第9話 熟練度カンストの標的
鳩が舞い降りたのは、薄桃色に色づくローゼオ海に面した、西方最大の帝国ディアマンテ。
ラグナ教の総本山でもある教皇領を有し、幾多の巡礼者たちがこの地を訪れる。
だが、ラグナが狙うは教えが生まれた土地。
聖地であった。
聖地はザクサーン教徒が多数を占める、南西の帝国、アルマースが所有していた。
今、ディアマンテとアルマース国境付近は緊張状態が続いている。
いつ争いが起こってもおかしくは無い状況だった。
白髪を後ろに撫で付けた老人が、空に手をかざす。
鳩はあらかじめ決められていたかのように、その上に降り立った。
口には、突き刺すようにして丸いものを咥えている。
目玉である。
「おお。チェザーレめ、死におったか」
チェザーレは彼の手駒である。
幾人か抱える、魔法を行使できる司祭。
その一人であった。
だが、彼の口調には部下の死に対して感情を動かした色など無い。
ただただ、意外そうであった。
「はて……あの地方に、神罰執行者を下す程の人間がおったかな……。執行者の末席とは言え、チェザーレは分体召喚魔法の使い手。並の人間では抗うことすら出来ぬはずだが……」
「然様でございますな枢機卿猊下」
白髪の男を枢機卿と呼んだのは、司教の衣を纏った男である。
くすんだ金色の髪を、肩口の長さで切り揃えている。背は高く、肩幅が広い。首から下がったのは、純金で作られたラグナリングであった。
「執行者と対抗できる者は、ザクサーンの聖戦士か、エルドの導き手に限られましょう。時折、人の中にこれらに及ぶ例外、変異体が現れますが、例外と呼べる程度の少数。しかしこの状況……」
「フランチェスコ殿、彼の地にその変異体が現れたと?」
「執行者は人間の手に負える存在ではありません。なれば、変異体が執行者を下したと考えるのが自然でしょう」
場には、数名の司教が揃っている。
彼らは、ラグナ教団にて異教討伐を主導する、グレゴリオ枢機卿の派閥であった。
「鳩をお貸し願えますか?」
フランチェスコの言葉に、手にした鳩をグレゴリオは手渡した。
司教の手のひらの上に止まった鳩は、咥えていた目玉を落とす。
「フランチェスコ殿、これは?」
「うむ、これはチェザーレの目玉にございますな」
「ひっ」
フランチェスコの言葉に、司教たちは慌てて後退した。
数日を掛けて飛翔してきたためか、目玉の表面は干からび、一部は鳩のお弁当にされたようで欠けていた。
手に載せた目玉を、フランチェスコは用意された台座の上に転がす。
「ここに、チェザーレの記憶が保存されております。猊下、よろしいですか?」
「うむ」
グレゴリオが許可を出した。
では、と目玉に手をかざすフランチェスコ。
「
フランチェスコの言葉は、ところどころ複数の意味が混ざりあって聞き取りづらくなっている。
この発音を行える者は、現在フランチェスコしかおらず、それ故に執行者の第一人者たる彼は、司教にして次期枢機卿の第一候補であると呼ばれている。
そうなれば、フランチェスコが推すグレゴリオ枢機卿が、次代の教皇であろうとも言われていた。
天から光が降り注ぐ。
ここはラグナ教本教会が有する宮殿。
その一室だ。
広大なテラスへ続く窓は大きく開け放たれている。
だが、光は窓ではなく、燭台を吊り下げた天井をすり抜けて出現した。
「おお……これはなんとも」
「美しい輝き……」
司教たちの言葉の中、フランチェスコは光に向かって手を伸ばす。
「
映し出す光景。
目玉が切り開かれ、そこから実体化した映像が浮かび上がる。
視界の先には、精霊を呼び出した村人たち。
音声は無いが、突き出されたチェザーレの手指が見える。
これは、分体を召喚するところであろう。
その予想通り、光が視界を包んで分体が降臨する。
分体はその力を遺憾無く発揮し、村人を精霊ごと蒸発させる。
「おおー」
「流石ですなあ」
「やはり分体の光は神々しい」
その後、順調にチェザーレは反抗力を持った村人を処分していく。
ほとんどの精霊が分体によって消滅させられたと思った時だ。
何かに気づいたのか、チェザーレの視界が背後に向く。
やや離れた焼け焦げた畑に立つ、巨大なハンマーを振り上げた、大柄な聖堂騎士の背中。
一瞬画像がぶれたように見えた。
いや、ぶれたとしか思えなかった。
何故なら、そこにいたはずの騎士が消滅したからだ。
「なんだ、これは。
「フランチェスコ殿?」
聖堂騎士が消えた後、そこに立っていたのは小柄な男である。
灰色の衣装に身を包んでいる。
剣は抜いていない。
「ああっ、あれは、魔女ですぞ!!」
「魔女がそこに!?」
「なるほど、司祭は魔女にやられたのか」
司教たちが盛り上がっている。
小柄な男に隠れるように、虹色の髪の娘が認められたのだ。
何を言っているのか、馬鹿者どもめ。フランチェスコは彼らの無能さに怒りを禁じ得ない。
精霊という、土着の精神体と意思疎通を可能とするのが、ラグナ教が魔女と称する存在だ。
ラグナは魔女の生存を認めていない。そのため、魔女であれば火刑などに処されて殺されることになる。
故に、今では魔女は、何らかの理由で教会に逆らったり、ある意味庶民の中で悪目立ちしてしまった人間がそのレッテルを貼られるものとなっている。
こういった形で、庶民の鬱憤を晴らすために幾多の魔女が処刑されてきた。
処刑とは、大衆の眼前で行われるショーである。
「しかし、魔女が特殊な力を持っているなど……」
馬鹿者が。本来、特殊な力を持つ者が魔女なのだ。
だが、それでも分体を有する執行者に勝てるものではない。少なくとも単体では不可能である。
フランチェスコは、それ故にこの男に注目する。
灰色の服を身に着けた、この冴えない小男である。
その姿からは、なんの覇気も感じなかった。
だが、次の瞬間。
チェザーレが命じた通り、兵士たちが彼に群がった時だ。
彼の気配が一変した。
三百にも及ぶ兵が、まるで蟻の群れを蹴散らすが如く処理されていく。
一振りで数十名が切り倒される。
切り傷をつける、衝撃を加えて戦闘不能にする、などという次元ではない。
文字通り、両断される。
一時は男の冴えない姿を揶揄していた司教たちも、すぐに押し黙った。
むしろ、恐怖の感情すら漂わせている。
それは、この男がただの一振りで、聖堂騎士三名を倒した時にピークとなった。
「化け物……!」
「悪魔、悪魔だ……!」
「ぬう……」
グレゴリオすら、呻き声を漏らす。
映像の中で展開する光景は、それほどに、彼らの常識を超えていた。
そして呼び出される分体。
「し、執行者の分体ならば、勝てる!」
「そうですぞ! 分体に勝てる者などいるわけが」
チェザーレはこの男に敗れたのだ。
だからこそ、奴の目玉がここにある。
フランチェスコは現実逃避する司教たちを無視する事に決める。
じっと、男の動きを分析すべく、目を凝らした。
分体が光を放つ。
分体は召喚された時点で、召喚者である執行者と視界を共有する。
分体は、それ単体で一国をも滅ぼすことが出来る能力を持つとされている。
顕現時間が僅か十秒ほどしか無いため、それを実現することは出来ないが、長時間連続して召喚が可能であれば、これだけでラグナ教は世界を制することも出来るであろう。
ちなみに召喚できる回数も、一日に三度から五度程度である。
それ以上は執行者の身がもたない。
今、分体の視界を用いて灰色の衣装を纏った剣士が映し出される。
彼は悠然と佇む。
放たれる光線。
触れるものをことごとく焼き尽くす裁きの光だ。
これを、剣士は、
フランチェスコはそれを、はっきりと理解した。
光が到達するよりも速く抜き放たれた剣が、光線を両断する。
光線は力を減衰され、消滅。
消え行く光の中を進んできた剣士が、刃を上に掲げた。
視界が上下にずれる。
直後、チェザーレの視界に戻った。
分体が撃破された。
その事実だけが明らかになる。
「…………」
「…………」
司教たちは声を出さない。
否、出すことが出来ない。
チェザーレは最後の手段を使用する。
視界が赤く染まっていく。
命を賭して使用する、魔法の副作用である。全身の血管が破裂し、死に至る。
その視界の中。
空が割れて、極太の輝きが落下してくる。
これを、剣士はまた、
そして、チェザーレはこの光景を最後に、意識を途絶えさせる。
死んだのだ。
「馬鹿な……。何者なのだ、この剣士は」
グレゴリオが、かすれ声を絞り出した。
「フランチェスコ。執行者は最強なのでは無かったのか? 少なくとも、このディアマンテにおいて、執行者を倒せる者は存在せぬと。これが、変異体という者なのか……?」
「失礼ながら猊下」
フランチェスコは手のひらを戻す。
天から注いでいた光は消えた。
あらゆる情報を引き出された目玉は、かさかさと灰になって崩れる。
「あれは、そのような生易しい存在ではございません」
見たことも、聞いたことも無い。
兵士や聖堂騎士のみならず、執行者を分体ごと容易に打ち倒す存在。
これを表現する言葉を持たなかった。
故に、今はただストレートに彼の姿かたちを以って、名とする。
「正確な呼称はできません。ただ、今は灰色の剣士としか」
「灰色の剣士……!!」
場がざわめく。
魔女を守るべく、現れた存在。
それがラグナ教にとって味方であるはずがない。
敵である。
強大な敵だ。
「ならば……討ち取れ」
「御意に」
かくして、戦士ユーマは、その存在を認識されることとなる。
これはどこにでもある、世界の裏舞台。
だが、その闇に蠢く魑魅魍魎が、彼を敵だと認識した。
世界を巻き込む騒乱の始まりであった。
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