#5
図書館を出ると、紅い空に鯨が大きな影を作っていた。
「結局分からなかったな、鯨の真実。」
「仕方ないよ、誰も知らないから。」
俺はため息をついた。
「ごめんな、力になれなくて。」
「いいんだよ、星夜君には色々助けてもらったから。」
「いっそ鯨に直接訊いてみるか?」
あさひが叫んだ。
「おーーい、くじらさーーーん!あなたって、なんなんですかーーー?」
鯨からの返答はなかった。あるはずがなかった。
『あなたってなんなんですか』ってなんだよ。
俺は吹き出してしまった。あさひも笑った。2人で大笑いした。
さっき見た動画の内容はほとんど推察や仮説だったが、俺には納得がいくものだった。自身のエゴが身を滅す。いかにもありそうなシナリオだ。
実際、地球温暖化を止めようとしているのに、火力発電所の数はなかなか減らなかった。絶滅しそうな生物を保護したせいで、生態系に影響が出てしまった事件もある。“持続可能な社会を目指す”を掲げているくせに、大量生産、大量消費の構造は変わらない。人間は解決策をAIに求めたが、そのAIですら今の幸せと未来の幸せを両立させるのは不可能だと結論づけた。そもそも、人間の幸せのハードルはほぼ無限に上がっていく。そのくせ、少しでも不備があれば、どんなに小さなことでも愚痴を言い、満足できない。だからこそ人間の文明は大きく発展したし、その弊害も小さなものではない。その弊害もいっそのこと、人間の文明が発達するための代償だと割り切って、自身で身を滅すことになっても、ヒトが一億年も続かない弱い種だと認めた方が潔い。それか、今更だが全てを捨てて原始時代の生活に戻るかだ。そしてそれは多分不可能だろうけど。
図書館と“家”はかなり離れているので途中の公園で休憩することにした。
「なあ、聞いてもいいか?」
「ん〜?」
「その、昔の事。」
あさひの顔から一瞬笑顔が消えた。
「じゃあ、星夜君から。私、星夜君のこと、あまり知らないから。星夜君が話してくれたら、私も昔の事、話すから。」
「、、、わかった。」
あさひとはもう長い時間を過ごしてきた。もう隠し事は無しだ。
俺はあさひに全てを話した。両親のことや、じいちゃんのこと、全部だ。あさひは一生懸命話を聞いてくれた。
「そうか、、、星夜君も、大変だったんだね。
次は私の番だね。私のお父さんは、、、」
あさひが6歳の時だ。その時の日本は不況に陥っていて、彼女の父親もその影響で会社を解雇されてしまった。その後も父親は就職することができず、遂にはあさひと母親を残して自殺してしまった。
あさひの母は彼女を養うために必死で働いた。母は優しく、どんなに忙しくても、あさひに笑いかけてくれた。しかし、経済が不況ということもあり、なかなかお金が手に入らなかった。そして母親は犯罪集団に騙されて罪を犯してしまう。
引き取り手がなかった彼女は施設に入り、転校することになった。転校先の小学校で、最初の数ヶ月は大丈夫だったが、徐々に彼女の母親が犯罪者だという噂が立ち始めた。
あさひは学校で嫌がらせを受けるようになった。最初は心無い言葉を言われるだけだったが、エスカレートしていき、教科書や机に落書きされるようになった。あさひはそのことを施設の職員に相談したが、職員も彼女のことをよく思っていなかったらしく、まともに取り合って貰えなかった。彼女が学校に行きたくないと言うと、行けと怒鳴られたり、ときには暴力を振われた。そうして彼女は何とか小学校を卒業した。
中学校は小学校のクラスメートと同じ地元の中学校に入学した。中学校でも彼女へのいじめはなくならなかった。
あさひは居場所がなかった。誰にも相談できる相手がいなかった。彼女の心は病んで行った。
とうに限界を迎えていた彼女は中学1年生の夏休みに施設を抜け出した。
そこからあさひは星夜と同じく、外で暮らすようになったが、幸運が重なって生き延びることができたという。
「星夜君と会えたのも、その幸運の一つだよ。」
そう言ってあさひは笑った。
掛けるべき言葉が分からなかった。
「そうか、あさひも大変だったんだな。」
やっと出てきた言葉がこれか。自分に失望した。
「なんていうか、私たち、似たもの同士だね。周りの大人に裏切られて、何も信じられなくなって。でも、確かに私たちを大切に思ってくれた人がいて。それに、今ならお互いに信じ合えるよね。少なくとも、私は星夜君のこと、信じてるよ。」
「俺も、あさひのこと信じてる。わかんないけど、会った時から信じられるような気がしたんだ。」
頬が熱くなるような感覚。こんなこと、彼女に初めて言った。
夕日があさひの顔をオレンジ色に照らす。かわいいな、と思った。
「ねえ、お願いがあるんだけど。」
彼女の言い方はどこかぎこちなかった。
「なに?」
「その、私と最後の時まで一緒にいてください!」
「、、、いいよ。」
「本当に!ありがとう!」
彼女は笑った。
なんとなく、俺はあさひと最後まで一緒にいるような気がしていた。いつの間にかあさひと一緒にいたいと思っていたんだ。
(#5終わり)
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