父親はすぐそばに
「どうにも釈然としねえなあ」
ハリスは毒づきながら今日も酒を煽る。今回はハリスだけでなくギルド全体がそんな雰囲気だった。とてつもない強敵が自分達の相手をすることすらなく消えてしまったのだ。まだ負けた方が清清しいというものだろう。
「大体、僕らが辿り付いてすぐ消えるってどういうことなんだか。まさか本当にミルの攻撃にビビったわけでもなかろうし」
エスタもずーっと考え通しなので酔いが回りきらない様子だ。
「まあ考えてたって仕方ないわよ。とりあえずどっか行ったんだし喜ばなきゃ」
そう言うミルも、実は少し引っかかっていることがあった。当たり前ながら大精霊などとは一度も遭遇したことないはずなのに、何故か既視感があったからだ。まったく心当たりがない。エスタと同じく酔いが全然回らないので、もう二杯目も空にしてしまった。
「ちょっとお手洗い行ってくるわ」
「変質者には気をつけますのよ」
エリザベートからの注意に軽く返事をしつつ、ミルはギルドの建物から出た。お手洗いはギルドの建物から出て左の路地へ入った所の離れにある。奥まった所なのでたまに変な男がうろついていたり、スラムの人が集まっていたり、怪しい露店が出ていたりするのだ。まあミルは凄腕で有名なので滅多にそういった輩には絡まれないのだが。
今日は怪しい露店が一軒、ギルドの屋根の下に店を広げているのみだった。ミルはその露店を避けるように出来るだけ距離をとって道の反対側の端っこを進んだ。話しかけられるかもしれないため少しばかり緊張しながら早歩きで通過する。
用を済ませた帰りも同じように露店を横目に反対側の端を早歩きで通過しようとした。しかしチラッと店を見たその瞬間、そこに並べられた商品の一つに目が留まった。
「このお花……」
鉢に植わった花がいくつも並んでいる中の、一番左端の花。それは紛れもなく父親が残していった花だった。父親の唯一の手がかり、まさにそのものだった。ただ似ているだけではない。色合い、形、そして香りまでもがあの時の花と全く同じであった。遠い記憶のはずなのに、目にした瞬間に頭に鮮明に蘇ってくる。
「気に入ったかい?」
声をかけられてはっと我に帰ると、ミルはいつの間にかその花を手に取って眺めていた。
「す、すみません! 商品なのに勝手に触ってしまって……」
「なに、いいってことよ。それより、この花がそんなに好きかい」
フードを深く被ったかなりのお爺さんと見られる店主は、不気味な声でそう繰り返し尋ねる。
「はい、とっても。このお花、どこに咲いているのかご存知ですか?」
怪しい店主に注意を払うのも忘れ、少しでも父親に近付きたい一心でミルは前のめりになって質問をぶつけた。店主はフードの中から伸びる長い髪をいじりつつ「ぐっふっふ」と喉の痛そうな笑い声を漏らす。
「確かにこれは珍しい花だからな。魔界にしか咲いていない、アシフスレという花だ」
「……まかい?」
呆けるミルにお構いなしに店主は続ける。
「なんでも、魔素とかいう魔界にしかない成分を栄養に育つんだそうだ。人間界ではまずお目にかかれない珍しい花だぞ? だから少し値は張るがね」
魔界の存在はもちろん概念として知ってはいるが、イメージが湧かない上、信じられない。仮にその話が本当だったとして、その花を持っていたということは父親は魔界に行ったことがあることになる。人間が魔界に行くなんて前代未聞だ。
「あなたは魔界へ行く方法を知ってるんですか?」
「おっと、それは企業秘密だぜ、へっへっへ」
店主はシワだらけの顔を歪ませ、シワだらけの舌を出して笑うだけで答える素ぶりはない。
「それより買うのか? 買わないのか? こっちは商売をしてるんだ。冷やかしなら帰んな」
店主に判断を催促され、ミルは考え込んだ。いかにも怪しいが、今まで冒険をしながら探しに探しても見つからなかった花なのだ。喉から手が出るほどほしいに決まっている。
「……下さい」
「へっへ、まいど。本当はもっと高いんだがね、あんたは人が良さそうだし3エルカで譲ろう」
3エルカと言えば決して安い金額ではないが、ミルはごねるでもなくポケットから三枚のエルカ金貨を出して机に並べて置いた。
「せっかく買ってくれたんだ、いいことを教えてやろう」
鉢を持ってさっさとギルドへ戻ろうとしていたミルに店主が再度話しかけてきた。聞き流すのも人が悪いような気がして、ミルは立ち止まって振り返る。
「花にはそれぞれ意味があるって知ってるか?」
「意味……ですか?」
「そうだ。西の方の田舎の風習なんだがな、花に意味を付けて、その花を贈ると気持ちを伝えることができるんだそうだ」
「お花で気持ちを……なんだかロマンチックですね。それじゃあこのお花にも?」
「ああ、もちろんだ」
ミルは花を眼前まで持ち上げて、どんな意味があるのかと考えを巡らせる。
「アシフスレの意味はな、『不変の愛』だ」
「不変の……」
それを聞いてミルは肩を少しだけ震わせる。
「すまなかったな」
店主が言ったその言葉は夜の生温かな風にかき消され、ミルの耳に届くことはなかった。
「誰か愛する人にでも渡すといいかもしれないね」
店主は今度はミルに聞こえるようにそう言って枝分かれした長い髪を揺らす。どうやらそれが彼の最後の挨拶らしかった。
「……ありがとうございました」
ミルはその鉢を胸元に寄せてぎゅっと抱きしめて、ギルドの入口へととぼとぼと向かった。
不変の愛。それが父親の最後の気持ちだったのだ。今までは母親を悲しませたことへの怒りが先行していたが、父親自身も断腸の思いだったのかもしれない。もちろんそれで彼のすべてを許せるわけではないが、もし会えたならその時は最初にハグをしようと、ミルは心に強く決めた。
「おかえり……ん? なんだそりゃ」
ハリスがミルの胸元の鉢植えを見て片眉を上げる。
「そこの露店で……」
「なっ、お姉さま、まさか怪しい露店で変なものを買わされたのでは……!? お気をつけてと言いましたのに!」
エリザベートが元々きついつり目をさらにつり上げてミルを睨む。本当のことなので、ミルは言い返せずにそっぽを向いて口笛を吹いた。
「まったく……こんな枯草買わされてどうするんですの」
「え? 枯草なんかじゃ……」
否定しようとして鉢の中を覗き込んだエルだったが、今見ると確かにそこに植わっている花は花弁が茶色くなって地面に横たわっていた。先ほどの綺麗なピンク色は見る影もない。
「なんで……これはアシフスレっていう魔界のお花だって……」
「魔界の花なんて売ってるわけがないだろうが。ぱちもんに決まってる」
ミルは枯れた花を見て混乱し、酔っぱらったエスタにすら馬鹿にされる始末だ。しかし、その会話を聞いて近付いてくる人間が一人いた。
「どれ、見せてくだされ……」
それは隣のテーブルにいた翁と周りから呼ばれるお爺さんであった。翁はいろいろな知識を持っているため、たびたび冒険者からの相談ごとに乗っていたりもしているのだ。
翁は枯れた花の花弁を持ち上げてしげしげと眺める。そして口を中途半端に開いて「ほぉぉ」と空気を漏らした。
「おこれはまさしくアシフスレ……こんなもの、どこで手に入れましたのかな?」
「やっぱり本物なんですか? さっきまでお花が咲いてたのに、どうして突然枯れちゃったんですか!?」
翁が肯定してくれたものだから、偽物だと思って落ち込んでいたミルはまた顔を輝かせて翁にぐっと顔を近付ける。翁は一歩下がって咳払いをすると、細い目で天井を見ながら花について語りだした。
「それはですな、あなたさんもさっき仰られたように魔界の花ですから、魔素というものがなければ花を咲かせていられないのです。魔物はみな魔素を持っていますが、恐らく人間界で綺麗に花を咲かせるとしたら、最上級くらいの魔物でないと……それでも咲くのはその魔物の半径二、三十ハイルンがせいぜいでしょう。それより、花が咲いてたって本当にあなたさんは一体これをどこで見つけたのか……」
それを聞いて、ミルは全てを悟った。翁が言い終わるのを待たず、つんのめりながら駆け出した。倒れた椅子なんかを気にしている暇はなかった。
ミルが外に出た時にはもう、さっきの露店は見る影もなくなっていた。露店が立っていた場所には赤く長い髪の毛が一本、泥に塗れて落ちていた。赤い髪の毛は暗がりの中で、泣きたくなるくらい黒く見えたのだった。
最強女魔術師は桃色の花に父を見る 前花しずく @shizuku_maehana
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