第25話 残されたもの


 翌日の裁判はほとんど滞りなく進んだ。つまり、ハンスとゾフィーとクリストフを処刑するという方向で、するすると進んでいった。誰も彼らを庇わなかった。弁護人さえも。


 最後の証言を求められて、ゾフィーはこう言った。


「今に、あなたたちが、ここに立つことになるわ」


 ナチスはやがて裁かれる。恐怖政治を敷いたものが今度は処刑の場に立つことになるのだと。

 ヒルデガルトはゾフィーの凛とした態度に胸を打たれた。


 結局、裁判の結果はこんな風だった。


「被告、ハンス・ショル、ゾフィー・ショル、クリストフ・プロープストは、戦時下におけるビラにおいて、敗北主義的思考を宣伝し、総統を侮辱し、国防軍の士気を低下させた。……よって彼らには、死刑が求刑される」


 そして三人は留置所に連行された。

 処刑は数日後に実行されると伝えられていたが、すぐに牧師が呼ばれて、最後の祈りを捧げられた。

 つまりもう今日中に彼らは死ぬのだ。

 裁判したその日のうちに処刑だなんて、そんな非道な。


 刑はギロチンであるという噂を、ヒルデガルトは掴んでいた。


 打ち首。

 ヒルデガルトは自分の首を押さえた。

 かつて自分が受けた刑罰。

 首を落とされる。

 ゾフィーとハンスとクリストフのそんな姿なんて、とても見ていられない。あまりにもつらすぎる。


 何でこんなことになった?


 ゾフィーたちは言葉の力で戦ったのに。


 それを、法のもとの殺しという暴力で、抹消しようとするなんて。


 こんなものは不当だ。認められない。ありえない……!


「いや、ありえなくは、ないか。何せやつらは、独裁的な権力者なんだから……」


 やがて二人の家族が面会に駆け付けた。


「ゾフィー、お前は正しいことをした……誇りに思っているよ」

 二人の父は悲痛な声で言った。

「もう、あなたが家に帰ってくることがないだなんて……」

 二人の母は嘆いた。


 やがて面会時間は終わり、二人は処刑場まで連行された。

 ゾフィー、ハンス、クリストフは短く言葉を交わした。


「堂々としていましょう」

「ああ。……父さんの言う通りだ。誇りを持とう」

「……そうだね。僕らは戦ったんだ」


 そう。どんな絶望的な状況でも、凛とした態度と、落ち着いた心と、確固たる信念で、希望を見失うことなく、前を向き続けるほかない。最期の時まで。


 処刑場には、精霊たちはもちろん、ヒルデガルトも入ることが出来なかった。

 ここは死の気配があまりにも強すぎる。

 だからヒルデガルトはすぐそばの廊下で、その時をかたずをのんで待った。


 魂の声を聞こうとしたが、三人の心はあまりにも静まり返っていて、何も聞こえなかった。

 そして処刑が執り行われた。


 ゾフィーの処刑場。

 ジャキン、という音は、刃が首筋に当たる音。ガコン、という音は、首が切断される音。ゴロン、という音は、切られた首が箱の中に落ちる音。


 続いて、ハンスの処刑場。

「自由ばんざい!」

 ハンスが叫んだ。

 ジャキン、ガコン、ゴロン。


 続いて、クリストフの処刑場。

 ジャキン、ガコン、ゴロン。


 それで終わり。

 終わってしまった。

 三人の命が、あまりにもあっけなく断たれてしまった。

 

「自由ばんざい……」


 ヒルデガルトは呟きと共に、涙を一粒落とした。

 涙は地面に落ちる前に、きらきらと光りながら、消えてしまった。

 死者の魂のように、儚く。


 ***


 力が弱まっているのを感じる。

 ギュンターとの戦いで力を使いすぎたのだ。

 時間が無い。

 力を失う前に、あの兄妹の遺志を継ぎたい。


 ──非暴力による改革を目指しているんだ。

 ――言葉の力によって平和的に国を変えていきたいの。


 非暴力で、みんなの力で、ヒトラーを倒す。そのために、人々を勇気づけるための情報を届ける。


「……ビラを、運ぼう。できるだけたくさん!」


 ヒルデガルトは涙の痕も乾かぬままに、ヴィッテルスバッハ宮殿の中を突き進み、ビラを保管している部屋まで辿り着いた。

 ビラは今まさに、どこかへと運び出されようとしていた。


「全ドイツ人に訴える!


 戦争は確実に終末に向かっている。東部戦線では前線が後退し、西部戦線では敵軍が侵入しようとしている。アメリカの軍備はいまだ整っていないにも関わらず、史上最大のものになっている。ヒトラーは確実に、ドイツ民族を破滅へと導くだろう。ヒトラーは戦争には勝てない。」


「そいつを寄越せえええ!!」


 念力を送ってゲシュタポを張り倒し、その手からビラを一枚残らず回収した。


「ギャーッ!? 何事だ!?」

「おい、どうした!?」


 ゲシュタポの男たちが困惑しているのを背に、ヒルデガルトはビラの束を持って宮殿を疾走する。


「何だ何だ!?」

「紙の束が浮いているぞ!?」

「うわあああ!!」


 人々は訳もわからず困惑の叫びを上げている。ヒルデガルトは構わず飛び続ける。上空まで駆け上ると、さっと辺りを見回した。

「ここなら人が多いな……」

 マリエン広場には今日も多くの市民が集まっていた。

 ヒルデガルトはビラを投下した。


 市民の上に、「白バラ通信」のビラが、ひらりひらりと舞い落ちてゆく。


「ここはこれでオーケー。さあ、あとはミュンヘンじゅうの家に投函してやるぞ!」


 ヒルデガルトは上空まで駆け上り、夢中になってビラを撒いて回った。一枚たりとも余すことなく。

 それが、今のヒルデガルトの使命なのだ。絶対に果たしたい使命。


「自由、ばんざい!」


 ヒルデガルトは叫んだ。


 残った力を振り絞って、なりふりかまわず、紙を残らず撒き散らした。


「みんな、知ってくれ。学生たちの行動を。本当の勇気を。真実の心を!!」


 ***


 ヒルデガルトが配り回ったビラは、たまたま連合国側のスパイの手に渡り、北欧を経由してイギリスにまで届いた。


 およそ十か月後、イギリスからの爆撃機がドイツ全土に向かって飛んだ。

 彼らは爆弾を落とす代わりに、数十万枚にもわたるビラを落としていった。


 それは、白バラ通信を写したビラだった。


 多くのドイツ国民が、白バラ通信を手に取り、読んだ。


 このことが、どれほど意味があったのかは、分からない。

 ただ、幾人かのドイツ人の心を勇気づけたのは間違いないと、ヒルデガルトは見ている。

 ナチスに抵抗する運動があったということがドイツ全土に知れ渡ったのは、この時投下されたビラのお陰だったのだから。

 ゾフィーたちの活動は、決して無駄ではなかった。


 戦後になって、白バラ運動は、高く評価されることとなる。


 戦後ドイツでアドルフ・ヒトラーが蛇蝎の如く憎まれている一方で、ゾフィー・ショルたち白バラのメンバーは、逆境の中でナチスに抵抗した国民的英雄として、高い人気を集めている。白バラの精神は、世界平和の象徴でもあった。


 その影に、ヒルデガルトの協力があったことは、誰も知らない。

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