灰色の剣士編
第4話 熟練度カンストの邪教徒
ラグナ教は、この世界の中心……中原からあまねく世界まで広がった宗教である。
名を秘された絶対の神、神に従う聖霊、神の分身である受肉した初代教祖を信仰の対象とし、杭と、それを包み込むリングを組み合わせたシンボル、ラグナリングを用いている。
ラグナ教の他に、ザクサーン教、エルド教が三大宗教と呼ばれており、それらは全て同じ神を崇める教えである。
だが、教義解釈の違いで、三大宗教は常に血で血を洗う闘いを繰り広げている。
そこに、土着宗教を信じる人々が生きる場所は無い。
三大宗教のぶつかり合いは、今ラグナ教に軍配を上げ、世界は緩やかにこの一つの教えに染まろうとしている……そんな時代である。
故に、この穏やかな村は、邪教徒が集まる穢れた地でしか無かった。
その日まで、村はいつも通りの朝を迎え、周囲の街との僅かな交流の他は、自給自足ですべてを賄う穏やかでささやかな幸福を享受していた。
誰に不幸を与えること無く、父祖の代から信仰する、四大精霊に祈りを捧げる。
精霊様。
今日もまた、我らが健やかにありますよう、お見守りください。
精霊は人を守るものでも、罰を与えるものでもない。
ただ人の傍らにあり、時には流れる川に、時に畑に実る作物に、時には季節を運んでくる風に、その身を変えて、常に人々を見守り続ける存在だった。
村人たちは人を疑うことを知らず、しずかに、平和に、暮らしを営んでいる。
この暮らしは、人の世が尽きるまで続くものだと思われた。
だが。
「お母さん、向こうから何かやってくるよ」
一面に実った、トウモロコシの畑。
村を囲むように作られれた畑の上で、鮮やかな色彩の穂が揺れている。
その黄金色の原の向こうに、鈍色に輝く群れが現れた。
「あれは……何かしらねえ。兵隊さん? でも、あんなにたくさん……」
「たくさんだねえ。どうしたんだろうねえ」
子供は興味津々である。
あれほど多くの人間など、見たことがない。
だから、近寄ってくる鈍色の群れに向かって駆け寄り、手を振った。
「おーい! おーい!」
山賊と言えるような犯罪者も無い村である。
貨幣は山を超えた所にある、街と取引をするときにしか使わない。
この村にあるのは、作物と織物ばかり。
山の実りは豊かで、川と地下水は、作物を育ててくれる。
満ち足りた暮らしの中、人から略奪しようと考える者などいなかった。
だから、気づかなかったのだ。
それが、最悪の略奪者であり、侵略者の群れであると。
「おー……」
言葉の半ばで、群れの中から飛来した幾本かの矢が、風を切った。
母親が見たのは、我が子が真正面から喉を射抜かれ、人形のように力を失って倒れる様である。
しばし、何が起きたのかを理解できない。
そして、畑を無残に踏み潰しながら歩いてくる群れを見つめ、ゆるゆると現実を把握した。
絶叫する。
そんな彼女に、目を血走らせた略奪者たちが襲いかかった。
「焼け! 焼き払え! 全ての家々には、邪教の象徴が飾られているぞ! 神は世界に、我らが神ただ一柱のみ! 邪悪な精霊などというものを信じる者たちは、邪教徒である!」
実った作物は荒らされ、ラグナの紋章を付けた兵士たちが食い散らかす。
男たちは無残に殺され、あるいは遊び半分に切り刻まれて改宗を迫られる。
女たちは犯され、子供はおもちゃにされる。
家々を飾る紋章は地に落とされ、踏みつけられた。
家々に火が掛けられる。
畑が燃え上がる。
牛馬は殺され、その場で肉として食い散らかされる。
「わ、わ、分かった! 信じる! あんたたちの神とやらを信じるから! だからやめてくれ!」
「よかろう! では信仰の証に、この槍を手に取れ!」
転向を口にした村の男に、この集団を率いている黒衣の司祭は槍を手渡した。
ラグナリングをモチーフとした槍であり、これは聖なる槍であった。
聖なる槍は、神敵を討ち滅ぼす力を持つと言う。
司祭は優しく微笑んだ。
「信仰を得た汝は幸いである。この槍を手にし、そこな邪教徒を滅ぼすのだ」
男は目を見開く。
司祭が指し示したのは、男の妻と子である。
彼は冗談だろう、という目で司祭を見た。
だが、司祭の目は笑ってなどいない。
「やるのだ」
「で、できねえ」
すると、司祭の瞳は失望に曇った。
「なんと……やはり卑しい邪教徒は、神の尊い教えを知ることは出来ないというのか……。嘆かわしい。お前たち」
司祭の言葉に合わせて、黒衣の甲冑が前に進み出る。
どれも異様な意匠を刻み込んだ、巨躯の重装甲冑である。彼らは、聖霊の紋章を宿す聖堂騎士であった。
「彼はもはや邪教徒ではない。だがもっと悪いものだ。彼は背教者である」
「おお」
「おお」
嘆きと怒りに満ちた声が、聖堂騎士たちから上がる。
転向したものはラグナの信徒である。
だが、信徒でありながら、神の代弁者たる司祭の言葉に従わぬものは背教者である。
その罪は、邪教徒であることよりも重い。
「罪を贖わせるのだ」
「はっ」
「はっ」
聖堂騎士たちが、見るもおぞましい道具を取り出す。
拷問道具の数々である。
男が、妻が、子が、絶望の悲鳴を上げる。
村の若者は、幾人かが立ち上がろうとした。
彼らは、精霊の声を聞き、わずかにその力を行使することが出来る。
「シルフよ……!」
「ノームよ……!」
「サラマンダー……!」
ラグナ教徒たちは、若者たちが呼び出した精霊の姿に恐怖した。
悪魔だ。
悪魔を召喚した、とざわめく。
そこに現れるのは司祭である。
「鎮まれ。我が神の威光に比べれば、低級の悪魔など塵芥に等しい」
「悪魔じゃねえ! 精霊様だ! 悪魔というなら、こんなことをするお前たちが悪魔だ!!」
「なんと!!」
司祭の目が見開かれる。
なんと罰当たりな事を言うのか、この邪教徒どもは。
ラグナ神の代弁者たる我が身が、悪魔などと!
これこそ、神をも恐れぬ行いと言わずしてなんと言おう。
司祭は天を仰いだ。
「お前たち。後ろへ退け。私がこの邪教徒どもに……天罰を下す」
司祭は、教会にて聖別された聖槍を天にかざす。
それぞれの司祭は、特別なシンボルを教会から与えられている。
これはラグナ教司祭としての地位を表すものである。そればかりではなく、シンボルはラグナ教の力を人々に知らしめるため、とある特殊な力を有していた。
それが……。
「天に在す我らが神よ! 忠実なる信徒、チェザーレが乞い願い奉る! 御身のお力を、今、ここに!!」
言葉とともに、真昼の空が一面にかき曇った。
黒煙の如き雲が湧き上がり、太陽を隠す。
その時、雲は割け、一条の光が注いだ。
光が実体を成す。
現れるのは、見上げるような巨大な男の姿だ。
背には翼を生やし、頭上には回転する金色のリング。
「これぞ神の御力!! 大聖分体招来の儀!!」
「う、うわあああ!」
若者たちはパニックに陥った。
精霊を召喚できる彼らであったが、これほどの巨大な代物を呼び出すことは出来ない。
ラグナ教とは一体何なのか。
司祭は、神に侍るだけの存在ではないのか。
何も考えることは出来ない。若者たちはただ、精霊たちをこの巨人目掛けてぶつけるだけである。
巨人が目を光らせて、何事かを叫ぶ。
すると、襲いかかる精霊たちに向かい、光が迸った。
光に触れた精霊たちは、一瞬で消滅していく。
光は力を減衰すること無く、若者たちを焼いた。
「ああああああああっ!!」
「があああああああっ!!」
全身を一度に炎に包まれ、彼らはのたうち回る。
炎は消える様子もなく、どんどんと勢いを増し、すぐに彼らを人の形をした灰に変える。
ラグナの兵たちは戦慄した。
そして、我らが神の成す奇跡に酔い痴れた。
ラグナ教は、天に愛された教えである。
神は唯一絶対、何者も抗うことは出来ない。
ラグナを信じる己らは、幸いである。
そんな風に思っていた時期が、彼らにもありました。
「あっ、トウモロコシ焼けてる!!」
間抜けな声がした。
気づいたのは、聖堂騎士の一人である。
拷問によって、背教者の一人を文字通り地獄に落とした彼は、勤労の心地よい疲れに浸っていたところだった。
だが、そんな彼の目に、信じられない者が映る。
それは、二人組であった。
一人は、冴えない顔をした猫背の男。
くたびれた灰色のだぶっとした衣服を着て、焼けたトウモロコシをむしゃむしゃ食べている。
「うめえうめえ」
もう一人を見て、聖堂騎士は驚きに声を上げた。
虹色に反射する銀の髪。虹の瞳。
あの貫頭衣は、火刑に処される魔女が身につけるものである。そしてピンクのトイレスリッパ。
ここに来るまでの街で、処刑される寸前に魔女が逃げ出したと聞いた。
しかも、近年稀に見る、強大な魔女だと言う。
同じ聖堂騎士が二人殺され、教会は魔女の行方を見失っていた。
それが、こんな所に。
これほど特徴的な外見を見誤る事はない。
己は幸いである。
聖堂騎士は笑顔を浮かべた。
神敵をこの手にかけることができるのだから。
彼は、バトルハンマーを手に立ち上がる。
彼の上背は並の男よりも頭一つ半ほど高い。
このハンマーがあれば、甲冑の戦士であろうと一撃で肉塊に変わる。
魔女がいかな魔法を使ったとしても、この聖なるハンマーを防ぐことは敵うまい。
「神敵! 天誅を下す!」
周囲に響き渡る大音声を発した。
「リュカ、トウモロコシを食うのだ。うまい。うまいぞ」
「お美味しい~。ここまで、ずうっと草とか木の実だったもんね」
「うむ。やっぱり穀物はいいのう」
無視された。
聖堂騎士は激怒した。
なんたる無礼な輩か。
いや、待て。相手は魔女である。近くにあるこの貧相な男が何者かは知らぬが、魔女が無礼は当然では無いか。
相手を人と思ってはならない。
あれは人の形をした獣である。
ならば、ただこの聖なるハンマーで殴殺すれば良い。
単純なことだ。
どうやら、司祭殿もこちらに気づいたようだ。やってくる。
かの司祭殿の手を煩わせる訳にはいかぬ。
「生まれたことを! 悔い! 改めよ!」
吠えながら、聖堂騎士は疾走した。
疾走しながら、ふと気づく。
あの貧相の男がこちらを見ている。
はて、あの男、いつの間に腰に剣を佩いているのか。
「虹彩剣、バルゴーン」
聞き覚えのない名を呟いている。
こちらが一歩踏み込むより速く、もっと、ずっと速く、男の手が剣の柄にある。
こちらが一歩を地につけた瞬間には、虹色の刃が顔を覗かせている。
あれは、なんだ。
振り下ろそうとするハンマーが、まるで熱したナイフでバターを切り裂くように、するりと斬れた。
同時に、聖堂騎士の視界も斬れた。
永遠に暗転する。
それは、聖堂騎士の中でも最も強く、力ある男であったはずだ。
幾多の神敵を血祭りにあげてきた、聖戦士の中の聖戦士。
そんな男が、今、ただの血煙に変わった。
やったのは、灰色の衣装に身を包んだ男。
今や、誰も彼を貧相な小男と見はしない。
あれは、なんだ。
人一人を血煙に変えた剣術。
微かな血糊すら付着せぬ、輝く曲刀。
人間を、人間とも思わぬ目をした、この男。
魔女の前に立ちふさがる剣士。
「神敵…………!! 汝は何者ぞっ!?」
司祭が叫ぶ誰何の声に、だらけた調子で男は答えた。
「戦士ユーマ」
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