第21話
マリンが昔に巫女さんのバイトをやっていた。
自慢じゃないが、神主さんから重宝されていた。
そう教えられたのは目的の神社の石段を上っている最中だった。
白衣に
このマリンが……ねぇ。
さぞ大勢の男子を一目惚れさせたことだろう。
「今想像しましたね」
「こらこら、大人を
サエコはぷいっと顔を背けて歩き出した。
マリンってお調子者なのだけれども、そこが一層可愛いんだよな。
「サエコさんなら、マリンちゃんの巫女さん姿を見てみた〜い! て言ってくれると期待していたのですが……」
「言いません。期待もしません。残念でした〜」
「ぬぬぬ……」
これじゃどっちが年上か分からないな、と情けないことを考えている内に
「あっちです」
マリンは慣れた感じでリードしてくれる。
「もしかして、マリンちゃんがバイトしていた神社って……」
「ここではありませんが、同じ系列の神社です。だから、内部のシステムには少し詳しいのです」
マリンが受付のところで何やら手配している。
サエコは六畳ほどの狭い個室に通されて、一人で待つこと10分ちょっと。
「お待たせしました」
服装や髪型は変わっているけれども、この声は聞き間違えるはずがない。
「マリンちゃん⁉︎」
「ご名答です」
手に持っている道具がシャンシャンと鳴る。
お
「小道具まで借りられるの?」
「ええ、お金を払えば。巫女さんのお仕事って、おみくじやお守りを売るだけじゃないのですよ」
今日はマリンが直々にお祓いしてくれるらしい。
てっきり専門のサービスを利用するのかと思っていたが、予約したのは巫女さん体験の方だと知り、サエコの鼻先がむず
大したサプライズだ。
マリンのことだから何か用意しているとは思っていたが、これは予想の100倍上をいっており、サエコの心臓のペースが速くなる。
「では、さっそく始めます」
まずマリンの口から
スラスラ暗唱するあたり、今日のためにしっかり準備してきたのだろう。
それが終わったら
サエコはここが神社なのも忘れて、だらしなく口を開けてしまった。
舞いは1分で終わったような気もするし、10分続いたような気もする。
録画できないのが
マリンにレクチャーしてもらいながら神様に捧げておいた。
「最後にお
「ありがと〜」
嬉しさのあまり目頭が熱くなる。
卒業証書みたいに渡されたお札を、シワが残らないようサエコは優しく抱きしめた。
これほどのサプライズ、26年の人生で初かもしれない。
神様を信じるとか、お札に書かれている言葉の意味とか、よく分からないけれども……。
マリンが気持ちを込めてくれたのは伝わってきて、この1ヶ月溜め込んできた肩の重荷がふっと軽くなった。
「巫女さんらしくない巫女さんですみません」
マリンがカラフルな爪を気にする。
「ううん、そんなことないよ。私にとってマリンちゃんは最高の巫女さんだよ」
レンタル衣装の返却まで時間があるので、一緒に庭を散歩した。
池のほとりや小さな鳥居の横で何枚か写真を撮らせてもらう。
これを見返せば辛い月曜の朝も乗り切れそう。
「巫女さんの衣装って、やっぱり動きにくい?」
「最初だけですよ。慣れれば
浴衣って動きにくいイメージだけどな……。
そんな野暮ったい指摘は心にしまっておく。
「少し喉が渇きませんか? ここの境内にカフェがあって、汚さないよう気をつければ、この格好でも利用できます」
「まさかのリアル巫女さんカフェ⁉︎」
「あはは……確かに私がこの服装で入ったらそうなりますね」
すれ違う人たちがマリンをチラ見してくる。
なるほど、これが美人の恋人を連れた男性の気持ちというやつか。
まさかパパ活中とは思うまい。
秘密めいた遊びみたいで2倍楽しい。
「はい、参拝客に無料で振る舞っている緑茶です」
「ありがと〜」
しなやかな竹のベンチに腰かけて、紙コップの中身をチビチビと飲んだ。
いつもオフィスビルの中にいるから、きれいな青空を眺めるのが楽しい。
「どうですか。神社は楽しんでいただけましたか」
「うん、とっても。今日のことは一生忘れないと思う。こういう思い出って、せいぜい1年に2回とか3回でしょう。その内の1回が今日なんだ。だから、ありがとう。私に素敵な思い出をプレゼントしてくれて、本当にありがとう」
「どういたしまして」
知っている。
マリンは仕事でやっている。
モチベーションという意味では、キャバクラ嬢とか地下アイドルと変わらないかもしれない。
サエコに財力があるから。
本気のサービスを提供してくれる。
いわばお金で成り立つ関係。
それでも嬉しいのは『サエコさんならきっと神社を気に入ってくれるはず!』という想いが伝わってくるから。
手を抜かずに真剣に相手をしてくれるから。
特別と思わせてくれるから。
お茶を飲み切って、一つため息をついた。
こんなにリラックスした気持ち、本当に久しぶりだ。
思えば神社を利用するのも半年ぶりくらい。
近くの木の枝が揺れて、大幣のシャンシャン音がよみがえってきた。
すると、あれ? 巫女衣装のレンタル費用って高いのでは? という疑問が頭をもたげた。
普通、その手のコストはパパ持ちだ。
サエコとて向こうが申告してきたら払うつもりだ。
なぜ何も言ってこない。
現にサエコは忘れていたし、このまま気づかずバイバイする可能性もある。
もしかして、サエコを試している?
いや、マリンに限ってそれはない気がする。
このアンバランスな状況から解放されたい。
というより自分が楽になりたくて、サエコはあっさり財布を取り出した。
「マリンちゃん、何円渡せばいい?」
「はい? 何のお金ですか?」
「その衣装代よ。小道具も借りたし、一万円じゃ収まらないでしょう」
「いやいや、いいですよ。私が好きでやったのですから」
「ダメダメ。それじゃ、契約違反になる」
パパ活のデート中に発生する一切の費用はサエコが負担する。
それが最初に交わした約束なのだ。
「じゃあ、二人で折半しますか? サエコさんに内緒で予約しましたし」
「それもダ〜メ」
サエコの真面目さに気づいたのか、マリンの口から乾いた笑い声がもれる。
「マリンちゃんにはビタ一文負担させるわけにはいきません」
「それは参りましたね……」
「学生なんだから。生意気いわない」
マリンは渋々といった感じで、はい、と返事をした。
「ですが、私の心は納得しません。本音をいうと、半分は負担したいです。なのでサエコさんが私に追加リクエストしてください。お金を払えない分、体で払いますから」
「う〜ん、そうね……」
巫女モードのマリンの頭から爪先を観察してみた。
どうしても形のいい胸元に視線がいってしまう。
「ハグしてほしい」
「えっ? そんなのでいいのですか?」
「いいの。マリンちゃんにハグされたこと、一度もない」
「ふふ……ふふふ……」
マリンの肩が小刻みに揺れた。
「サエコさんって意外に子供っぽい部分がありますよね」
「だって仕方ないじゃない。マリンちゃんが優しすぎるから。甘えたくなる」
「いいですよ、サエコさん。甘えてください」
巫女衣装に包まれた。
なんとも表現しがたい和の匂いがする。
「お仕事、お疲れ様でした」
背中をよしよしされる。
こういう丁寧な慈しみ、イツキに欠けている要素だな。
「ごめんね、マリンちゃん。一個だけ謝らないといけないことがあって……」
「何ですか、あらたまって」
「来週の日曜、仕事が入っちゃって……たぶん、会えない。その埋め合わせは別の日にするから許して」
「な〜んだ、そんなことですか」
「な〜んだって……あっさりしているな〜」
サエコが目を開けると、笑顔のマリンと目が合った。
「じゃあ、2倍甘えてください。もっと私を利用してください。サエコさんにはその権利があります」
「うぅ……またまた悩ましい提案を……」
催眠術にでもかかったみたいに、サエコはうっとりと目を細めた。
「マリンちゃん、好き」
「私もです」
この優しさは無限の海原に似ている。
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