第3話 チュロスとホットチョコレート


 太陽が昇ったら、洗面で顔を洗い、念入りに保湿をする。

 ネグリジェから、フォーマルなドレスに着替え、髪を編み込み、ハーフアップにする。その後、サッと粉をブラシでのせて、仕上げに、淡いローズピンク色の化粧紅を唇にのせる。

 私の顔は我ながら目立つから、度なしの丸メガネをかけて、大人しく見えるようにしよう。仕上げに、お気に入りのジャスミンの香水をふんわり吹きかけた。


 今日は、初めて王城に行くのだ。寝室の窓から見えるお城の景色を眺め、伸びをする。

 水差しからコップに水を注いで、一気に飲みきり、チャーリーの朝ごはんを求め、ダイニングへ向かった。


「アクア様、おはようございます」

「おはよう、チャーリー。朝ごはんをとても楽しみにしていたのよ」


 席に着くと、テーブルへ朝食を用意してくれる。


「ありがとうございます。家庭的な料理をご要望ということでしたので、私の母がよく作ってくれていた朝食をご用意しました」

「まぁ、美味しそう。さっそく頂くわね」


 細長い形をしている小麦色のパンの横に切れ込みが入っていて、その中はプロシュートとチーズ、ベビーリーフが挟まっているようだ。パンの横には、茹で卵とスライストマト、焼いたマッシュルームが添えてある。


 パンを持って直接かぶりつくと、まずふんわりとほのかにガーリックの香りがする。そのあとオリーブオイルのフレッシュな香りに、プロシュートの塩気、チーズのまろやかさ……! それらをそっとベビーリーフがさっぱりと纏めている。

 貴族の食事には、ニンニクは殆ど使われないから、とっても感動。美味しすぎるっ!  しかもニンニクの匂いが後で口に残らないように、パンに直接擦り付けただけなのかもしれないわ。


「チャーリー! これはガーリックよね?」

「はい。お口に合いましたか?」

「えぇ! えぇ! この香りで食欲がもっと湧いてきて困っているところよ!」

「ぷはっ! くっ、それはよかったです」


 私が熱弁すると、チャーリーが堪えきれず吹き出している。ジト目で見ると、咳払いをして誤魔化していた。

 何だか納得がいかないけれども、茹で卵の殻を剥きながら、今後のことをチャーリーに伝えるとしよう。


「昨日伝えていた通り、今日は、王城へ行ってくるわ。お昼と夜ご飯は外で済ましてくるから、ゆっくり休んで頂戴。

 あと雇用のことね。週休二日制で働いて貰いたいのだけれど、希望休があったら都度言う事。急用や体調不良だったら、当日の連絡でも問題なくてよ。休みたい曜日はあるかしら?」

「特に休みたい曜日はありませんが……、週に二日も休んでいいんですか?」

「勿論。労働者の当然の権利よ。基本的に私が仕事の日と、休みの日、それぞれ一日ずつ休んでもらうようにカレンダーに書いていくわね」

「ありがとうございます」


 本当は時間で労働時間を管理した方が正確なのだけど、時計は繊細で希少すぎて貴族でもなかなか手に入らなくて、一日にち単位で働くのがこの国の主流なのよね……。

 時計台の鐘で大体の時間は分かるから、朝の鐘から夕刻の鐘までって働き方もあるのだけど、チャーリーは私の都合に合わせてもらうようになる。


 昨日聞いた話によると、チャーリーの住居は、アパートメントの地下にあるみたいだから、仕込みや仕入れなどやることが終わったら、空き時間は部屋に戻ってもいいし、外へ出かけるのも、自由にして構わないと伝えてある。


 そんなことを考えながら、茹で卵をかじると、ちょうど良い半熟で美味しかった。しかも日本のコンビニで売っている茹で卵みたいに、卵自体に味がついている。やっぱりチャーリーは天才だ……!



 ◇◆◇



 アパートメントを出ると、春らしい暖かな陽射しと、ふんわりした風が心地良く感じる。まだ新しいパンプスの踵を踏み鳴らして、王城へと足を進める。


 事前に地図で調べていた通り、道を進むと、王城がある三段目へと続く階段があった。階段の横には、馬車の車輪跡が残っている坂がある。

 はー、これを登るのよね……。少し階段を見てげんなりとしたけど、階段の脇に置いてある花壇を眺めながら上がっていったら、あっという間に登り終わることが出来た。


 王城を見上げると、塔がいくつもあって、迫力が凄い。城の周りを囲う、水を張った堀は、まるで湖のように美しい。跳ね橋を歩くと、ようやく城門へ辿り着く。門番の騎士さんへ、事前に手紙でいただいていた入城許可証を渡す。


「グリーンネス城へようこそ! アクア・フェアバンクス様ですね。私は第三騎士団所属アドルフと申します。政務塔へご案内するよう賜っていますので、どうぞこちらへ」


 騎士のアドルフさんについて行き、城門を抜ける。近くで見ると、塔一つ一つが果てしなく大きい。中央にそびえ建つのが、王族が住まう主塔だろうか。


「王城は初めてですか?」

「はい。初めてなので、王城の迫力に、つい圧倒されてしまいました」

「ははっ。私もそうでしたよ。ざっくり説明すると、王城の周りを囲うのが、城壁塔。中央が王族の住居である主塔。左側が騎士塔で、右側が政務塔ですよ。王城の地図は限られた人しか見れないので、初めは迷うかもしれませんが、周りの人が親切に教えてくれるので安心してください」

「詳しくありがとうございます」

「さぁ、着きましたよ。ここが政務塔です。受付に名前を言うと案内してくれますから」

「えぇ。お世話になりました」

「ではまた。フェアバンクスのお嬢様」



 ◇◆◇



 受付で名を告げ、案内された応接室の上質なソファに座る。

 頂いた紅茶を飲みながら待っていると、アイスブルーの絹のような長髪がなびく、見目麗しい男性が現れた。


「お待たせしました。私は政務省副大臣のリュカ・ルロワと申します」


 えっ、政務省の副大臣って、我が家の格上のルノワ公爵家の三男様じゃない!

 私は少し慌てながら、立ち上がって、片足を後ろに引き、カーテシーをする。


「副大臣、お忙しい中有難うございます。フェアバンクス伯爵家のアクアと申します。どうぞこれからよろしくお願いいたします」


 副大臣が、優しげに微笑むと、一気に場が和やかになる。


「さあ、アクア嬢。腰をかけてください。フェアバンクス領島からよく来てくれましたね」

「はい。まだ慣れぬ土地ですが、島とは異なる景色に心ときめかせているところです」

「そうですか。それは良かった。さて、雇用についてだけど話しても大丈夫でしょうか?」

「よろしくお願いいたします」


 ソファに再び座ると、副大臣は、正面に腰掛けた。


「まず、雇用条件は手紙で提示した通りですが、問題はありませんか」

「はい」


 雇用条件は、週休二日。朝の鐘から、夕刻の鐘までの労働だ。大体9時から17時の勤務になる。休憩時間はお昼のみ確約されているみたい。食堂、もといカフェテリアは無料で使い放題という太っ腹だ。なんという贅沢。お給料も初任給としてはかなり多いほうだ。休んだ場合は、その分給料から引かれるみたい。

 基本的に残業は認めないと書いてあったけど、それだけが気がかり。サービス残業しろってことなのかなとか考えてしまった。まぁ、国民性は大らかで陽気なタイプだから、きっと大丈夫……よね……?


「配属先はアクア嬢が希望されていた、法務部の労働管理を担当していただくことに決定しました」

「……!」

「仕事内容は、商業ギルドへ労働法違反の通報があった商会の調査を行い、結果を審議して、処罰の有無や内容を決めて貰います。今年の法務部はアクア嬢のみの新人採用ですが、一緒に働く先輩がいますから、気を楽にしてください」

「承知しました」


 この国にどれだけ、ブラックな労働環境があるか分からないけれど、前世の私みたいな人を一人でも減らしたいと思って、労働管理を行なっている法務部に希望していた。

 だから、まさに自分がやりたいことを出来ると言う事実に、やる気がみなぎってくる。


「今は、立て込んでいる業務がありますので、勤務開始時期が一週間後になるのですが、よろしいでしょうか」

「はい! 来週からよろしくお願いいたします」

「あと、こちらが文官用の宮廷制服です。制服に誇りを持って行動してください。文官試験で一番の成績であったアクア嬢のこれからを期待していますよ」

「有難うございます!」


 フェアバンクス領島の教会で不正がないように行われた文官試験を思い出す。引っ掛け問題が多くて苦労したわ……。


 でもこうして文官になれて、勉強を頑張ってきてよかった。勉強できる環境を作ってくれた両親にも、感謝が尽きないわ。



 ◇◆◇



 その後は、本当に業務が立て込んでいるようで、政務塔の案内すらも来週となった。でも「よかったら食堂でご飯を食べていってください」と言われたので、遠慮なく一人で伺うことにした。


 政務塔に併設しているカフェテリアに到着した。落ち着きのあるアンティークな雰囲気で、城内でもホッと出来そうな雰囲気だ。

 何にしようか、とメニューを眺める。朝はしっかり食べたし、夜も沢山食べる予定だから、軽食にしよう。


 あ、王都での新定番であるチュロスがある。それにしよう!


「すみません。チュロスとホットチョコレートのセットを下さい。あ、あとホットコーヒーもお願いします」

「畏まりました」


 カフェテリアとはいえど、高位貴族も利用するだろうから、メイドさんが丁寧に対応してくれる。カウンターで、注文をすると、瞬く間にトレイに乗った注文の品ができて、受け取った。


 どこに座ろうかと周りを見渡す。お昼より少しだけ時間が早いので、人がまばらだ。奥の席の方までくると、外にテラスがあるみたいだった。せっかくぽかぽかする春の陽気なので、テラスで食べることにしよう。


 トレイをテーブルに置いて、椅子に腰掛ける。それにしても……。


「なんて美味しそうなのかしら」


 食べやすい形にカットされたチュロス。まずはそのまま何もつけずに食べてみる。すると、サクッと軽い食感で、意外にも重く感じられない。砂糖でコーティングもされていなくて、むしろ塩気が感じられる。見た目とは裏腹にいくらでも食べれてしまいそう……。


 続いて、ホットチョコレートに浸してから、口に放り込む。


「……っ!」


 これまた想像していたものとは違った。ホットチョコレートは、もっと甘ったるいかと思っていたけれど、意外とカカオの味が引き立ったほろ苦さ。塩味のあるチュロスと合わさると、絶妙な甘塩っぱさ! これは止まらないわ……!


 そして何よりフェアバンクス島にいた時は、淑女として、このように食べ物を液体で浸すのはやめるようお母様に嗜められてきた。

 でもショートブレットをミルクに浸すと美味しいし、チュロスも最高すぎるわ! ここには貴族だけでなく、平民も多いし、今いるテラスには人もいないものね……!


「随分美味しそうに食べているね」

「ひっ!?」


 没頭して食事しているところを、急に話しかけられて驚く。

 上を見上げると、そこには、見知らぬ男性が食事を載せたトレイを持って現れた。


「隣いいかな?」

「他に空いているテーブルがありますが……」

「いや、ここがいいんだよ」

「……」

(……え、誰なの?)


 人好きする笑みを浮かべるその青年は、やけに鮮やかな若草色の短髪で、青みがかったエメラルドグリーンの瞳は宝石のように輝いている。

 女性に人気がありそうな甘い顔立ちで、人懐こい犬のような雰囲気だけど、どこか威厳があるというか、裏の顔がありそうといった印象だ。


「新しく文官になったアクア嬢かな?」

「え、えぇ……」

「僕はサミュエル・ド・グリーンネスだよ。よろしくね」

「……!?」


 サミュエル・ド・グリーンネスって、王太子殿下の名前じゃない……っ!

 一気に顔が青ざめながら反射的に立ちあがって、カーテシーをする。なんでよりにもよって、こんなところに王族がいるのよ。


「あ。かしこまらないで。礼儀作法とか気にしなくていいから。どうぞ頭をあげて座って。ただ優秀な人材を見にきただけだから。一緒に食事を楽しもう」


 今まで社交界に出ていなかったツケが回ってきたのかしら。一体どうしてこんな高貴な方とお食事を……!? 私は自分を落ち着かせるために、コーヒーを口に含んだ。

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