第16話

 デパートの最上階にある焼肉屋は、この近辺で働いているサラリーマンたちでにぎわっていた。


「えぇ……僕が真人間じゃないって?」


 イツキがトングで厚切りのタンを二つ並べる。


「オーラが出ていたそうよ。そのことを思い出したら、おかしくて、おかしくて……」


 サエコは会社であったナオヤとの会話を伝えた。


 クスクス笑う二人の間で、ぱちん、と脂が跳ねる。

 ちょっと火が強いなと思い、調整パネルにタッチして、強火から中火に切り替えておいた。


「その百瀬さんとやら……」

「もしかして怒った?」

「いや、人を見る目があると思って」

「変なの。でも、イツキらしい」


 大きなガラス窓の外に広がる街並みはまだ明るい。


 やっぱり気持ちいい。

 いつも働いている時間に焼肉を食べるのは、最高にハッピーだ。


 食事に大枚たいまいをはたいちゃうと、労働意欲が削がれるんじゃないかと心配していたが、少しの贅沢ぜいたくは心のエネルギーになると、マリンとのデートを通じて学んでいた。


「自慢じゃないけれども、僕って前科はない側の人間なんだけどな。まあ、職質されたことは数え切れないけれども」

「そうそう、大学生の時とか。よく盗難自転車じゃないですか〜? て疑われたよね」

「ぐぬぬ……あったな。思い出したら腹が立ってきた。ビールお代わり」


 一文無しのイツキに向かって、今日は何でもオーダーしていい、と伝えている。


「サエちんは何飲む?」

「そうね、ウーロンハイをもらおうかしら」


 空っぽのグラスをイツキはテーブルの隅に置いてくれた。


 やっぱりお金は大切だ。

 サエコの仕事があるからこうして二人で笑える。

 高価な肉だって気兼ねなく食べられる。


 勉強とか大学もそう。

 昔に頑張ったから今の会社に入れた。

 一本の糸みたいにつながっている。


「本当にご馳走になっていいの? こういう焼肉屋って一人一万は超えるでしょう」

「いいのよ。家を掃除してもらったから。そのお返し」

「ふむ、アルバイト辞めて、サエちん専用の家事代行サービス始めようかな」

「こらこら。働きなさい。じゃないと一日中、私かスーパーの店員さんとしか話さなくなるでしょう」


 口ではそういったが、イツキにずっと家にいて欲しい気持ちもある。


 ゴミ捨てとか。

 いつでも捨てられると思って、ダンボールをついつい溜めちゃうくせがあったが、イツキがいつの間にか片付けてくれた。


 洗濯機を回してくれるのもありがたい。

『今日は天気がいいわね』とサエコが何気なく話すと『じゃあ、洗濯するか』とイツキが返してきた時はびっくりした。


 あとは『ただいま』『おかえり』のやり取り。

 有ると無しでは大違い。


「サエちんの考えていること、当ててあげようか」

「何よ、急に。当てられるわけないじゃない」

「いやいや、大学生の頃はよく当てたよね」


 そうかしら。

 サエコが運ばれてきたウーロンハイを一口飲むと、イツキは狙撃手スナイパーみたいに片目をつぶる。


「サエちんが考えているのは、焼肉は二人で食べるからうまい、でしょう」

「ぶっ……」


 軽く吹き出してから、おしぼりで口元をぬぐった。


「図星? ねぇ、図星?」

「いいわよ。図星ということにしてあげる」

「やった」


 イツキはビビンバを食べようとして、急に手をストップさせる。


「マリンちゃんだっけ? パパ活ってそんなに楽しいの?」

「楽しいから続けているのよ。あの子、本当に良い性格をしていてね。お金を出してあげたいな、と思わせてくれる」

「それが単なる演技だとしても?」

「そう、演技だとしても」

「ふ〜ん」

「あ、まさか……」

「そのまさかだよ。僕もパパ活しようかな。ネカフェのバイトより10倍くらい楽に稼げそう」


 これだからイツキは……。

 仕事と呼ばれるものの99%は楽に稼げるはずない。


「ほら、僕って20代じゃん。まだ商品価値が残っていると思うんだよね」

「見た目は良くても、その性格だと無理でしょう」

「そうかな」


 小首をかしげるあたり、本人は真剣らしい。


「逆に訊くけど、イツキを囲うメリットって何なのよ」

「お酒に強い。あと、タバコを吸える。これって今時の女子にしては珍しくないかな。ギャンブルだって好き。競馬場デートとか、中々洒落しゃれていると思わないかな」


 言われてみると確かに。

 どれもキラキラした女子には無理そう。


「それにお金持ちの人って、40代とか50代に多いんでしょ。未だに昭和気質が抜けないような」

「でしょうね」


 上の年代になるほどお酒・タバコ・ギャンブルが好きだ。

 まさかイツキの短所がセールスポイントになるとは。


「でも、パパ活はやめなさい。その内、相手のおじさんをぶん殴るのがオチだから」

「いえてる。僕って変なタイミングで怒っちゃうしね」


 自分でパパ活を利用しておきながら、友人にはやめておけと釘を刺す。

 これほど傲慢ごうまんな話もないな、と思ったら口の中が苦くなった。


「あ、サエちんのハラミ、焼きすぎじゃない」

「いけない」


 端っこが焦げてしまったハラミを慌ててお皿に移す。


「それ、僕が食べるよ。サエちんがガンになったらいけない」

「いやいや、イツキがガンになっても困るでしょう」

「僕はいいから。サエちんとは違うから」


 焦げた部分もイツキはおいしそうに食べる。


「僕が死んでも、悲しんでくれる人間はサエちんくらい」

「あのね……冗談でも死とか言わない」

「でも、僕がいない世界を想像しちゃっただろう」

「あなたって人は……」


 場が一瞬、しんみりする。

 するとイツキは空になった皿をおはしでチンチンと叩いた。

 牛タンをお代わりしたいという意思表示らしい。


「いいわよ、頼みなさいよ」

「ネギ塩タンの特上でもいい?」

「好きにしなさい。ネギでも、特上でも」

「やったね」


 ちなみにサエコが好きなのはハラミ。

 カルビやロースもおいしいが、そっちは値段が張るから、同じ量でも価格が全然違うのだ。


 結局、コスパの良いハラミに落ち着いてしまう。

 こればかりは庶民に生まれたさがだから死ぬまで抜けないだろう。


「なんか悪いねぇ。サエちんより僕の方が良いお肉を食べている」

「いいから。食べなさい。こんなお店、次に来られるのは半年後かもしれないのよ」

「そうだね。もし僕が宝くじを当てたら、ここでサエちんにお返しするよ」


 幸せそうに肉を食べる。

 そんなイツキを見守る時間が、サエコにとっては宝物だった。

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