第6話 熟練度カンストのオムツァー
少しばかり、時を戻す。
突然だが、オムツァーとは何か。
まず、俺はボトル派という比較的メジャーな派閥に属するニートゲーマーであった。
席を立つことを良しとせず、使用済みのボトルを以ってして、用を足す。
これがボトル派であり、ボトラーである。
では、それを踏まえて最初の設問に戻ろう。
オムツァーとは何か。
オムツァーとは、オムツを身につける事を選んだ少数派の呼び名である。
彼らの歴史は古い。
かつて、人はボトラーという存在を恐れ、
トイレに行くという、人間として当然の行為を否定し、この先端の狭き透明な容器に、己の不要な水分を排泄する狂気に恐怖したのである。
我らボトラーには様々な仲間が存在する。
それらは検索すれば次々と現れるであろうから、この世界の奥深さを知って欲しい。
少なくとも俺は、垂れラーやホースメンにはなりたくない。
人としての最低限の尊厳があると思うからだ。
そして、オムツァーとは、そんな我らボトラーのルーツとも言われる存在である。
彼らはボトルを用いぬ。
彼らが使うのは、その名が体を現すが如し。
オムツであった。
「うおー」
俺は木陰で泣いた。
下は大変な事になっている。
あれだ。
洪水である。
この世界の生水を口にした俺は、見事にお腹を壊していた。
これは由々しき事態である。
思えば、上流から流れてくる川の水であった。
何がそこに混ざりこんでいるかも知れぬ。
これを、お肌も軟弱なら胃腸も軟弱な現代人が口にしたならどうなるか。
しかも、水道水がそのまま飲めるという、世界でも極めて清潔な住環境管理社会に暮らし、胃腸のケアいらずな日本人である。
結果はご覧の有様だった。
少し歩いては木陰で花を摘み、もう少し歩いては木陰で花を摘む。
俺は脱水症状になるところであった。
これはいけない。
死んでしまう。
俺がこの世界に降り立ってから、最初に出会った危機であった。
「ユーマ、だいじょうぶ……? 水がだめだった……?」
心配そうに俺の背中を撫でてくれるリュカ。
さては天使か。
だが、漂うアレな臭気の中で堂々と近づいてきて、こうして撫でてくれるのはちょっと勘弁して欲しい。
どうして気にしないのか。
気にならない系の豪胆な女子なのか。
包容力があって、ちょっとくらいのダメな男なら受け入れてくれる母性愛に満ちている慈母系女子なのか。
個人的には後者を押す。
リュカは少し考えたあと、近くの草を見渡して、そのうちの一つを抜いて持ってきた。
「それじゃあ、この草を食べながらいくといいよ。これは、お水を飲めるようにしてくれるから」
「こ、こういうことはあるのか」
「井戸の水しか飲んでない人が、川の水を飲むとたまにそうなるよ。私はそういう人に、お薬を出したりもしていたから」
そう言えば、おれが降り立った土地で火刑に掛けられようとしていたリュカ。
周囲の連中は彼女を魔女と呼んでいた。
魔女であれば、怪しい薬などにも詳しいのかもしれない。
俺はありがたく、彼女が差し出した毒々しい緑色の草を噛んだ。
「ひええ、苦いよう」
泣き言を言う俺。
基本、苦しい事からは逃げ出す主義である。
だがここで逃げてはいけない。何故なら脱水症状で命が危ない。
死ぬよりは死ぬほど苦いほうが良かろう。
俺は凄い顔をしながら苦い苦い草を噛んだ。
少しだけ、腹の具合が治まってきた気がする。
「ちょっとずつ慣らしていかないとね」
「うむ……感謝する」
でも超苦い。
とりあえず、まだ下の具合は油断ならぬ状況である。
俺の着る物はこの古びたジャージしか無い以上、これを汚すわけにはいかない。
俺は周囲の柔らかそうな葉っぱなどをくるくると、裸の股に巻いた。
即席のオムツを作ったのである。
この上からジャージを身につけると、腰の部分がぽっこり膨らんでいる。
くっ、な、なんという冒涜的な姿であろうか。
だが、背に腹は変えられぬ。
俺はボトラーから、オムツァーへの転身を遂げたのだ。
……という訳でのオムツァーである。
しばらく、先ほどまでの下半身洪水騒ぎで、足取りも怪しい俺。
リュカは慈母の如き微笑をたたえ、そんな俺の手を握り締めて導いてくれる。
ああ、彼女が女神のように見えてくる。
ありがたやありがたや。
ナンマンダブナンマンダブ。
「……リュカは、薬草や食べられる植物に詳しいのか?」
「うん、詳しいのよ。私は精霊の巫女だから、シルフさんたちが好む果物や花の蜜も集めたりするの。そのお勤めの一つで、村の人の怪我や病気を診てあげることもあるんだ。だからそのために、薬効を持つ草木の知識も先代様から教えてもらったの」
おお、という事は、この道行きで一番頼りになるのはリュカではないか。
俺は都会生まれのもやしっ子である。
自然環境に生息する草木が食えるかどうかなど、とんと見当がつかぬ。
むしろ、可食なるキノコと毒キノコの差も分からない。
俺がこの世界の森に突っ込めば、およそ三十分で死ぬ自信がある。
「では、喉が渇いたのだが」
俺は堂々と切り出した。
彼女を火刑から助け出した時には、俺が彼女を守るのだというナイト的な気持ちで高揚していた俺である。
だが、今では聖女を慕う子犬の心地であった。
俺は彼女の助け無しでは、水を飲むことも出来んからな。
誰かに世話になっておめおめと生き永らえることには、実に慣れている。
元ニートである俺は、人の世話にかかるプロだ。
俺が生きていくためにも、彼女を守らねばという気持ちを強くする。
とりあえず喉の渇きを潤せるものを教えてください。
「それじゃあねえ……。あの果物がいいよ。トバトの実。堅い皮に包まれてるけど、中身は甘くて水気が多いの」
「よし来た」
俺はバルゴーンを召喚する。
この魔剣は、常に俺の近くに存在している。
名を呼ぶことで実体化し、自在に振るえるようになるのだ。
「木は切らないで。この木にも、たくさんの生き物が住んでいるから。その子たちの住まいがなくなっちゃう」
「エコだな。心得た」
俺は木の幹に足を掛けると、軽く跳躍した。
剣を用いて、何かを斬るという動きをする時のみ、俺の肉体は軽やかに動く。
最小限の動きで、木の実の付け根目掛けて切っ先を振るう。
すると、どさり、と重い音を立てて果実だけが落ちてきた。
枝には一切傷をつけてない。
無論、木の葉とて一枚も落ちては来ない。
「上手!」
リュカがぱちぱちと拍手をした。
俺は女子に褒められたのが嬉しく、ニヤニヤした。
皮を切るのも、然程苦労はしない。
さくっと上辺りを剥いてみると、黄色くてスカスカとした果実が覗いた。
傾けると果汁が溢れてくる。
どーれ、とばかりに口に含む。
うむ。
微妙。
清涼飲料水的な甘さを期待した俺である。
俺は人口甘味料で腹を壊してしまうため、砂糖や加糖ぶどう糖液糖などを使ったジュースか、果汁100%しか口にしない。
この果汁も100%には違いないのだろうが。
なんというのか。
一言で言うなれば薄い。
確かに甘い。
かすかに、ほのかに甘い。
あー、言われれば甘く無いことも無い、って感じ? というくらいの甘さである。
「ね、甘いでしょ」
「甘いね!」
俺はリュカに、快く同意の言葉を返した。
命の恩人であるリュカ様である。ここで機嫌を損ねるような事を言ってどうするのか。
むしろあの同意を求めてくる彼女の笑顔が尊い。
ということで、俺はぐびぐびと果汁を飲み、スカスカとしたスイカの皮のような味がする果実を貪り食らった。
慣れてくると、これはこれで悪くない。
味が薄いから、本当に水代わりにガツガツいけるのだ。
少しばかり生き返った心地である。
「この森は、トバトがたくさん生えているから、水には困らないよ。さあ、行こう」
俺がもう一つ取って来たトバトの実を抱えて、リュカが俺を促した。
二人で果実をむしゃむしゃ食べながら行くのである。
なんというか、こう、飽きない味なのだが、食べている気があまりしない果実だな。
大きさはココナッツほどで、なかなかずっしり重い。
俺はちょっと持ち続けると腕が痺れてくるので、中身をさっさと胃の中へ移していくのだが、リュカはこれを軽々運んでいるように見える。
もしや、彼女は俺よりも腕力があるのではないだろうか。
頼りになる系女子である。
二人でもりもりとこの森林を抜けていく。
ちょうどいい木の洞を見つけて、そこで野営した。
火をつけると、森の木々が燃えてしまうかもしれないというから、焚き火なしでの野営である。
そもそも、インドア派男子な俺は野営の技術など無い。
森の中での暮らしは、あれもこれもリュカにおんぶに抱っこである。
本当にリュカは頼りになるのう。
「生のまま食べられる草と、木の実がこれ。これと、これ。でも、中には虫がいることがあるから、必ずこの実と一緒に食べること」
「これは何かね」
「虫下し」
「ヒェッ」
背に腹は変えられぬ。
ということで、妙に青臭くて薄い味わいの木の実と草を食いつつ、変に塩気がある虫下しの実を一緒に飲み込む。
水代わりに例のトバトの果実である。
そしてごろりと横になる。
獣の襲撃などは無かった。
「動物も、狩りをするのは命がけよ。自分よりも強い生き物にはかかってこないの。空腹なら別だけど」
朝になってリュカが教えてくれた。
夜の間、火も焚いていないのに獣は襲ってこなかった。
という事は、精霊の巫女であるリュカが肉食動物よりも強いという事か。
豪腕系女子。
頼れるのう。
俺がしみじみとそう思っていると、リュカが俺の薄い胸板をぽんぽんと叩いた。
「だから、ユーマはちゃんと役に立っているからね」
……?
何のことであろう。
そして、数日間森の中を進んでいく。
森を抜けて森に入り、さらに森を抜けて森に入る。
この道行きの中で、俺の胃腸はかなりこの世界に適応してきていた。
リュカが寄越してくれる、薬効がある草や木の実のお陰であろう。
かくして、晴れてオムツを卒業したある朝であった。
「シルフさんたちが騒いでる……」
リュカが鬱蒼と茂る森の中、空を見上げて呟いた。
じっと耳を澄ませ、すっと横を見る。
「あっち」
「よし来た」
二人でもって、森を抜けていく。
リュカが森を歩く様は、森の妖精を思わせる巧みさである。
草を切り分けるでも、枝を払うでもなく、木々が自然と作った通り抜けられる隙間を行く。
俺も然程背丈があるほうではないから、彼女の後に続く事が出来た。
森を踏破する能力は、かなり高くなったように思うぞ。
果たして、行く先では森が途切れていた。
やや遠方に見えるのは、めらめらと燃え上がる平原。
これは何か。
焼畑かしら。
リュカも状況を理解できずにキョロキョロと周囲を見回す。
だが、この時、俺はリュカよりも早く状況を察していた。
この鼻に向かって漂ってくる独特のにおいは……。
「こ、これは……!!」
俺は歩み出た。
のしのしと燃え上がる平原へ向かうと、そこで炎に炙られていい塩梅になっているソレを発見した。
「あっ、トウモロコシ焼けてる!!」
俺は我を失った。
トウモロコシである。
スイカの皮の味がする果実でも、青臭くて塩気すらない木の実でも、謎の草でも無い。
穀物である。
俺はそいつの焼け焦げた皮を剥くと、齧り付いた。
美味い。
美味過ぎる。
「うめえ、うめえ」
涙すら流しながら俺はトウモロコシを食った。
これだ。
これこそが人間の食事なのだ。
何か、近くで誰かが騒いでいる音が聞こえる。
まあ待て。
トウモロコシを食ったら、幾らでも聞いてやろう。
「リュカ、トウモロコシを食うのだ。うまい。うまいぞ」
リュカを呼ぶと、彼女も顔を綻ばせてやってきた。
一つ炎の中から見繕ったトウモロコシを放ってやると、彼女は皮を剥いて、はしたなくもがっぷりと齧り付いた。
「お美味しい~。ここまで、ずうっと草とか木の実だったもんね」
「うむ。やっぱり穀物はいいのう」
二人でもって、人のために作られた食物を味わう喜びを感じているとだ。
無粋な横槍が入った。
ハンマーを振り上げた大きな男がいる。
ああ、あれはリュカを火刑にしようとしていた連中の仲間であろう。
どうやら俺たちは、そいつらがたむろしている場所に出て来てしまったようだった。
この燃え上がる平原ではないが、降り掛かる火の粉は払わねばなるまい。
かくして、俺は成り行きのまま、トウモロコシ畑を燃やした連中を殲滅したのだった。
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