第6話 さゆりばあちゃんのたからもの

 忘れていたわけじゃないけど、僕は運動が苦手だ。

 なつみのジョギングに付き合うことになったはいいが、すぐに追いつけなくなって、初日は半分以上歩く羽目になったのだった。

 翌日からは、僕は母さんのママチャリで伴走している。クールダウンも兼ねて、なつみの家まで自転車を押して歩いて送り届け、帰りにコンビニでスイーツを買うのが新たな日課となった。



「ふみよし君って、甘党だったんだね」


 なつみはあれから、僕のことを「ふみよし君」と呼ぶ。そりゃ、モンキチ呼びよりはずっといいけど、なんか照れくさいし、ちょっとむず痒い。


「いや、俺はそうでもないんだけどさ。じいちゃんとばあちゃんに」

「あ、お仏壇に?」

「うん」


 正しくは「ひいじいちゃんとひいばあちゃん」なのだが、面倒なのでじいちゃん呼びのままだ。本当の祖父と祖母は、最近実家を引き払って伯父の住むマンションへ引っ越した。そっちの方が病院や介護施設に通うのに便利だから。

 そのマンションには仏壇を置く場所が無いということで、仏壇は今年からうちへ移されたわけだ。


「ふみよし君って、信心深いんだ。偉いね」

「別に偉くはないよ……」


(あげないと煩いからさ……)と、心の中で付け加える。それに、なんかすごい嬉しそうに食ってくれるし……



「ううん、偉いよ。それに、優しい」


 な、なんだよ……急に誉められたら驚くだろ……ヤバイ、なんか急に緊張してきた。手に汗かいちゃう。


「俺なんて、普通だよ」

「優しいよ。今だって、こうして送ってくれるし」

「ソレは夜道はあぶナイから」


 危なかった。あやうく噛みそうになった……今の、ギリセーフ、だよね?


「今度、お礼に何か作るよ。私、ちょっとだけお菓子作りできるんだ。簡単なやつだけど」

「え、いいよ。礼なんて」

「遠慮しないで! そうだ、一緒に作ろうよ。それをお供えしたら、おじいさまもおばあさまも喜んでくれるんじゃない?」


 うーん、正直めんどくさ…


「それに、毎回コンビニで買うより安く済むと思うし」

「よろしくおねがいします」


 即答してしまった。小遣いが底をつくのも時間の問題だったから。





 なつみを送り届けて自室に帰った僕は、何故かお鈴を持って正座させられていた。

 僕のベッドの上で、さゆりんが踊っている。ミニスカ着物の裾にフリルが付いた、ちょっぴりバージョンアップした衣装で。


「はらそぉぎゃぁて〜 ぼじそわか〜♡」


 チーン……


「ちょっとフミヨシ、タイミングが遅い! 音も小さいし、真面目にやってよねっ」


 そう言われても、リズム感には自信が無いのだ。なつみは「優しい」なんて言ってくれたけどさ。僕って、運動も苦手だし音楽の才能も無さそうだし、何の取り柄もない……


「……フミヨシ? どうしたのよ、急にしょんぼりしちゃって」


 さゆりんがベッドから降りて、僕の正面に正座した。ミニスカ着物の裾がせり上がって、太腿が半分以上丸見え……銀色の半透明の姿とはいえ、目のやり場に困る。

 僕は手に持ったお鈴を床に置くついでに、体の向きを変えて目を逸らした。


「いや……僕って、何の取り柄もないなぁって。運動も音楽も苦手だし、成績もパッとしないし、文章だってダメダメでさ。僕に出来ることって、何なんだろう」


「おぬし、正気か☆」

「……それ、じいちゃんのセリフじゃん」


 さゆりんの声で言われたじいちゃんの口癖に、思わず笑ってしまう。

 フミヨシ、と落ち着いた声でふいに呼ばれて顔を上げると、目の前にはキリッとした着物姿も上品な銀髪の老婦人(半透明)が正座していた。


「えっと……もしかして、ばあちゃん?」

「今だけはそう呼ぶことを許します。いいかいフミヨシ、よくお聞きなさい」


 さゆりばあちゃんは帯に刺した扇子を抜き取ると、扇子の先で床をコツと叩いた。僕は背筋を伸ばし、話を聞く姿勢を取る。なんか、じいちゃんばあちゃんと話してると、自然にそうなっちゃうんだよな……自分の呼び方も「俺」じゃなくて「僕」になっちゃうし……


「お前はね、生きているだけで価値がある。まずはそれを頭に叩き込みなさい。『え〜』ってな顔をするんじゃないよ、このあんぽんたん。いいかい、あんたはあたしたち先祖にとっての宝だ。人類の、宝だ。サルが二足歩行を始めた頃から、いいえ、地球に生命が誕生してからずっと繋いできた命の、最先端。それが、あんたよ?」

「……はい?」


 さゆりばあちゃんは「はぁ〜っ」と大仰にため息をついた。


「あんたはもう……自分が海の泡から生まれたとでもお思いかい?」

「いや、アフロディーテじゃないんだから」

「わけのわからないことを言って誤摩化すんじゃないよっ」


 別に誤摩化そうとしたわけじゃない、と言いかけだけど、さゆりばあちゃんに睨まれて黙った。すみません……


「あんたはね、今まで生きてきた人間がずーっとずーっと大事に繋いできた、命のバトンを持って走ってるんだ。赤ちゃんからここまで立派に育ててもらって、毎日きちんとごはんを食べて寝て、勉強なんかもして、頑張って生き抜いてるじゃないか。偉いもんだよ」


 ばあちゃん……そんなのみんなやってることだし……ちっとも偉くなんか


「どうせあんたは『そんなのみんなやってることだしぃ〜』とか思ってるんだろ。だからだと言ってるんだよ。その、当たり前のことを当たり前にできているのが、まず偉いんだよ」

「……ばあちゃん、無理に誉めなくてもいいよ……」


「この、馬鹿者が! まだわからないのか、お前さんは。無理に誉めてるんじゃない。偉いから偉いと言ってるんだ。お前は今だって立派にやってる。その上で、何者かになろうとして足掻いてる。悩みながら、努力してる。そうだろう? 充分偉いじゃないか」


 そりゃ、多少は努力してる。でも……僕はまた俯いてしまう。


「でも、努力したって何の結果も出てないし、取り柄も無いし……」


「……せっかちな男は嫌われるゾ☆」


 ベッドの上から降ってきたのは、さゆりんの声。顔を上げるとさゆりばあちゃんは消えていて、さゆりんがベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせている。


「すぐに出る成果なんて、たいしたもんじゃないわよ。あんたまだ16じゃないの。それにね、取り柄なんて要らないの。ただ、精一杯生きればいいの。それ以上のことは、余力があればやったらいい。で、疲れたらちゃんと休んで、また起き上がる。それでいいんだよ」


 そりゃ、そうかもしれないけどさ……でも、それだけじゃ……


「あんた、この前あたしに聞いたよね。なんでアイドルやってるの? って。じゃあなんで、あんたは小説なんか書いてるの?」


「それは……」

「それは?」


 そんなこと、考えたことも無かった。ただ、書きたいからちょっと書いてみただけで……そしたら案外楽しくて……反応を貰えるのが嬉しくなって、読んだ人が楽しんでくれたら、って……それで……


「誰かの心に残る何かを……作りたい、から。読んだ人が喜んだり、笑ったり、嫌なこととか一瞬でも忘れたり、そんな感じ……かなぁ」


「ほら見なさい。立派なこころざしじゃないの」

「ココロザシなんて大層なものじゃないよ。ただの趣味」


「趣味の何が悪いの? いいことじゃないの。あんたはまず、そうやって自分を卑下するのをやめなさい。胸を張って、先祖代々受け継いできた遺伝子を誇りなさい。あんたは、あたしたち先祖の代表なんだから」


 『あたしたち先祖の代表』。その言葉に、胸を突かれる。


 そうか。そんな風に考えたこと無かったけど、言われてみればその通りだ。じゃあ、僕が自分を卑下したら、ご先祖様たちを侮辱することになる……のかも、しれない。

 そして、今生きている人たちは、みんな……彼らの先祖の代表なんだ。



 さゆりんが、少し身を乗り出して僕の顔を覗き込む。幽霊だけど、中身はばあちゃんだけど、か、かわいいな……どアップの威力、ヤバイ。


「ちょっとは理解したみたいね☆」


「うん……理解、しました。でも僕、結婚できないかもよ? だって女子は僕みたいのに見向きもしないだろうし。そしたら誰にもバトン渡せないね」


「次世代に渡せるのは、生命のバトンだけじゃないでショ☆ あんたの、『誰かを喜ばせたい』って気持ち。そこから産み出したものも、バトンの一つなんだよ」


 ば、ばあちゃん……ありがとう。良いこと言うなぁ……でも、「女子は僕に見向きもしない」ってとこは、ちょっと否定して欲しかったなぁ………


「ちなみに、さゆりんはスイーツ食べたらすごく喜んじゃう☆ 今日のおやつは、なあに?」


 あ、ハイ。取ってきます……


「あ、お鈴はまだ持ってくんじゃないよ。歌の練習するんだから」


 まだやるんかーい。

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