彼女との過去
最初は私にとって彼女は遠い存在のように思えた。彼女はいわゆる女の子にモテる女の子だった。スポーツ万能で、所属のバスケ部の試合では彼女目当てに応援に行く生徒もいたほど。背もスラッと高くて、優しいので正直クラスの男子よりも女子人気が高かったように思う。クラスの静かなグループに居た私からすれば、関わらないであろう存在だった。私が彼女を把握していることはあっても、私は彼女からは把握されていない。そう思うのが当然だろう。
ある日、部活が終わって昇降口に行くと、彼女が雨に足止めをくらっていた。
「あれ、どうしたの?」
「あっ、傘忘れちゃって。天気予報確認するの忘れちゃった」
「他の部員とかは?」
「帰ったよ。ちょっと残って練習してた」
天才という言葉だけでは片付かない真面目さも、彼女の魅力の一つだろう。
「じゃあ私の傘に入りなよ。駅までならいけると思うよ」
「ありがとう!遠慮なく」
それから、私より少し背の高い彼女が傘を持ち、並んで歩きはじめる。
駅までの道のりを退屈しないように話しかけてくれる彼女の顔色や雰囲気が何となくいつもの輝きを失っているような気がした。
「なんか、調子悪い?」
私の言葉に驚いてか、恐れていた沈黙がやってきた。すぐに後悔する。触れてはいけない話題だっただろうか。彼女の気遣いを差し押さえてまで言う必要があったのか。
「そ、そう?そんなことないと思うけどな!」
彼女を詳しく知らない私ですら察せる空元気。
「無理せずに、体を壊しちゃったら元も子もないから…クラスの子とか部活の子に相談して」
「あっ、もう駅だね!じゃあ私はここで!」
私の言葉を遮って、駅の中へ走っていく。「待って」すら言えなかった。駅のホームに吸い込まれていく彼女の姿が消えるまで、その場を動けずにいた。
それから、彼女は確かに勢いを消していった。部活でも今までのような功績は出せず、落ち込んでしまったからか勉強もいつも通りにはいかない。分かりやすく沈んでいる彼女の取り巻きは、最初こそ励ましていたが、段々と人数が減っていき、最終的には私だけになった。
「まあ、こんなもんだよね」
おどけたように笑う彼女の目からは涙が出そうなほど曇っていた。
「でも、咲綾が残ってて良かった。1人にはならずに済んだもん」
「そうだね。私は最後の方にファンになったからかも」
「ファンだなんて大袈裟な。友達でいいじゃん」
「そうもいかないよ。天地くらいの差があるから」
「今は無いでしょ。ほら、私はもう落ちこぼれだから」
自嘲的に笑って、またすぐに俯いてしまう。
「ねえ、いいよ。無理しなくていいよ」
「えっ?」
「私の前では、笑顔にならなくていいし、無理に言葉を言わなくていい。そんなに気を使わなくても、私はずっとここにいるよ」
ポカン、と口を開けて私を見つめる目から、次第に涙が溢れてきた。それを庇うように口では笑い声を上げていた。
「ダメだなあ…本当に、ダメだなあ…」
「ダメなんかじゃない。今がちょっとスランプなだけ。気分転換する期間なんだよ」
「でも、もうどれだけ練習しても上手くならないの…やればやるだけ自分を責めてしまう」
「そういう時もあるよ。思い詰めすぎ」
私の胸の中で泣きじゃくる彼女の背中をさすって、いつまでもこうしていたいと思ってしまった。泣き顔を見て、ギャップを覚えるなんて、どれほど私は性格が悪いのだろう。彼女の不幸をどうしてこんなにもラッキーだと思えてしまうのだろう。でも、ごめん。もう少しだけ、友達のままでいいから、抱きしめさせて欲しい。
「ありがとね」
まだ赤い目と頬で言う。
「よし、このまま寄り道しよう。オシャレなカフェでも行って、美味しいもの食べようよ」
「……うん、そうする」
「そういえば、部活はいいの?」
「今日は元々休みだったんだ。私が自主練しようとしてただけで」
「ほんとに、真面目なんだね」
「…それしか、出来ないと思って」
伏し目がちにいうけど、さっきほど声色は暗くない。
「そっちこそ、部活いいの?」
「部活あるけどないようなもんだから。多分顧問来ないし」
「えっ、それ大丈夫?」
「大丈夫だよ、みんな来てないし」
「ええ…」
さっきとは別のことで眉が下がっている。こんなにコロコロ表情が変わる人だとは思っていなかった。面白い。
ますます好きになってしまう。
彼女の取り巻きは戻ってこなかったけど、彼女の本来の力量は戻ってきたようだった。何かが吹っ切れたような顔をして、今まで以上の好成績を出しているようだった。
「お疲れ。私が来ちゃって本当にいいの?」
「もちろん。誰かに見られてた方がみんなの気分も上がるし!」
「私は上がらないよ!!」
後ろでメンバーの1人が嘆くように叫んだ。
「あんたのその緊張しいはさっさと直しなさいよ」
「ていうか、1人増えたくらいでそんなプレーに影響あるもんかね」
「ありあり、大あり!でもなあ、せっかく来てくれたのを追い返す訳にもいかないし…」
「じゃあ、あんたが直すしかないでしょ。ほら、休憩時間終わり!」
ホイッスルの音が響き、ダッシュでコートへと戻っていく。
「いかないの?」
「私は交代。はー、疲れた」
「じゃあ、ちょっと失礼して」
彼女の横に座り、スケッチブックに鉛筆を走らせる。
「うわー、やっぱ上手いもんだねえ。私には出来ないや」
「そう?慣れだよ、慣れ。私からすれば、バスケの方がムズそう」
「バスケをする分には簡単だよ。シュートもコツさえ掴めばすぐにでも」
「そのコツを掴むのに何年かかるかわかんないよ」
「教えてあげよっか?」
鉛筆を持った右手を止める。彼女の顔が思っていたより近くにあって、驚いてしまった。
「…いいよ、迷惑になっちゃう」
「迷惑なんてするわけない。いつもやってるもん」
それもそうだ。初心者の1年生がいないわけではないのだから。
「じゃあ、いつかね」
「ふふ、そうだね。変わりに、絵の書き方教えてね」
「そんなの、好きなように書けばいいんだよ」
「好きなように書いた犬が猫って言われる場合は?」
「犬と猫は似たようなものって言い訳しておけばいい」
「それだと意味ないよ…」
眉を下げて、伏し目がちにこちらを見る。その後、どちらからともなく吹き出した。ひと通りお腹を抱えて、ホイッスルが響く。
「あっ、交代だ。じゃ、またあとで!」
「うん」
今日は筆が進みそうだと、自然と顔が綻ぶ感じがして、慌てて姿勢を正した。
本当にふとしたタイミング。彼女が後輩と思われる女の子と2人っきりでいるところに出くわした。
「あの、これ、調理実習で作ったんです…!」
ちょうど可愛らしい袋を渡しているところで、彼女はそれを嬉しそうに受け取っている。2人とも笑顔で、私は近付けなかった。彼女が後輩の目の前でその袋を開け、綻んだ顔でクッキーを口に含みながら何かを言う。きっと「おいしい」とでも言ったのだろう。しばらくして後輩が礼をしてその場を去る。姿が見えなくなってから、曲がり角から出た。
「あっ、いたいた」
何も知らない顔が出来ているかとても不安だった。
「ねぇ、お菓子作ったことある?」
「あるにはあるよ。バレンタインとか」
「そっか、得意なの?」
「得意って程じゃないけど、まあ、人並みには」
「じゃあ、今度作って来てよ!食べてみたい」
それは、さっきの後輩のと比べるため?比べて、美味しくなかったら私の元から離れてしまう?
いや、何を言っているんだ。そもそも、私のものじゃないだろ。
「おーい、作ってきてくれるの?」
「……いやだ」
「えっ、そんなマジトーンで言う?」
「あっ、いや、ううん、大丈夫」
「ホント!?楽しみにしてる!」
…成り行きで作ることになってしまった。下手なものは渡せない。でも、特別なものを作れるほどの技量も持ち合わせていない。後輩のは見た限りプレーンのクッキーだった。じゃあ、少しだけ凝ったものにすべきか…?どういう風にアレンジすればちょうどよくなる…?色々考えているうちに、気付いたら彼女の姿が遠のいていて、手を振っているのが見えた。
結局、ココアのクッキーを袋に詰めて持っていった。自分が無意識のうちに対抗心を燃やしているようで、カバンに忍ばせているうちから恥ずかしい。でも、言ってしまった以上持っていかないという選択肢はない。それくらい嫌われたくなかった。
昼休みに渡して、袋を開けて、屈託のない笑顔で「おいしい」と言う。あのときと同じように。同じはずなのに、あのときの顔の方が眩しかった。ような気がした。今思えば、完全に自分の思い込みだった。本当のところは分からない。それでも、昔の自分は彼女を取られてしまうような気がして、いつも押し殺していた感情を制御できなかった。
「好き」
言葉にしてから後悔した。周りの時間が止まったような感覚。彼女の驚いた表情。
「……え?えーっと…」
必死に言葉を探している。
「私と、付き合って欲しいの」
目が合わない。彼女は膝の上に置いて握りしめている袋を見つめたまま、やっと口を開いた。
「…ごめん、その…」
どうせ続く言葉は分かりきっている。いてもたってもいられなくなって、その場から逃げるように走った。後ろから「待って!!」と叫ぶ声が聞こえたけど、足を止められなかった。
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