Ⅰ トリカゴの若き王と、その仲間たち


「おや、シオリ様。いらっしゃいませ」

「ごめんね連絡もなく。個室空いてる?」

「勿論で御座います。例え空いてなくても、シオリ様の為ならすぐに空けますよ、こちらです」

 オールバックで黒スーツを着こんだ細身の男が、シオリにそう言って気味悪く「ふふふ」と笑うと、シオリはおれには見せたこともない満面の笑みで「どうも」と返す。

 すげぇ――これが大人の世界か。あのシオリがこんな綺麗な笑顔を見せるなんて思ってもいなかった。(おれからすれば気味が悪い)だけど人ってやっぱ、成長するんだな。いつまでも成長しないのはおれとバクローくらいのものか。昔のシオリなら、絶対に「気持ちわりぃなこいつ」って笑ってるとこだもんよ。つうかここ、品外館の息が掛かってる店じゃねぇか、壁に品外館のマークが描かれた額縁がかかってやがる。

 廊下のインテリアはシンプル。本当に何もない。埋め込みの照明が、やんわりと床を照らしているだけの、薄暗い廊下。おれの汚いスニーカーが足跡を残してしまうんじゃないかと心配になるくらい綺麗な絨毯だったけど、これだけ薄暗ければ大丈夫だろう。

「こちらです、ごゆっくりどうぞ。お飲み物だけ、先にお伺いしましょうか?」

「ありがとう。先に――ん、ジンベエ、お酒は飲む?まぁ、飲んでもらうけど、先に食事にする?」

「いや、まかせるよ」

 シオリに先程ならった満面の笑みでそう返すと、シオリはちょっと顔が引きつっていた。どうだ?気味悪いだろ?つうか、おれマジで金ねーからな、シオリ。伝われ、伝われ。

「じゃあ、大海Gのグラスビールふたつと、なんか適当にチーズ盛り合わせで」

「畏まりました」

 ビール、かぁ。ビールはお腹いっぱいになってしまうからあんまり好きではないけど、だからこそのグラスビールなんだろう。

「じゃあジンベエ、入ろうか」

「うっす、へへへ、こちらです」

 オルグの代わりに女王様をエスコートする。扉を開き、うやうやと頭を下げて中へどうぞどうぞと案内する。意外と、気分は悪くなかった。だけど、おれはオルグのような女王様を守る、威厳溢れるナイト様にはなれないなと思った。

 もしも劇団女人なんてものができて、演劇をやるとして、おれに配役が当てられたら、おれの役はケチな商人と言ったところだろう。それくらいシオリをエスコートするおれの姿は情けなく、卑しかった。いや、ヒュマリスですらないかもしれない。ゴブリンかもしれない。

「なんなの?気味悪い通り超してちょっと怖いんだけど」

「いや、おれ金ねーからさ。せめて態度だけは敬おうと思って」

 シオリがため息をつく。女王様の貴重なタメイキガ、オデノタメナンカニハキダシテクダサッテイル。あれ?やっぱゴブリンじゃねーか、おい。

「私が、女人を立ち上げてから、貴方と何かをしてお金を払わせたことがある?お金がないなんてことは重々承知。もっと胸張ってよ、貴方は、すごい男なんだから――」

 シオリはバッグを革張りの黒いソファーに投げると、「あー疲れた」と言ってどかっと座った。よく見れば、ソファーが一個しかない。二人掛けのソファーと、ガラス製の繊細で綺麗なテーブルがあるだけ。

「ほら、座りなよ」

 バンバンとシオリが自分の横を叩き、にやにやしている。「へへへ、すいやせん」と隣に座ると、シオリは「次にそれやったらお金を払って貰うから」と脅しをかけてきた。さぁ、ゴブリンはもう終わりだ。そう、おれはジンベエ。威厳あるヒュマノスに戻ろう。

「失礼致します、お待たせ致しました」

 グラスビールが運ばれてきてテーブルの上に置かれると、グラスの細さ、そして泡のきめ細かさに目を丸くした。明らかにいつもバクローと飲んでいるやっすいどこで作られたかわからない、しかも炭酸が抜けてぬっるいビールとは違う。何よりも色が、琥珀色よりも少し、いやかなり淡いけど、なんていうか上品な色だった。

「大海Gビール。本土の鳥取で作られている、いわゆる地ビールなの。ちょっと男には物足りない、フルーティな味なんだけど。じゃあ、乾杯」

「あ、ああ」

 いつの間にか、シオリもオシャレな酒を飲むようになってしまったものだ。昔は、なんだかよくわからない焼酎を瓶のまま飲んだりしていたのに。

 持っただけで割れてしまいそうなくらい繊細なグラスだったので、本当に軽くグラスとグラスを当ててからビールに口を付ける。うん、確かにこれはビールっていうか、ビールなんだけど、薄いような気もする。そして、バナナのような味がほんのりと口の中に広がった。おれには似合わない、上品な味。

「ジンベエは――どう?まだ何でも屋なんてものを続けるつもりなの?」

 ストレートに聞いてくるシオリ。そこに遠慮はない。おれがやっている仕事…カッコよく言えば事業が、ほとんど金にならず、儲かっていないことを知っている。

「ああ、多分――飢え死にするまでは続けるんじゃねぇかな」

「まったく、変わらないね。いつでも、私でもトーヤのところでも、面倒見るからね。ただ――私は――」

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