第14話 心霊術士

 さて、翌日、ウーヴェはミュンヘン郊外のボロ屋の前に立っていた。呼び鈴を鳴らす。


「面会の予約を入れておる、ミュラーだ。入れてくれたまえ」


 がちゃりと粗末な扉が開いて、ひょろりとした色白の男が顔を出した。


「お待ちしておりました。連絡をくださった、ミュラーさんですね。僕は心霊術士のギュンター・ローテンベルガー。さあ、どうぞおはいりください」


 狭い室内に案内される。そこはゴチャゴチャとトランクなどの荷物が散乱していて、ひどい有様だった。ギュンターは古びた椅子を手で示した。


「おかけください。コーヒーをお淹れしましょう。代用品ですみませんが」

「何、節約はドイツ国民の義務だ。構わない。……座らせてもらおう」


 心霊術士とかいう怪しい職業だから、おかしな異教徒的な道具などがたくさん置いてあるのかと思えば、そうでもない。むしろ目立つのは、部屋の内装だった。

 ぼろぼろに黄ばんだ壁紙、破れたカーテン、切れた電球。おまけに出されたカップは縁が欠けていた。コーヒーも薄くて、驚くほどまずい。ミュラーは一口飲むと咳払いをして、話を切り出そうとした。


「君に調査を依頼したのは他でもない、あの、あー……ポルターガイスト現象とやらについて、調査を依頼したくてだな……」


 自分で言いながら馬鹿馬鹿しくなってきた。しかし目の前の痩せた男は、変な顔一つせずに真剣に話を聞く姿勢を取っている。ポケットの中からボロボロの手帖とちびた鉛筆を出して、ウーヴェの話を懸命に聴取した。


「なるほどなるほど。白いペンキのようなものがふわふわと浮いて移動していたのを、目撃したと。で、翌日、犯人の分からない落書きが発見された。ふむふむ」

「そういうことだ」

「何、驚くようなことじゃありません。ポルターガイスト現象は、多くが悪戯であったり自然現象であったりといったケースだ。だがごく稀に、本物の幽霊がいるケースもありましてね」

「……」


 ウーヴェは当惑し、疑念をもってこの心霊術士を見つめた。


「ふふん。疑わしいというお顔ですね」


 ギュンターはコーヒーをズズッと飲んだ。


「無理もないことです。一般の方には幽霊は見えませんし、馴染みのない世界の話ですからね。しかし僕には、幽霊が見える。それに今回の事件も、どの幽霊がやったのか、既に目星はついているのですよ。ポルターガイスト現象を起こせるような力の強い幽霊は、そう多くはない。会ったらすぐに分かります」


 一方的にまくしたてられて、ウーヴェは更に困惑を深めた。


「待て、本当に、幽霊が実在するという方向性で話を進めるのか? これは何らかの科学的現象ではないというのが、君の見解なのかね?」

「ええ」

「しかし、そのようなことが本当にあるとはとても思えないな。貴様、もしや私をからかっているのか?」

「いやいや」


 ギュンターは笑った。


「そもそも、これを心霊事件として調査せよという方針は、ナチスの上層部の方のご決定なのでしょう? あなたには、疑う権利はないはずだ。大人しく信じておくのが身のためではないのですか?」


 うっ、とウーヴェは言葉に詰まった。ギュンターは気にした様子もなく、話を続ける。


「それに、この件に関しては少し前に別件で極秘で相談が寄せられていましてね」

「何?」

「最初の落書きがあった日の翌日……二月四日の午後十五時頃に、ポルターガイスト現象を目撃したと、ゲシュタポのとあるお偉いさんからご連絡がありましてねえ。それでわざわざ、ベルリンからここまで越してきたばかりなんですよ」

「な、何だと……?」


 極秘なのに喋ってしまっていいのだろうか、と思ったが、ウーヴェは黙っていた。それより、ゲシュタポの上官がこの貧相な男に相談を寄せていた? 俄かには信じがたい話だ。実はお偉方の間では心霊現象は常識的なことで、この男も有名だったりするのだろうか……。

 ギュンターはぺらぺらと話を続ける。


「いやあ、バタバタしてましてね。片付いていないでしょう。すみません。……それで、そのゲシュタポの方曰く、誰も触れていないのに、『白バラ通信』のビラが動いたと。その時は風のせいだと一蹴したようですが、窓も扉も開いておらず、風など吹いていなかったとね」

「それは本当か」

「本当ですとも。……大学への落書きの謎。学生によるビラの謎。この二つ、何やら関係がありそうだとは思いませんか?」

「し、しかし……」

「関係があると僕は思いますね。こういうことには関係があるのです。これはもう確実です。歴戦の心霊術士としての僕の勘がそう言っています」


 あまりに自信満々な様子だったので、ウーヴェはついこう尋ねた。


「貴様は、そんなに多くの心霊現象を対処してきたのか」


 ギュンターはあっさりと頷いた。


「いえ。僕が師匠から独立したのはつい今月のことなんですよね」

「え?」

「ですから、僕が心霊術士として一人前になったのは、つい数日前のことなのです」


 いよいよ怪しげになってきた。ウーヴェは渋い顔をした。


「それは、貴様に任せても大丈夫なのだろうな?」

「もちろんです。お任せください! 師匠について色々な心霊現象と戦ってきましたからね」

「そ、そうか……」


 疑いを拭いきれないまま、ウーヴェはそう言うしかなかった。


 ***


 ウーヴェとギュンターは大学構内に入れてもらい、落書きを観察していた。


「ふむふむ、これが例の落書きですね」

「明日にはみんな消してしまう。何をするのか知らんが、手短に済ませろよ」


 ギュンターは何を見ているのか、下から覗き込んだり、手で触れてみたりと、舐めるように観察を続けている。それから満足したというように溜息をついた。


「大学構内の落書きからは、幽霊の気配がしますね」

「……そうか」

「そうなると、ポルターガイスト現象を見たという方に、状況を聞きたいですねえ」

「それなら電話番号を控えてある。明日までに電話しておこう」


 ギュンターは瞬きをしてウーヴェを見つめた。


「……ミュラーさん、あなた意外とやりますね」


 何だか気を悪くして、ウーヴェは不機嫌な声で言った。


「何だその言い草は」

「いえ、助かります。よろしくお願いします」


 心霊術士は飄々としていた。


 ***


 翌日、女子学生から話を聞いたギュンターは、ふふんと得意気な顔をしていた。


「ゲシュタポのお方と、学生のお嬢さん。お二人のお話を聞いて確信しましたよ。これは本物のポルターガイスト現象です。それも、強力な幽霊……『白い貴婦人』によるもので間違いないでしょう」

「『白い貴婦人』……あの、悲恋によってこの世をさまよい、死の前兆として現れる、伝説の女の幽霊か!?」

「はい、いかにもその幽霊です」

「実在するというのかね!?」

「実在しますとも! 何せ彼女は、僕の師匠の師匠の師匠が封印した、宿敵の幽霊なんですから」

「何と……」


 ギュンターはボロボロの手帖にちびた鉛筆で何か書きつけると、「よし」と言ってそれらをポケットに仕舞った。


「では、僕はこれで。他にも心霊現象があったら是非僕にご一報を。僕は僕で、『白い貴婦人』の足跡を辿りますよ。何か分かったらご連絡しますので」

「……え、もう終わりなのか」

「終わりです。あなたにできることはもうありません。お帰り頂いて結構ですよ。真相が分かるのはもうしばらく先のことです」

「しかしそれでは、私は上官に何と報告したらいいのか……」

「そいつは僕の知ったことじゃありませんよ。ありのままをお伝えしたらいいんじゃないですかね。……では、また。犯人が分かった暁には、報酬を期待していますからね」


 ギュンターはウーヴェを置き去りにして、すたすたと立ち去ってしまった。


「ええ~……」


 ウーヴェは思わず情けない声を出していた。


「……これも、上官に報告するしかないのか」

 それを思うと気が重かった。あんな胡散臭い男に頼って本当に平気だったのだろうか。しかし任務は任務だ。ウーヴェは覚悟を決めてレジデンツに戻り、上官と対面した。

 自信なさげに報告をする。しかしやはり上官は怒鳴ったりなどせずに、「今後も励むように」と言ってきた。

 ウーヴェはますます訳がわからなくなってしまったのだった。

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