ムーンライト・ミンストレル

泡野瑤子

第一歌 兜の下にうつくしい女神

第一歌 兜の下にうつくしい女神・1

   月よ 月よ


   すべてを知りたもう月よ


   われが死してもとこしえに輝き


   わがいもをみまもりたまえ




***



 ちょっと、そこのあんた。

 そう、あんただよ、あんた。どうしたんだい、こんなきれいな満月の夜に、ひとりでこんなところへ来るなんて。

 おや? さてはあんた、このリオラントの生まれじゃないね?

 なんで分かるのかって、そりゃあ――まあそんなことはどうでもいいんだよ。

 実はね、わたしもいまひとりなんだ、ちょっとつきあってもらえないかね? なあに、あんたはそこで、私の歌と話を聞いてくれるだけでいいんだ。

 すごくいい歌物語があるんだよ。それも、ほかのどの吟遊詩人も知らない、とっておきさ。きっと損はさせないと思うよ?

 どうだい、聞いてみたくなっただろう?

 よし……それじゃあ始めようか、満月に導かれた人間たちの物語――そう、ちょうど今の私とあんたのように、ね。






   戦場の上に月は浮かび


   何も言わずに照らしていた


   砦をまもる将軍さまの


   兜の下にうつくしい女神




 かつてこの大陸では、満月は神の化身だといわれていた。

 その頃、月が地上に投げるのは光ではなく、闇であった。夜は、月がこの世で絶対無二の存在であることを知らしめるためにある。月はこのリオラントの山々、木々、人々、何もかも全てを墨色に染め、遥か高みから地上を睥睨へいげいしていた。人間は昼の太陽の下でしか活動することができない、弱い生き物であった。

 やがて人間は、神に抗う術を覚えた。夜の暗闇の中でも火を明かりとして行動することを知った。時代が流れ、火をより自在に操れるようになると、人間はだんだんと闇夜を恐れなくなっていった。

 いうまでもなく、火がもたらしたものはそれだけではなかった。火はリオラントの人間にとって――おそらく、どこの陸地に住む人間にとっても同じだろうが――この上なく有用な道具となった。

 だが、もとより火は神の道具である。人間が何の代償も払わずに、それを使いこなせようはずもない。

 さて、いまは昔、このリオラント大陸の西側に、ゼアテマという王国があった。

 ゼアテマは大国ではなかったが、非常に豊かな国であった。国中の山々が、金銀の鉱石を大量に埋蔵していたためである。早くから人間は、火の力によってそれらを加工し利用する技術を得ていた。ゼアテマの人々は、良質の金銀を外国へ輸出し、莫大な富を手にしていた。

 火が技術を生み、技術が富を生み、富は争いを生む。

 それが、火を手にした人類が払った代償であった。


* * *


 真冬の満月が、木枯らしとともに地上に薄闇を投げかけ始めていた。

 ゼアテマ王国領レアゼン山上に篝火かがりびが灯り、ボンサンジェリー公国軍はその威容を見せつけた。

 麓には隣国ゼアテマの砦が見えている。あれを攻め落とすのが、このたびの彼らの使命であった。

 ゼアテマ領南部、かつては銀鉱山の町として栄えていたレアゼン地域は、外敵からの侵略に幾度となくさらされ、ゼアテマは銀を掘り尽くさぬまま町を放棄せざるを得なくなっていた。代わりにこの地には石造りの巨大な出城が建てられ、ゼアテマにとって国防の最前線基地となっている。

「出撃準備、万事整っております」

 兵士長が、豪奢な鎧を纏った端正な顔立ちの青年へ駆け寄ってきた。

 この青年が、ボンサンジェリー軍を率いる、若きイハール皇太子その人であった。彼は報告を受けて静かに頷く。

「皆、進め。この戦いの勝利は、わが祖国に繁栄をもたらす」

 ときの声が上がった。ボンサンジェリー軍の先鋒せんぽう三千が一気呵成いっきかせいに山上から麓へと駆け下りた。逆落さかおとしの勢いを駆って、平地で待ち構えるゼアテマ軍よりも有利に戦を展開できるだろうと、イハールは考えていた。

 しかし半刻はんときと経たぬうちに、イハールはそれが大きな過ちだと気づくことになった。先鋒がすでに大敗を喫して壊滅状態にあることを、斥候せっこうが伝えに来たからだった。

 斥候の報告によると進軍路に大量の落石や倒木が発生して、先鋒は大きな被害を受けたばかりかふたつに分断されてしまった。なんとか麓までたどり着けた部隊も、進退窮まって士気を著しく沮喪そそうし、もはや収拾が付かない状態に陥っているという。

 イハールは聡明な指揮官であった。戦地の地形を前もって入念に調査し尽くしたうえで、逆落としの進軍路を確保できる場所に布陣したはずだったのだが、調べが足りなかったのだろうか。

 すぐに、イハールは判断を下した。

「……残念だか、先鋒隊の救出は諦めざるを得ない。進軍路が封鎖されてしまった以上、我々はこれ以上進軍できない。すぐに軍をまとめて、一旦本国へ引き返そう」

「なんと、撤退するのですか? 北へ迂回すれば別の進軍路を確保できるはずでは?」

 隣に控えていた副将の進言に、イハールはしかし首を振った。

「敵は、先鋒を狙って倒木を起こした。だがわが本隊の通過するときを狙うほうが、軍を真っ二つに分断できて大きな成果を見込めるはずだ。そうしなかったのは、なぜだと思う」

「わが本隊自体に進軍させぬために、でしょうか?」

「そう、私はそう思っている。我々が迂回路を取ったとしたら、そこにはもっと大きな罠が仕掛けられているはずだ」

 別の副将がうなった。

「しかし、すごすごと撤退しては陛下のご期待を裏切ることになる」

「そうですよ、皇太子殿下。迂回路に罠があるとも限りません。斥候を出して調べさせてはどうですか」

「ただ単に、敵が計略の好機を見誤った、とは考えられませぬか?」

 副将たちが口々に迂回しての進軍を訴える。だが、

「絶対有り得ない」

 イハールはこれらを強い口調で否定した。

「なぜなら、相手はあの『戦場の女神』だから」

 その一言で、ボンサンジェリー軍の中に異を唱える者は、誰もいなくなった。






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