入院患者

 原作とドラマはもちろん違います。活字には活字の、映像には映像の魅力があるわけです。

 本作は映像ならではの工夫が目立ちます。まずはオープニングから。

 日本語版ではいきなり棺のような黒い箱の前に男が立って、カメラを向いているシーンから始まります。どこからか「助けてくれ」と声が聞こえます。どうやら棺桶の中から聞こえてきている様子。謎の男が箱を示し、小太りの男は箱を開けます。箱の中には小太りの男そっくりの人物が横たえられています。

 恐怖に怯えて、寝室に戻る小太りの男。ドアに鍵をかけると、背後に気配を感じベッドのほうを見ると、ベッドの上の小太りの男ががばっと起き上がります。

 夢だったらしいとわかり、恒例のオープニング映像へ。この冒頭の夢のシーンはグラナダ版のドラマのオリジナルです。

 あけて本編に入っても、凝った演出は続きます。ベーカー街を歩くホームズとワトソン。二人はドアの前で馬車を見つけます。馬車の持ち主が儲かっている開業医で依頼に来たと推理する二人は玄関のドアを開けて建物の中へ。すると。カメラがドアから上に移動していき、二階の窓へ寄ります。窓にはブラインドが下げられていて、そのブラインドがあげられるとカメラはブラインドをあげたハドソンさんを捕らえ、そのまま部屋に入ってくるホームズ・ワトソンをうつし、いきなりホームズが「やぁドクター」と医者であることを会うなり指摘して依頼人を驚かすのです。と、ここまでがあたかもカットを割らずに、ひとつなぎで撮影したように見せかけているのです。

 実際には窓に寄ったところで、一度、カメラは切り替わっているのですが、連続した映像に見えるようにしているのです。基本的なトリックだと思うので書いてしまいますが、この撮影手法を応用したミステリはいくつも存在します。

 グラナダ版オリジナルも夢のシーンから始まり、トリックを使ったワンカットに見えるシーンもあるのですが、この間に「いかにも聖典(コナン・ドイルの書いたホームズシリーズ)にありそうな推理」が挟まれます。

 場面は理容店らしき場所。ワトソンが調髪をしてもらっている隣でホームズが妙な動きをします。それを見たワトソンは「ホームズになにがあったか」を当てようとするのです。

 日本語版の短縮バージョンではカットされているこの場面で、下宿先の管理人ハドソンさんが大掃除をしているというデータが示されるのですが、これが後半、効いてくるのです。

 今回の依頼人は優秀な若い医師。ワトソンと話が弾むというシーンもあるのですが、残念ながら、短い日本語バージョンではカットされています。

 役者陣の個人的見所はロシア貴族親子の父親役の演技。問診の途中で「お酒は飲みますか?」という問いかけに対し「ヴォッカ」と答えるときの表情がなんとも言えません。日本語版で声を担当しているかたの演技もあいまっておかしい。英語をあまり理解できないという設定が効いているのです。


【ネタばらし見所解説】


 前半では伏せましたが、オープニングで聞こえる棺からの声は「サットン」と助けを求める人の名前を具体的にしているのです。

 実は依頼人の医者に融資し開業させたブレシントンなる人物(オープニングの小太りの男)こそ、サットン。過去にサットンは銀行強盗をし、仲間を密告していたのです。今は名前を変え、刑期を終えた仲間からの復讐に怯えていた、というわけ。

 一部の視聴者は冒頭で「サットン」と呼びかけられていたように認識できる小太りの男がブレシントンとして登場するので「あれ?」となるかもしれません。大半の視聴者はオープニングの呼びかけで「サットン」という言葉が出てきたことなど忘れているでしょうが。

 ごくわずかの勘の鋭い視聴者は「ブレシントン=サットン」という図式に気付くという点では、いいさじ加減なのかな、とも思います。個人的にはいきなり事件の核心に触れてしまうドラマの演出は、ちょっと野暮かなぁとも感じます。冒頭からぬけぬけと伏線を張るというのとは少し違う印象を受けました。

 ミステリを抜きにして今回の見所は後半で過去の事件の資料を探すシーンでしょう。コントかと思うほど、部屋中に書類を巻き散らかして、目当てのファイルを探すホームズ。「昨日、片付けたばかりなのに、こんなに散らかっているのを見たら、ハドソンさんが気絶するぞ」とあきれるワトソンがあっさりと資料を見つけてしまうのです。

 必要な書類を手に出かけようとする二人の前にハドソンさんが現れます。


 ハドソンさん「船の模型、素敵ですね」

 ワトソン「すまないが、ちょっと急いでいるんだ」


 ワトソンは逃げるように去り。直後に部屋に入ったハドソンさんのリアクションが今回、一番の見所かもしれません。ここもドラマオリジナルです。グラナダ版は原作よりも大幅にハドソンさんの出番が増えていて、チャーミングな演技を見せてくれます。

 またラストもおしゃれです。今回の事件を記録したいから静かにしてくれとワトソンに言われて、バイオリンの演奏を中断して部屋を去ろうとするホームズ。どんなタイトルにするのかとホームズに訊ねられ、珍しいなとなんだか嬉しそうなワトソン。ワトソンのアイデアに「まぁ、そのへんが妥当だろうね」と部屋を後にするホームズ。対するワトソンは不満そう。ワトソンのノートがアップになり、エンドロールになります。

 ところがグラナダ版には続きがあります。

 ホームズが提案したタイトルをワトソンがノートに書きつけ、ノートに記されたタイトルがアップになって幕が降りるのです。

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