第9話 ラスク無双

 

 夕刻。家でゆっくりしていると、玄関から、呼び鈴が鳴る。

 扉を開けると、そこには、ケネスは、どっと疲れた様子で、立っていた。


 ひとまず、リビングへと案内する。仕事が終わったであろうケネスに、労りを込めて、瓶詰めエールを渡す。そのままゴクリゴクリと勢いよく半分くらい飲むと、ようやっと話し始めた。


 話によると、ケネスにお願いしていた、大量生産したラスクは、第二騎士団に配られたのだけど、それはそれは、ひどく好評だったようで。

 騎士塔は、ラスクの奪い合いが勃発して、ケネスは事態を収集するのに大変だったとか……。


 今回はケネス以外にも配るため、しょっぱいラスクの他にも、バターを塗ったパンをオーブンで焼き、グラニュー糖をまぶした、甘いラスクも一緒にカゴへと入れた。それも争いの種になったようで。


「甘いラスク派、しょっぱいラスク派の決闘までやろうとする奴らが出てきやがって……」


 ケネスは遠い目をしている。いくらこのグリーンネス王国の国民性が、おおらかで陽気とはいえ、ラスクで、そこまで盛り上がることに驚きを隠せない。


「ケネス……。宣伝をしてくれて、ありがとう。大変な目に合わせて申し訳なかったわ」

「いやそれはいいんだ。俺から言い始めたことだしな。ただ……」

「ただ……?」

「サミュエル王太子も食べたいとかほざきやがってな……」

「え……」


 いくら侯爵家の人間だからといって、王太子殿下のことそんな風に行っていいの!?

 というか、気軽に始めたラスク作りだったけど、随分と大ごとになってきた。王太子殿下に献上することになるだなんて。


「レシピを買っていただいて、王城のシェフに作ってもらうんじゃ駄目かしらね」

「それなんだが……」



 すると、呼び鈴が再び鳴る。今度は誰かと思ったら、鍵によってかちゃりと扉が開く音がした。チャーリーかしら?


「大変です! アクアお嬢様!」

「ど、どうしたのチャーリー。そんなに急いで」


 慌てた様子のシャフのチャーリーが、ドタドタと走ってこちらへとやってきた。その額には汗が吹き出ている。


「ラスクのレシピが売れに売れているようで、商業ギルドがパンクしているそうです!」

「な、何ですって!?」


 まだレシピが発売されたばかりなのに!? というか反響凄すぎじゃない!?


「それとですね!! 商業ギルドから、ラスクの専門店を作らないかと打診が来ています!! あと甘いラスクのレシピ提供の要請も!!」

「えっ!??」

「何でも、販売開始したしょっぱいラスクのレシピが買えない人が増えてきて。それに甘いラスクのレシピは商業ギルドにまだ提供していないので、せめてラスクを販売しろと要望が沢山きているそうです」


 う、嘘でしょう。そんなことってある!? いや確かにラスクは美味しいけれど……!!


「アクア、俺も今言おうと思ったんだが、そういう事なんだ。これからラスクの流行がくる。商業ギルドで売られているレシピの商品は、3年間販売を禁止されているだろう。だからラスクを店で売る権利があるのは、お前だけだって言うことだ」


 ラスクを他の商店が3年間販売出来ないことは分かっていたけど、まさかお店をやらなきゃいけないような状況になるだなんて……。何だか、座っているのに目眩がしてきたわ……。


「困ったわね。もうすぐ王城で働き始めるというのに。取り敢えず、明日商業ギルドに行った方が良さそうね。悪いのだけど、朝一からチャーリーも同席してもらえるかしら」

「はい! 勿論です」


 チャーリーは、元気よく返事をした。


 明日は孤児院に行って下働きの雇用契約を詰めていくつもりだった。でもかなり急いでいるだろうし、先に商業ギルドで話をざっくり纏めてから、孤児院へ行ったほうがいいわね。


 問題はあと一つ。


「ケネス。サミュエル王太子殿下についてだけど、落ち着いたら直ぐに献上するとお伝えしてもらえる? ……いえ、伝言だと失礼だから駄目ね。私が手紙を書くわ」

「アクアは忙しくなるんだから、手紙なんて書く必要はない。俺が上手く伝えておく」

「でも――」

「奴と俺は、幼馴染なんだ。気安い仲だから安心していい」


 あ、だから、割とぞんざいな言い方をしていたのね。


「それじゃあ、ケネスにお願いしようかしら。……ケネスには迷惑をかけてばかりね」

「そんな事はない。宣伝効果がここまであるとは思わなかったから、俺も悪かった。

 ――落ち着いたら、儲けた分で、打ち上げをしようぜ」

「っありがとう、ケネス」


 カラッと笑って、こちらを気にさせない風に言うケネスに安堵した。第二騎士団の副団長というのも、納得の人の良さだ。美味しいお酒、たんまり用意しよう。


 そして、ワタワタとして、気がつかなかったけど、ケネスとチャーリーが初対面だったので、紹介をして、一旦解散した。


 このアパートメントに、下働きを雇いたくて、ラスクのレシピを販売しただけなのだけど。とんでもない事になった。


 というか、結局この国には、ラスクが存在、または普及していなかったってことなのよね。何か聞かれた時に、上手く答えられるようにしないと。


 それにしても、ラスク専門店かぁ。どんな客層に一番受けるのかしら。貴族以外にも手に取りやすい価格設定がいいわよね。一過性の流行だと直ぐにお店を畳むことになるから、どうせやるなら、王都で定番の菓子にしたいけれど。

 でも、王城の仕事と両立できるかしら。経営とか全て商業ギルドの人選にお任せして、最終チェックをするだけなら可能?


 過労になることだけは避けたいのに、どういう因果か、忙しそうなことが巡ってくる。

 本当に困ったなぁと、頭を抱える。それにこれは一旦実家に報告したほうがいいだろう。


 書斎に移動して、レターセットを取り出す。お父様宛に、ここ数日で起きたこと。――アパートメントの下働きを補充することや、ラスクのレシピを販売したら大変なことになったことなどを詳しく書き込んだ。


 インクを乾かしながら、書いた内容を読み直して気がついたけど、王都に来てから目まぐるしい生活をしているわね。私……。


 思わず遠い目をしてしまう。でも自分でやり始めたことだから、中途半端なことだけはしないようにしようと、決意を固めた。



 ◇◆◇



 そして、次の日。なんと商業ギルドから、馬車の手配をされていた。指定していた午前の早い時間から、アパートメントの入口に止まっていたので、チャーリーと馬車に乗り込み向かう。とってもVIP対応である。


 数十分、馬車に揺られていると、立派な門構えの建物が目に入る。


「アクアお嬢様、あちらが商業ギルドですよ」

「随分立派なのね」


 商業ギルドの建物は、貴族のお屋敷と同じ位の規模感だった。馬車はゆっくりと、商業ギルドの中へ入っていった。



 馬車を降りると、やたらと仕事が出来そうな美女が、そこには立っていた。


「商業ギルドへようこそ。アクア・フェアバンクス様。私は、商業ギルド長のアンナ・キーナンと申しますわ。ご足労おかけいたしました」

「いえ、とんでもございませんわ。本日はよろしくお願いいたします」


 商業ギルド長に勧められて、建物の中に入る。立派な応接室へと案内されると、商業ギルドの職員と思われる人が数人待機していた。


 ――今日も、長い一日となりそうだ。

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