第24話 原初の記憶

 戦いを終えたヒルデガルトは、急に蘇った生きていた時の記憶に、混乱していた。


 名前は……そう、テオドール・フォン・ブライテンホルスト。

 ヒルデガルトの住んでいた小さな村を含む小さな領地を領有していたブライテンホルスト家の時期領主。


 既に妻をめとっていたテオドールに、ヒルデガルトは農民の出身でありながら、恋をしてしまった。


 そこで、労役として日々ヴァイス家の持ち物である農地で働きながら、暇を見つけてはテオドールと密会していた。


 身分の低い娘にも分け隔てなく接するその人柄に惹かれていた。だがそれは所詮、ヒルデガルトをもてあそぶための表の顔に過ぎなかった。


 やがてヒルデガルトはテオドールの子を宿した。テオドールは喜んでくれた。彼は妻との子宝に恵まれなかったから。テオドールはヒルデガルトを保護すると言った。召使いとして城に抱え上げ、仕事と住まいと、密かな寵愛を約束すると。子どもは養子としてもらい、やがてはここの領主となるということも。


 ヒルデガルトは舞い上がるような気持ちだった。

 惜しむらくは、華々しい結婚式を挙げられないことだった。農民の男と恋をしていれば、周囲から祝福されながら、教会に出向いて、綺麗な衣装を着て、ささやかな結婚式を挙げていたに違いない。

 でもそれは些細なこと。

 こんな形とはいえ、好きな人と一緒になれるのだから、これ以上の贅沢は望まない。


 家族に、城で働くことになったことを告げると、両親は貧しい中で貯めたお金をはたいて、新しい服を作ってくれた。それを着こんで城まで歩いて出向いた。この服が純白のドレスであるという想像に浸りながら。


 城に入って数か月後、ヒルデガルトは無事に出産した。


 ところがその直後に待っていたのは、テオドールの裏切りだった。


 好色化だけれど子どもに恵まれなかったテオドールは、自分の血を引いた子どもが欲しかっただけなのだ。

 赤ちゃんは綺麗な布にくるまれて取り上げられた。一方ヒルデガルトは産後まもなく、縄を打たれ、中庭まで引きずり出された。

 そこには剣をたずさえた衛兵が待っていた。


「ヒルデガルト。お前を処刑する」


 テオドールの父親が怒りを込めて言った。その後ろには、素知らぬ顔のテオドールが控えていた。


「罪状は、我が息子テオドールを惑わし、不倫をさせたことである。異論はないな?」


 ヒルデガルトはあっけにとられていた。

 自分と赤ちゃんの保護を約束してくれた、テオドールのあれは嘘だったのか。

 自分はこれから死ぬのか。

 

 確かにヒルデガルトは不倫をした。それは間違いない。

 だが言い寄ってきたのはテオドールからではなかったか。勝手に遊んでその気にさせて勝手に捨てるなんて。

 それだけに飽き足らず、自らの潔白を証明するためにヒルデガルトを犠牲にするなんて。

 自分だけ清廉な顔をして、子どもだけ産ませておいて、用が済んだらおしまいなんて。


 殺すのか?

 身を呈して子を産んだ女を見殺しにするのか?


「よくも騙したな」

 テオドールはいけしゃあしゃあとヒルデガルトを糾弾した。

「この私を誘惑するとは。農民ごときが出しゃばりおって」


 ピシャンと雷の直撃を受けたような衝撃が走った。

 他でもないテオドールに裏切られ罵倒されたこと。農民である自分を貴族であるテオドールがゴミのように捨てるということ。

 貴族など所詮はこんなものか。農民を顎で使い、働かせて税を取り、ろくにものも食わせず、享楽のために消費して、いらなくなったら見捨てるのか。

 ヒルデガルトの中の、喜び、愛、慈しみ、そういった感情が全て、負の感情に変化していく。


「私の名誉に傷をつけた罪は重いぞ!」


 テオドールは声高に非難した。

 周囲を取り囲んで見物に来ている人々も、こぞってこれに賛同する。


「おそれおおいことだ。テオドール様を何とこころえている」

「しかし、馬鹿な娘だ。農民なら農民らしく身分をわきまえていれば、死ぬることはなかったものを」

「全く、穢らわしい女め」

「処刑だ」

「見せしめだ。打ち首にしろ」


 飛び交う野次。

 不安そうに見ている人々。

 剣を振り上げる衛兵の姿。


 ヒルデガルトは歯ぎしりをした。


 どうして。私は、私は……あの人を好きになっただけなのに。

 何がいけないの。私たちは同じ人間じゃなかったの。

 どうして誰も助けてくれないの。あの人でさえも私を見捨てるの。

 憎い。憎い憎い。全てが憎い。

 ……偉そうに。何が貴族だ。

 許せない。許せない許せない許せない!!


 ヒルデガルトは悪魔の形相でテオドールを睨みつけた。


「この、クズ野郎が」


 テオドールの表情がぴくっと動いた気がした。だがその程度のことでしかなかった。

 ヒルデガルトは刑場までしょっぴかれた。


「安心しろ。うちの騎士の中でも腕利きの者を呼んできた」

「楽に死ねるぞ。坊ちゃんの慈悲に感謝するんだな」


 衛兵たちが何の同情もなくそう声を掛ける。


 何が慈悲だ。私を見捨てるくせに。私を殺すくせに! 権力者なんてこんなものか……!! ちくしょう、ちくしょう! 呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる……!!


 ヒルデガルトは処刑場の柱にくくりつけられた。

 処刑人が剣を振り上げる。


 ヒルデガルトはあまりの恐怖に目を閉じることすらできないでいた。


 ああ、父さん、母さん、それから赤ちゃん。ごめんなさい。


 ザッ、と刃が首に食い込んだ。痛みを感じる間もなく、ガツンと骨を切断される。

 首がゴトリと落ちた。

 その様子をヒルデガルトは、俯瞰で見ていた。


 切断面から鮮血が吹き出す。長い黒髪がばらりと地面に広がる。胴体は柱に縛られたままである。


「……?」


 自分が死んでいるのが見える。

 自分を取り巻く見物人が見える。

 それを更に取り巻く、透明の小さな飛翔体も見える。


「あ、何か生まれたわ」

「あれ幽霊じゃないか?」

「珍しいね」

「話しかけてみようかな」

「こちらに来ないかな」


 ヒルデガルトは両手を見下ろした。

 確かに自分の意志で動かせるそれは、透明で、地面が透けて見えた。

 そして、以前から着てみたいと願っていた、白いドレスをまとっていた。


 ねじれた恋と憧れと恨みの姿。


 ヒルデガルトは幽霊になっていた。


 ***


 目を開ける。

 ひどい頭痛がした。


「……様子を……見に行ってやらなきゃ……」


 ヒルデガルトはレジデンツの固い地下の床から起き上がった。ふらふらと彷徨い出て、ハンスの閉じ込められている部屋にお邪魔する。


 ハンスは憔悴しきっていた。


「僕はもうだめだ。ゾフィーも多分……。せめて、僕一人の犠牲で済むといいんだが……」


 ゾフィーは緊張している様子だった。


「ハンスは私のことも助けたいでしょうけど、きっと無理ね。だからクリストフや他の仲間たちだけは助けなくっちゃ。明日の裁判が最期の戦いになるわ」


 ヒルデガルトは涙がこみ上げそうになった。


「……頑張って」


 それしか、かけられる言葉はなかった。

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