第24話 熟練度カンストの拘束者
報告を受け取ったのは、長身の男である。
くすんだ金色の髪を肩口で切り揃えたその男、フランチェスコは、己のラグナリングを摘み上げた。
リングを杭が貫く意匠のこれは、ラグナ教のシンボルである。
だが、フランチェスコにとってのラグナリングは、ただの象徴以上の意味を持つ。
「
フランチェスコの言葉は、ところどころ複数の意味が混ざりあって聞き取りづらくなっている。
彼の詠唱が終わると、突如、ラグナリングを中心に眩い光が発生した。
フランチェスコは少しも動じない。まるで、これが当然であると言わんばかりだ。
「聞け、
『は、ははっ、フランチェスコ様』
光の中から響いた声は、灰色の剣士を追って国境を超えた刺客、ドットリオのものである。
「準執行者四十名が死亡したとの報告、確かに受け取った。同時に、それこそがヴァイスシュタット近辺に灰色の剣士が滞在しているという証左である」
声色はあくまで冷徹。
準執行者と呼ばれる、執行者になりきれなかった半端者が幾ら死のうが、気にする様子すら無い。
彼の発する言葉には、殉教者たちへの祈りすら感じられなかった。
「これは好機である」
『好機、と言いますと』
「敬虔なるラグナの巡礼者が、四十名も殺されたのだ。これはエルフェンバインがラグナへの、いや、ディアマンテ帝国に対して敵対する意思を示したのだと言えよう」
『は、ははっ』
「正規執行者五名、及び
『は、ははーっ』
告げた後、フランチェスコは手続きを行う。
傍から見る者には、何をしているのか判別もつかない作業だ。
虚空を叩く彼の指先で、触れられた空間だけが四角く光り輝き、消えていく。
まるで小さな鍵盤を叩いているようだ。
やがて、フランチェスコの周囲に五つの光が発生する。
『承りましてございます。大司教猊下』
『これほどの数の分体を賜ることが出来るとは……光栄の極み』
『必ずや、我らが篤き信仰にて灰色の剣士に誅罰を下してみせましょう』
『彼奴がいかに人外の技を振るう剣士であろうと、異界に放り込んでしまえば』
『己以外全てが敵である世界で、灰色の剣士は永遠にその生命を終えるでしょう』
五つの声である。
フランチェスコが呼び出した執行者たちであった。
彼らは既に、何らかの手段で司教からの
同時に、灰色の剣士を打ち取るための策をも下賜されたようであった。
「例え、分体を斬ることが出来る剣士であろうと、人間であることは変わらぬ。人であれば自ずと限界もあろう。戦い続ければ疲れもする。精神とて摩耗する」
フランチェスコは言葉を紡ぐ。
「休ませること無く、助けとて来ない異界にて、剣士を攻め続けよ。無数の分体で押し潰せ。風の巫女など、剣士さえいなければいつでも殺すことが出来よう。汝らが行うは、灰色の剣士の封印、抹殺。ディアマンテの外へ派遣可能な全ての分体を与える。これを以って、神敵たる灰色の剣士を滅ぼせ」
『御意!!』
光が消えた。
続いて、今までとは様子の違う光が灯る。
どうやらこれはフランチェスコの意思に反する動きと見え、彼の眉尻がピクリと動いた。
『苦心しているようだが、ラグナ
「アブラヒムか」
フランチェスコは、ただでさえ乏しい表情をその顔から完全に消す。
『まさか、フランチェスコ管理官が誇る最大勢力が、たかだか個人にてこずるとは思えないが……我らの教えは寛大だ。条件を飲めば力を貸してやらないことも無いが?』
「消えよ。貴様のそれは敵対的教義である」
『同じ神を奉じる仲だと言うのに、けんもほろろだな。その言葉、後悔するなよ』
「私は主席、貴様は次席管理官。ザクサーンなど、ラグナに次ぐ教えである。身の程をわきまえよ」
『くはは、良かろう。俺はせいぜい、貴様の作戦が上手く行く事を祈っておいてやるとするよ。おお、我が神は偉大なり。我が神は寛大なり。通信終わり』
光が消えた。
完全に闇へと返った空間である。
フランチェスコは何事か唱えると、指先から小さな炎を呼び出した。
燭台に火が灯る。
「ありえぬよ。いかな異能者であろうと、個人が抗える規模ではない。彼奴は檻に囚われた禽獣に等しい……」
どこか空ろに、フランチェスコは独白した。
遠く離れたエルフェンバインの地にて、戦端は開かれる。
ディアマンテから派遣された軍隊は、名目上は巡礼者たちの死体を取り戻すための奪還部隊である。
通常の兵士たちが多いが、それらの一角に異形の装備に身を固めた一団が存在する。
聖堂騎士と呼ばれる、ラグナ本教会が有する表向きの最高戦力である。
ディアマンテでは強化兵と呼ばれ、
聖別された装備の数々は、信者たちがそれを讃えて謳う神聖性とは逆に、いかにも禍々しかった。
「おお……!! 大司教猊下は我らに、神敵を討てと力をお授け下さったのだ! これも神の愛!」
大仰に天を仰ぎ、大声を響かせているものはウィクサール。
すぐ横で苦虫を噛み潰した顔をしているものがドットリオである。
彼ら、ビアジーニ兄弟がこの戦いを指揮する事になっていた。
二人の前には、それぞれ黒衣に身を包んだ、無個性な五名の男が佇んでいる。
本教会から遣わされた執行者であった。
「おうおう、完全にイっちまった目をしてやがるぜ。フランチェスコの野郎に頭の中をいじられてるのか」
誰にも聞こえないように呟く、ドットリオ。
「さあ、ドットリオ殿。開戦の狼煙を」
「悪逆なる背教者めに、鉄槌を下すのだ」
「さあ、さあ」
熱に浮かされたような彼らの物言いを聞き、うんうんとウィクサールが満足気に頷く。
「聞いたかドットリオ! 彼らは敬虔な信者だ! この聖戦の意味を誰よりも理解している! さあ、神に捧げる戦いの幕を上げる時だぞ!」
「ああ、仕方ねえな。よし」
ドットリオは腹をくくった。
声を張り上げる。
「これより、巡礼に赴いた我らが友の命を、残忍にも断った悪逆の徒との戦いを始める! これは神の意志! 神の御心! 我らが戦いは、背教者どもへの天罰である!」
「おおおー!!」
歓声が上がる戦場。
まともな判断力をしている者は、もういない。
戦場という熱に浮かされ、あるいは教会から与えられた薬品の類で、闘争心だけを強化されている。
対するは、国境の町ヴァイスシュタット。
ディアマンテとエルフェンバインを繋ぐ交易の町でもある。
だが、エルフェンバイン側にあり、国境に面しているこの町が無防備であるはずは無かった。
たちまちの内に、白く輝く障害物が町を包み込んでいく。
ラグナ教徒の目には、それは魔法と映った。
「ヴァイデンフェラーのケラミスの盾か……! 面倒な戦いになりそうだぜ……」
ドットリオは呟いた。
かの盾は、矢を跳ね返し、槍を通さず、槌で割ることも難しい。
ケラミスが重層に重なった部分では、執行者が操る分体ですら、容易に抜く事が出来ない。
「だが、長期戦になれば必ず奴はやってくる。逃げ出すならばそれまでのこと。この町を頂いちまえばいいって訳だ」
あちらこちらで、戦いの音が響き渡る。
「来やがったか」
ドットリオは、端末として鳩を扱う執行者である。
信心は薄かったが、実力のみに限れば、並み居る執行者たちの中でも上位に位置する。
彼が使う鳩は、瞬間、見覚えがある男の姿を視界に入れていた。
灰色のマントを纏って、騎士の後ろにへばり付いている。
虹色の髪を赤毛に染めた巫女も一緒である。
「……まずいな。巫女がいるか」
「何!? では、剣士も巫女も諸共に葬る事が出来る好機ではないか!!」
「能天気なもんだなウィクサール。戦場に精霊どもが介入するということだぞ」
ドットリオは、後衛に控えさせていた聖堂騎士に命令を下す。
「神敵、ヴァイデンフェラー辺境騎士団が来たぞ! 行け!!」
「神のご加護を!!」
咆哮をあげ、聖堂騎士たちは動き出した。
彼らは一路、向かって来るヴァイデンフェラー騎士団にぶつかっていく。
エルフェンバイン王国において、鼻つまみ者の集団であるヴァイデンフェラー騎士団。噂によれば、ヴァイデンフェラー辺境伯自身が貴族の生まれではなく、それどころか王の庇護がなければ処刑されているような立場の人物であると聞く。
その辺境伯が集めたのは、王国各地で燻っていた、平和な時代にそぐわぬ荒武者ばかり。
「だが、所詮は人の技。俺たちラグナの戦士は止められんぞ」
故に、ドットリオが警戒するのは灰色の剣士ただ一人。
そのはずであった。
しかし、戦況は思わぬ様相を見せる。
人を超えた戦力を持つ聖堂騎士であるが、彼らがぶつかった騎士団は、それぞれ個を持って聖堂騎士に当たったのである。
一人は大剣、一人は大槍、一人は小剣、一人は重剣。
聖堂騎士とヴァイデンフェラー騎士団がぶつかり合う戦場にて、ぴたりと戦いが拮抗した。
「おかしい……。情報よりも強くなってやがる」
「では、私が直々に出よう!!」
ウィクサールが戦場へ駆け出していく。
すると。
あわせたように、猫背の男が歩いてきた。
戦場を悠然と、鎧もまともに身につけぬ姿でやってくる。
丸腰。
そう見えた影が、気付くと虹色の剣を佩いている。
「灰色の剣士!! ここで
ウィクサールが棒を構え、灰色の剣士と相対する。
彼に続く、執行者五名。
「天に在す我らが神よ!!」
「忠実なる信徒、我ら五名が乞い願い奉る!!」
「神敵に抗う力を!」
「我らが身命を持って、賜らんことを!」
「顕現、多重分体!!」
五名は、戦闘力を持たない。
ただ、この任務のためにフランチェスコによって調整された執行者であった。
天に捧げる祈りの言葉に答え、空から光が降り注ぐ。
幾重にも降り注ぐ。
それらは、五名の周囲に無数の巨人を生み出していく。
戦場の半ばを覆わんとするほどの巨人だ。
ヴァイスシュタットから驚きの声があがった。
命知らずのヴァイデンフェラー騎士団すらもが、一瞬動きを止める。
聖堂騎士たちは、神々しい光景に我を忘れた。
「神敵、隔離!!」
五名が叫ぶ。
無数の分体は、ただ一人の敵。
灰色の剣士目掛けて指先を伸ばす。
次の瞬間だ。
全ての分体と、灰色の剣士の姿が消えていた。
「よしっ……! 奴を隔離できたぞ!!」
ドットリオは、フランチェスコの策が成ったことを確信した。
そして同時に……何か嫌な予感を感じるのであった。
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