第5話 殺人ハイボール
アパートメントから一歩踏み出すと、夕焼けを飲み込むように夜の
表通りに出ると、ちょうどよく乗合馬車が止まると、ケネス様に腕を引かれて、乗り込む。
乗合馬車は、二階建てになっていて、乗客の愉快な話し声がよく聞こえる。
――あ、瓶エールを飲んでいる人たちもいるわ。自由で楽しそうね。
「乗合馬車は初めてだろ?」
「えぇ。こんな賑やかなところは初めてよ」
ケネス様はいたずらが成功したような顔をして、ククッと笑った。
「これから飲みに行くんだし、今みたいに敬語なんて使わなくていい」
「ふふっ。なんてったって飲み友達だものね。ケネス様じゃなくて、呼び捨ての方がいいかしら?」
つい、
強面なのに照れているのが、なんだかかわいらしくて、笑みが溢れてしまう。
「ケネス。今日はどこへ連れて行ってくれるの?」
「……レストランサクラに行こうと思うが良いか」
「もちろんよっ!」
しばらくすると、ケネスは、天井から垂れ下がっているロープを振って、ベルを鳴らした。
「よし、降りるぞ」
ベルが合図だったようで、乗合馬車が停車した。出入口へ向かい、ケネスが先に降りると、大きな手を差し出してくれたので、遠慮なく手を重ねて馬車を降りる。剣だこでゴツゴツとした感触に、本当に騎士さんなんだなぁと実感した。
馬車を降りた先には、『サクラ』と文字の入ったちょうちんと、のれんが飾られているお店があった。この世界では馴染みのない日本ならではのものに気持ちが高揚としてくる。
中に入ると、「あら、副隊長さんいらっしゃい」と、にこやかに店員さんが迎えてくれて、勧められたカウンターの席に座る。
「アクア。ここは生エールがうまいんだが、それにするか?」
「はい!」
私がそう答えると、ケネスは、直ぐに生エールを頼んでくれた。カウンター越しにジョッキグラスに生エールを注いでいる様子が見える。
生エールは、サーバーのメンテナンスが大変だからといって、取り扱っているところは少ない。今まで瓶エールしか飲んだことがないから、期待に胸が高鳴る。
「お待たせしました。生エールです」
透明なガラスが、薄黄色に輝く。泡3、エール7の黄金比だ。泡が消えないうちにケネスと急いで乾杯して、ジョッキを口に傾ける。
どこか柑橘のような風味がする。よく冷えた軽めのエールで、ゴクゴクと飲めて、喉越しがいい! 一口では止まらなくて、どんどん喉に吸い込まれていく。
「ぷはーっ! なんですの、これ。 とっても美味しすぎるわ!」
「あぁ。何回飲んでも美味いぞ。ほら、これメニューだ」
「ありがとうございます」
手書きのメニューを受け取る。ページをめくっていくと、覚えのある品ばかり。これは珍しいけど美味しいっていうのに納得だわ。だって――
(これはどう考えても日本食だわ……)
やみつきキャベツ、焼き鳥盛合せ、冷奴、だし巻き卵、きゅうりの一本漬け、ポテトサラダ、揚げ出し豆腐、フライドポテト、もつ煮、餃子、鳥の唐揚げ、サイコロステーキ、肉じゃが、〆ラーメン、おむすび……。
「お通しの枝豆です」
「ありがとうございます」
まさか、異世界の王都にきて、日本食を食べられると思わなかった。
「枝豆の食べ方分かるか? メニューも珍しいものばかりだろう。分からないものがあったら、何でも聞いてくれ」
「これって、南西の島国料理なのよね」
「そうだが、どうした?」
きっと私は変な顔をしているだろう。懐かしい料理に、泣きそうでもあり、ひどく嬉しくもある。枝豆を指で押さえて、プチッと中身が飛び出る。口に入ると、豆特有のほのかな甘味が口に広がった。
「美味しい……」
日本人の時と、身体が違ってもなお、味覚の感じ方が同じで、何だか不思議な気分だ。枝豆をいくつかつまんだら、生エールを口に流す。かつての定番に自然と笑みが溢れた。
「ククッ、やっぱ
「だって美味しいのだもの! 豆の茹で加減も少し硬さが残っていてちょうどよくって、最高よ!」
「頼みたいものは決まったか?」
「えぇ!」
話を聞いていた店員さんがカウンター越しに「お決まりですか?」と聞いてくれたので、メニューを再度開く。
「ええと、取り敢えず……、冷奴と、きゅうりの一本漬け、鳥の唐揚げをお願いします」
「俺は生エールおかわりと、ポテトサラダ、揚げ出し豆腐を頼む」
「あ! 私にも、おかわりで生エールください」
「かしこまりました。お料理は一人前ずつでよろしいですか?」
「一人前ずつでお願いしますわ。取り皿だけ2枚ください」
「はい。出来上がりまで、しばらくお待ちください」
注文が終わると、ケネスが、生エールを気持ち良さそうに飲み干したので、私も負けじと残りを味わいつつ飲み切る。やっぱり美味しすぎるわ……。
ジョッキが空になったら、おかわりの生エールが運ばれる。また一口生エールを飲み、枝豆を食べ進めた。
「あー、幸せすぎるわ。生エールと枝豆の相性が抜群で……!」
「あぁ。毎日ここに来たくなるんだよなぁ」
「ケネスは、普段から外食されていらっしゃるの?」
「外食がメインだな。家には今、硬くなった水分奪われるパンしかない……」
「硬くなったパンでしたら、フレンチトーストか、ラスクがいいかもしれないわ」
「……フレンチトーストとラスクってなんだ?」
(こんな沢山日本料理があるのに、フレンチトーストとラスクが普及してないなんて……!)
「フレンチトーストは、卵と砂糖と牛乳の液を作って、浸してから焼く料理なの。香り付けにバニラエッセンスやラム酒などを入れたり、牛乳を生クリームで作っても美味しいわ。あと、砂糖を抜いて焼いたベーコンと一緒に食べてもお食事系になって最高で……!」
「甘すぎるのは苦手だから、後者の方が良さそうだな」
「ふむ。ラスクはオリーブオイルと塩胡椒、ニンニク、粉チーズを混ぜて、パンを薄く切り、塗ってから、低音のオーブンで長時間焼くと美味しく出来るのよ。サクッとして、おつまみにも丁度いいわ。甘くするのも美味しいけれど」
あ、もしかしたら、下働きの雇用費、これでいけるかもしれないわ。明日早速試作しないと。
そんなこと考えていたら、食事が運ばれてきた。
「お待たせしました」
きゅうりの一本漬け、冷奴、ポテトサラダがカウンターに並ぶ。思い描いていたものと一致している。なんだかとっても輝いて見えるわ……!
取り皿をケネスに渡す。箸とナイフとフォーク、スプーンがあったけど、迷わず箸を手に取った。
「好きにつまんでくれ。行儀は良くないが、適当につまむのも悪くないだろう?」
「えぇ、もちろん! では遠慮なく」
斜めに切られたきゅうりを一切れ箸で掴み、口に運ぶ。
シャキッとする歯応え、程よい塩気。
(まさに本物のきゅうりだー!!)
きゅうりを堪能していると、ケネスが、おもむろに、ポテトサラダにカウンターにあったソースを豪快にかけ始めた。
「なんでソースを!?」
「これが美味いんだ」
「えぇ!?」
ケネスは当然のように、パクパクとフォークで食べて、生エールをごくりごくりと飲んでいる。
(本当にソースとポテトサラダは合うのかしら……)
「では
「おう」
ソースのかかったポテトサラダを口に入れた瞬間、ウスターソースのような少し濃いめの味が広がる。その後、ジャガイモとマヨネーズの味がするけど、なんだかクリーミーに感じる。こ、これは……!!
「わ、すごく合います! 美味しいー!」
「だろう?」
しかも生エールにも合う。最高すぎる……!
頬が落ちるとはこのことね。
揚げたての鳥の唐揚げと、揚げ出し豆腐も出来上がり、提供される。
どちらも湯気が出ていて、見るからに美味しそう。あ、唐揚げのレモンがついている。
吸い込まれるように、まずはそのまま唐揚げを半分かじる。熱い! けど、醤油とニンニクと生姜がよく効いていて、頭を抱えるほど美味しすぎる。
「ここは天国かしら……?」
「おい待て、錯乱しすぎだ」
鳥の唐揚げが、美味しすぎて、天を仰ぐ。ジューシーな鳥肉だ。でも鶏とはちょっと違う味。何食べてるか分からないけど、とにかく美味しいから優勝だわ。
生エールを飲み干すと、多幸感でいっぱいになる。
「ケネス、ここに連れてきてくれてありがとうございます!」
「お、おう」
少し引き気味のケネスをスルーして、店員さんへ、ハイボールを頼む。ウイスキーもあるから、きっと思い描いているものと同じはず……!
「おい、ハイボールなんか飲んで大丈夫か」
「え?」
「お待たせしました。ハイボールです!」
するとすぐにハイボールがきた。え、色が濃い……。恐る恐る飲んでみると、炭酸のしゅわしゅわの直後にウイスキー独特の味がドカンとくる。
ウイスキーがものすごく濃いわ! だけど、謎の飲みやすさがあって、恐ろしい!
「大丈夫か? それ飲んだやつ大体潰れるから、通称殺人ハイボールという異名がついているんだが」
「殺人……!? 大丈夫ですが、なるほど。納得の濃さだわ」
「ちょっと副隊長さん! 殺人だなんてとんでもない! 濃いめのサービスです!」
店員さんがすかさずケネスへ突っ込む。
確かに濃いけど、飲みやすいから、スイスイ飲んで
「アクア、そういえば今日王城へ行ったんだろう? どうだった?」
「王城のカフェテリアに行ったのだけど、チュロスがとっても美味しかった! あとは、高貴なお方ばかりにお会いして緊張の連続だったわ」
「高貴な方? もしかしてサミュエル王太子と会ったのか?」
「えぇ!? なんで分かったんですの!?」
「期待の新人とかには自分から会いに行くのが恒例なんだよ」
「本当にそうなんですの……!?」
王太子殿下が言っていたことは本当だったのだわ。一応伯爵家出身で、文官試験の成績も良かったから、会いにきてくださったのね。
忙しいだろうに、現場に来てくださるだなんて、すごいお方のようだ。
「ケネスも18歳から働き始めたのよね?」
「あぁ、もう3年になるな」
「……! ということは、今21歳なの? 本当に敬語じゃなくてもいいのかしら」
「今更敬語使われても気持ち悪いからやめてくれ……」
「そんなに全力で拒否しなくてもいいじゃないー!」
思い切り顔をしかめるケネスに、少し拗ねて、頬を膨らませる。
「騎士たちに囲まれていると、ちゃんとした敬語聞く機会が少なくなるから、慣れないんだ」
「ははっ。騎士さんにだって貴族がいらっしゃるはずなのに」
「騎士になったら言葉が乱れるんだよな……」
「今日対応してくれた騎士さんは丁寧でしたけどね」
「それは相手が女だからだろ」
「そんな馬鹿な……!」
唖然とするが、きっとケネスの言ってることは自論だろう。うん。きっとそう。
それにしても、ツマミが美味しくて、お酒が進む。気を使わず、誰かと一緒に飲むのがこんなに楽しいと知ってしまったから、友達をもう少し作ろうと決意した夜だった。
夜も深まってきた。結局ラストオーダーまで、楽しく飲んだ。お会計は、引っ越し祝いということで、ご馳走になってしまった。その代わり、硬くなったパンでラスクを作ってくれと言われてしまったので、お言葉に甘えることにした。明日、気合入れて作ろう。
また乗合馬車に乗って、アパートメントの近くで降りる。ふわふわとした足取りで、お互いの部屋に戻った。
メイクを落として歯を磨いて、ベッドに飛び込む。今夜はいい夢を見れそうだ。
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