第22話 証拠はあるのか


 すぐにゲシュタポが呼ばれた。

 ゾフィーとハンスの二人はヴィッテルスバッハ宮殿レジデンツまで同行させられた。


 小部屋に通される。


 ゾフィーは溜息をついた。


「ああ……ダッハウにぶちこまれるのかと思ったわ。まさかこんなところまで連れて来られるなんて」


 ハンスは固い顔つきをしていたが、いくらかしっかりしていた。


「僕たちはあくまで犯人じゃなくて目撃者だからね。それに、ナチスの思想は『優秀なドイツ人を繁栄させる』だからな。僕らが優秀なドイツ人とやらであるかどうか、確かめてからでないと殺せないんだろう」


 ヒルデガルトは眉間に皺を寄せた。


「……それって、優秀じゃない人やドイツ人じゃない人は死んでいいってこと? ひどい話だな」

「……あはは」

「そうね……」


 話を聞かれるとまずいので、二人とも薄い反応である。もちろん、それで構わない。

 やがて別のゲシュタポがやってきて、二人を別々の場所に乱暴に連れて行こうとした。


「あの」


 あまりにゲシュタポの態度が冷たいので、ハンスが口を出した。


「僕たちは参考人としてついてきたんですが」

「黙りなさい。文句を言うんじゃない」

「しかし……」

「ハンス」


 ゾフィーは白い顔をしていたが、つとめて冷静に振る舞おうとしている様子だった。


「私たちなら大丈夫よ。だって、何もやっていないんだもの」

「……そうだな」


 行くぞ、とゲシュタポの人が言い、二人は別々に連れて行かれた。

 ヒルデガルトは迷ったが、ハンスが目で合図したので、ゾフィーの方を見に行くことにした。

 部屋ではさっそく、聞き取り調査、もとい尋問が始まっていた。


「確かに多くの目撃者が、ビラは三階から落ちたと証言しているが……」

「その通りです」

 ゾフィーはまっすぐに尋問官を見た。

「私たちは二階にいました。ビラが落ちたのは三階からですよね? どうやって、違う階のビラを落とせるというのですか?」

「たっ、たとえば、長い棒などを使えば可能だろう」

「そんな面倒なこと、しやしませんよ。そもそも、私たちは長い棒を持っていましたか? それとも、大学の構内に怪しげな長い棒などが落ちていましたか?」

「……」

「上の階のビラなんか落とせっこありません。ですから、私たちはこの件には無関係です」


 これなら大丈夫そうだな、とヒルデガルトは思った。ゾフィーの言い分の方が明らかに理に適っている。

 ハンスも似たような感じで、しっかり受け答えをしていたので、ヒルデガルトは安心した。


 そして予想通り、二人はすぐに釈放されることになった。

 ゲシュタポは「手続きがいる」といって、二人を一旦拘置所まで運ばせた。


「釈放するのにこんな扱いってないわ」


 ゾフィーは憤慨していた。


「でも、良かったじゃないか。危機を乗り越えた」

「ええ、ありがとうヒルデ。あなたのお陰よ」

「私は大したことはしていないよ」


 そんな会話をした次の日の朝、ハンスとゾフィーはまた別々にヴィッテルスバッハ宮殿まで車で行くことになった。


 そしてまた尋問室に入れられる。ハンスの部屋で待ち構えていたゲシュタポは、何故か険しい顔をしていた。

 そのゲシュタポは開口一番、こう言った。


「アイケマイヤーのアトリエにあるタイプライターから、君とクリストフ。プロープストの指紋が検出された」

「!!」


 ハンスは身じろぎをした。


「これは動かぬ証拠だ」

「……」


「ちょっ、嘘だろ!?」

 ヒルデガルトは叫んだが、どうにもならない。


「タイプライターの印刷痕があのビラと一致した。君があのけしからんビラを作ったのは間違いないということだ」

「……」

「何か言ったらどうかね?」


 ハンスは深呼吸をした。


「僕がやりました。僕がすべて一人で。妹は関与していません。妹は何も知らないままです。クリストフにも、一切関わりのないことです」

「ほう……そうかね」

「ハンス!!」


 ハンスはまたしてもヒルデガルトに目で合図した。

 ヒルデガルトは絶望的な気持ちで、ゾフィーの尋問室に飛んで行った。

 状況証拠からして彼女もだめだ。アトリエに指紋があるはず。それにトランクを持っていたのはゾフィーなのだ。


 案の定、ゾフィーの所でも状況は厳しかった。


「ゾフィー・ショル、君は兄と一緒に暮らしているな? あの時ミュンヘン大学でも兄と一緒にいたな? それでもまだ、自分は何も関係がないと言い張るつもりかね? あのふざけた怪文書を、知らないと言うつもりかね? ……認めたらどうだ、自分が兄と共謀し、ビラを作って撒いていたということを」


 ゾフィーは白い顔で、静かに自白した。


「私がやりました。……私は、そのことを、誇りに思っています」



 ヒルデガルトは愕然としていた。

 そんな、どうして。

 どうして二人が犯罪者扱いされなくちゃいけないんだ。


 ――死刑、なのだろうか。


 反対する奴らはみんな死刑だと、精霊たちは言っていた。


「そんなのは嫌だ。ゾフィー! ハンス!」


 ゾフィーの絶叫は、誰にも届かない。


 ***


 その後も証拠が続々と出てきた。


  もうゾフィーとハンスが助かる見込みは無かった。特にハンスは首謀者だと目されている。ハンスの死は免れないだろう。……ヒルデガルトは悲嘆に暮れて、今日もヴィッテルスバッハ宮殿レジデンツの様子を見に行った。


 ハンスはゲシュタポに問い詰められても、しっかりと前を向いて臆さずに立ち向かっていた。


「我々は『白バラ』のメンバーを明らかにしたいのだ!! 君の罪も刑ももう変わることはないだろう。なのに何故、この期に及んで君は我々に協力しないのかね!?」

「他にメンバーなどいないからです」

 ハンスは言い張っていた。ゲシュタポはいらいらしていた。

「アレキサンダー・シュモレル。ヴィリー・グラーフ。クルト・フーバー。彼らがみな無関係だと主張するつもりかね!」

「彼らは知り合いですが、僕とは政治的主張が違います。彼らは非政治的な人間ばかりです」

「何故そんな嘘をつくのかね!」

「嘘ではありませんよ」


 ハンスは仲間を守るために、恫喝に屈せずに知らぬふりを貫いているのだ。ヒルデガルトは何だかたまらない気持ちになった。

「ハンス、負けるな。あの子らを助けてやってくれ……」

 ヒルデガルトは呟いた。ハンスはちらっとヒルデガルトの方を見て、微笑んだ。


 続いてゾフィーの尋問部屋を見に行く。そこは、ハンスのところと比べると、何やら白熱していた。


「ヒトラーはドイツを戦争へと導きました!」

 ゾフィーは主張していた。ゲシュタポは怒っていた。

「栄誉ある勝利へと導いておられるのだ! 総統を侮辱するな!」

「それにヒトラーは、多くのユダヤ人や精神障害者を殺しています! これを非人道的な行為だとは思わないんですか?」

「そんなものはみんな嘘だ!」

「たくさんの証言があります! 戦地でも私は話を聞きました!」

「仮に、もし仮に、それが真実だとしてもだ。奴らには生きる権利などない! ユダヤ人は我々ドイツ人を破滅へと追いやる民族であるし、精神障害者などに至っては……論外だ! 何故奴らを生かしてやらねばならん?」

「どんな命も尊いものです。全ての国民のために尽くすのは、国家のつとめではないのですか!?」

「世迷言を! 国民のためだと? 民主主義の果てに破滅が待ち受けているのは自明のことであろうが!」

「そんなはずはありません! 国家とは人々のために存在するのですよ。国民亡くして国家などありえないのですから!」

「黙らんか!」

「黙りません!」

「いいから黙れ!!」


 ゲシュタポはとびきりの大声を出した。さすがのゾフィーもこれにはびくっとした。その隙にゲシュタポは大きく息をつき、やがて別の話を始めた。


「こういうのはどうかね。……君は、ここでの尋問の末、自身と兄の行動について、これを罪深いことであるということを認めた! ──つまり、君は反省すればよいのだ、君の愚かな行いについてな!!」

「何ですって――」

「……それくらいしか、私にはしてやれることはないよ」


 ヒルデガルトはギョッとしてゲシュタポの男の顔をまじまじと見つめた。

 この男は見かけによらず、ゾフィーを助けようとしている。

 全てをハンスのせいにして、自分が間違っていたと嘘の反省をすれば、情状酌量の余地を与えると、そう言っているのだ。

 これが大きなチャンスであることは間違いない。


 ゾフィーは青白い顔で、深呼吸した。


「……いいえ」


 静かに答弁する。


「私は反省しません。自分の行動は正義だったと、今でも強く感じています。それが私の信念です。私は、私自身が、私の責任において、私のために活動をしていたと、断言します」


 ヒルデガルトは言葉を失っていた。

 ゾフィーは死ぬのだ。ハンス一人に全て負わせず、一緒に死ぬことを決めたのだ。


 ゲシュタポは苦い顔をした。


「……尋問を終了する。出ていきたまえ!」


 ゾフィーが去り、ゲシュタポも去った。ヒルデガルトは取り残されたまま、呆けたように立ち尽くしていた。

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