第5話 熟練度カンストの邪教徒2
司祭は一瞬、考えた。
戦士ユーマなどという名前は聞いたことが無い。
だが、眼前にいる灰色の衣装を着た男が、無名の傭兵か何かだと断ずる事は出来ない。
一瞬で、聖堂騎士を斬り倒した技の冴え。
剣に疎い司祭から見ても、尋常なものではない。
司祭には、男が握り締める風変わりな剣が、振るわれる様子すら見えなかった。
あれは何らかの、邪教徒による魔術の仕業ではないのか。
自らも、神から賜ったという謂れの魔法を扱う司祭にとって、それは自然な思いつきだった。
そうに違いない。
ただの人間が、魔法も魔術も行使することなく、チェインメイルで武装した男一人をバラバラに寸断することなど、出来るはずが無い。
「何者かは知らぬが、一つだけいえることは、汝が神敵であるということ! お前たち、一斉にかかれ! 弓は後ろの魔女を狙え! 相手はただの二人、数の力で押しつぶしてしまえ!!」
聖堂騎士が倒された、現実離れした光景。
あまりにも異常な光景であったため、ラグナ教の兵士たちは、正しい判断をする事が出来なかった。
数こそは絶対的な正義である。
相手は鎧も身につけておらぬ、貧相な小男が一人と、魔女。
魔女が使うという怪しい魔術は恐ろしかったが、それでも数がいればどうと言う事はあるまい。
「おおおおおお!!」
「ああああああ!!」
「うおおおおお!!」
兵士たちは雄叫びを上げて、武器を手に取った。
神が我らを祝福して下さる。神の御意思の元に、我らの戦いはある。
高揚感が彼らを包み、一瞬だけ生まれた、男に対する疑念を押し流した。
だが、当の戦士ユーマと名乗った男は、集団で押し寄せるラグナ教の軍勢を醒めた目で見つめていたのだ。
放たれた第一陣は、矢であった。
これは魔女を狙う。
狙いは甘くとも、幾本かは無防備に佇む貫頭衣の少女を射抜くはずである。
そう、この村にやって来た時、戯れに射殺した邪教徒の子供のように。
だが。
「リュカ、俺の背中につけ」
男が、戦士ユーマが声を発する。魔女は戦士の言葉に従った。
密着するほどの距離に、女が寄り添う。
……ならば、諸共に射抜いて殺すまで。
弓兵たちの思いの通り、矢は男目掛けて殺到した。
珍しく、多くの矢は狙いを誤る事が無かった。
男はハリネズミのようになって、魔女諸共倒れるはずであった。
だが次の瞬間に兵たちが見たのは、空を泳ぐ虹色の軌跡である。
まるで、そこに虹の円が生まれたように見えた。同時に、金属の音。これは、剣を鞘に収める音だった。
果たして、全ての矢は戦士と魔女を包むように、大地に突き刺さっていた。
ただの一本たりとも、戦士と魔女に届いたものは無い。
「……失敗した。これでは楕円だ」
戦士が眉根を寄せて呟く。
この言葉を聴いたものは、目を疑った。
大地に刺さり、神敵たる二名を包んだ矢の残骸。
それが描く形は正しく、楕円形であったのだ。
これは、戦士が狙って行なった事なのか。それとも偶然なのか。
誰も理解する事は出来ない。
故に、
「ま、魔術だ!」
「怪しい魔術を使った! 魔剣士だ!!」
驚愕は波のように、兵士たちの間に広がった。
「魔術を使う剣士!」
「忌まわしき技を使う剣士、殺せ!」
「ここで殺せ!」
数とは力である。
同時に、動き出してしまった者たちの勢いを止め難くするものでもある。
雪崩の如く、兵は戦士に押し寄せた。
第一陣が踏み込むと同時、戦士もまた踏み込んだ。後発の兵たちは、×の字に輝く虹の軌跡を見る。
そして直後、軌跡の形に先達の兵十数名が飛び散った。
文字通り、首も腕も足も、胴も鎧も盾も、手にした剣も槍も斧も槌も、一切の区別無く破片となって飛び散った。
金属音。
剣が鞘に収まる音だ。
戦士は先ほどと同じ場所にいる。
踏み込み、またすぐに元の位置に戻ったのだ。
まるで、攻める前と違わぬ様子。
戦士はまるで、微動だにしていなかったかのようだった。
違うのは唯一つ、前衛であった兵士たちが粉々に砕けて大地にばら撒かれている事。
……あれ?
攻めなくちゃ。
兵士たちは正確な判断力を失っている。
故に、再び攻め寄せた。
虹の光が、
「攻めろ! 攻めろーっ!!」
一条、二条と煌めく度に、
「押せーっ! 数で押しつぶすのだーっ!!」
圧倒的であったはずの人波が、
「矢を射れーっ!! 信仰篤き者には当たらぬ! 諸共に射殺せーっ!!」
虫食いのように削り取られていく。
弓兵は、はたと気がついた。
今、この場に立っている者の数が、明らかに少ないことに。
灰色の衣服を纏った男は、今もまだ変わらぬ場所に立っている。
背後からは、虹色の髪をした魔女が覗いている。
こちらは、司祭を守る聖堂騎士が三名。
弓兵が三十名。
司祭。
それだけであった。
教会を発った頃には、三百を超えていたはずの聖なる軍勢である。
それが、既に三十と四名。
聖堂騎士は常に四名が組となって行動する。神に仕える聖霊が、四方を守る事に依拠しているのだ。
だが、守りの一角は誰よりも先に崩された。
神の代弁者たる司祭を守る壁は、既に不完全なのである。
そして、弓兵を守る壁であった兵士たちは、どこに消えてしまったのか。
もう、その姿は無い。
ただ、周囲に撒き散らされた鉄と肉と血の臭気だけが、現実を伝えている。
「なんだ、なんだよ、これは……」
弓兵は、ガクガクと膝を震わせた。
どれだけの矢を射たことか。
彼とて、弱兵では無い。
異端者、邪教徒、背教者。それらに向かって弓を構え、多くの神敵を射殺してきた。
矢の腕前であれば、並の射手よりも優れていると自負できる。
それが、どうだ。
あの男には、当たらない。
あの男が守る魔女にも、だ。
否。
当たっているはずだ。当たっていなければおかしいのだ。
それが、当たったはずの矢が、どうしてか男の周囲を彩るように、大地を抉り、尾羽根を天に向けて咲かせている。
「いぎぎ、ぎぎぎぃぃ」
歯軋りの音がした。
司祭である。
彼はこの恐るべき神敵を前にし、奥歯を激しく擦り合わせる。
何故だ。
何故、あ奴らには神の威光が通じぬのか。
魔女。
精霊という、聖霊と同じ響きの名を持った悪魔を従える、悪魔と契った穢らわしい売女。
そして、剣士。
一見して貧相な小男。
猫背で覇気が無く、見たこともないだらしない灰色の服を身に纏っている。
だが、それが見た目通りの存在ではないことを、既に司祭は理解していた。
身を持って、理解してしまった。
教会より預かった、信徒三百名近く。
その殆どを、この男の手によって失った。
男はじっとこちらを見つめている。
ちらりと背後を振り返った。
「うん、ユーマは好きにするといいんじゃない。私は、シルフさんたちが騒いでるところに行くから」
「そうか。で、どっちなんだ?」
「あっち」
「ぬう……連中を突っ切るのか。分かった、ちょっと道を開く」
嫌そうな顔をして、男がこちらに向かって歩いてきた。
後ろにはぴったりと、魔女が張り付いている。
この男がいる限り、魔女に手を出すことは出来ない。
それは……戦士ユーマを名乗る男は、魔女を守る存在なのだ。
危険だ。
危険すぎる。
ラグナ教にとって、この男は危険極まりない存在だ。
ここで、消しておかねばならぬ。
「行け、騎士よ!!」
「御意!!」
「御意に!」
「お心のままに!」
聖堂騎士三名が、駆け出す。
それぞれ手にするは、拷問具と一体になった聖なる武装。
歪な大剣と、二股に分かれて首を咥え込む槍、股と頭を真っ二つに切り裂く大鋏。
「天誅ゥゥゥーっ!!」
叫びとともに、三方から騎士が襲いかかった。
戦士は、彼らを前に、無造作に剣の柄を握りしめた。
恐らく、意識的にゆっくりと、彼は鞘からそれを抜き放つ。
抜いて真っ直ぐに伸ばす動きのまま、襲いかかった歪な大剣に刃が絡んだ。その表面を柔らかなものでも削るように刻みつつ、切っ先を伸ばす動きの中で、大剣の騎士の動きを制していく。
螺旋の動きである。騎士は巻き込まれて、足を滑らせた。己が放ったはずの勢いが、全く異なる方向、真横へ向かって流される。
果たしてそこには、槍を持った騎士がいる。
「おおおおおおっ、よっ、避けろぉぉぉぉっ!?」
「ぐうわああああああっ!?」
流された大剣は、全力で振り切った勢いのまま、槍の騎士の胴に半ばまで食い込んだ。
血飛沫が散り、剣は骨と肉と鎧に絡まり、抜けない。
そして大剣は完全に切断され、抜けた虹色の剣が大剣の騎士の胴を上下に割った。
剣を戻す動きのついでに、繰り出されてきた大鋏の騎士を、得物もろとも斜めに切断する。
ただの一挙動である。
剣を抜き、振り抜いて収める。
それだけで、三騎士は肉片と化した。
「ひ、ひぃ、ひいいいいいいっ!!」
弓兵が悲鳴を上げた。
あれは、駄目だ。
あれはいけない。
あれは、決して関わってはいけない類の者だ。
例え神命に背いたとしても、あれに触れてはいけない。
本能がそう叫んでいた。
信仰よりも深い部分で、あれがそういうものだと理解してしまったのだ。
一人が逃げ出せば、士気が瓦解するのも早い。
次々と、弓兵たちはその場に背を向け、逃げ出していた。
これは……背信行為である。
「天に在す我らが神よ! 忠実なる信徒、チェザーレが乞い願い奉る! 御身のお力を、今、ここに!!」
だが、司祭は背信を許しはしなかった。
顕現する分体。
かつて邪教徒にその力を振るった巨人が、今度は信仰に背を向けた弓兵たちに牙を剥く。
光が迸り、弓兵たちは生きながらにして燃え尽きていく。
ついには、神命に背いた臆病者どもを尽く灰へと変えて、司祭チェザーレはカッと目を見開く。
「こうなれば……村の全てを焼き払い、村ごと汝を葬ってくれようぞ!!」
怒りに満ちた叫びだった。
天に向かって咆哮した。
分体を呼び出す魔法は、連続すれば彼の命すら削る大魔法である。
だが、ここで己の命を惜しむようであれば、彼は司祭という地位には無かっただろう。
命を賭して邪教徒を狩る。
その心づもりだった。
そんな司祭の目の前で。
「増えて、減ったか。ではあと二つだな」
男の声がした。
分体が、戦士に向けて振り返る。
そして放つ、裁きの光。
全ての生きとし生けるものを燃やし尽くす、神罰の輝きだ。
光は真っ直ぐに男に向かって伸び、そこで、虹色の輝きとぶつかった。
剣が既に抜き放たれていた。
司祭は一瞬、虹色の輝きが神罰の輝きと拮抗したように思った。
だが、それは錯覚にすぎなかったのだ。
神罰の輝きが、裂けた。
剣に切り裂かれ、真っ二つに裂けたのだ。
神罰の輝きは力を失い、散り散りになって消えていく。
「あ、あ、あああああああああっ!?」
男は歩みを止めない。
ただ一直線に歩きつつ、眼前に立ち塞がる障害であった分体を、頭頂から股下へ。
一文字に斬った。
分体という名の輝く巨人が二つに割れ、両側に倒れていく。
まるで剣士と魔女に道を開くように。
分体の消滅とともに、司祭が手にしていた聖なる槍が、ボロボロと朽ちて行った。
あの分体は、戦士ユーマによって殺されたのだ。
「残り一つ」
近づいてくる邪教徒。
灰色の男。
灰色の剣士。
司祭チェーザレは覚悟を決めた。
全ての司祭に授けられた、最後の大魔法を使う決意をしたのである。
それは、命の全てを神に捧げ、四柱の聖霊の力を直接に顕現させる大技。
神の稲妻。
「天に在す我らが神よ! 忠実なる信徒、チェザーレが我が一命を以って乞い願い奉る! 御身のお力を、今、ここに!! 聖霊の神罰を、ここに!!」
虚空から、雲が生まれる。
暗闇の色をした雲である。
それは司祭と戦士、魔女の頭上に濃く、厚く滞留し、直後、激しい輝きを放った。
迸る、神罰の稲妻……!
「おっと」
最後に司祭が見たのは、魔女の手を引いて、ちょっと横にステップする戦士ユーマの姿だった。
魔女はバランスを崩してユーマに抱きついてしまい、ユーマの表情がだらしなく崩れた。
彼らが軽く飛び退いたまさにその場所を、神の稲妻が穿っていた。
司祭が命を賭して放った大魔法は、ただ、大地だけを焼いて消滅したのである。
「わ、我が、信仰、がぁ……」
そう言い残して、司祭は白目を剥いた。
膝から崩れ落ちて倒れる。
すぐに、彼の肉体はサラサラと溶け崩れていった。
命の一片まで神に捧げた司祭は、灰となったのである。
司祭であった残骸から、最後に、鳩が飛び出した。
口に丸いものを咥えている。
司祭の目玉であった。
「鳩が飛んでいく」
「鳩は可愛いな。あの間抜けな歩く様を見ていると、俺は生きていていいんだと思えてくる」
「うんー?」
「なんでもない」
残されたのは、静寂と、二人の間の抜けた会話であった。
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