#2
朝が来た。空を見上げれば、無数のAIドローンと、白くて小さな鯨が雲の間を泳いでいた。
隣には、女の子が眠っていた。あさひだ。
「どうしようか」
あさひの寝顔を見ながら、一人呟いた。
昨日は勢いであんなことを言ってしまったが、どうやって彼女に世界のことを教えよう。
そもそも、彼女と生きることができるのだろうか。俺は彼女に飯を食わせなければいけなくなるだろう。俺にそんなことが出来るのだろうか。もしそれができたとして、あさひは女の子だ。ここら辺じゃ、トラブルに巻き込まれやすい。しかも、痩せ細っていて力がなさそうだ。喧嘩も強いようには思えない。そんな彼女を俺が守れるのだろうか。もう、何も失いたくないんだ。俺の力不足で。
2年前の夏、じいちゃんが倒れた。忘れられない、あの日。その日は外じゃ立っているのもままならないほど暑かった。じいちゃんは熱中症で倒れたのだ。通信機器など持っておらず、救急車を呼ぶことはできなかった。周囲に助けを求めたが、誰も応えてなどくれなかった。知識のない俺は、それでも、じいちゃんの体を冷やそうとしたり、水を飲ませようとした。蝉の声がやけにうるさかった。
「じいちゃん!じいちゃん!」俺は泣きながら叫んだが、じいちゃんが返事をしてくれることはなかった。
あれから俺は、誰のことも“大切な存在”にしないと決めた。誰の優しさも受け取らないように、人と深く関わり過ぎないように。もう辛い思いをしないように、何も失わないように。
今からなら引き返せる。あさひに、「昨日は勢いで言ってしまった。悪いが手伝えない。」と伝えれば良いだけだ。
でも、そんなことはできない。最初の出会いから、何もかもがおかしい。あの日から、強く、心に決めた掟を彼女はいとも簡単にすり抜けてしまったんだ。今までの人生の中で、他人をこんなにも助けたい、守りたいと思ったことがあるだろうか。しかも理由なく。じいちゃんは俺を助けてくれたから、恩を返そうと思っていたのだが、彼女を助ける理由は何もないのだ。
昨夜は暗くてよく見えなかったが、日が登り、あさひの寝顔がはっきり見えた。長く伸びたままの黒い髪。閉じられた目に乗る長い睫毛。か弱い小動物のように身体を丸めて眠っている。彼女はとびきり可愛い女の子ではない。けれど、彼女を見つめていると、気持ちがそわそわしてしまう。
俺には彼女の望みを叶える以外の選択肢はないんだと、その時悟った。
大抵の人は、何かを知ろうとしたとき、頭のAIチップを使う。しかし、18歳未満は頭にAIチップを入れるのを禁止されている。俺もそして多分あさひもまだ18歳になっていない。そこで、18歳未満が使うのがスマホだ。
でも、俺はスマホなんて持っている訳がない。買える金なんてない。明日の食料を買う余裕も怪しいのに、一台5〜6万もするスマホなど買えないのは明らかだ。
だから、もう少し古典的な手法を使うことにした。それは、本を使うのだ。小さい頃、おばあちゃんがよく絵本を読んでくれた。絵本は面白い。現実ではありえないような夢さえ、絵本は叶えてくれる。絵本の登場人物はいつも笑っていて、最後は幸せに終わる。俺は絵本が好きだった。小学校に上がって、本も好きになった。
でも、今俺に本なんて買う余裕はない。そもそもあさひと二人で生活できるのか。今まではこの不法投棄されたゴミの中から、まだ使えそうなものを取り出し、それを売って金を稼いでいた。だが、このままでは金が足りない。なんとかしてもっと金を稼がなければ。だから、可能性が低いものに賭けるしかない。
どこかで働かなければ。あさひを一人残して来たのは少し不安だが、俺は仕事を探しに街を歩く。ホームレスがバイトをしたり、就職したりするのはかなり困難だ。しかも、今ではアルバイトはあまり必要とされなくなった。コンビニやスーパー、レストランではAIが人間の代わりに仕事をこなすからだ。
結果、一日中歩き回ってアルバイトを募集しているところは3件ほど見つかった。喉が渇いたし、疲れたが、今日は一銭も稼げていないのでメシは抜きだ。しかし、3件の中の一つ、スーパーのアルバイトに応募して面接の日時を決めることができた。
面接の結果、やはりダメだった。
まず、住所がない。高校にも行っていない。連絡を取る物もない。日頃何をしているのかも聞かれたが、“ゴミを漁って日銭を稼いでる”だなんて言えるはずもなく、黙り込んでしまった。
本当に俺は仕事に就くことが出来るのだろうか。やはりホームレスじゃ誰にも雇ってもらえないのではないか。
仕方がない。残り2件。まだ望みは残っている。
2週間が経った。未だなんの成果もあげていない。何件か応募して面接にも行ったが、どこも首を縦には振らなかった。この2週間の間、あさひにひもじい思いをさせてしまっている。ただでさえ細い体が、心なしかもっと細くなってしまっているような気がした。やはり、俺にあさひは守れないのだろうか。それは絶対に嫌だ。まだ正体のわからないこの感情が俺を突き動かしている。
今日もバイトの面接がある。ここからあまり離れていないコンビニだ。
面接を担当したのは、優しそうな顔の店長だった。
「山口星夜です。本日はよろしくお願いします」
「よろしくね。じゃあ、早速左の手首、出してくれない?」
この国民全員の左手首には、個人管理チップが入っている。このチップには名前、住所、生年月日などの基本的な個人情報から、血液型、疾患、脈拍などの生体情報、学歴、犯罪歴、位置情報とその履歴、銀行の口座情報など、沢山の情報が入っている。それを専用のリーダーで読み取ることで情報を得ることが出来る。このリーダーは必要な情報のみが提示される仕組みになっている。
店長がリーダーで俺の個人管理チップを読み取る。すると、アラームが鳴った。「この住所は偽造されている可能性があります」そう無機質な声がリーダーから流れた。バイトの面接のたびに聞く、同じ内容の同じ声。
このチップに登録された住所は俺の前の家のものだ。それを位置情報と照らし合わせて住所が間違っていると言っているのだろう。
「君はどこに住んでいるんだい?」
店長が不思議そうに訊いてきた。しかし、メガネの向こう側の目は、明らかに俺を疑っていた。
まただ。この住所のせいで俺は面接に落とされ続けた。
もう、いいや。どうにでもなれ。そう思えてしまって。
「実は、、、」
俺は店長にこれまでのことを全て話してしまった。親に捨てられたこと、ホームレスになったこと、お金が必要になったこと、今までアルバイトの面接を受けたが、すべて落ちてしまったこと。
無防備だった。こんなに誰かに自分のことを話すのは何年振りだろうか。
話し終えて店長を見ると、彼は泣いていた。
最初、彼がなぜ泣いているのか分からなかった。俺が彼を傷つけてしまったのか?彼の機嫌を損ねてしまったのだろうか?
「そうか、辛かったな、、、」
驚いた。彼は俺の話に共感して泣いていたんだ。今まで俺の話を聞いて泣いてくれたのは、じいちゃんただ一人だったと思う。
胸に熱い物が広がった。その熱いものは頬に溢れてきた。
なんだろう、この感覚は。彼もまた、“お人好し”なのだろう。彼もきっと損しながら生きてきたんだろう。でもそんなお人好しは、こんな風に温かいものをくれることを、俺は知っている。
結局、本来ならば採用できないところを、店長の情に免じて採用してもらうことになった。こんなんでいいのか?とも思うが、店は深刻な人手不足とのことだ。
俺は早速明日から仕事をすることになった。
(#2終わり)
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