第29話
マリンの姉の居場所が分かった。
その連絡は意外と早くに舞い込んできた。
送られてきた文面からはマリンの感動と興奮が伝わってきて、
『1秒でも早く会いたい』
という一言もあったので、もうサエコが手を貸さなくても大丈夫だと思われた。
これでマリンを素直に祝福できる。
過去の呪縛から解き放たれて良かったね、と。
冷蔵庫から小さなコーラ缶取り出して、カンパイと言いつつ開封し、中身を一気飲みした。
しかし、画面を最後までスクロールしたサエコは顔色を曇らせることになる。
「いや……まさか……」
悪い意味で心臓がドキドキしてきた。
喉元に炭酸ガスも込み上げてきて、息苦しさのあまり携帯を落としてしまう。
「あのバカ……」
思いっきりベッドに倒れ込み、クッションを顔に押しつける。
今日は土曜日。
珍しく予定が一つも入っていない。
かといって遠出する気にはなれず、家でずっと映画でも観ようかと考えていた。
バイト終わりのイツキを呼んで、お酒とおつまみでも買ってきてもらおうかと。
「あのバカバカバカ……」
天井に投げつけたクッションが跳ね返ってきて置き時計を吹っ飛ばす。
かわいそうな単三電池がクローゼットの扉に当たって止まった。
「はぁ……頭がおかしくなりそう」
いても立ってもいられなくなったサエコは、パジャマを脱ぎ捨ててお風呂場へ向かった。
お湯張りボタンを押し、マリンからもらった入浴剤を投入しておく。
サエコが知っているあの人と、マリンから教えられた姉の像がどうしても重ならないのだ。
サエコはマリンの姉に会っている。
言われてみれば二人にはたくさんの共通点があった。
でも、それは外面に限った話であり、性格があそこまで似ていない姉妹も珍しいのではないか。
「本当にバカなんだから」
壁に手をついてうなだれる。
「バ〜カ、バ〜カ、バ〜カ、でも一番バカなのは……」
たぶん、サエコだ。
怒ったら急にお腹が空いてきた。
体にバスタオルを巻いたまま、まずはレンチンのご飯を温めて、それからレトルトの中辛カレーを温める。
普通においしい。
これならもっと頻繁に食べておけばよかった。
「いてっ……舌かんだ……」
最近、こんなのばかりだ。
ツイてない、というより運気のアップダウンが激しい。
「あんたが買ってくれたカレー、中々おいしいわ」
涙を流す代わりに机に突っ伏した時、お湯張りの完了を知らせるブザーが聞こえた。
◆ ◆
サエコはコンビニの本棚のところで時計をチェックしていた。
そろそろイツキのバイトが終わる時間だ。
でも、時間ぴったりに出てくることはない。
次のシフトの子への引き継ぎとかで、10分くらいサービス残業するのが暗黙のルールとなっているらしい。
駅の方面からマリンが歩いてきたので、サエコは雑誌を選ぶフリをして、顔の半分を隠しておく。
マリンは無地のカーディガンにチェック柄のスカートという大人しい服装をしている。
髪にアレンジを加えておらず、イヤリングのような小物も付けていない。
もしかしたら、こっちが本来の姿なのだろうか。
携帯とお店の看板を見比べたマリンは、通行人の邪魔にならないよう、自販機の小脇へと移動する。
サエコが雑誌から目をのぞかせると、マリンはカバンから茶封筒を取り出して、お札を数え始めた。
この距離だと分からないが、一万円札が50枚くらい入っていそう。
渡すのか?
あのダメ女に?
感動の再会を邪魔するつもりはないが、マリンが苦労して貯めたお金がパチスロ機に吸い込まれるシーンを想像して、胃袋のカレーが逆流しそうになる。
マリンがパパ活を頑張っていたもう一個の理由。
姉がお金に困っており、もし借金があるのなら、肩代わりしてあげるつもりなのだ。
マリンはよくできた妹だと思う。
まだ21歳という若さなのに、自分だって大学生活でお金が必要なのに、ひと財産築いたのだから。
姉とはまるで真逆。
マリンが幻滅しないといいけれども……。
サエコの携帯が揺れた。
メッセージの送り主はイツキだ。
雑誌を棚に戻してから内容をチェックする。
『これから帰るけれども、サエちん、何か欲しいものある? もしかして今日も仕事だっけ? ていうかさ〜、お客さんの一人がシャワー室でゲロを吐いてさ〜、勘弁してくれっていうか、何しても許されると思うなよっていうか……』
勘弁してほしいのはサエコの方だ。
なんでマリンみたいな天使が、イツキのようなダメ人間と……。
「お姉ちゃん!」
マリンが動いた。
その視線の先には、アメコミヒーローのTシャツを着た化粧っ気のない女が立っている。
社イツキ。
新居浜マリン。
苗字こそ違えども、二人は唯一無二の姉妹なのである。
サエコは歯ぎしりしながら、
「今度逃げたら許さないから」
とガラスの向こうのイツキに圧を送っておく。
イツキがサエコの家を出ていった理由。
迷惑をかけたくない、なんて方便だった。
いや、何割かは本当かもしれないが、イツキの思惑は別のところにあった。
サエコの側にいると、いつかマリンと鉢合わせするかもしれない。
それが純粋に怖かったのだろう。
「お姉ちゃん、探したよ、私だよ、覚えている?」
「いや……僕は……え〜と……どちら様?」
「この万華鏡、知っているよね」
「ッ……⁉︎」
次の瞬間、イツキが取った行動は、ある意味サエコの予想通りといえた。
なんと実の妹に背中を向けて、全力でダッシュしたのである。
最低!
もちろん、逃げるなんてサエコが許さない。
行く手に立ち塞がってから、右手に持っていた買い物袋を思いっきり頭にぶつける。
パコン! とゆるい音がして、紙パックとかペットボトルのジュースが路面に散乱した。
「えっ……サエちん?」
幽霊でも見たように腰を抜かすイツキの頬っぺたに思いっきりビンタを食らわせる。
「あんた、大バカよ!」
逆側の頬っぺたにも平手を叩き込んでおいた。
嘘つき! 嘘つき! 嘘つき!
嘘をつかないのがイツキの美徳だと思っていたのに!
サエコがマリンの話を聞かせたとき、愛想よくあいづちを打つなんて、嘘をついているのと一緒だ。
「マリンちゃん、ずっとイツキのことを探していたのに! 一億人からようやくあんたを見つけたのに! なんで逃げるの⁉︎ なんで話を聞いてあげないの⁉︎」
「いや……僕なんて……マリンには必要ない……あの子の人生に僕はいらない」
「勝手に決めないでよ!」
イツキには自覚してほしかった。
側にいたいと願う。
元気に生きてほしいと願う。
そんな人間がいる。
ここに二人もいる。
イツキにはイツキを否定してほしくない。
そんなの、サエコとマリンを否定するのと一緒だ。
「サエちん……泣いているの?」
「泣くに決まっているでしょう」
サエコは生まれて初めて人目をはばからずに号泣した。
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