第2話 私の知らない世界



 気が付いたら、なぜか周囲が真っ白に光り輝く世界にいた。

 俺は現状を把握しようと深呼吸した。

 目の前には、いかにも女神と言わんばかりの金髪縦ロールが特徴の女性がいた。

 その女性が、何の前振りもなくこう言った。

 「あんたねえ、大切なレース邪魔してただで済むと思ってるの」


 俺は夢を見ているのだろうと思ったが、意識を集中しても覚めてくれない。

 普段なら、集中すれば夢から醒めるのに。

 覚めない夢が一番の悪夢だな、ということを初めて知った。

 ふと、漫画で、プラチナが死神13にやられそうになったことを思い出した。



「悪夢ではありません。これは現実であり真実です。私はエルメス、あなたが感じた通り女神です」

 自称エルメスという女神にそんなことを言われた。

 突然そんなことを言われても、なんの心の準備はできていない。

 さっきまで、クマとウサギのレースに闖入(ちんにゆう)していただけなのだから。


「そんなこと、エルメスがいくら言っても結果は変わらないぜ」

 金髪で細マッチョのイケメンが口を挟んだ。


 女神の美しさに目を奪われていたのか、すぐそばにいたこのイケメンに、声を出されて初めて気が付いた。


「まさかどっちも負け、という結果に終わるとは」

 イケメンが軽く笑いながら残念そうに言葉を発した。


 やっぱりあの二匹は競争していたんだ、と認識するとともに、このほかに周囲に誰かいないか確認した。

 俺をにらみつける二匹の獣(けだもの)がいた。


『やばい』

 あの目は俺を殺そうとしている眼だ。

 その眼だけで死ねそうだ。


 俺って実はとっても迷惑なことをしてしまったのか。

 つい、成り行きでアクセルを開けてしまっただけなんですけど、と言い訳をしたい。

 しかし、あの二匹が真剣過ぎて、つい中(あ)てられてしまったんですけど、と言ってもどうにもならなそうな気がする。



「とりあえず、済みません」

 俺は謝罪になりそうもないが、一応の謝罪だけは口にした。



「ふ~ん、一応レースだってことは理解して乱入したようだね」

「済みません」

 これ以外に言う言葉は見つからない。


「ん!この子、面白いかも」

 それまで不機嫌さを隠そうともしなかった自称女神が、楽しそうな声を上げた。


「おっ、そうだね」

 イケメンも同意する。


 何が面白いのか俺にはさっぱりわからない。

 俺は獣(けだもの)二匹の眼圧に殺されかかっているのだ。

 全く面白い訳がない。


「この子宝くじを当てていたんだ」

 女神(エルメス)。

「それで賠償してもらうか」

 イケメン。

「ヴーヴー」

 クマ。

「キーキー」

 ウサギ。


 前半二人?二柱?は俺の金。

 後半二匹は俺の命。

 狙っているものは、そんなところだろうと推測できた。


 どっちでも賠償したくない。


 しかし逃げようにも逃げ道が見つからない。

 白バイも見えない。

 走って逃げようとしたら、獣(けだもの)二匹が俺を殺しに来るだろう。

 バイクなら別だが、走ってあの二匹から逃げ切れるとは思えない。


「あなたのバイクのスキルは大したものね」

 女神(エルメス)が褒める。


 だが褒め殺しは要らない。

「それほどでも」

 俺は謙遜する。


「まあこの半神の決着は仕切り直しだな」

 イケメンが決める。


「ヴーヴー」

「キーキー」

 獣(けだもの)どもが文句を言う。


 ごめんよクマさん、ウサギさん。

 さっきの競争を見る限り、クマはゴール前まで喰らい付き、最後に差すつもりで走っていたのだろう。

 ウサギは勝てると思って最初から飛ばしていたのだろう。

 勝負が次回に持ち越されたら、ウサギ有利になるだろうが、もし、クマがウサギをやっつけるという手段が合法なら、ウサギ有利とはならず、同じようなレース展開で、後半が変わるだけだろう。

 いずれにせよ、水を差したのは俺だ。


「まあ、この子の命で補償するのが一番手っ取り早いけど、このまま命を取り上げるのも面白くないのよね」

 女神(エルメス)が不穏なことを口走った。

 ちょっとした出来事(レース)に巻き込まれただけで命がなくなるんですか、俺。

 人の命って、そんなに儚(はかな)いものなんですか。

 殺人って最大死刑の犯罪ですよ。


「それでも、人の意志を無視して命を取り上げたくもないのよね」

 エルメスがほっとすることを言った。

 ほっとしたのもつかの間。


「まあ、この世から消えてもらって、私の世界で償ってもらいましょう」

 女神(エルメス)がそんなことを言う。


「それが妥当だね」

 イケメンが同意する。

「ヴーヴー」

「キーキー」

 獣(けだもの)たちも同意したらしい。奴らの顔にそう書いてある。


 ところで私の世界ってなに?

 一生遊べるお金が手に入ったのに、私の知らない世界に行くという選択肢は絶対にない。


「済みませんが、私は知らない世界に興味ありません。今の世界で静かに幸せに生きるのが夢なので、元の世界に戻して下さい」

 悪夢なら覚めればホッとするだろう。

 元々は、ちょっとしたボタンのかけ間違いだ。


「だってあなたは、当選したことをみんなに知られたくないって思っていたでしょ。別の世界に行けば、あなたは当選したことを喋ることもできないのだから、あなたの希望通りになるでしょ」

 エルメスが簡単に言う。

 当選したことはバレたくないけど、それは俺が自分の意志で思い通りにお金を使うためであって、当選が無効になることが望みではない。

 

「もうあなたに拒否権はないのです。なぜなら、神々の遊……ごふっ、いえ、神々の運命に巻き込まれたあなたに白羽の矢が立ったのです。私の加護を多少差し上げますので、これから向かう世界では、私のことを布教して下さい。それが十分と認めましたら元の世界へ戻しましょう」

 エルメスが神様らしい言葉を発する。

 神と言っても悪の神だが。


 

 エルメスは一体何を言っているんだろうか。

 ちょっとした偶然だろ。

 そんなに飛び入りが死刑クラスの犯罪になるのなら、もっとセキュリティーを強化しておくべきだろ。

 なぜ俺が知らない世界へ旅立って、今初めて会った自称女神(えるめす)の布教をしなければならないのか。


 俺は『アナタハ神ヲシンジマスカ』という宗教的布教は一切したことがないし、そういう信仰に熱い方からまともに話を聞いたこともない。

 それどころか、えーKBとか、はろプロとか、そういう文化の布教すらしたことがないし、受けたこともない。

 つまり俺が布教に携わる意味が全く分からない。


「いや、宗教(そういうの)苦手なんです。勘弁してください」

 俺は懇願する。

 夢から醒めれば、俺は金持ちになる。



「あなたが向かう世界で、きちんと布教していただけたら、それ以上のお金持ちにして差し上げます。更にハーレムまでお付けするという大盤振舞です。拒否はできませんので、この中からあなたの好きな加護を選んで下さい」

 殺すから、大盤振る舞いとかハーレムとかに、話があっという間に変わった。

 絶対危険な奴だ。

 大盤振る舞い+ハーレム≒殺す、に違いない。


「はい、この中から選んで下さい。1個だけですよ」

 俺が戸惑っている間に自称女神は、話を勝手に進めてきた。

 雰囲気的に元の世界に戻ることは無理だと悟った俺は、仕方なく加護を選ぼうとした。


「んっ?」


 加護と言われた宝物を見ると、トランプやら、麻雀牌やら、ルーレットやら、俺の嫌いなパチンコ台やら、ギャンブル関係の物しか見えない。


「これって、なんの加護なんですか?」

 恐る恐る聞いてみた。


「ギャンブル必勝のアイテムです。どれを選んでもギャンブルに絶対勝てます」

 自慢げに微笑む自称女神。


「必勝とか絶対と言ったら、所謂イカサマという奴では?」

「バレればそうかもしれませんが、神具ですのでそうそう簡単にはバレません。バレなければイカサマとは呼びません。単なる神の加護です」


 頭が痛くなってきた。

 俺の嫌いなギャンブル、しかもイカサマ推奨、そんな神を布教するなんて。

 だが俺の親父なら喜んで二つ返事だろう。


「イカサマなら要りません。元の世界に戻すなり、加護なしでその世界に飛ばすなりして下さい。なんなら殺しても構いません」

 俺は新しい人生を諦めた。イカサマしながら暮らす一生なんて嫌だ。

 元の世界で公務員として平凡に生きるか、布教せずに、異世界で平凡に暮らした方が良い、と思いながら。


「そんなこと言わないで選んで下さい。神具がなければ、私の使いということが分からないではありませんか。このカードなんか人気ですよ。思い通りのカードを引くことができますし、この麻雀牌なんて、持ち主にだけ牌が透けて見えますよ。パチンコだって設定1でもドル箱積み放題ですよ」

 異世界にパチンコなんてギャンブルはあるのだろうか。


「そういうイカサマは要りません」

 俺はきっぱりと言い切った。

 嘘、イカサマは、バレた後が怖いのだ。

 そもそもギャンブルで生活するということ自体間違っているのだ。


「この神具があれば、あっちの世界でお金を稼ぐことなんか簡単ですよ。その分しっかりと私の布教をお願いしますね」

 笑顔が怖い。


 俺は言葉を失った。

 無言のまま時が過ぎる。


「私の神具を持って行ってもらわないと、他の神にあなたを取られるじゃないですか」

 無言に耐えられなくなった女神(エルメス)が本音を漏らす。


 そうなのか。

 つまり、この女神の加護がなければ、他の神の加護を得ることも可能なのか。


 俺はチラッとイケメンを見る。

 こいつなら俺に何をくれるのだろう。

 イケメンは俺の視線を柔らかに受け止める。


「僕は男の子も嫌いじゃないよ」

 イケメンが、何を勘違いしたのか、理解したくない言葉を発した。

 多分俺が精神的に要らないものをくれそうだ。

 その世界は一生知らなくていい。

 イケメンにだけは頼りたくない。



「そんなイカサマに、新しい人生を託す訳にはいきません。私は警察官として働いて、正々堂々生きてきました。その生き様を曲げることはできません」

 俺は視線をイケメンから戻し、エルメスに言い放った。

 よし、良いぞ。我ながら、いい断り文句を考えたものだ。

 この神の加護は受け取らないぞ。イケメンからもだが。

 心に固く誓った。

 奴は言った。

 人の意志は無視したくないと。

 この調子で、加護を断り続ければ、何とかなる。はず……。



「これなんかどうですか」

 自称女神が神具らしいものを俺の手に握らせようとする。

 俺は頑なに拒んだ。

 これを受け取ったら、絶対に私の知らない世界に行かされる。

 だがこのまま拒めば、元の世界に戻れるかもしれない。

 もしくは、もっときちんとした神様(イケメン除く)の加護を得ることができるかもしれない。

 そんな淡い期待をしながら、俺は抵抗した。


「必勝アイテムがあれば、楽に私の世界で暮らせて、布教は簡単だったと思うのですが、あなたの意志を尊重して、私の神具で唯一必勝にならないアイテムを授けます。それに、あなたはハーレムに興味はありませんか」


 ハーレム。

 男なら一度は夢見る世界。

 ちょっとだけ、そう、ちょっとだけ良いかも、と思ってしまった。

 その心のスキを突かれたのか、気が付いたら俺の手に、サイコロが握らされていた。

「へっ?」

「これを授けるので、私の世界に飛んで下さい。人生はギャンブルです」

 自称女神はそう言うと、俺を転生させた、らしい。

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