Ⅰ トリカゴの若き王と、その仲間たち


「あるげないーねむいージンベエねむぃー」

 女人の事務所まで、ぶつくさうるさいシオリを背負って歩いている。

結局、あの後シオリは大量のワインとウイスキーをがぶ飲みして、泥酔してしまっていた。時間はすでに深夜一時を越えている。舐めるな、おれだって眠い。

 だけど、都合五時間ほど飲み続けた先にあったのは、まさかのお会計六万オーバー。さすがにこれだけ出して貰っては、女王様を送っていかないわけにはいかないだろう。頼むから呑んだものを口から吐き出さないでくれと願いながら、一歩一歩前に、確実に進む。

「ねーズンベー、きょうさーいっしょにねようよぉ」

 耳元に酒臭い息がかかる。ないし、ちょっと口が当たっている。そしておれはそんな名前でじゃない。ズンベーってなんだよ…。ズンベーって…。

「おれはまだバクローんとこいかなきゃなんだよ。マジ、吐くなよ、マジで」

「あんなやろう、うちのじむしょによべばいーじゃーんッみんなでのもうよぉー」

 呼ばねーし、とは心の中でだけ思っておく。今の状態のシオリには、何をいっても無駄。黙っているのが吉。

 女人の事務所の前まで着くと、そわそわしながら入り口に立っていたオルグがおれの存在に気付いて目を見開いた。本当にナイト様ってのは大変だよな。女王様の帰りを外で待っているなんて。

「オルグさんはい、お届け物です」

 背負っているシオリを優しく降ろすと、そのままオルグへと渡した。ぐったりというか、猫のようにぐにゃりとしたシオリをバランスよく持つのは難しいけど、おれは慣れている。オルグも慣れているのか、平然とシオリを受け取り、お姫様抱っこした。その姿は、マジでナイト様。姫様は泥酔しているけどね。

「あー、ズンベーにげるのぉ?トリカゴの王のひとりが、女からにげるのぉ?」

 オルグにお姫様抱っこされながら、シオリは不適に笑ってそう言った。逃げるわけじゃない、おれはマジで日々なんか仕事探さないと食っていけない。ポケットの中には多分三十円くらいしか入っていないんだよ。怖くて見てないけど、触った感じで銅貨が三枚入っている。

「オルグさん、シオリ連れてってくださいよ、そんな格好じゃ風邪ひくし」

 シオリは紐みたいな黒いパンツが見えていた。オルグも気付いたのか、さっと気まずそうにスカートを伸ばす。そうだよな、気まずいよな、いい歳してから、女のスカート触るってのは。

「おや、ジンベエくんじゃないか」

 女人の事務所の前で騒いでいたせいか、中から数名のヒュマノスが出てくる。ほとんど女だけど、先頭に立っていたのは通称メガックと呼ばれる男。シオリと同じ地球人。女人が抱えている医者崩れの変態野郎だけど、外から来てトリカゴで成功とも言える暮らしをしている、数少ない人間の一人。

「おー…メガック。久しぶり。最近忙しいらしいじゃんか」

「ふふ、おかげさまでね。僕もオルグさんもシオリさんも、休む暇なしだよ、ホント」

 おれこの、メガックという男が嫌いではなかった。むしろ好きだった。どうしようもない変態野郎ではあるけど、メガックは芯の通ったいい奴だった。女人成功の影には、シオリの力やオルグの力だけじゃない、間違いなくこの――メガックの活躍がある。

「たまには酒でも奢ってよ、稼いでんしょ?」

「ジンベエくんこそ、忙しぶって全然相手にしてくれないじゃないか」

 笑い会う二人を余所に、オルグはそっとシオリを事務所の中へと連れて行った。絶妙なタイミング――だと思ったけど、すぐに事務所からシオリがぎゃんすか騒いでいるのが聞こえた。当然、聞こえないふりをする。

「シオリ、どうよ?いつもあんな感じなんか?ちょっとストレス溜まりすぎて呑み過ぎてる感じがしたよ」

「ん――…」

 珍しくメガックが渋い顔をする。少し驚く、その顔がメガックがあまり見せない、シリアス寄りの渋い顔だったからだ。

「あんまりね、僕は――こういうことに口を出してはいけないんだけれど」

「どうしたよ、言ってみてよ」

「ジンベエくんは、シオリさんとは戻らないのかい?シオリさんは、最近不安定なんだ。急激にチームを大きくした理由は、やっぱりジンベエくんにあると思う。ジンベエくんが傍にいてくれれば、もっと安定するのかな、とは思うよ」

 どういうこと?という顔をしてメガックを見つめると、メガックは眼鏡を外し、袖で拭いてからまたかけた。全然キレイになっていないレンズ越しに、今度はメガックがおれの目をじっと見つめる。

「たまにね、酔っ払うと、僕に言うんだ。これだけ私は大きくなったのに、やっとジンベエに並ぶことができると思ったのに、全然振り向いてくれない――ってね。女人も、トリカゴの規模じゃこれ以上はたやすく大きくはなれないし、するつもりもないと思う。これだけ女人を大きくしたんだ、シオリさんは、ジンベエくんと並んだと思った、並びたかった。今度こそ、足を引っ張る存在にならないと思ったのに、当の本人はまったく見向きもしないから、焦っているんだ、それで、不安定な状態なんだよ」

「ふーん…そうか…まぁ、困ったら助けるし、どうでもいいわけじゃない。でもまだ、戻るとかそういうのは考えられないんだよね。それになんかさ、シオリが成功した後に、戻るぜーってのもなんか違うじゃん?」

 実際に、シオリは嫌いな訳じゃない。むしろ大切な人だ。シオリの為なら、身体だって張ってやるし、命を張ったっていい。

 それに、口ではそう言ったけど、戻らない、いや──戻れない本当の理由は──そんな軽いことじゃないんだ。

 つうか、ちょっとっていうか、かなりビックリ。いきなりこんな話をされるなんて思ってもなかったから。

「いやいや、忘れて欲しい。ジンベエくんが、シオリさんを粗末に扱ってないってことは、本人もわかってるから」

「まぁ、大切だよね。昔からの仲間だし、知らない間じゃないしね」

 おれの言葉にメガックは深く頷く。その頷きは深く、表面だけではない、おれとシオリの微妙で絶妙な関係性を理解しているようだった。

「それはそうと、バクローくんが夕方くらいに来て、ジンベエくんを探してたよ。なんか大口の依頼が来たらしい。家で待ってるってさ」

 ――まったく、こいつは。

「なぁメガック、それを最初に言うべきだろ?」

「ふふ、ジンベエくんはそれを最初に話したら、きっと今の僕の話を聞いてくれなかったろ?」

 笑いながらそう言ったメガック。まったくもって食えないやつだ。そして、嫌いじゃない。


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