関所の戦い

 満月の下、俺は一人山道を駆けていた。


 魔王が、父が裏切ったその日からずっと、体の内より湧き出る怒りの感情を制御するだけで全てのエネルギーを使い果たしてしまいそうだ。


 かつて平和の理想を語り合った魔王は死んだ。

 決して死なぬと言われた最強の魔王は死んだのだ。

 そこにいたのは暴力で全てを従える化け物だけ。


 俺はかつて憧れていた父上に失望していた。


 原初の魔族、魔王マレディレント・ゼーレ・デンハイト。

 魔力の扱いに長け食物連鎖の頂点に立つ魔族、その全てを従える最強の魔王その人である。


 父上の他に魔王と呼ばれた者は、有史上一人として存在しない。

 なぜなら、我らが魔王国を築き上げたのが他でもない父上であるからだ。

 その歴史は数百年とも数千年とも言われるが、その実君主と呼ばれた魔族は父上ただ一人のみである。

 千度殺しても蘇ると言われる不死性を宿したその体は決して滅びることなく、かつて人間に謀られ溶岩を泳いだときも、深海に飲み込まれたときも、細切れにされ封じられたときも、何食わぬ顔で舞い戻り世界を、そして魔族をも震撼させたと言う。


 また長きに渡って国を治めるその人望は他に類を見ぬほど厚く、絶望を司るかのようなその不吉な容姿とは似ても似つかぬ平和をこよなく愛するその姿勢は、全魔族憧憬の的でもあった。


 そう思っていたのだが。


 何の前触れもなく人類に対して宣戦布告を行った父上を止めることができるのは俺しかいない。

 俺は誇り高きデンハイトの男だ。

 最強最悪の魔王を輩出してしまった一族の責務として、必ずや父を討伐せねばならない。


 そのためには人間の住まう王国へ向かう必要があった。


 俺は単騎でそこらの小国を落とせる程度の戦闘能力は有しているが、逆に言えばその程度でしかない。

 一騎当千程度で敵う相手ではない。

 俺は外の世界を知らねばならぬ。


 魔族としての力を鍛え挑むのでは、魔族の長たる父上に敵うはずもないことは歴史が物語っている。

 俺一人で挑むのでは、全魔族を従える父に敵うはずもないことは日の目を見るより明らかだ。


 力が必要だ。

 仲間が必要だ。


 父上が裏切ったその日から、俺はその手段だけを考え続けた。

 取り返しのつかぬことになる前に、どうにかして父上を止めねばならぬ。


 そんなとき、一枚のビラが目に入った。


「新米勇者募集! 詳しくは灰桜祭かいおうさいで!」


 「灰桜祭かいおうさい」というのが何を指すのかはいまいち要領を得なかったが、どうやらそういった名前の祭りが近々フィーネ王国の王都で開催されるらしいということは分かった。


 勇者というのは何やら特殊な力を持った人間の代表者で、定期的に襲撃してきては我に討ち滅ぼされるのだ、と以前に魔王その人から聞いた記憶がある。


 外界に出て仲間を見つけ、力をつけて魔王を止めるには絶好の機会だ。

 もっとも魔王様のお膝元にいては四面楚歌もいいところで、反逆どころの話ではない。

 勇者とやらになり人類を味方につけ、どうにかして父上を討たねばならぬ。


 思い立ったが吉日、そう考え愛剣を携えて、魔王城を飛び出して数時間後、日は暮れ辺りもすっかり暗くなった頃、俺は王国の関所にさしかかっていた。


 そして、俺は途方に暮れていたのだった。


 いてもたってもいられずに勢いで家出したはいいものの、冷静になって考えてみればどのように人間の王国へ進入するというのだろうか。

 俺は正真正銘の魔族だが見かけはかなり人間に近い部類なので、その点は特段心配ない。

 なぜなら、俺の知る限りでは魔族と人間を見かけ以外で判別する方法など存在しないからだ。


 しかし、今後表立って行動するに当たって身分証一つないというのは非常に不便だ。

 いや、そもそもまさに今目の前に迫る関所すら越えられぬ可能性が高い。


 俺はしばらくあれやこれやと考えたが、これといった正解も見当たらなかったのでそのまま関所へと歩き出した。



 日の暮れた山道は暗く冷たく、春はまだ少し先であることを否応なしに感じさせる。


 そういえば、先ほどから道端には細い枝の生えた木々が立ち並んでいる。桜の木だろうか。

 花はまだ咲いていなかった。


 俺は関所に足を踏み入れる。

 関所と言っても塀に大きな扉が付いた程度のもので、兵士も一人しかいないようだった。


 今日が祭りの当日だということもあるのだろうし、夜ということもあるのだろうし、もしかするとそもそも人通りの酷く少ない山道なのかもしれなかった。


 ……これならなんとかなりそうだ。


 俺に気が付いた兵士が声を掛けてくる。


「身分証を提示してくれ」


 やはり、身分を示す何物かが必要だったようだ。

 場当たり的な対応で切り抜けられぬか試みる。


「ラント村のデュリックという。灰桜祭に向かう道中、通行証を失くしてしまったのだが……」


 ラント村というのはデンハイト魔王国との国境付近にある人間の村だ。

 俺は人間の国に関する地理、歴史、文化などをほとんど知らぬのだが、ここだけは知っている。


 あそこは魔族の領土に近すぎるのだ。

 恐らくは人間の最終防衛線の先にあり、完全に見捨てられた土地となっている。

 万年不作のやせこけた僻地であり、地形や利権等々人間にもそれなりの理由はあるのだろうが、魔族である俺ですら少しかわいそうに思う、そんな場所だ。


 未だに侵略を受けず人類が暮らしているのは奇跡としか言いようがない。


 「ラントのデュリック、と……。通行証を紛失、と……」


 手元の紙にメモを書きつつ兵士は言う。


 ふむ。

 やはり俺の名は知られていないか。


 俺はあまり表舞台に立ってこなかった。

 俺自身が人前に立つことをあまり得意としないのもあるが、どちらかと言えば母上の方針であった。

 魔族でさえ俺の顔どころか名すら知っている者は少ないだろう。

 それが人間となれば言わずもがなである。

 デンハイトの姓さえ出さなければ、デュリックで通せるだろう。


 そもそも人類側の情報がこちらに渡って来ぬのと同様に、魔族側の情報もそこまで知れ渡ってはいないだろうとは思うがな。


「現在王都は厳戒態勢を敷いていてな。そう易々と通すわけにもいかんのだ。近々魔王が動き出すとの噂もあることだしな」


 ほらあれ、とまるで常識かのように兵士は頭上を指差して言った。

 今宵は満月であるが、それと何か関係があるのか?



 ――よく見ると、その月はかつてないほど巨大で、そして、奇妙な薄いピンク色をしていた。


 それはまるで不吉の前兆のようで、それでいて美しく、同時にある種禍々しさを孕んだ異様な光景であった。

 畏怖と憧憬を一心に集める、そんな印象の月がそこに浮かんでいた。


「ふむ。そうか、もうその時期か」


 適当に相槌を打ってみる。


 生まれてこの方十余年、あのような月を見るのは当然ながら初めてだ。


「ん……? お前、前回のも見たのか……?」


「前回?」


「二十年前のだよ」


「いや、俺は今年で十八だ」


「あぁそうか、なら今回のが初めてか。あの時は本当に酷かったよ。先代が死んじまって、国中が荒れに荒れたもんだ」


「先代とは何の事だ?」


「二十年前の英雄、先代勇者シャリテ様だよ、そんなことも知らんのか。あの方がいなければ、今頃王国は滅びていたんだぞ」


 二十年前というと、俺が生まれるちょうど少し前の話だな。

 人類の歴史、しかも生まれる以前の話を魔族の俺が知らぬのは当然と言えば当然なのだが、そのようなこと兵士は知る由もないだろう。


「秀抜な英雄がいたのだな。ところで俺は灰桜祭に行きたいのだ。あまり時間もない。通してはもらえぬか」


 世間話に花を咲かせて勇者になれませんでした、ではデンハイトの名に示しがつかぬ。

 関所の通過を急がねばならぬのだ。


「あぁ、そうだったな。だが、身元を証明できないのであれば通すわけにもいかんからなぁ……。そうだ、あれを使おう。少し待っていてくれ」


 兵士そう言うと一度下がり、しばらくして戻ってきた。

 手には何やら付箋サイズの白い紙を持っている。


 「これはマヒア紙と言ってな。魔族がこの紙に触れると反応して色が変化するようにできている。これでお前が人間ということが証明されれば、晴れて通過できるというわけだ」


 ……そのような道具が存在するのか。


 見かけ以外では人類と魔族を判別できぬと言ったが、早速前言撤回。

 どうやら雲行きが怪しくなってきた。


 「分かった、やってみよう」


 断るわけにもいかぬので俺は兵士からマヒア紙を受け取り、指で触れる。


 しばらくは何も変化がないように見えたが、少しして色が薄く変色し始めた。


 「は、灰色……! な、なんとおぞましい……! 言い訳はさせんぞ!」


 そう言うや否や、兵士は剣を抜き放つ。

 先ほどまでとは打って変わり、憎悪を顔に浮かべて飛び掛かってきた。


 ……さて、どうしたものか。


 蝿の止まりそうなその突進を尻目に、俺は肩をすくめて考える。


 武力制圧自体は訳ないことだ。

 相手は一人、しかも人間である。

 しかし、俺は人間と争いに来たわけではないのだ。

 協力関係を築き、魔王を討つのが目的だ。

 場合によっては身元を明かし、旗印として最前線に立つのもやぶさかではない、などと考えていたのだが。


 どうやらそれはやめておいた方が賢明そうである。

 人類と魔族との間には現在進行形で想像以上の禍根が残っているらしい。


 ではこの場合、俺はどうするべきか。


 武力制圧して押し通るか?

 それこそ禍根を残す。

 後々に万が一発覚した場合、英雄からお尋ね者に急転直下の転落人生である。

 却下だ。


 対話を試みるか?

 兵士は今まさに鬼の形相を浮かべ、剣を携えて全力で突撃してきている。

 流石に無理があるな、却下だ。


 ……うむ、やはりこの手しかあるまい。


 俺は足元に魔力を集中させると、心の中でこう唱える。


 ――光陰る導きチマ・ピエルナ


 兵士の切っ先が俺に届くかというその刹那、俺の身体は全て足元の俺の影に消えてしまった。

 標的を見失った兵士は辺りをきょろきょろと見渡すが、俺はどこにも見つからない。

 次の瞬間、俺は兵士の真後ろにあった桜の枝の影から姿をあらわした。


 右腕の力を抜くと手の先が地面に向けてがくっと垂れ、次第に禍々しい瘴気が漏れ出した。


 ――死神の右腕レヒ・タナトス


 俺は目にも止まらぬ速さで右腕を伸ばすと、兵士の心臓を貫いた。

 そのまま手を引く。


「あっ……、あっ…………、あっ………………」


 兵士は天を仰ぐようにして喘ぎ、次の瞬間糸の切れた操り人形のように膝をついた。

 しかし、貫かれたはずの胸には傷一つ残っていない。


「跪け」


 俺がそう言うと兵士は起き上がって即座に膝をつき、忠誠を誓う騎士のように頭を垂れた。

 しかし、その目は虚ろだ。


 当然、殺してなどいない。

 「死神の右腕レヒ・タナトス」は相手の魂に直接作用して屈服させ、操作するものに過ぎない。一時的に俺に従う人形と化しただけだ。


「俺のことは忘れろ。デュリックという田舎者の新米剣士がここを通ったが、マヒア紙に問題はなかった、いいな?」


 了解したと言うかのように、人形と化した兵士は再度深々と頭を垂れた。


 さて、ひとまず関所は突破できたようだし、急いで王都へ向かわねばならぬな。

 あの兵士は十分も経てば偽の記憶と共に正気を取り戻すだろう。


 しかし、あれをするのは本当に気が進まなかった。


勇者という単語から連想されるのは英雄的な響きだ。

 事実、先ほどの兵士は先代勇者を英雄と呼んだ。

 その勇者になろうという者が魂を屈服させてどうこうなどとはどう考えても場違いだ。

 今後はイメージ戦略的にも極力控えていきたいものだが……。


 間違っても、「まるで魔王のようだ」などと呼ばれる勇者などあってはならないのだ。

 そして、それがあながち間違いでないのも始末に負えない。


 こうして俺は王都へと歩を進めた。



 相変わらず、空に浮かぶ月は奇妙な輝きを放っていた。

 月の光が反射したのか、地に落ち捨ておかれた付箋大の紙屑も、奇妙なピンクみを帯びていた。


風が吹き、紙片が飛ばされる。

それはまるで、桜の花びらが舞うようであった。

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