精霊の守り手編

第28話 熟練度カンストの旦那さん

「アルマース帝国は、色々な意味でエルフェンバインとは違うからさー」


「ほう」


 俺は今、がたごとと揺れる馬車の中で講義を受けている。

 幌が張られた大きな荷台には、様々な商売道具と申し訳程度の居住スペースがある。

 大体、一家族がごろ寝出来る程度の空間であろう。


「あの国は、どっちかっつーと、ディアマンテに近いんだわ。むしろ、ある意味ディアマンテよりもカッチリしてるだろうねえ」


「ほう」


「カッチリってのはね、宗教の戒律が国の法律にまで力を及ぼしてるわけよ。宗教者が為政者になってる国なのね」


「ほおー」


 俺に解説してくれているのは、ただいま列を成して平野をひた走っている、このキャラバンの行商人。ハッサンである。

 見た目は色黒で、立派な髭を生やしており、ターバンめいたものを頭に被っている。


 大変アラビアンぽい。

 俺は何の縁か、彼と膝を突き合わせるような形でこうして喋っている。


 受け答え全般が苦手なのだが、この男、俺の反応など気にせずにただただ喋る。

 そのため、相槌を打つだけで良いのでとても楽である。


 リュカは御者席の横に腰掛けており、時折振り返ってこちらを見ている。

 彼女もまた、ハッサンの話を聞いているようだ。


「だから、聖地へ行く者は聖地のならいに従えと言うことわざの通りに、アルマースのやり方に合わせたほうがいいのね」


「ほほう」


「例えばこれよ」


 ハッサンが指差したのは、己が身につけているターバンである。

 彼は全体的に、肌を覆い隠すようなゆったりした服を着ている。


「アルマース全土に広がっている宗教は、ザクサーン教ね。この教え、人々の心のより所。偉大なる神を信じる宗教ね。だけど、ザクサーンの戒律、ザクス法はとっても厳しいのよー」


「ほほー」


 俺はさきほどから相槌を打つばかりなのだが、この常に相槌が飛んでくる状況が話しやすいらしい。

 ハッサンの長広舌が唸りをあげる。


「でもね、この教えって元々はその土地で生きるための生活の知恵なのね。アルマースがある大地はとっても乾いてるところが多くて、砂漠もあるのよ。それでね。好き勝手に飲み食いしたり、勝手に動物を飼ったり狩りをしたりしたら、みんなが迷惑してそのうち野垂れ死んじゃうのね。だからそういうのを防ぐために、みんな厳格なザクス法を守るの」


「なるほど」


 話を聞いていると、内容がいよいよ気になったのかリュカがやってきた。

 御者をやっているハッサンの奥さんから服を貰ったようで、ハッサンや奥さんのような体中を覆う布地が多い衣装を着ている。


「ユーマ、そこ詰めて!」


「へい」


 俺が隅っこに寄るが、出来る隙間など大したものではない。

 そこにぎゅっと押し込むように、リュカが腰を下ろした。


 狭い、大変に狭い。

 これはリュカのお尻が大きいせいに違いあるまい。


「いいところに来たね。ここからはリュカさんも関係するからさー」


「関係するの?」


「ほうほう」


「そうよー。アルマースでは、今までの国みたいに、リュカさんは自由に動き回れないのよ。どうしてって、あそこは女の人を一人自由にさせることを禁じるザクス法があるのね」


「ほえー」


「ほほー」


 男尊女卑というやつであろうか。

 もといた世界でもそのような戒律がある世界の話を聞いた事がある。


「でもね、これは仕方ないのさ。女の人は子供を産むのね。血筋を永らえる為に絶対必要なのさ。とっても大切なのね。外に出しておいて、別の男の人の子供を生まれたら大騒ぎなのさ」


 囲い込んで女性を守るということか。

 そういうわけで、今リュカが着ているような、もさっとした衣装を着せると。

 それで他の男の目から女性を隠すのだ。


「あとは、日差しが強いから、こうして肌を隠して布で覆ったほうが涼しくなるのよ。ほら、ユーマさんも着た着た」


「ユーマも着て着て」


「な、なにをするおまえらー」


 俺も、もこもこに着込ませられてしまった。


「それで話は戻るんだけどね。そういう感じで、女の子が一人で自由に動いてたら、危ないところなのよ」


「危ないのか」


「危ないねー。フリーな女の子ならさらわれて、その男の人のお嫁さんにされちゃう」


「これはひどい」


「ひょええ」


「ということで」


 ハッサンが目を光らせた。

 何事であろうか。


「アルマースにいる間、リュカさんはユーマさんのお嫁さんって言う事にしないといけないのよ」


「なにい!!」


「ひゃー!!」


 俺もリュカも飛び上がって驚いた。

 だが、ハッサン、実に大真面目である。


「聖地に入るもの、聖地の倣いに従え、よ。従わないと大変なことになるね」


「う、うむ」


「ひ、ひゃー」


 ということで、夫を持つ女性はアンクレットをつけるとかで、ハッサンに商品のアンクレットを貸してもらう事になった。


「アルマースに入るところまで護衛してもらったら、アンクレットはあげるよー。最近、盗賊がたくさん出てくるからねー。アルマースも不景気さー。もう戦争とかして景気を良くするしかないかもねー」


「む、なかなか……似合う」


「え、そ、そう? むふふ」


「い、嫌では……ないですかな?」


 俺、大変緊張して不可思議な口調になる。

 先日、男女関係的なものを疑われたときに、あっさり否定した彼女の口調がフラッシュバックである。


 ぬうあああ、死にたい。


 するとリュカさん。

 むむ、と口をへの字にして、眉毛を上下させて目を丸くして、細めて、大変難しい顔をした。

 俺はハラハラする。


「い、嫌では……ないです」


 ちょっと口元が緩みかけたのを、むぎゅっと力を込めてへの字に戻すリュカ。


 ほう……。

 ほう、ほうほう。


 ほんの僅かに、微かに、小数点以下の確率で、可能性があるかもしれない。無いかもしれない。

 まあ、嫌ではないならよしと、そういう事にしておこう……。


 何やら、キラキラのアンクレットを嬉しそうに見つめているしな。

 風習によると、ちょっと大き目のアンクレットは常に見えるようにしておく必要があるらしい。

 こうして、この女性は誰の配偶者なのかを分かるようにしておくとか。


「男の人はこの腕輪ね。セットよー」


 上手い商売である。

 服の上からでもいいが、二人一セットにして分かるようにしておく。男の腕輪はつけなくとも良いが、その場合は女性の配偶者が誰なのかを説明する必要があるとか。


「お揃いだねえ」


 リュカがにまにま笑いながら俺をつついてくる。

 そういう仕草は勘違いしてしまうのでやめてくれなさい。


「それじゃあ、二人で外で練習してみるねー」


「練習ですと」


 何を練習するというのか。

 夫婦の練習?

 俺の脳裏を一瞬で、桃色の妄想が駆け巡る。


「外で、ワタシの子供たちが牛と山羊を追ってるね。二人で交代して牛追いをやって、外でも夫婦っぽく見せる練習をするのさー」


「な、なるほど」


「な、なるほど」


 俺とリュカが同じような返答をした。

 俺はともかくとして、君はなぜうろたえているのだ。

 そんな訳で、外に出ることにした。


「父ー。もう交代の時間?」

「ユーマさんとリュカさんが代わりをやるよー」

「えー、二人とも護衛じゃなかったの?」


 ハッサンには息子が三人、娘が一人いる。

 四人でわらわらと集まってくる。

 手にしているのは、牛や山羊を追う棒である。


 それから、彼らをサポートする犬。

 でかい。


 このキャラバンは、似たような夫婦に子連れという組み合わせの商人が集まっている。

 独身の商人もいるが、その場合は愛人を連れていたり、使用人がどっさりいたりである。


 ハッサン一行は、比較的こじんまりとした行商人であると言えよう。

 リュカがハッサンの息子Aから牛追い棒を受け取った。


 使い方をレクチャーされておる。

 俺はというと、ハッサンの娘から小ぶりな牛追い棒を受け取った。


「奥さんにいいとこ見せなね」


 娘さん、なんだ、そのいやらしい笑みは。

 彼女もリュカと同い年くらいであるから、そろそろ結婚適齢期なのだそうだ。

 この行商の旅で、旦那さんを見つけるつもりなのかもしれない。


「よーし、やりますかー」

「ワォン」


 リュカが犬と並んでいる。

 この犬は狼っぽい外見で、色は白と茶色。ジャコビ、とかジョコビ、と言った名前だった気がする。

 リュカにはかなり気を許している。


 俺は何だか分からないが、この犬に恐れられている。

 初対面の時、こいつは腹を見せてきて服従の姿勢を取った。

 こんな人畜無害な男に対して何であろうか。解せぬ。


「はいどー。ほらほら、みんな進んで進んでー」

「モォウ」

「ワォン」


 リュカは牛追い棒を持ってはいるものの、まるで動物たちと会話するように楽しげに誘導する。

 動物は彼女の言葉が分かっているのか、逆らう事も無く、のんびりとリュカと犬と一緒にのっしのっし歩いていくのである。


 ちなみに、俺が担当した山羊は。

 お通夜状態である。

 俺がちょっと動くと、ハッとした感じで進んでいく。


 うーむ……。

 俺は動物に嫌われているのだろうか。


「ユーマも上手い上手いー。ちゃんと、山羊さんたち言う事聞いてるねえ」


「俺は何も指示をしていないが、こいつらが空気を読んで勝手に……」


「言ったでしょ。動物は、自分よりもずっと強い動物には逆らわないから」


 馬鹿な。

 何を言っているのであろうリュカさんは。

 俺は首をかしげたまま、山羊の群れをコントロールした。


 リュカと並んで歩くと、ちょうど横目に見えるのは、遠ざかったエルフェンバインの山並みである。

 太陽は俺たちの背後に向かって沈んでいく。


 キャラバンの目指す場所は、沈み行く太陽とは逆側。今や空を塗り替えつつある、あの夜の下だ。

 アルマース帝国。

 少々面倒なルールに縛られた国のようだが、まあなんとかなるであろう。

 確か、火の神様がいるとか、いないとかハンスの店で聞いたような。


「ね、ユーマ」


「うん?」


「アルマースでは、どんな美味しいものが食べられるかな。楽しみー」


「うむ……」


 それは俺も気になるところなのであった。

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