第12話 初出勤に乾杯
宮廷制服に袖を通す。丸メガネをかけて、鏡に視線をやると、文官に見える私がそこにいた。
アパートメントを出ると、朝日が眩しい。
王城に向かって伸びをする。とうとう初出勤日だ。
階段にもすっかり慣れた私は息切れせずに、王城へと続く階段を登り、城門まで歩みを進める。
門番さんに挨拶をして、入場許可証を見せると、すぐに通してくれた。
道を覚えたので、一人で政務塔の受付まで行く。
「アクア嬢、早いね」
「リュカ副大臣。おはようございます」
初めて王城へ来たときに、業務内容の説明をしてくれた、政務省副大臣のリュカ・ルノワ様が、自ら受付で出迎えてくれた。涼やかな表情を浮かべ、控えめに微笑んでいらっしゃる。
リュカ副大臣は慣れたように、政務塔へ入るので、後に続く。廊下を暫く進み、左に曲がったところに、『法務部』と書かれた札がかけられている扉がある。
その中は、広い執務室だった。沢山のデスクに、平積みの書類。始業前なので、人はまばらだ。
「アクア嬢の席はここだよ」
「はい」
何も乗っていないデスクが、私の席のようだ。そして近くの席を見渡すと、隣の席に座っているココア色のふんわりとした髪の男性が目に入る。
「フェリックス、おはようございます。新人が来たから、紹介します」
「アクア・フェアバンクスです。これからよろしくお願いいたします」
「フェリックス・トイフェルです。よろしくね」
ココア色の髪を持つ男性が、振り返って挨拶をしてくれた。その瞳は、黄金色で、とても綺麗だ。トイフェル子爵家のフェリックス様といえば、私でも知っているほどの、社交会の貴公子だ。
「それでは、後はフェリックス。お願いしますね」
「はい」
「ご案内ありがとうございました」
リュカ副大臣は、にっこり微笑むと、来た道を戻っていった。
私は荷物をデスクに置いて、席にかける。まだ朝の鐘が鳴っていないので、筆記用具を用意して業務開始を待っていると、フェリックス様が、口を開いた。
「アクア嬢は、あのラスクを開発したんだって? 僕も頂いたのだけど、新しい食感にびっくりしたよ」
「まぁ。フェリックス様のお口にあったようで良かったですわ」
「僕はシュガーラスクの甘い味が好きだな。また買いに行かせてもらうね」
「ありがとうございます」
朝の鐘が、響き渡ると、業務時間が始まる。法務部の全体朝礼があり、そこで皆の前で紹介された時は、とても緊張した。
それから、フェリックス様に、政務塔内の案内をしてもらい、その後は、基本的な仕事を教えてもらった。過去の労働違反事例の資料を読みつつ、資料の書き方を学んでいると、あっという間に、お昼になり、そして、終業時間になった。
夕刻の鐘が鳴ると、直ぐに周りの人たちが片付け、帰宅してゆく。
キリが良いところで終わらせようと思い、資料に目をやると、隣から話しかけられる。
「アクア嬢。夕刻の鐘が鳴ったらすぐ帰るのが鉄則なんだ。キリが悪くても終わらせて帰ろう。また明日やればいいから」
「! 分かりました」
なんてホワイトな労働環境……! 前世では言われたことのない台詞で、思わず感動してしまった。急いで資料を片付けると、あっという間に人気がなくなる。
「フェリックス様、お疲れ様でした。お先に失礼いたします」
「うん。お疲れ様」
政務塔を出ると、まだ外が明るい。夕焼けが綺麗だ、なんて考えていたら、聴き慣れた声が聞こえる。
「アクア」
「あら、ケネス!」
そこには、騎士姿のケネスがいた。なんでか苦笑いをしている。
ケネスの後ろに誰かいるみたい。誰かしらと思うと、それが伝わったように、ぴょこっと顔が飛び出した。
「やぁ、アクア嬢!」
「――……お、王太子殿下!?」
以前カフェテリアでお話した、サミュエル王太子殿下が、ニコニコと笑っている。
対して、ケネスは面倒そうな顔をしていて、王太子殿下を眺めた。
「サミュエル王太子が、アクアと食事をしたいと駄々こねてな。悪いんだが、三人で一杯飲みに行かないか?」
「ええ!?」
今日はシェフのチャーリーが非番だから、外で食べようとは思っていた。なので問題はないけれど。誘いに、断れる訳もなく。僅かに胃を痛めながら、二人に付いて行った。
◇◆◇
案内されたお店は、とても庶民的な居酒屋だった。
王族の方が訪れるとは思えないお店に、目を丸くすると、サミュエル王太子殿下の形の良い唇が開く。
「ここではサミールって呼ばれているから、間違っても殿下とか呼ばないでね」
「は、はあ……」
「王族扱いも禁止だからっ」
サミュエル王太子殿下がウインクすると、王族の特徴である、若草色の髪の毛と、エメラルドグリーンの瞳は、良くある茶色へと変わっていく。
「魔法の悪用とはこの事だよな」
「ははっ。楽しいだろ?」
呆れたように、ため息をつくケネスを見て、愉快そうにサミュエル王太子殿下が笑う。
私は当たり前のように戸惑うが、もう何とでもなれと、投げやりに思った。
店内はとても賑やか。2階の個室に案内されると、向かいにケネスとサミュエル王太子殿下が隣り合わせに座った。
どうも落ち着かなくて、ケネスへ疑問を口にする。
「ケネス、騎士服と文官服で飲みに行っても大丈夫だった?」
「ああ。そんなことは気にしなくていい。悪さをしなけりゃな」
「アクアちゃんは真面目だね〜」
(急に呼び方がちゃん付けに!?)
ヒッと息を呑むと、ケラケラとサミュエル王太子殿下が笑った。
「サミール。あんまりアクアを揶揄うなよ」
「だってー。なんだか物凄く反応が珍しいからさー」
そんなに珍しいかしらと首を傾げる。すると、店員さんによって、生エールが運ばれた。
王太子殿下がジョッキを持つだなんて、シュールな光景だなぁ。
「じゃあ、アクアちゃんの初出勤にかんぱーい!」
「かっ、乾杯」
「乾杯」
勢いよくジョッキ同士が当たって、ガツンと鈍い音がする。
一口飲み込むと、喉が渇いていたのに気がつき、二口、三口と、エールが進む。
重めのエールだけど、喉越しが良い。少しぬるいが、これも有りと思える味だった。
思わず、「っ美味しい!」声が出てしまったが、皆同様に、一言出でいて、少し笑ってしまう。
お通しは、串焼きや、ゼッポリーネ、チーズとハムの盛り合わせなどが、大皿におつまみが乗っている。
盛り付けも豪快で、気取っていない。王太子殿下とケネスは、慣れたように食べ始めた。なので、私も遠慮なくつまむ。毒見は大丈夫なのかとか気にしない。
「んーっ! 串焼きは炭で焼いた味が絶妙だわ! 焦げているところも美味しい」
「ここの串焼きは、豪快に焼いてて美味(うま)いんだよなぁ」
「僕はこのゼッポリーネが好きだ。青のりの風味に、モチモチの生地が最高」
「あっ。本当だわ! ゼッポリーネって初めて食べましたけど、こんなにモチっとしてるんですね」
モグモグと食べながら生エールを飲む。何と幸せかな。
まったりしていると、ケネスがハッとして、王太子殿下もといサミール様へと話す。
「サミール。お前、アクアに話があって飲みたいって騒いでたんだろう。酒が深くなる前に話した方がいい」
「しまった、忘れてた。そうそうアクアちゃん。孤児院への雇用をしてくれたんだって?」
「はい。下働きが必要だったので。サミール様に提案した、研修制度を使ってみました。出来る事と出来ない事を明確にしたので、勉強も進んでいるようですわ」
「そうか、ありがとう。実は以前話していた内容を提案しようと思っているんだよ」
「! 支援金を就職先に配布して、職場で不足した知識を学ぶ制度ですか?」
「ああ。実際にアクアちゃんがやってくれたから、起用しやすくなった。君の名前を出して、提案するけどいいかな」
まさか、私の意見が採用されるだなんてと、驚いてしまう。でも、私は迷いなく頷いた。
「勿論です。よろしくお願いいたしますわ」
「了承してくれてよかったよ。ありがとう」
孤児院の子供たちの就職先が増える可能性があるだなんて、とっても喜ばしい。
「そうだ。ラスク美味しかったよ。あっという間にお店が出来るんだから、吃驚した」
「ケネスが騎士団に広めてくれたから、レシピが飛ぶように売れたんですよ」
「それはきっかけに過ぎない。味が美味いから、その結果だ」
ラスクの新商品が、何味がいいかなんて、話し始めて盛り上がる。お酒がもっと進むと、王太子殿下が、ケネスの小さい頃のエピソードを面白おかしく話し始めて、笑いが止まらない宴会になった。
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