第25話 熟練度カンストの孤独者

 よっしゃ、いっちょうやってやるか!

 とばかりに、バルゴーンを呼び出した俺。

 馬から降りててくてくと、迫り来る黒服どもに向かって歩き出したのだが。


 気が付くと周囲は不思議な空間に変わっていた。

 うむ、なんというか、足元に靄が漂っており、空は晴れやかな青空だ。

 インドア派の俺には、少々眩しすぎる。


 そして、視界を埋め尽くすでかい天使の群れ。

 今まで近くにいたはずの、騎士どもがいない。


 振り返ると、当然リュカの姿も無い。

 あっ、これはもしや。


「やられてしまいましたなあ」


 俺は呟く。

 俺は基本的に、多人数では寡黙、孤独であれば饒舌。

 動画なんぞ見ながら、ぶつぶつ独り言を話すタイプなのである。

 人がいると、何を喋っていいか分からなくなる。


「これは罠だな。テレポーターで、モンスターが大量にいるゾーンに送り込むタイプか。あるある」


 こういうパターンはゲームで経験済みである。

 だが、現実でこんなことになるとは思ってもいなかった。


「やるな、リアル。まさかゲームの世界に追いついてくるとは思ってもいなかったぞ」


 俺の腰にぶら下がっているのは、リュカが淹れてくれた冷たい薬草茶である。

 水を直に飲むとお腹を壊す俺の為に、彼女は水を飲み易くする為の薬草を欠かさないでいてくれる。

 こいつをぐいっと飲むと、頭が冷えてきた。


 クールダウンである。

 待ちきれず攻撃してきた天使のビームを、ぺしっと反射しながら考える。


「俺以外、見渡す限り敵。戦場は障害物なし。一面の天国的風景っと……」


 おっと、ビームの集中攻撃だ。

 これにバルゴーンを突き立てて、いい塩梅に四方八方へ散らす。


 さすがに、意識しないとビームを反射させて、連中にぶち当てるなんてことは難しい。

 これは要練習だな。


「見るからに、俺をメタって陥れに来たか。あちら側にも頭が良い奴がいるみたいだな」


 後で辺境伯と学者に話を聞いたのだが、俺が倒してきたこの天使どもは、分体という名でラグナ教の切り札なのだとか。

 普通なら人間が倒せるような相手では無いらしいから、分体を出している執行者、とかいう黒服を倒すのがセオリーなのだそうだ。

 そんな無敵の兵器、分体を生身で倒す戦士がいるなら、ラグナ教にとってはさぞや脅威であろう。


 俺がラグナ教の人間であれば、真っ先に俺という戦士を封じる策を講じるだろう。

 最も、俺は婉曲えんきょくな手を使って相手を陥れるだとか、そういったやり方が大変苦手である。

 脳筋なのかもしれぬ。


 故に、


「やるしかないな。俺はこの状況を打破する手段を、一つしか知らん」


 俺は、バルゴーンを抜いて、恐らくは初めて本格的に身構える。

 全身から緊張を抜き、自然体のまま剣を持ち上げて……。

 長期戦に備える。


 片手には、既に殻になった水袋。

 さて、何時間の戦いになるやら。

 出すべきものは、この袋に出す。


 これがボトラーとしての矜持であろう。


「うし。そうだな、一匹十秒として……インターバル入れながら十五時間ってところか」


 俺の孤独な戦いが始まる。

 それは、久々の感覚だった。




 戦士ユーマが消えた戦場は、ディアマンテ帝国側有利で進行している。

 だが、その差は圧倒的というものではない。

 単純に、ディアマンテ帝国の兵の数が多いため、兵力差どおりの順当な戦況推移になっているだけである。

 圧倒的に押しきれぬ理由というのは、実に簡単だった。


「分体は使えねえのか……」

「そのようだな。あの五人、フランチェスコ様から全ての分体を預かってきているようだ。それほどまでの力をかけて、灰色の剣士を処分したいというのか? 神敵とは言え、やりすぎではないか」


 ウィクサールですら疑問を感じる采配であった。

 それゆえ、本来であれば戦場を圧倒できる、ビアジーニ兄弟を含め、執行者七名の投入という戦術が機能していない。


 執行者は、分体という強大な武器を扱う最強の戦力である。だが、同時に彼らはその装備に制限を受ける。

 外部に晒すように、ラグナリングを装着せねばならないのである。


 さらに、顔を隠すことを許されていない。

 祈りを捧げるには、天に向かって顔を晒す必要があるのだ。

 執行者自身は、分体を呼び出している間はそのコントロールに集中するため、無防備である。さらには、彼らの肉体は常人と変わらない。


 そのために、執行者と戦うときは、本人を狙うというのがセオリーであった。

 ちなみに、これらの制限は執行者の実力によって、変化する。その事については今は語るまい。


「やっぱり押し切れんな。死にたがりの騎士ども、真っ先にこちらの五人を狙ってきやがる。守るだけで手一杯だ」

「であれば、私が直々に前に出よう。先ほどからあの魔女めが、忌々しい動きをしている」


 ウィクサールが険のある目つきで見つめる先には、巻き起こる不自然な竜巻がある。

 それが戦場を横切り、ヴァイスシュタットへの侵攻を度々邪魔しているのだ。


 既に、灰色の剣士が分体たちと共に消えてから、四時間が経過しようとしている。

 あれほどの数の分体が相手をしているのだから、常識的な敵であれば既に倒されていると見るべきである。


 だが、依然として大量の分体をコントロールする五名の執行者は、集中を解いてはいなかった。

 その姿こそが、灰色の剣士が健在である事を意味している。


「全く……灰色の剣士とやらは、どれだけの化け物なんだよ。俺とやりあった時は、まだ辛うじて人間だった気がするんだが……手加減でもしてたってのか?」


 ラグナ教において、灰色の剣士と相対して生存していた者はドットリオただ一人のみ。

 彼の主観において、灰色の剣士は確かに人間であった。

 そのたかが人間に、人を超越した存在……ドットリオに言わせれば武器である、分体を大量に投入する事はナンセンスとしか思えない。


 だが現に、五人もの分体コントロールに特化した執行者を投入し、さらにはビアジーニ兄弟に振り分けられる分体の余裕すらないような集中投入を受けて、なおも生存している灰色の剣士。


「ええい除け、忌々しい騎士め!! な、なんだその動きは!」


 ウィクサールが、何者かと激しく打ち合っている。


 重厚な剣を担いだ騎士である。

 異形の構え。体勢が低く、狙いにくい場所から斬撃が襲い掛かってくる。

 ウィクサールは金属の棒を巧みに扱い、この攻撃をやり過ごす。

 一見して細身ながら、ウィクサールは鋼の肉体を有している。


 ドットリオが俊敏さなら、ウィクサールは剛力であった。

 いかに重い攻撃であれ、棒が折れぬ限りは防ぎきり、体勢が傾ぐこともない。

 守りから流れるような棒術で、騎士を殴り飛ばした。


「これでどうだ! なにっ、まだ立ち上がるか!」


 風の巫女の背後まで吹き飛ばされた騎士であったが、すぐさま立ち上がる。

 凄まじい衝撃に、ケラミスの鎧は欠け、腕も片方がぶらりと力なく下がっている。だが、騎士の目から闘志は失われない。


「オーベルトさん!」


「なに、ユーマ殿が戻るまで、我らがリュカ殿を守りきってみせましょうぞ」

「オーベルト様、助太刀いたしますぞ!」

「ダミアンか。気をつけろ。かの執行者、恐ろしい手練れだ」


 ウィクサールは苛立たしげに地面を蹴った。

 側面から襲い掛かってきた兵士を、棒の一撃で弾き飛ばす。


何故なにゆえ!! 何故に魔女をかばう!! そ奴は神敵ぞ! エルフェンバインとて、我らディアマンテと同じ神をいただくラグナの子! それが、何故に神の意志に背く魔女を守ろうとするのか!! そこな魔女がある限り、世界に人の時代は来ないのだぞ!!」

「知ったことか!!」


 オーベルトが叫ぶ。

 ウィクサールが、怒り任せに彼らに飛び掛ろうとする。すると、眼前に強烈なつむじ風が巻き起こる。


「魔女めぇ!!」


 人ならざる力を行使する魔女。

 古き宗教を信じる者は、彼女を巫女と呼ぶ。


 神への信心なしに魔法とも呼べる力を扱う彼女たちは、危険な存在である。

 何故なら、執行者とは類稀なる信心を持つ者たちから、特別に選ばれて力を与えられる存在。

 それそのものが信心の証であり、神の存在の証明である。


 だが、神に拠らず執行者と近しい力を振るう魔女。

 それは存在そのものが神を疑う行為であり、不信の証であった。

 故に、ウィクサールは彼女を許す事が出来ない。


「どけ、どけえい! おのれ、なんだこの風は! おのれ、おのれえええ!!」


 騎士を打っても、兵士を弾き飛ばしても、魔女にあと一歩届く事が出来ない。

 ならば、とウィクサールは矛先を変えた。

 魔女のすぐそばで、白い甲冑に身を包んで采配を振るう小柄な姿。


 あれこそが、ヴァイデンフェラー辺境伯であろう。

 魔女を守る以上、背教者に他ならない。


「背教者! お前に誅を下す!!」


 ウィクサールの長身が、地面を蹴る。

 兵士を蹴り倒し、凄まじい速度で前進した。


「むうっ!! 単身でここまで来るか、ビアジーニ兄弟……!」


 甲冑の中から聞こえるのは、若い女の声である。


「毒婦が!! お前は地獄へ落ちるであろう!! きええええ!!」

「お館様!? うわあああ!」


 また一人、立ちはだかろうとした騎士がウィクサールに蹴り飛ばされる。

 この執行者は、全身凶器であった。


 辺境伯は、逃げる素振りを見せない。

 彼女に武の心得は無い。素質も無い事を、自分がよく知っていた。

 だが、己の手足となる騎士たちのことはよく分かる。


 ウィクサールが己を仕留めている隙に、控えさせた騎士が一斉にこの執行者を討つ。

 自分が死んだとしても、ベルンハルトが指揮を変わるよう、備えもあった。

 今更命など惜しくは無いと、身を晒す……。


「だめえ!! シルフさん!」


 再びのつむじ風であった。

 大人一人を舞い上がらせるほどの、強烈な風だ。


「これはっ……!!」


 風に弾き飛ばされて、ウィクサールはなんとか着地した。そして魔女を見やる。

 彼女を守っていた風が、全てこちらにやってきている。

 ならば、と風に体勢を崩されながらも、ウィクサールは棒を構えた。


「魔女め、死ねえっ!!」


 棒を、投擲する。

 間には何も無い。

 狙い過たず、棒は魔女の小さな体を貫くであろう。


 魔女はじっとウィクサールを見つめながら、ぐっと、その手に何かを握り締めた。

 小さな木箱のようである。

 それが、灰色の剣士からもらった初めてのプレゼントであるなど、執行者は知らぬ。 


「ユーマ……!」


「いかん、ウィクサール、退け!!」


 ドットリオの叫びが聞こえた。

 俊敏さと共に、単なる勘の次元を超えた察知能力を持つ兄である。

 ウィクサールはすぐさま、その言葉に従う。


 脊椎反射にも似た動き。

 即座に背中にあった、予備の棒を展開して身構える。人間がなしうる限り、最速の動きであった。

 故に、辛うじて間に合った。


 魔女の眼前の空間に、僅かな亀裂が生じる。

 そこにあるのは、虹色の刃。

 これが、投擲された棒に触れると、まるで魔法のように棒の軌道が変わる。

 くるりと空中で回された棒が、投げ返されたようにウィクサールを襲う。


「こっ、これはぁーっ!!」


 己が投げた棒の勢いに打たれ、ウィクサールは地べたに転がることとなった。

 用意していた棒で受けたものの、返された棒も、受けた棒も双方が使い物にならぬほど曲がってしまっている。


「おのれええええっ!!」


 怨嗟の叫びをあげながら、長身が後方へ跳んだ。

 自軍の兵を足場のように使いながら、ドットリオの元へと戻っていく。


「聖別された杖であるというのに……! 私の杖を二本も……!!」

「まあ、無事で良かったってことだ。あの野郎。あちら側に閉じ込めたはずだが、何かきっかけがあれば手を出してきやがる。こりゃ、迂闊に魔女を攻められねえぞ……!」


 兵の数からすれば、ディアマンテは千ほど、エルフェンバインは六百余り。

 そう長引く戦ではない。


 ディアマンテの多くは正規兵と、強化された聖堂騎士である。

 兵士や騎士の寄せ集めに似たエルフェンバイン軍陥落は、時間の問題のはずだった。


 だが、戦場を吹き抜ける異常な風。

 ところどころでつむじ風が土を舞い上げ、視界を奪う。


 まともに戦える状況ではなかった。

 故に、ディアマンテは攻めあぐねる。


 ここに分体がいれば、一気に攻勢に転じる事も可能である。

 だが、全ての分体は、エルフェンバインの切り札であろう、灰色の剣士を押さえつける為に使われている。


「やべえな、日が暮れるぞ……! 戦える状況じゃなくなってきやがった」

「退け! 退けー!!」


 夜ともなれば、街灯など無い世界である。

 星明り、月明かりだけが地上を照らす。暗闇の中で自由に動ける人間などそうはいない。


 兵の数が多いディアマンテであれば、同士討ちの危険も生まれよう。

 ウィクサールの号令に合わせ、波が引くようにディアマンテ軍は退却を開始した。


「まだ……生きてやがるのか……!!」


 ドットリオは冷たい汗が流れ出るのを感じる。

 五人の執行者は、ぶるぶると震えながら未だに集中を続けている。

 分体は、ただの一つとてこちらの世界に現れない。

 つまり、灰色の剣士と戦い続けているのだ。

 不意に執行者の一人が目を見開いた。


「おっ!!」


 期待と共に、ドットリオは彼に注目する。

 直後、


「がっ……はっ……!」


 執行者の頭頂から股間まで、一直線に虹色の輝きが走った。

 その男は、縦に二つ、分かたれて事切れる。


「……化け物が……!!」


 灰色の剣士を倒すどころではない。

 あの無数の分体を相手取り、かの男は、押している・・・・・


「畜生が、退いてる場合じゃねえぞ、これは! ウィクサール! 聖堂騎士を集められるだけ集めろ! 俺たちで仕掛けるぞ!!」


 今まで後衛で構えていたドットリオが動き出す。


「よし、聖堂騎士よ! 我らに続け! 神敵を粉砕する!」


 夕闇に染まりつつある戦場。

 足元とてよくは見えぬ世界での突撃である。

 正気の沙汰ではない。


 だが、これはディアマンテにとっては必然の攻撃であった。

 少なくとも、ドットリオは灰色の剣士が帰ってくると予感している。

 その前に、決着をつけねばならない。


「来るか、狂信者ども!!」

「畜生、こっちはボロボロだってのによ……!」


 騎士、従者、生きている者たちは既に満身創痍である。

 ヴァイデンフェラー辺境伯もまた、戦いの中で欠けた兜の下で覚悟を決める。


「夜を待つ事ができれば、あるいはと思ったが……。やはり、思うようには行かぬな。者ども!! こちらも仕掛ける! 私に続け!!」

「おう!」


 戦意が衰えぬ騎士が、従者が、辺境伯に続く。

 彼らの後ろでは、青ざめた顔をしたリュカ。

 唇にも血の気は無い。


 連続して、シルフを血と鉄が飛び交う戦場で行使した結果である。

 精神はすり切れかけ、気を抜けば意識をなくしてしまいそうだ。

 だが、彼女は唇をかみ締めて、戦列に加わろうとする。


 ふと、リュカの視線が戦場に向いた。

 あの方向を見なければならない。

 そんな思いに駆られたのである。


 視線の先で、並んでいた五人の執行者は、数を四人に減じている。

 その首が、一つ、二つ、三つ。

 宙に舞う。


 そして、最後の一人が目を見開き、


「おおおっ、神よ、お許しくださいっ……!!」


 叫ぶなり、黒衣の中央から赤い飛沫を噴いて倒れた。

 一瞬、ほんの一瞬である。


 日が今にも山間に消えようとする戦場で、沈黙が訪れる。

 誰もが、その場所を見ていた。


 執行者たちが倒れた戦場の只中。

 次の瞬間、そこに、いなかったはずの者が出現している。


「…………!!」


 リュカはぎゅっと、木箱を握り締めた。

 それは、黒く焦げた灰色のマントを身につけ、だらりと下げた手には、中身の入った水袋。


 腰には鞘に収まった剣。

 服のあちこちはほつれ、破け、薄汚れていた。

 ぼさぼさになった髪の下、目だけが爛々と光る。


「ユーマぁっ!!」


 リュカの声が響く中、男は空いた手を振って見せた。

 小さく、口の中だけで呟く。

 一人のときのように饒舌ではない。


「夜かー……。腹減ったなあ……」


 灰色の剣士。

 あるいは、戦士ユーマ。

 万にも及ぶ分体を退けて、帰還する。

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