蘇った切り裂き魔②
馬車は軽やかに市中を駆け抜け、事件現場と予想した場所の近くで止まった。現場付近には既に規制線が張られており、紫音の予想が正しかったことを裏付けていた。
礼堂警部もまた想定通り待っていた。が、肝心の帆吹警部の姿はなかった。
「やあレストレイド。ホプキンスはどうした?」
礼堂警部は手帳から顔を上げた。
「彼は署へ戻るついでに被害者の関係先へ連絡を。元々私が担当している事件ですからね。彼は偶々私が不在だったためにその分を埋め合わせてくれたんですよ」
「なるほど。早速見せてもらっても?」
紫音は言った。礼堂警部は頷き、遺体にかけてあったブルーシートを外した。
遺体は激しく損壊していた。敢えて具体的には描写しない方が良いだろう。どんなことをしたら人間をここまで惨たらしく殺害することが出来るのか、わたしには全く理解出来ないし、したくもない。ただ一つ言えるのは、礼堂警部が「解体」と表現したのはオブラートに何重にも包んだ上のことだった、ということだ。
全体として異常な現場ではあったが、その中でも特徴的であると言えるのは、顔があっただろうと思われる場所に被せるように置かれていた白狐面だった。
紫音は白狐面を拾い上げると、それを入念に検めた。そして満足したのか、すぐに元のところへ置き直した。
「犯人、いや、実行犯は分かった」
紫音は囁いた。
実行犯は、とわざわざ言い直したのが気になった。それは実行犯でない犯人、つまりいわゆる黒幕というやつがいるとはっきり言ったのに等しい。
そして勿論、黒幕とて明白だ。この街でこの規模の犯罪行為を行える者が一体どれだけ存在するか。当然一人の力ではなく、組織だった犯行であることは間違いない。ではその組織は何か。それこそ単純明快。MAFIAをおいて他にない。
即ち、態々宣戦布告めいた挑発行為に及んでくれた、現MAFIA首領、松風潤が背後にいることは間違いないだろう。
わたしが紫音の方へ視線を向けると、彼女は礼堂警部と何か話しているところだった。彼女がそう安々と犯人を教えるとは思えないので、何か確認したいことがあるか、或いは頼みたいことがあるのだろうと思ってわたしは近付いた。その予感は当たった。
「そう、地図のここだ。今晩ここで最後の殺人が起こる。私の予想が正しければ、殺害されるのは殺人犯自身だ」
紫音は淡々と言った。
「な、何故そんなことが」
「今しがた説明した通り、法則性に基づくと次の犯行場所はここだ。しかし同時に、これは神衛隊の奈以亜瑠羅少佐の拠点でもある。ということは標的は彼女だ。彼女の部下では恐らく血に混ざる魔力が足りないからな。だが、いくらこの殺人犯が近接戦に長けていたとしても、或いは暗殺術に長けていたとしても、あの『赤の女王』を殺すことは不可能だろう。却って返り討ちに遭う。だから死ぬのは殺人犯の方だ」
「なるほど……」
「君達は彼女の邪魔をせず、死体を回収すればいいと思う。回収する死体があればの話だが。巻き添えで死にたくないだろう?」
礼堂警部は激しく頷いた。俗に『赤の女王』と呼ばれる奈以亜瑠羅少佐の名は、ここでも恐れられているようだ。味方でさえ邪魔であれば斬って捨てると噂される彼女が相手では、それも仕方のないことだろう。
「ですが、事件の真相は如何に究明します? 黒幕のことは?」
頷き終えた礼堂警部は逆に問うた。言われたことをただやるだけの馬鹿ではないということか。
対する紫音の返答は極めて簡潔であり、そして当然の言葉だった。
「私がいるじゃないか」
事件現場から戻る最中、紫音は上機嫌だった。どうしようもなく退屈していたところに舞い込んできた事件があっさり解決せず、まだやることがあるのが嬉しいのだろうとわたしは思った。
「ワトソン。抜かりのない君のことだ。背後に誰がいるかはもうわかっているんだろう?」
これは嫌味か皮肉か。どちらであったところで、或いは純粋にそう思っているのであれ、わたしの答えは決まっている。
「モリアーティ」
「まず間違いないだろうな。では実行犯は?」
「……流石にお手上げだよ。わたしはきみほど観察力に優れているわけじゃない」
「していないだけさ。いいかいワトソン、現場には白狐面があった。何故だろうね」
なぞなぞでも解くかのような気軽さで紫音は言った。実際、彼女にとってこれはなぞなぞのようなものなのだろう。
「殺されたのが白狐の隊員だからじゃないの? ホプキンス警部だってそう思って電報くれたんでしょ」
紫音は我が意を得たりとばかりに頷いた。ということはわたしの推理は間違っているということだ。
「違うよ。あれは犯人の遺留品だ。被害者が白狐なのではなく、犯人が白狐なんだ。誰の面かは、私は既に聞いているが、君は流石にわからないだろうね」
「そりゃあわからないけど、ちょっと待って。既に聞いているってどういうこと?」
「言葉通りの意味さ。私は被害者と目される人物が誰か、出発前に既に聞いていた」
「誰に?」
「奈以亜瑠羅少佐」
紫音は何でもないことのように言った。
「君が出発の支度をしに二階へ上がった後に少し話した。窓越しにだがね。だから知っていた」
「まあ彼女が何をしてきても今更驚いたりはしないけどさ……。でもそれじゃ観察は関係ないよね。事前に知ってたんだから」
「それが誰だと思われているかはね。だがその状況までは聞いていない。いくら彼女が異常に耳聡いとはいえ、そこまでの情報を掴んではいないのだろう」
「なるほどね。で、あの狐面から何がわかったの?」
「あの死体は左利きだった。左腕の方が右腕より発達していたからな。恐らく、普段から相当腕を使って仕事をしているのだろう。だが、面の持ち主は右利きだ」
彼女ほどの観察力がなくても、ある程度見る目が備わっているなら、確かに外見的特徴から左右のどちらが利き手かわかる場合もあるだろう。それが綺麗な状態の死体であったなら、わたしは最早何とも思わない。しかし、今回は原形を殆ど留められていないものだ。それをよく観察したものだと、素直に感心してしまった。
あの死体と面の持ち主が別人であるならば、なるほど面の主が実行犯でなければおかしい。
「ホプキンスから来た電報には、被害者が白狐であるという点のみ書かれていた。被害者が誰だかわからないが白狐であることはわかるというのは不自然だ。ではどうすればそのような状態が出来上がるか。身元不明の死体が白狐面を被っていればいい。だから、現場を見る前から白狐面が偽装の為に置かれているだろうと思っていた」
紫音は芝居がかったように捲し立てた。
まさに今見てきた死体と同じ状態。予測するだけならさほど困難ではないのだろうか。わたしは思い付かなかったが。
「じゃあ、全く無関係の犯人が、偽装のために白狐面を置いていったってセンは?」
「それこそないな。白狐面を盗まれるなり失くすなりする白狐がいるとは思えないし、もしそんなことがあったならまず私に対応依頼が来ている」
わたしのささやかな反論は、あっさり否定された。わかりきったことだ。彼女が自分の考えを口にする時は、ほぼ確証がある時だけなのだから。
「犯人はやり過ぎた。パフォーマンスとしては上出来だが、偽装ならば白狐面を近くに落としておくだけの方が余程自然でよかった」
紫音は続けた。
「確かに。じゃなんで被せたんだろう」
「犯人の遺留品だと思われるのを避ける為さ。確かにその辺に転がっている方が被害者の落とし物として自然だが、同時に犯人の遺留品としても自然だ。だから白狐面と被害者とを結びつけて考えるように誘導しているんだ。現に、あのホプキンスなんかは見事に騙されていただろう? だから逆にアレが犯人の遺留品だと推測出来ていたんだがね」
紫音がそう答える間に、馬車は我が家の前で止まった。出迎えてくれたハドソン夫人に「夕食は要らない」とだけ告げると、彼女はさっさと居間へ上がっていった。ハドソン夫人は肩をすくめて見せ、わたしは同情を表情で示した。
わたしが居間へ入った時には既に、彼女はいつものガウンに身を包み、余裕たっぷりに肘掛け椅子に収まり、パイプに火をつけていた。
「今回の犯人は、切り裂きジャックだ」
紫音はパイプを咥えたまま言った。
「
切り裂きジャックの再来であり、本人の善良性と特殊な生い立ちを鑑みて、白狐の一員として綾女さんの下で活動しているはずだ。
「そう、彼女だ。マイクロフトが切り裂きジャックに喩えたのは、まあ個々の事件の類似性によるものかもしれないが、実際のところそこまではわかっていたのではないかと思うね」
では何故そこまでわかっているのに、わざわざ習慣を曲げてまで紫音のところへ来たのだろうか。わたしのそんな疑問に、紫音は答えた。
「彼の依頼はつまるところ、七島玲とMAFIAの間の繋がり、ひいては白狐とMAFIAの繋がりを調査して欲しいということだろう。初めから妙だと思っていたんだ。事件を警察主導で捜査している癖に、私しか解決させられないと言い、それが立場上の問題だと示唆していた。しかし私に捜査して欲しいのは事件そのものではなく、その裏側のことだったというわけだと考えれば納得がいく。白狐の内情を警察が探るというのは問題が多過ぎるからな」
「事件が明るみになれば、白狐の神衛隊員が殺人事件を起こしたって問題になると思うんだけど」
「その辺りは心配要らないだろう。マイクロフトの政治的手腕の見せ所というわけさ。しかしMAFIAに好き勝手されるのはまずい」
紫音はパイプを片付け、便箋を手に取ると何かを認め、ハドソン夫人に託した。
「これは奈以亜少佐へ大至急、こっちはマイクロフトに頼む」
ハドソン夫人は慌ただしく出て行った。
一方紫音は、今度は書類棚の方へつかつかと歩いて行ったかと思うと、中から雑多な書類を取り出しては放り始めた。何かを探すために邪魔だから取り敢えずその辺に放り投げたのか、それともここに出したもの全て必要なのかはこの時点のわたしには判断がつかなかったが、いずれにしても後でそれを片付けることになるのが明確に予想出来てげんなりした。つい先日片付けたばかりだというのに。
一通り散らかした紫音が棚を閉めると、その音に反応するかのように、散らばった書類が綺麗に纏まった紙束になった。彼女が魔術師でよかったと心底思った。
「これはモリアーティ、いや、松風家に関する私の調査記録だ。君と知り合う前から私とあの家との間には色々問題があったことは前にも話したような気がしたが、その頃からの記録を全て取り出した」
紫音はそれらを一つずつ検め始めた。わたしは邪魔をしないよう大人しく読みかけの小説を開いたが、ちっとも内容が頭に入って来なかった。わたしの意識は当然今回の事件に向かっていた。わたしは読む、若しくは読んでいる振りをするのを諦め、事件について真剣に考えることにした。
紫音が言うには、実行犯が白狐の一人、七島玲だという話だ。しかし白狐は綾女さん直属の部下であり、尋常ではない忠誠心を植え付けられた者達だ。いくら彼女が以前『魔術師狩り』の一員だったとはいえども、今では万が一にも裏切ったりする可能性はないはずである。肉体を操作されてしまっては如何に忠誠心があろうと関係はないが、それであれだけの『解体』が出来るとは、わたしは医者として思わない。人体の切り開き方が的確かつ正確過ぎる。となれば、七島玲自身の意思によって起こされた犯行だと見做すのが自然だ。では、一体どうやって綾女さんの支配を逃れたのか。わたしにはまるで見当がつかなかった。
堂々巡りのように思考を巡らせていると、資料を読み終えたらしい紫音が立ち上がり、外出の準備を始めた。当然わたしは同行を申し出た。
「来てくれると嬉しいよ。古い知人に会いに行くんだが、君も知らない仲ではないだろうからね」
紫音は意味深なことを言うとハットを手に取り、馬車を用意しに降りて行った。
わたしはワトソン博士を手本として、なるべく少ない荷物ですぐに出かけられるように普段から心掛けていた。そのため、この時もわたしが出発の用意を整えるまでに五分以上かかったということはないだろう。しかし、紫音はわたしが地上階へ降りた時には既に馬車を完全に用意し終えており、見慣れた
一時間程度は走ったと思う。紫音は終始無言で、刺すように鋭い眼光と固く結ばれた唇からして、事件について思索していることはわたしにも明白だった。
紫音の馬車は総じて自動車に劣らない速度で軽快に走るのだが、魔術によって乗客を守る機能も付いているために、石や泥が跳ねてくる心配もなければ、強い風を浴びることもない。それでも長時間の移動は緊張を禁じ得なかった。理論上、万が一事故が起こっても乗客は守られるとのことだが、こちらから見る限りではまるきり剥き出しの身なので、車が突っ込んで来やしないかとハラハラしっぱなしだった。
馬車が停まったのは、閑静な住宅街の中だった。紫音が居を構える夏山市ベイカー街は住宅街と商店街の中間というようなところで、
紫音は馬車から軽快に飛び降りると、ステッキで二度馬車を軽く叩いた。たちまち馬車は元のミニチュアに戻り、彼女のフロックコートのポケットに納まった。
紫音の神経質そうな細い指がインターホンを鳴らすと、間もなくして玄関の戸が開いた。
「……これは珍しい客だね」
気怠そうに出てきた男性は、野分学園大学医学部の教授、
シャーロック・ホームズの再来、或いは橋姫紫音の帰還 竜山藍音 @Aoto_dazai036
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