第19話 町を巡る

 ギュンターにはもちろん、ヒルデガルトを封印してしまうつもりは最初から無かった。

 落書きやビラ撒きの犯人を探すことを依頼されているのだ。早々に封印してしまっては、手がかりを失ってしまう。


 昨日の儀式で、ヒルデガルトの気配は充分に覚えた。これで、彼女の痕跡を辿りやすくなった。


 ……「白い貴婦人」が「白バラ」の仲間であることは間違いないだろう。

 昨日も、ちゃちな学生団体だけでは到底こなしきれないような量の落書きがあったと聞く。これにはおそらく幽霊が一枚噛んでいる。


 ヒルデガルトの痕跡を辿れば、白バラのやつらの拠点も見つかるはずだ。

 証拠もボロボロと出て来るはず。

 そうなったらギュンターの手柄だ。とうぶん生活に困らないだけの金をもらえるだろう。


 朝、さっそくギュンターは、ゲシュタポの男、ウーヴェ・ミュラーに電話をかけた。


「今から、『白い貴婦人』の痕跡を辿って、犯人の拠点を見つけ出そうと思うのですが……ご同行願えますか?」

「はあ!? 今からか!? 先日はいきなり依頼を放り出したかと思えば、ずいぶんとまた急なことだな……」

「放り出してなぞいませんよ。こちらはこちらで調査を進めていたのです」

「何だ、それは。とにかく、こちらにも業務というものがある。日を改めて……え? あっ。上官殿」


 電話口の向こうで何やらいかめしいやりとりが聞こえてくる。


「え? 心霊術士との任務を優先……ですか? 承知しました。直ちにローテンベルガーのもとへ向かいます」


 ミュラーの声がして、咳払いが聞こえた。


「あー、ローテンベルガー。今から……」


 ギュンターはにんまり笑った。


「聞こえておりましたよ。今からお越しになるのですね。上官殿からの許可が出てよかったです。では、お待ちしております」

「あ、ああ……よろしく頼む」


 そういうわけで一時間後、ギュンターとミュラーは、ミュンヘンの観光名所であるマリエン広場に立って、聖母マリア像を見上げていた。


「……さきほどから無言だが、ここに来てどうするというのだ、ローテンベルガー」


 ミュラーはイライラしていたが、ギュンターはどこ吹く風だった。


「この辺りから『白い貴婦人』の気配が強烈にするんですよ」

「だから何だ」

「分かりませんか? 『白い貴婦人』が『白バラ』に協力しているのなら、そのアジトにも出入りしている可能性が高い。彼女の足跡を辿ることは、彼らのアジトを突き止めることに繋がるのですよ」

「……!」


 ミュラーは居住まいを正して、慎重な顔でマリア像を眺めた。ギュンターはそんなミュラーを置いて、ミュンヘン新市庁舎の方へと歩いて行った。


「おやおやおや……こっちの方が怪しいですねえ」

「なっ、貴様、待ちたまえ!」


 ミュンヘン新市庁舎は古びた外観や尖塔、美しい内装で知られる歴史的建造物である。


「おい、市庁舎の中なんかにアジトがあるわけないだろう」

「ふむふむ、こっちですね」

「聞いているのか!?」


 ギュンターとミュラーは建て物に踏み入り、中をぐるりと回って、展望台からミュンヘンの街を一望した後、マリエン広場に戻ってきた。

 ちょうど十一時になったので、二人は揃って新市庁舎の前に並び、ぽかんとからくり時計グロッケンシュピールを見上げた。

 新市庁舎の正面についているこの仕掛けは有名である。

 等身大の人形が、鐘の音に合わせてくるくる回るのだ。次々と新しい人形も出てきて、見飽きない。


「さ、次へ行きましょう」


 ギュンターはくるりと身を翻した。


「次って何だ」

「あっちです。旧市庁舎」

「なぜ観光名所ばかり回るんだ!」

「行きましょう」

「ちょっとは話を聞きたまえ! おい、こら!」



 ギュンターはマリエン広場を挟んで新市庁舎の反対側にある、旧市庁舎に入っていった。それはバロック様式の建築物で、中には立派なホールがある。


「ふむ……ここにもごくわずかな時間しか留まっていない様子ですね」

「もう帰っていいか」

「次へ行きましょう」

「……」


 ギュンターとミュラーは、聖ペーター教会に赴く。豪華絢爛な教会内部と、ゴシック様式の有名な尖塔をめぐった。続いて聖ミヒャエル教会の真っ白い壁と装飾を見物した。その後フラウエン教会、別名ミュンヘン大聖堂に赴いて、その丸い屋根や所蔵されている美術品を眺めた。

 大聖堂を出た時、ミュラーの腹の虫が盛大に鳴ったので、ここいらで昼食を取ることにした。店に入って、ソーセージとピクルスとビールを楽しむ。


「いやあ、こんなにうまいものを食べたのは久々です。何しろこの御時世、まともなパンを手に入れるのすら苦労しますからね」

「そうか」

「いやぁ、ミュラーさんが来てくださってよかった。ごちそうさまでした」

「……私が払う前提だったのか!?」

「おや? 奢ってはくださらないのですか」

「当然だ! 自分の食ったぶんは自分で払いたまえ」

「けちくさいですねえ。どうせあなたはお給金をたんまりもらっているのでしょう。ソーセージの一つや二つ、何だっていうんですか」

「五本も食っておいて言うことか! 私は払わんぞ」

「あなたの仕事に付き合っているのですから、あなたが払うのが筋ではないのですか?」

「付き合わされているのは私だぞ!」

「仕方ありませんねえ」


 ギュンターは立ち上がった。


「私はてっきり奢ってくださるものだと思って、手持ちは交通費しかないんですよ。こうなったら食い逃げ……」

「待て待て待て待て」


 ミュラーはものすごく嫌そうな顔で支払いを完了した。


「いやあ、助かりました! ありがとうございます。では、次もはりきって参りましょう!」

「はあ……」


 二人はてくてく歩いてカールス広場に着いた。ここでも「白い貴婦人」の気配は薄かった。それからもあちこちの名所を回り、ヴィッテルスバッハ宮殿の離宮であるニンフェンブルク城にまで足を運んだが、どこへ行っても気配が薄い。


「おかしいですねえ……」


 ギュンターは言った。


「どうして僕たちは、ミュンヘンの観光名所を巡らされているのでしょうか」

「なっ、それは貴様が……」


 ミュラーが衝撃を受けたような顔でギュンターを見やる。


「貴様が『気配を追う』などとぬかすから、こうして今までブラブラブラブラと物見遊山をしていたのではないか!!」

「そうなんですよ。『白い貴婦人』は確かに観光をしている。しかも短時間でこれほど多くの場所を……移動速度が速すぎる」


 ギュンターは手を顎に当てた。


「奴め……攪乱のためにわざとあちこち移動していますね」


 まさか、こちらが昨日あえて封印しなかったことの意図に勘付かれたか。しくじった……厄介なことになった。


「……ミュラーさん」

「何だ」

「明日は、アウクスブルクに行きますよ」

「はあ!?」


 ミュラーは今日で何度目かの怒鳴り声をあげた。


「けしからん。これ以上、貴様と遊んでいる暇はない。だいたい、調査なら貴様ひとりでもできるだろうが」

「まあ、それはおっしゃるとおりなのですが、しかし……」

「それ見たことか。私はこれで帰らせてもらう。上官にも無意味な調査だったと報告しておくからな。明日からは貴様ひとりで遊びたまえ。私には、結果が出てから報告するように!」

「ああ……」


 ミュラーはぷんすか怒りながら、その場を後にした。ギュンターは非常に残念に思った。


「仕方ない……明日からは一人で追いますか。ああ、旅費がもったいない。経費として政府に請求できますかねえ」


 ブツクサ言いながら、一旦ボロ家へと帰る。明日までに準備を整えて汽車に乗り込まなくてはならないのだ。もたもたしている暇はないのである。

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