第4話 謎の温泉
コーヒーを飲んだところで、やっぱり目の前の状況は変わらないわけで……。ニコニコと目の前に座っている王太子殿下を前に現実逃避する。
アクアが溜息を飲み込むと、不思議そうな顔をした王太子殿下が首を傾げた。
「あれ? そんなに青ざめて、僕の美貌に当てられているんじゃなくて、王太子という地位に対して緊張しているの?」
「……尊い血筋のお方ですから。緊張してしまい大変申し訳ございません」
もしかして、見目が整っていらっしゃるから、今まで令嬢に沢山言い寄られたのかしら。まぁ、自惚れるのも納得の美貌だわ。
「ははっ。アクア嬢は面白いね。食事中に緊張させてしまうのも悪いし、一つだけ質問に答えてくれる?」
「はい。お答え出来ることでしたら」
王太子殿下は、足を組み直し、急に真面目な顔になった。
「今現在、孤児院の就職先が増えずに困っているんだ。孤児院がある教会では、学のあるシスターが、読み書きを教えるので精一杯で、計算とか他の一般教養を中々身につけられていないからだ。――君ならどうする?」
「……そうですね。計算などの一般教養は、各家庭やご近所同士で学ばれているのが殆どだと認識していますが、いっそ、各地域に学び場所を作ってみてはいかがでしょうか」
「学び場所……?」
「はい。大きな学力の差が出来ぬよう、地域の子供たちを集めて、一定の水準まで専門の教師が複数人纏めて教えるのです。各家庭で勉強を教える手間も省けますし、様々な理由で学べなかった親が子供に教えられないと困ることもなくなるかと思います。可能であれば子供は無料で教えられたら良いですね」
この国は集団に対して何かを教えるという選択肢がない。勉強は、一対一で学ぶものという固定概念があるため、学校が存在しない。裕福な商家や貴族は、家庭教師を雇うから、現状、経済力の差が、学力の差になっている。
「集団に教えるには具体的に何が必要だろうか?」
「そうですね。教本やノート、筆記用具。それらを使う机と椅子。後はノートに書くべきことを大きな板のようなものに、大きく文字をかけるものがあればよろしいかと」
「ふむ」
流石に黒板はこの世界にないかと思うけど……。魔法がある世界だし、再現できるかしら?
今あげたものは、すぐに実行できない夢物語のような案だし、現実的なものも答えた方が良いわよね……。
「学び場所以外ですと、孤児が就職した商会などに支援金を与えてはいかがでしょうか? 仕事に必要な知識を職場で学ばせるのです。どちらの案もお金がかかって参りますが、必要な投資かと。人が育てば国力も上がりますので」
喋りすぎたかしらと、目の前に座る王太子殿下を見ると、エメラルドグリーンの瞳を煌めかせていた。
「素晴らしい考えだ! どうしてそのような斬新な発想が思い浮かんだ? あぁ、すまない。一つだけの質問と言ったのに、何個も投げかけてしまったね」
「いえ、ただ思いついただけですので」
(……まさか前世の知識ですなんて言えないしね)
いささか興奮した様子で、王太子殿下は立ち上がった。
「アクア・フェアバンクス。これからの君の仕事ぶりを期待しているよ」
「精進して参ります」
ニッと、陰りもない太陽のような笑みを浮かべた王太子殿下は、宣言通り、食事の乗ったトレイを持ってそのまま去っていった。
思わずため息をつく。やっと一人になれた。すっかり冷めてしまったチュロスをチョコレートに浸し、一口頬張る。
大変な困難を乗り越えた後のチュロスは、出来立てよりも美味しく感じた。
◇◆◇
一度アパートメントに帰宅し、王城で気疲れした分をお風呂で洗い流すことにした。自宅のシャワールームで身体を洗い、タオルを胸に巻いて屋上へと続く階段を登る。屋上の露天風呂は、蛇口を捻ると温泉が出るので、帰ってきた時に貯めておいた。露天風呂を覗くと、ちょうど良く溜まってきている。
そういえば、温泉が流れる蛇口は腐食しやすいはずなんだけど、この蛇口はツルツルピカピカだ。この世界の温泉は硫黄が入っていないのかしら?
まぁいいか。早く入ろう。
身体がじんわりと暖まる。温泉に浸かることで自分の身体が冷えていたと気がつく。
「ふぅー。極楽、極楽……!」
温泉なんていつぶりだろう。少なくともこの世界に生まれてから、初めての温泉だから、16年以上ぶり?
あっ、肌がツルツルしてきた。この温泉を使って、温泉たまごも出来るかなぁ。というか本当にこの温泉は、どこから引いているんだろう……。謎は深まるばかりだ……。
◇◆◇
露天風呂を出ると、バスローブを羽織り、全身の保湿をする。この後は、ケネス様と酒場に行くため、身支度を始める。きっとドレスとか着て行かない方がいいんだろうなぁ。ラフに着れるワンピースがいいかしら。
クローゼットの中にあるワンピースを全部出して、ベッドの上に並べる。取捨選択をしていると、一つに絞れた。
襟のようなスクエアケープがついたブルーグレイのミモレ丈のワンピース。ボタンが首元についているだけで、シンプルなデザインだ。足元はオフホワイトのスクエアトゥミュールにして春らしさを出そう。服装を決めたら、軽くメイクして、髪を魔法で乾かす。
使っているシャンプーと同じ香りのするヘアオイルを毛先に馴染ませて、艶を出す。さて、髪型どうしよう。……ゆるふわの編み込みポニーテールにしようかな。
早速ドレッサーの前で、髪を結う。それにしても今世は巻かなくても、髪がくるくるとカールしているから、アレンジが楽で便利だなぁ。癖が形状記憶されているから、ストレートは出来ないところが難点だけれど。そんな難点が気にならないほど、おしゃれ出来ることがとっても楽しいわ。
――さて、商家のお嬢さん風に身支度が出来た。
ケネス様がお仕事を終えるまで、少し時間があるから、一階のラウンジでお茶でも頂こうかしら。よし、行こう。
ミュールに合わせたオフホワイトの小ぶりのバックを持ち、魔導エレベーターで一階へ向かう。
◇◆◇
エレベーターを降りて、すぐの受付に向かう。ちょうどメイドのレイリンがいたので、話しかける。
「レイリン今時間大丈夫?」
「はい。アクアお嬢様、いかがなさいましたか」
「ありがとう。手が空いたら紅茶を用意して貰えるかしら。後5分くらいでいいから、少しお話しに付き合って貰いたいの」
「勿論です。すぐにお持ちしますが、ラウンジへのご用意でよろしいでしょうか?」
「えぇ。仕事を増やしてしまって、ごめんなさい」
「いえ、とんでもございません。アクアお嬢様とお話し出来るだなんて大変光栄です」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。ゆっくりでいいから待っているわね」
通路をすぎたところにある図書室で、適当な本を選んでラウンジへ進む。外を眺めると、本当に綺麗な中庭だなぁと思う。王都にきてから、沢山の花を愛でられて癒される。
気分良く本を開き、数ページ読み終わると、レイリンが、ティーカートを持ってきてくれた。
「アクアお嬢様お待たせいたしました。本日は王都にしか出店していないブレンドティー専門店のローズティーをお持ちしました」
花柄のティーカップをテーブルの上に置くと、ほどよい高さで注いでくれた。ローズの華やかな香りがふんわりと鼻をくすぐる。
「ありがとう。さぁ、レイリンも座って」
「いえ、私のような使用人が、アクアお嬢様と同じ席を座るだなんて……」
「いいから、お願い。」
「は、はい……。それでは、大変恐縮ですが、失礼いたします」
おずおずと戸惑いがちに、レイリンが椅子に腰掛ける。あら? 余計に緊張させてしまったかしら。逆に悪いことをしてしまったかも。それにレイリンの分のティーカップも持ってきて貰えばよかったわ。段取りが悪い自分に内心苦笑いを浮かべながらも、外面は穏やかに微笑む。
「急にお話しに付き合ってもらって、ありがとう。どうぞ、気を楽にしてちょうだい。身構える必要はないわ。ここの労働環境を確認しておきたくって」
「労働環境、ですか?」
きょとんと、僅かに目を丸くするレイリンに、出来るだけ優しい声で話を続ける。
「えぇ。本来であれば爺やに確認すれば良いのでしょうけど、現場の声を直接聞いておきたかったのよね。ちなみに現状、他にメイドはいるかしら?」
「いえ。メイドは私一人だけです」
えっ、このアパートメントのメイド業務を一人でまわしている!?
「住民の洗濯やゴミ捨て、部屋や共用部の清掃はどうしているの?」
「洗濯ものはフェアバンクス伯爵家のタウンハウスへ馬車で届けて、夕方には返送していただいております。部屋の清掃やベットメイキング、タオルの交換等は私が、共用部の清掃は執事のジュートが兼任して下さっています」
執事が掃除!? そんなの普通じゃ考えられないわ……。
「ところで、週に2日はきちんと休めている?」
「……? 週に1日お休みをいただいております」
まさかの週休1日勤務に目眩がしてくる。
「レイリンの労働時間はどれくらいかしら」
「朝の鐘から夜の鐘まででしょうか」
「……!?」
朝の鐘は9時、夜の鐘が22時。なので、お昼休憩を除いても12時間勤務だ。
住み込みだと、この労働時間かつ週1休みも、グリーンネス王国の法律上は問題ないのだけれど、それでもギリギリ守られている程度。かなり拘束時間が長い部類に入る。
若干遠い目をしていると、レイリンは、少し慌てた様子で言葉を発した。
「あっ、度々途中休憩もいただいていますし! 受付に座っているだけの時間もあります。それに夜の鐘から朝の鐘までは自由時間とさせていただいておりますので……!」
「詳しくありがとう。ジュートも同じような感じなのでしょうね」
「はい。私なんかよりも働いて下さっていて、頼らせていただいています」
よく働いてくれるのは有り難いけど、ただでさえ労働法違反スレスレなのに、レイリンよりも執事のジュートの方が働いているだなんて……! 直ぐに改善してもらわなきゃ。
「そう。頑張ってくれているのね。他に使用人はいないのかしら」
「アパートメントは、ジュートと二人です。アクアお嬢様専任シェフのチャーリーが1週間前に来てからは、忙しくしていると手伝ってくださいます。後、私たちが休日の場合は、タウンハウスから人が派遣されます」
どう考えても、やっぱりもう少し人手が欲しいわね。今日聞くことにして本当によかった。こんな大変なお仕事をさせて申し訳なさすぎる……。
「よく分かったわ。いつもよく働いてくれて感謝します。ただ皆働きすぎになってしまったわね。……アパートメントにはレイリンとジュートの他に、下働きが二人は必要なように思うけど、どうかしら」
「! 下働きが二人もいてくれたら、凄く助かります」
レイリンの顔の表情がパッと明るくなる。提案に賛成してくれて良かった。
「そうよね。なるべく早めに、労働管理をしている爺やに掛け合ってみるわ。あ、爺やには私が無理やり労働管理を聞き出して勝手に人を増やそうと、口を挟んでるだけと伝えておくから安心してちょうだい。ところで、使用人の部屋は空いてるかしら」
「地下の部屋がちょうど2部屋空いております」
「ちょうどいいわね。これからは週二日は休めるように調整するから。忙しいのに時間をとってごめんなさい。もう下がっていいわよ」
「はい! アクアお嬢様、お話しありがとうございました」
ティーカートは、私がラウンジから出た時に片付けて欲しいと伝え、レイリンには持ち場に戻ってもらった。
下働きは、どこから人材を持ってこよう……。それに今年の雇用予算は決まってるだろうし、予備費から出してもらう?
そういえば、昔のカントリーハウスも同じような労働環境だったわ。その時、まだ私も幼かったから、お母様に確かお願いしたと思う。
――今回はなるべく来年の雇用予算組みまで自分の力でなんとかしたい。けど、かといって、私財を投げうるのは、家族に反対されるだろうし……。
何か利益を出せるようなことあったかなぁ。軽く唸りながら、考えを巡らせる。良いアイディアが思い浮かばず、とうとう頭を抱え始めたその時、歩幅が広い足音が聞こえた。
「アクア嬢、待たせたな」
「! ケネス様。お仕事お疲れ様です」
そこには私服に着替えられたであろう、待ち人が現れた。騎士のお仕事で汗をかいたからか、シャワーを浴びたのだろうか。髪の毛が乾いていない。水を被った大型犬のようでなんだか可愛らしい。
「ふふっ。ケネス様、急いでいらして下さったのですか? 少し髪の毛乾かしますね」
サッと魔法で乾かすと、珍しいものでもないのに、感心した様子だった。
「ありがとう。それじゃ、飲みに行くか」
「えぇ。今夜はよろしくお願いいたします」
ひとまず考えごとは中断して、美味しいご飯とお酒を楽しむことにしよう。
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