第8話 熟練度カンストの洗濯人
目の前にあるのは、川であった。
なだらかな丘陵を、木々を掻き分けながらひたすら登っていた俺とリュカ。
道などというものは無く、見渡す限りの森、森、森である。
「何故道を移動しないんだ」
自然のままの森の中を移動するということは、大変に体力を消費する。
まともな人間であれば、まずやらないであろう選択である。
だが、リュカは常に森や林を突っ切ることを選択した。
この日、ついに俺は抱いていた疑問を彼女にぶつけたのである。
いや、このワイルドな移動方法のお陰か、急速に体力だけは付いていっているのだが。
「街道は、ラグナ教徒ばかりだよ。とても危ないの。ユーマは強いけれども、移動するたびに戦うことになってしまったら大変でしょ」
「ごもっとも」
俺は大変納得した。
まず、リュカは目立つ。
虹色に反射する銀髪など、そうそうお目にかかれるものではない。
ネットで見たコスプレイヤーだって、これほど奇抜な髪色には出来まい。
さらに、カラコンでは再現できぬであろう、やはり文字通り虹色に輝く虹彩。
基本の色はグレーに近い銀色なのだが、これが光を反射すると極彩色なのだ。
これほど目立つ少女がいるだろうか。
いや、いまい。
反語だってしてしまう。
あと可愛い。目立たないはずが無い。
「あっ」
先行していたリュカが声をあげた。
何かを見つけたのだろうか。食べ物だろうか。
「川がある」
川を発見したのだった。
ということで、冒頭に戻る。
「何故、服が汚れないのだろうか……」
俺は、元の世界から持ち込んだ所持品であるジャージ一式を引っ張って呟いた。
ずっとこれを着ているのだが、常にパッとしない灰色をしている。
血糊が降り掛かっても付着せず、ずっと綺麗なままだ。
いや、綺麗ではない。俺が部屋で着用していた、あの時のままだ。
これは、俺が持って来たピンクのトイレスリッパにも言える。
森の中を踏破するというハードな道行にも関わらず、リュカはトイレスリッパを使用していた。
凸凹を越え、木の根を踏み、石が連なる場所を駆け抜けても、トイレスリッパはピンクでもこもこのままであった。
もしやこれは……。
異世界に転生したり転移した者は、チートと呼ばれる力を手にすることがあると聞いている。
俺のチートは、汚れないジャージとスリッパなのではないか。
なんということだろう。
なんとみみっちいチートなのであろうか。
「そろそろ汚れてきたから、洗わないとなあ」
そんな俺の横でリュカが呟いた。
「よいしょ」
貫頭衣を無造作に脱ぐ。
なるほど、リュカが身につけていた貫頭衣は、布の中心に穴を空け、二つに折ってその両端を縫ったものだ。腕が出る部分だけを残して縫ってあるのだが、膝上十数センチは、俺の足に巻く布として切り取っているからちょっとしたミニスカートである。
これもずっと身につけているのだが、さすがに汚れが目立ち、ほつれも見えるようになってきた。
素材は麻だろうか。
あと、下着とかつけてない。
「アーッ」
俺は叫びながら腰を抜かした。
女子の裸である。
生まれて初めて見た。
「ユーマも服を脱いで。洗おう?」
だが、物怖じしないリュカである。
おお……。何やら逆光が差し込んできてよくは見えないのだが、胸元はささやかに、しかし腰周りに向かってほっそりとして、思っていたよりもしっかりと安産体型っぽい部分へ繋がっているではないか。
「ナンマンダブナンマンダブ」
俺は拝んだ。
なんとありがたい。
ありがたいものを見せて下さるんじゃー。
寿命が延びた心地じゃー。
「ほら、脱いで脱いで」
「あっ、ご無体な」
俺はジャージの上と下をリュカに脱がされ、やはりすっぽんぽんになってしまった。
仕方ない。こうなれば覚悟を決めるしかあるまい。
やってやろうじゃないか。
洗濯を。
ごしごしとこするのである。
水につけて、染み込んだ汗やら何やらを洗い落とす。
俺のジャージは問題ないのだが、リュカの貫頭衣は、汚れが出てくること出てくること。
「見事なものだなあ」
「汚れてたねー」
のんきに言いながら、二人でざぶざぶと洗濯する。
互いに裸は精神衛生上よろしくないということで、俺は何か体を隠すものを要求した。
そこでリュカが持って来た、傘になりそうなサイズの葉っぱに穴を空け、服のように着込む俺たちである。
裏に毛が生えた草が、思ったよりもふかふかしていて気持ちよい。
「スリッパも洗おうねー」
ピンクのふかふかが水を吸い込んでしんなりしている。
ペットのふかふかした犬が洗ったら思ったよりもほっそりして驚愕するあの感覚だ。
かくして、俺たちの衣装は完全に水洗いされてしまった。
枝に引っ掛けて、乾くのを待つ。
その間、俺とリュカは葉っぱを頭から被った状態である。
「大変原始的な格好だな」
「川があって良かったねえ」
えっ。
リュカ的には、この裸に限りなく近い状況を良かったね、という事なのか。
この娘は一体どれほど野生児なのか。
森の中で食べられる植物や木の実、きのこを熟知しているし、薬草の類に関する知識と食べられるように加工する技術も一流。
彼女に言わせると、
「シルフさんが教えてくれるけど」
ということなのだが、それが本当だったらシルフは有能すぎる。
だが、今夜ばかりは早く服も乾かしたいし、何より川沿いだということで。
「火を起こそうか」
リュカの言葉で、本日は焼き物で夕食とする事になった。
先日のトウモロコシ以来である。
俺は大変興奮する。
「肉か魚が食べたい……!」
「え、私、漁とか出来ないので」
野生児リュカにも苦手な事があったのか。
というか、動物を狩る事が出来ないから、今まで食事が植物性だったのだなあ。
よし、ここは俺がいいところを見せてやろう。
俺はざぶざぶと川に入っていった。
そして水に足を取られて、
「たすけてえ」
「ユーマー!」
流された俺は、飛び込んできたリュカに助けられた。
いやあ、川って本当に怖いものですね。
お腹を下すし流されるし。
ということで、川の半ばを泳ぎまわる魚を獲ろうと思っていたが、それは諦めた。
岩の陰にいる魚を狙おう。
だが、はたと気が付く。
どうやれば、魚がいることを知れるのであろうか。
水面に顔をつけて覗く……?
いやいや、俺は顔を水につけるのが怖いタイプなのだ。
そんな恐ろしいことは出来ぬ。
というよりも、頭から水に落ちたら溺死する自信がある。
俺は誰よりもひ弱なのだ。
俺が情けない顔をして、岩場の上でじっとしていると、リュカが隣から水面を覗き込んだ。
「少しだけ手助け、してあげる」
出来の悪い弟を、仕方ないなあと手伝う姉の如く、彼女は眉をハの字にして微笑む。
「シルフさん、お願い」
彼女の囁きに答え、風の乙女が姿を表した。
俺の手のひらほどの大きさの彼女たちは、くるくると水の上で舞い踊る。
風が、シルフが踊る中心の空間へ流れ込んでいった。
そこに、ぼんやりと光景が映り込む。
これは……分厚い空気の層を使って、光を曲げているのか。
俺がいる岩場の下の風景が見える。
魚だ。
「ありがとう、感謝する」
意味が重複するような事を言いつつ、俺は手のひらでリュカを遠ざけた。
あまり派手に自然破壊するのもよろしくはない。
なら、岩場を切り刻むのはやめておこう。
狙うのは、川面の……この辺り。
俺は狙いをつけた場所に、剣を打ち込んだ。
一瞬、そこだけ水が割れる。
モーセの十戒で有名な、あのシーンのようだ。
これにはコツがあり、特定の角度で、水が流れるよりも速い速度で水面を切り開くと、水が裂かれた事に気付かず、少しの間この空間が開いたままになるのだ。
俺がゲーム中で発見した裏技だった。
これが通用するということは、この世界もあのゲームに近いのかもしれない。
やがて、水は己が切り裂かれた事に気づき、戻ろうとする。
この復元力に引っぱられて、岩陰にいた魚が姿を現した。
その瞬間を狙って、跳ね上げる。
一つ、二つ、三つ。
三匹もいれば充分だろう。
よくわからない、赤と緑色の混じった川魚であった。
大きさは30センチ位だろうか。なかなかでかい。
連中、一瞬呆気に取られたように大人しい。
ここで、暴れだす前にさくさくととどめを刺していく。
奴らの神経が集まる部分を切ってやれば、死なないまでも動けなくなるのだ。
「凄い、さすがだね」
リュカが弾んだ声を漏らしながらやってきた。
手には、ちょうどよい長さと太さをした枝が三本。
もう焼く気である。
しかし、火の気は?
俺の疑問はすぐに解消された。
リュカの背後、川べりに集められた細い木々と枯れ葉の上で、シルフたちが踊っている。
見たこともないような高速のダンス。
風が木の葉を捲き上げ、こすり合わせ、凄まじい摩擦を呼んでやがて火が起こる。
一瞬、激しい摩擦で稲光のようなものが発生して見えた。
これは、案外物凄い事をやっているのかもしれない。
地面に枝を突き刺し、いい感じに焼きあがるまでしばらく。
川の水は、すっかり濾過する方法を覚えた。
近場の地面を掘って、浸透してくる水をすくって、リュカが教えてくれた殺菌成分のある草の汁を入れて飲む。
ひどい味の水になるが、これしか飲み水が無いんだから仕方がない。
そんな事をしていたら、魚が焼きあがったようであった。
今日の食事は木の実とキノコと焼き魚。
タンパク質万歳!!
「うめえうめえ」
「おいしいおいしい」
リュカは普通にガツガツと焼き魚を食っていた。
漁や猟はしないのでは無かったのか。宗教上の理由で肉食しないのかと思っていたが。
「動物直接狩るのは、シルフさんが嫌がるの」
そういう理由だったか。
風に血が混じると、鉄の臭いが付くためにシルフは狩りを嫌うのだそうだ。
だから、彼らを戦闘に使うことは基本的にやらないとか。
で、まあ、飯が終わったら、トアールという種類の木の枝を使って歯磨きである。
枝の中の繊維が、樹皮を剥くとボサボサっとはみ出してくるタイプの木で、これでゴシゴシ磨く。
この世界、虫歯で死ぬ人間も多いとか。
思えば俺は、歯磨きはサボりがちだった気がする。
これはまずい。
「明日の朝には乾いてると思う。じゃあ、おやすみー」
リュカは一足先に歯磨きを終えて、こてんと横になった。
……今、彼女の足元に回れば、穿いてない訳だから丸見えなのではないか。
いや、ずっと貫頭衣であるわけだし、常に穿いていないとも言えるのだが。
俺はしばらく葛藤した後、ぐうぐうと寝息を立てているリュカの足元へとカサコソ這いずりながら進撃を開始した。
来た。
見た。
拝んだ。
「ありがたや……ありがたや……」
そして、妙な達成感を胸にしつつ、俺も寝るのであった。
そろそろ、リュカの村への到着であろう。
しっかり睡眠時間を取り、英気を養っておかなければ。
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