう、複数人だったのだ。何をする気だったのだか。

 そいつらと、甲板で決闘である。


 水夫連中や他の傭兵たちも見物に現れた。

 リュカとサマラは俺の後ろで観戦である。

 傭兵のヨハンだけが俺たちの味方で、他は夜這いに来た傭兵たち側である。


「それじゃあ、得物をいただこうか」


 俺は酒瓶を握りしめる。

 下手に斬って、戦力になる連中を減らしてもな。だが、次にやったら斬るぞ。

 この娘たち、下手に手を出すと巫女としての力を失うんだからな?


「酒瓶でどうやろうって言うんだ? 舐めてるのか?」

「その動き、多少は鍛えてるんだろうが……」


「開始だ」


 俺は一方的に宣言すると、連中に向かって無造作に歩いて行く。

 早足で踏み込んできたので、連中は一瞬面食らったようだった。


 慌てて反応しようとする一人の顔面目掛けて、酒瓶をスイングする。

 いい音だ。


 この酒瓶は頑丈だな。割れる気配が無い。

 ふらついた男目掛けて、後頭部に酒瓶をもう一撃。それでこの男はダウンだ。


「てっ、てめえ汚えぞ!」


 などと口を開く余裕がある奴が横にいたので、そいつの懐に入って酒瓶を突き上げた。


「げぶっ」


 顎を打たれて脳が揺れ、そいつは膝から崩れ落ちた。

 残りは一人だ。


「お、おい……お前ら、冗談だよな? 一瞬だぞ? 十数える間もねえのに」


「だからな、喋る暇があったら」


 俺はつかつかと近づいてく。


「こっ、このぉ!!」


 そいつは剣を抜いて襲い掛かってくる。

 正気か。

 俺じゃなきゃ死ぬかもしれんだろうが。


 俺は振り下ろされる前に、踏み込みを加速した。

 酒瓶を突き出し、握られた剣の柄を下から殴打する。その勢いで、男の手から剣がすっぽ抜けた。

 俺は瓶を振り回しながら勢いをつけ、唖然とする男の横っ腹目掛けて、フルスイング。


「ぐおおおおおおーっ!!」


 奴はちょいと向こうまでふっとばされて、そのまま船べりを越えて海に落ちた。


「うむ」


 俺は頷く。


「困ったものだね」


「ふいー、貞操の危機でした」


「いやあ……まさか、これほど一方的だとはなあ」


 ヨハンが目を丸くしている。

 いや、船の連中も一緒だ。


 俺がやりあったところ、この倒した傭兵どもはそれなりには腕の立つ傭兵だ。

 油断をしていない状態で、フル武装ならば、酒瓶で武装した俺と一合は斬り結べる可能性がある。


 今回、奴らは油断したのでこのように一瞬で全滅だ。

 実戦だったら死んでいたな。


「……というか、リュカ、君の旦那さんは強いな……。いや、あれですら、手加減していたように見えたが」


「そうだよ? だって誰も死んでないでしょ。ユーマは強いの」


「なるほど、あの業突く張りなデヴォラが、わざわざ寄越すだけのことはあるのか」


 そんな訳で、そこそこ船に乗る一行から信頼を得たらしい俺である。

 シーサーペント討伐などというイレギュラーな職場では、実力こそが重要。


 まあ、俺に倒された三人組は、どうも逆恨みしているような気がするが……。

 そしていよいよ、シーサーペントが現れるという海域に到着したのである。

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