第2章 小さな反逆

第9話 哲学と文学


 ヒルデガルトは、ゾフィーが扉を開けようとした時を狙って、頭上からさかさまになって現れた。


「よっ、ゾフィー。元気してる?」

「キャッ!?」


 ゾフィーはびくっとした。


「え、ああ……ええ。昨日ぶりね、ヒルデ」

「なかなかいい反応だった。驚かせるのは幽霊の本質だから、嬉しいな。ヒヒヒ」

「そ、そうなの……よかったわね」

「何だよう。興味なさそうだなあ」

「そうかしら……? とにかく、ちょっとそこをどいて、家に入らせて。こんなところで独り言を言っているのを他の人に見られたら、怪しまれてしまうわ」

「はいはい」

 ヒルデガルトはそう言いながらも動かずにニヤリと笑った。

「まあ、私が道を開けなくてもあなたは家に入ることができるけれどね」

「え? ああ……だって、あなたの体を貫通してゆくのは何だか気まずいでしょう」

「私は一向に構わないよ」

「私は気が引けるわ」

「まあいいや。どうぞ」


 ヒルデガルトは頭を引っ込めて、ゾフィーを通した。ゾフィーについて家に上がらせてもらう。


 ゾフィーは自室に入って行った。特に拒絶されなかったので、ヒルデガルトもついていく。

 ゾフィーは鞄の中からいくつかの本を取り出して、ドスンと机に置いた。一番上には、何やら難しそうな論文のようなものが置いてあった。「マルティン・ハイデガーの理論についての概説」。


「これを読んでくることが課題」


 ゾフィーはヒルデガルトの目線を感じ取ってそう説明すると、万年筆を手に取って、ノートを広げた。


「ちゃんと予習をしなくっちゃ、講義にはとてもついていけないの。入学してからこのかた、忙しくて目が回りそうだわ。私は生物学と哲学をやっているけれど、明日は哲学が厄介そうなの」

「へえ……」


 ヒルデガルトはずらっと並んだアルファベートの羅列に軽く目を走らせてみた。


 ──存在とはこれまで、自明のものとして扱われてきた。そもそも存在するとはどういうことなのか、議論を進める必要がある。

 ──存在的な見方とは、そのものが何であるかを問うもの。存在論的な見方とは、そのものがあるとはどういうことなのかを問うもの。

 ──実存とは、自分自身の存在を問うような仕方で存在しているものの存在のことである。

 ──なぜ存在があり、むしろ無があるのではないのか。なぜ世界はこのように存在するのか。なぜ私が存在するのか。これらの問いの本質は同じである。


「ナンジャコリャ」


 ヒルデガルトは目を回した。訳が分からない。大学生というのはこんなに難しいことを勉強しているのか。


「今ドイツでもてはやされている哲学者よ、ハイデガーって」


 ゾフィーが説明する。


「実存についての解釈を論じているのだけれど、……」

「ジツゾン……む、難しいな。分かんないや」

「へえ。有名な議論なのだけれど。幽霊でも分からないことってあるのね」

「え?」

「長生き……じゃなくて、長く幽霊として存在しているのでしょう? なんだかんだ物知りなのかと思ったわ」

「そりゃ千年くらいは存在していると思うけど……」

「せ、千年も!?」

「でも私はもとは農民の出身だし。インテリゲンツィア(知識階級)みたいに賢くなんかないんだよ」

「賢く……?」


 ゾフィーは眉をひそめた。


「賢さに階級は関係ないわよ。能力がある者には誰にでも平等に機会が与えられるべきだわ。もちろん、基礎教育の差が知識に影響するのは間違いないけれど、それでも誰だって勉強すればそれなりのものになれるはずよ」

「ああ……」


 ヒルデガルトは少し俯いた。


「確かにね。ゾフィーの言う通りだ」

「……ところで、幽霊って、いつか消えてしまうものなの?」

「え? たぶん」

「そう……じゃあその意味では幽霊も、私たち人間とそんなに変わらない存在なのかしら……」

「……? どういうこと?」

「あ、何でもないの。ちょっと気になっただけで。幽霊ってどんな存在なんだろうと思って」

「存在、ねえ」


 ヒルデガルトは首を捻った。


「ゾフィーみたいな哲学的なことはあまり考えたことがないなあ。興味が全くないわけじゃないんだけど、哲学なんてのは、私からは遠いものだと思っていたから」

「そう……」


 ゾフィーは立ち上がって本棚に向かうと、一冊の本を取り出してきた。


「ハイデガーが難しかったら、デカルトあたりはどう? ソクラテスからでももちろんいいけれど。これ貸してあげる」

「なに、これ?」

「私がギムナジウムにいた時に使っていた倫理学の教科書。これなら分かりやすいんじゃない? えーと、最初のページがソクラテスから始まっていて、こっちのページからはデカルトについて書いてある章ね」


 ゾフィーがわざわざ見やすいように開いておいてくれたので、ヒルデガルトは浮き上がって本を覗き込んだ。


 ――ルネ・デカルトは、「我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum)」を唱えた。真実の探求のために、自らを含む世界の全てのことを疑ったデカルトは、「疑うということをしている自分自身の存在」だけは疑いようのないものだという結論に至った。


「……? ああ、……んん? えー、あ、なるほど……」


 ヒルデガルトはもう少しページをめくってみた。確かにさっきのわけのわからない概説とやらよりはやさしい。

 現代のドイツ語はもちろん、文字を読むこと自体にあまり慣れておらず、苦戦はしたが。

 ヒルデガルトがデカルトの考えを学んでいるうちに、ゾフィーは大学の課題レポートらしきものをすらすらと書き記していく。


 少し飽きてきたヒルデガルトは、ゾフィーが出した他の本のページもめくってみた。本を持ちあげられるか不安だったものの、いずれもごく薄い分量の本だったために何とかなった。


 一冊目を手に取ってみる。トーマス・マンという人が書いたらしい。題名は『ヴェニスに死す』。


「フーン」


 適当に開いたページを読んでみる。


 ──目を見はりながら、アッシェンバッハはその少年が完全に美しいのに気づいた。蒼白で、上品に表情のとざされた顔、蜜いろの捲毛にとりまかれた顔、まっすぐにとおった鼻とかわいい口をもった顔、やさしい神々しいまじめさを浮かべている顔――かれの顔は、最も高貴な時代にできたギリシャの彫像を思わせた。


「おおう」


 きらきらした文章だと思った。ひとりの少年を表現するのに語彙力の限りを尽くしている。ものすごい熱量だ。小説というものには何度か触れたことがあるが、こんなに……なんというのだろうか、耽美的な文章に出会ったことは無かった。世の中にはまだまだ知らない芸術というものが生まれ続けているのだと思い知らされる。


 続いて二冊目の本を手に取った。ハインリヒ・ハイネの『詩集』。

 ヒルデガルトはまた適当にページをめくってみた。



 ──『蝶は薔薇に恋をしている』


 蝶は薔薇に恋をしていて

 薔薇の周りをいつまでも飛ぶ

 蝶の周りを日光が

 愛を込めて金色に照らす


 でも薔薇は誰に恋しているの?

 僕は是非ともそれを知りたい

 歌っている鶯かしら

 静かな宵の星かしら


 薔薇の恋は分からないけれど

 僕はすべてを愛している

 薔薇も、蝶も、日光も、

 宵の星も、鶯も


「ふむう」


 こちらは少女のようにかわいらしい詩だ。愛らしいものをあつめて宝物箱につめこんだような、胸がきゅっとなるような美しさを秘めている。小説と違って詩文はずいぶんと古くから存在した文学だが、これも日々進化し続けているらしい。やはり人間の芸術活動というものは計り知れない魅力をたたえている。素晴らしい。


「勉強っていうのも悪くはないかもな」


 読ませてくれたゾフィーには感謝せねばなるまい。

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