日本をダメにした犯人探し その1

 2021年9月3日、菅氏がとうとう政権をぶん投げた。7月16日に野党が憲法53条に基づいて臨時国会の召集を求めたが、臨時国会は召集されていないままだ。自民党の総裁選が迫る中、内閣の支持率は下落し続け、起死回生のために衆院解散をしようとしたものの、自民党内の強い反発を招いてこれを見送った。これらの動きは全て国民のことを考えた結果ではなく、単に自分の票集め、つまりは延命を図っただけのことだ。憲法違反まで犯して延命を図ったクセに、自らの形勢不利と悟るや、さらっと政権を放り投げた、というわけだ。

 そういう意味ではオリンピック、パラリンピック開催も同質だ。オリパラを開催することで、コロナの感染が広がることはかなり当初から懸念され、人々が実際にクチにしてきた。にも拘わらず、政府は「安全・安心の大会」をウワゴトのように繰り返し、大した論理的な説明もないまま開催に向けて突進した。6月9日、オリンピック開催の約6週間前、菅氏は「世界が新型コロナという大きな困難に立ち向かい、世界が団結してこれを乗り越えることができた、そうしたこともやはり世界に日本から発信をしたい。」と国会の党首討論で語っている。オリンピックが開催されるころには、コロナは収束している、少なくとも収束の方向に動いているはずだ、という見通しを示したと受け止めることができる発言だ。同じ日、政府の新型コロナ感染症対策分科会の尾身会長は「五輪が始まる日から終わる日までだけではなく、その前後、特に前。五輪を開催するなら感染が拡大しないようにすることが日本の社会が求めていること」と、オリンピック開催が感染拡大を招くという懸念を示して、注意喚起を呼び掛けている。一体、なぜこんな矛盾が起きるのか?筆者が解説するまでもなく、菅氏が総理の座に恋々としただけのことだ。オリンピックさえ成功させれば、国民はオリンピックに浮かれてコロナのことを忘れ、オリンピック開催を主張した自分を支持してくれる。そうなれば、総理の座に座り続けることができる。これが彼の頭の中のイメージだ。だから、どんな詭弁きべんろうしてでもオリンピックを開催しなければなかった。日本国民は相当バカにされている。国民という生き物は、違う餌を目の前にぶら下げて、三歩あるかせれば今までの事は忘れてくれる。これが菅氏の認識なのだ。だから、菅氏はオリンピック開催を主張し、あろうことか自民党はそれを黙認したわけだ。結果がどうなったか。賢明な読者諸君には説明の必要はないだろう。『オリンピックに物申す』で論じたように、感染者の爆発的増加の大きな要因となったことに疑問の余地はない。

 この菅氏の政治姿勢は今に始まったことではない。そもそも、菅氏は就任以降、一度たりとも国民に敬意を払ったことはない。就任直後から、桜をみる会の問題究明にはそっぽを向き、森友学園問題における赤木氏の自殺問題に関する調査にもしらを切り続けてきた。国会の答弁では、自民党同様に国民の負託をうけて国会の場に立っているはずの野党の質問に対して、その内容がどんなものかに関わりなく、事前に用意してあった同じ原稿を繰り返し棒読みしてきた。誰がどこから見ても、正々堂々と議論をする気など全くなく、言論の府でなくてはならないはずの国会を有名無実化してきた。日経新聞によれば、1日の国会運営費用は3億にものぼるそうだ。彼はそのコストをドブに捨てることに血道ちみちを上げてきたというわけだ。一時的とは言え、こんな人物に「ガースー」などというニックネームをつけてもてはやした人達がいることは、筆者にとっては「甚だ遺憾」なのである。

 困ったことに、これらの特徴は菅氏特有のものではない。前首相の安倍氏にしてみても、この傾向はよく見られた。というより、むしろ、安倍氏のそうした姿勢を見習ったのが菅氏だ、というのが正しいだろう。

 安倍氏と言えば、アベノミクスがあまりにも有名だ。「第一の矢」は大幅な金融緩和だ。日本銀行が市中銀行から国債や手形を買うことで銀行へ資金を供給し、結果的に企業が銀行からお金を借りやすくする。市中に流通する資金の量が増えるため、必然的に金利も下がる。これにより企業は豊富な資金を得ることができるため新たな事業への投資や、生産力向上のための設備投資を行うようになる。「第二の矢」はこの資金の投資先がなくならないように、政府による大規模な公共投資を行って、市場に仕事を供給する。企業活動が活発になってきたところで、「第三の矢」だ。あらゆる規制緩和を行うことでさらに企業活動を刺激する。企業の雇用意欲も向上し、社員の給料も上がっていく。規制緩和による新たな仕事の創出や、個人の起業チャンスも広がっていく。失業していた人は仕事に就くことができ、アイデアや才能を埋没させていた人は新たな事業を創造する機会を得ることができる。国民の一人ひとりに利益がいきわたり、個人消費は上向く。そして、個人消費が上向けば、これが企業の利益となる好循環が生まれ、企業は新たな投資を行ってさらに利益を生む。やがてみんなハッピーになる。と、まあ、こういう理屈だ。もちろん、「第三の矢」がその効果を出すころには、個人消費が企業活動を支えるようになるため、政府の大規模な公共投資はもはや不要となり、政府の支出は少なくなっていく。活発な企業活動、そして豊かになった個人消費による税収の増加も期待される。財政の健全化へも取り組むための足場もしっかりしてくることになる。字面だけ見るとなんだがそれっぽく見える。重要なのは「第三の矢」が機能するかどうかだった。「第一の矢」「第二の矢」はいわゆるカンフル剤に過ぎない。短期的、かつ、直接的な影響を与えることはできるが、長期的に打ち続けることができる施策しさくではない。しかし、マスコミの扇動にのって国民はこの政策に期待した。たとえ藁だとしてもすがらざるを得ないほど、経済が低迷していたからだ。

 2012年12月に、当時の民主党から政権を奪取する形で安倍政権発足。当時、すでに安倍氏が金融の無制限な量的緩和策を打ち出していたことから、市場がこれに反応してはやくも株高、円安の動きが出ていた。安倍氏の口車にまんまと市場が反応させられてしまっただけの話なのだが、マスコミはこれを「アベノミクス景気」「アベ景気」などと持ち上げ国民の期待感をあおった。2013年4月には日本銀行の黒田総裁が「量的・質的金融緩和」政策を公表する。いよいよ「アベノミクス」の本格始動である。その後は企業の業績が好転していることを示す統計調査の結果が次々に発表されアベノミクスは順調に推移しているように見えた。アタリマエである。企業に直接、資金を投入しているのだから、その企業が元気になるのは当然であって、アベノミクスがすごいわけでも何でもない。その一方で、その恩恵は庶民にはまだまだ及んでいなかった。2013年11月に内閣府が発表した10月の消費動向調査の中に「半年後の暮らしの明るさを示す消費者態度指数(一般世帯、季節調整値)」なる数字がある。字面どおり、一般庶民が半年後の生活がどのくらいよくなると思っているか、を数値化したものと筆者は理解している。この指数の10月の数値が41.2と前月比4.2ポイント低下している。これは東日本大震災後の2011年4月(5.3ポイント低下)以来の下落幅らしい。また、総務省が公開しているe-Statというデータベースで調べてみると、全国の勤労者世帯における実収入が2012年10月-12月期は550,204円だったものが2013年10月-12月期は545,167円となっている一方で、2013年消費者物価指数は前年同月比で1.6%増加となっている。2001年~2020年10月-12月期の実収入集計値のバラツキの平均(標準偏差)が約21,000円であることを考えると、この減少は誤差の範疇と強弁できなくもないが、物価が上がっている一方ででの実収入減少はちょっといただけない。政権交代の時期を考えれば、2012年の数値は民主党政権下のもので、2013年の数値が自民党政権下のものなわけで、安倍氏は企業にジャブジャブと資金をつぎ込んだ割には庶民にまでその恩恵をいきわたらせることに失敗していると言える。少なくともこの時点で、アベノミクスの「第一の矢」「第二の矢」、つまりカンフル剤は効いているものの、これが肝心の「第三の矢」、つまりはアベノミクスの本丸であったはずの庶民には届いていなかったのだ。企業の業績は政府が資金をつぎ込んだものがそのまま表れているにすぎず、到底、景気が回復してきたことによる業績の良化などではなかった。

 ところが、安倍氏はこのタイミングでとんでもないことを言い出す。2013年10月、2014年4月に予定されていた消費税の8%への値上げを断行することを決定したのだ。ヲイヲイ、ナニヲネボケタコトヲイッテイルノデスカ?企業の業績向上のために個人消費は不可欠だ。簡単な理屈で、買う人がいなければモノが売れるわけがない。モノが売れなければ儲かるわけがないわけだ。しかし、「買う人」にお金が回っていないのに、その「買う人」からさらに税金を徴収する、と言う。一体、誰がモノを買うというのだ???

 そもそも、2014年4月に消費税を8%に上げることは前政権である民主党政権が決定したものだ。深刻な国の財政危機にあたってこれを改善するためにどうしても国の税収を増やす必要があった。借金を返すためにはそれなりの資金が必要なのは誰にでも理解できる理屈だろう。一方で、国民のみにその負荷を押しつけても国民の理解と協力は得られない、という認識もまた民主党政権は持っていた。収入の改善は増税を国民にお願いすることで実現する。その一方で、支出の削減にも取り組まなければ焼石に水となってしまうことを民主党政権は十分に理解していた。だから、使い放題使ってきた国の予算の見直しを図ることに取り組んだのだ。読者諸氏も耳にしたことがあるであろう有名な取り組みでは「事業仕分け」がこれにあたる。これまた有名なエピソードで、当時世界一を目指して開発が行われていたスーパーコンピュータに対して、民主党の蓮舫氏が「2番目じゃダメなんですか?」と予算削減を迫った、というものがある。開発にあたっていた科学者は一斉に反発した。その気持ちはわかる気がする。研究、開発という行為のモチベーションは最先端の技術にたどりつくこと、誰もまだ到達していない高みへいち早くたどり着くことであるわけなので、それをあきらめろと言われれば、それは憤慨するだろう。でも、民主党政権はもっと冷たい方程式を解かなければならなかったのだ。財政健全化のための予算削減、という方程式だ。予算を要求している人たちは、皆、一様にその予算が重要で必要だと思っているからこそ予算を要求しているわけだ。皆、正当な理由をもって臨んでいる。でも、全部を認めていては財政の健全化など図ることはできない。がどこかの予算を削らなければ支出の削減など図れないのだ。当時のマスコミは、この蓮舫氏の発言を冷ややかに取り上げ、バカにした。科学ってものを分かってない発言だ、という論旨だったと記憶している。わかっていないのはマスコミの方である。ない袖は振れぬ、という言葉を知らないのであろうか。彼らはまだ日本が裕福な国だと思っているのだろうか。借金は財産だとでも思っているのだろうか。借金は投資効果が期待できる場合にするものだ。企業が借金をするのはそのお金を投資して利益をあげ、借金を返すあてがあるからなのだ。この国の借金に返すあてがあると本気で信じているのだろうか。返すあてのない借金など、緩慢な自殺に過ぎない。筆者はそう思ったのを覚えている。

 もちろん、民主党政権は自身、つまり、国会議員自身にもその矛先をむけることを怠らなかった。充分か、と言えば他者に求めているほど厳しいものではなく、甘さがたっぷりと残ってはいたが、それでも自身に対しても支出の削減に資することを課そうとしていた。民主党政権の最後の総理大臣である野田氏は、安倍氏との最後の党首討論において、衆議院の解散と引き換えに議員定数削減などの約束をすることを求め、安倍氏はこれを承知したはずだった。敵対していた政党とは言え、一国の首相と交わした約束だ。その重みは言葉では言い表せないものがあるはずだ。政権末期だったとは言え、首相なのだ。その首相との約束は国民との約束に等しい。しかし、安倍氏はこの約束を完全に反故にした。そこには誠実さのかけらもなかった。自らの利益にそぐわないのであれば平気で約束を反故にする不誠実極まりない人物なのだ。こんな人物が国民にした約束(公約)にどんな価値があるというのか。自分に都合が悪くなれば、悪びれることなく反故にされるだけだろう。

 さて、だいぶ話がそれた。アベノミクスに話を戻そう。安倍氏がおこなった2014年の消費税増税は、案の定、国民に財布のヒモを締めさせた。実質賃金指数は2015年まで4年連続でマイナスとなり、1世帯当たりの実質消費支出は2016年まで3年連続で減少した。アベノミクスは「第三の矢」を放つことができず、失敗に終わってしまったわけだ。しかし政府はこれを認めようとはしなかった。2014年10月には株価を高く見せるために、年金の運用構成比に閉める株式の割合が高くなるような変更を行った。年金で株を買って株価を吊り上げ景気を良く見せようとしたのだ。もちろん株が上がれば、企業は新規株式発行を行ったときの資金調達がしやすくなる。しかし、企業活動に直接資金をつぎ込んでも景気は回復しないことは、目の前で起きている現象を見れば一目瞭然だ。にも関わらず、年金を投入したのだ。ここまでくると、自分達の経済政策の失敗を、国民の年金を使って隠そうとしたのだ、としか思えない。

 2017年2月には、年金積立金管理運用独立行政法人と日本銀行が、東証一部上場する企業のうちおよそ半数の約980社で事実上の大株主となっていると、朝日新聞が報じている。アベノミクスの失敗の隠ぺい工作にここまで我々の年金が使われてしまったのだ。さらに始末の悪いことに、政府はこの株価の推移と企業の設備投資などを理由に、むしろアベノミクスは効果があったと胸を張って見せた。そこには国民に対する誠意など微塵もなく、あるのは国民をさげすみ、バカする態度だけだったのである。

 安倍政権の罪はこれだけでない。外交では、北朝鮮や韓国に足もとをみられ相手にすらしてもらえなかった。ロシアとの交渉にも失敗して北方領土問題は完全に暗礁に乗り上げている。トランプにはいいだけ金を搾り取られて、イージスアシュアなんてものまで買わされそうになった。これは河野氏の行動により購入そのものは中止になったが、違約金やら代わりに別のものを買わされることになるのはおよそ間違いないだろう。

 国民に対する嘘、隠ぺい、背任行為だって数え上げればきりがない。2016年9月、自衛隊南スーダン派遣部隊が作成した日報の隠蔽いんぺい。2017年2月、やはり自衛隊イラク派遣部隊が作成日報の隠蔽いんぺい。これらはいずれも後から、存在が確認されている。イラクの日報に至っては、日報が存在することが2017年3月に自衛隊内で確認されていたにもかかわらず、翌年4月まで公表されてることなく、隠し続けられていた。2019年には、厚生労働省が行っている働く人の賃金や労働時間などを調べる「毎月勤労統計調査」が長年にわたって誤った手法で実施されており、さらにこれを隠し続けていたことが報じられている。さらに厚生労働省は2018年1月から賃金の調査結果をかさ上げする「データ修正」を密かに行っていたことも分かっている。この年の「現金給与総額」は前年同月比で大半がマイナスなのに、年間を通じて賃金水準が大幅に改善されたように偽装されていたのだ。安倍氏は賃金が大幅に改善されたことなどを理由に2019年10月に消費税を10%に引き上げている。もはや、政府の行っている統計データはどこに嘘があっても不思議ではない状況にある。まだまだある。読者諸氏もよくご存じの森友学園問題は2017年2月の朝日新聞の報道により世間に広く知れ渡ることとなった。のちの安倍氏の発言を契機として文書の改竄かいざんが行われて、近畿財務局の誠意ある職員の自殺問題にまで発展していることは解説の必要もないだろう。この自殺に関連する文書さえもが最近までその存在を否定され、隠ぺいされ続けてきた事実がある。加計学園問題は、2017年1月学校法人加計学園が獣医学部を新設する「国家戦略特区」の事業者に選定されたことに関連する問題で、安倍氏がプライベートなお友達である加計学園の加計孝太郎理事長に便宜を図った、というものであった。2019年に問題が表出した「桜を見る会」問題。これに至っては2014年以降、急激な参加者の増加があり、安倍氏の後援会の会員が多数参加していたと報じられている。税金を使って、自分の後援会の会員を接待していた、というわけだ。これらの問題では一度も誰かがまともに責任を取ることもなく、国会のいかなる追及にも定型文の棒読みで時間切れをねらい、関連書類の意図的な廃棄、隠ぺいを看過し、看過するだけでなくそれを指揮した人間を栄転させて功に報いる、といった無茶苦茶をやってきたわけだ。

 そんなでたらめな人物を総裁に祭り上げ、長年支えてきた自民党なる政権を、もはや政権担当能力などなく2世議員のボンボン達の単なるおもちゃに成り下がっている、と評するのは決して過剰で偏った評価ではないだろうと筆者は思っている。そして、こんな出鱈目でたらめな政権で、中心的なポジションである官房長官を務めてきたのが冒頭で論じた菅氏であるわけだから、まともな政治などできようはずもない。自民党内にも、小泉進次郎氏、河野太郎氏と言った改革派がいるではないか、という人がいるかもしれない。だまされてはいけない。彼らだって国会の首班指名で安倍氏、菅氏に投票しているのだ。所詮は同じ穴のムジナ。国民にいい顔を見せておいて、自分の欲望を満たそうとするだけなのは間違いない。

 だが、菅氏、安倍氏をはじめとする自民党は日本をダメにした共犯ではあるが、主犯ではないと筆者は考える。では、主犯は誰なのか。

 残念だが、想定よりもだいぶ長くなってきてしまった。主犯については次回の話で申し上げたい、と思う。







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