緊急事態宣言
我慢出来る物と出来ない物①〜笹山家編〜
笹山家はテレビのニュースを見ながら、夜の食卓を囲んでいた。
このペンションを営んでいる雪菜の両親と、母親の母親(雪菜のおばあちゃん)も一緒に住んでいる。他に家族は雪菜のお兄ちゃんが一人いるけれど、お兄ちゃんは神奈川でヘルパーさんの助けを借りながら一人暮らしをしている。
聞こえる声は、雪菜と母親のものが殆どで、たまにおばあちゃんの声がして、父親は滅多に喋らない。
雪菜がテレビの方に目を向けて、困った顔をしている。
「ねー、この先どうなっちゃうんだろうね。このペンションだってお客さんとれないでしょ? 私がいたって何か出来るわけじゃないし、食費がかかるだけでしょ?」
母親がいつもの明るい口調で答える。
「どうなっちゃうのかしらね。何か考えなきゃね。ま、雪菜がいても食費が大きく変わるわけじゃないし、お母ちゃんは一緒にいられるだけで嬉しいけどね」
雪菜は小さい頃から母親の事をお母ちゃんと呼んでいて、今も変わらないし、母親も自分の事を雪菜の前ではお母ちゃんと言う。
おばあちゃんはいつでも優しい声だ。
「おばあちゃんは、雪菜がニコニコしてくれていればそれだけで幸せだよ」
雪菜が返す。
「もー、おばあちゃんったら。ありがと」
そんなほのぼのとした会話が続く中で、テレビのニュースはコロロンウイルスの話で持ちきりだ。
「いよいよ首都圏には緊急事態宣言が出されたね」とため息をつく母。
父が「遅すぎる」とボソッと言う。
テレビ画面には女子大生っぽいニ人の後ろ姿が映し出され、インタビューを受けている。
「不要不急の外出は控えるように言われてますけど、今日は急用ですか?」
そんな質問に対して彼女達はめんどくさそうに答えている。
「ちゃんとマスク付けてるしー。気をつけてるしー」
「誰か買い物してあげなきゃ、お店潰れちゃうしー」
「まー、人っていつか死ぬもんだしー」
雪菜は怒りを露わにしている。
「何考えてるんだろ? こんな娘達がいるから『今時の若者は』ってみんなひっくるめて悪者にされちゃうんだよ」
母は唐揚げを摘み上げながら言う。
「そうね。色んな娘がいるわね。雪菜があんな娘じゃなくてよかった」
おばあちゃんが珍しく口を挟んできた。
「そうだねー。確かにちょっとね。でもね。ひとつ覚えておいてほしいのは、この世の中には色んな価値観を持っている人が住んでるって事。おばあちゃんはあの娘達を肯定しているんじゃないよ。
でも、ものの見方や考え方はひとりひとり違うものなの。どれが正しくてどれが間違っているとかじゃなくても、自分の物の見方や考え方を基準に考えてる人が殆どなんだよ。
私は、養護学校に勤めていた事があって、そこで色々学ばせてもらったよ。発達障害の子供達の中には何かに対して我慢出来ない子が多いんだよ。それは我慢しないんじゃなくて、頑張っても出来ないんだよ。テレビに映っていた人達は健常者じゃん、って思うかもしれないけど、人はみんな考え方が違うものなの。
宣言が出てしまった今は従わなくてはいけないと思うけれど、誰もが同じように我慢を出来るものじゃないって事を知ってる事は必要だと思うんだよ」
母が続けた。
「人によって我慢出来る物と出来ない物の違いはあるわね。みんな我慢してるんだから我慢しろって言うだけじゃなくて、その人の気持ちを分かってあげる人がいるって事も必要でしょうね」
今日はおばあちゃんが沢山喋る。
「好きな事は我慢出来ないってわけでもないように思うよ。例えば私はね、草花がとっても大好き。見るのがとっても好きだよ。でも見ない事は我慢出来る。四月は桜を見るのを毎年楽しみにしているけれど、自粛して見に行かないでほしいと言われたら、それは我慢出来る。でも、例えばアラスカなんか行く事出来ないから、そこが開発されようがなかろうが関係なさそうだけど、そうは思えなくて。そこの草花達が開発によって無くなっちゃうような事は我慢出来ないんだよ」
続いて母。
「そうねー。お母ちゃんは色んな人と会ってお話しする事が一番好きな事だけど、こうやって家族で話す事が出来るんだから、他の人と会わない事は我慢できるわ。我慢出来ないのは家の中のみんなが暗〜い顔してる事かな〜。雪菜は?」
雪菜は困った顔をした。
「んー、難しいね。あんまり考えた事なかったし‥‥‥。んー、好きな事は、誰かの力になる事。我慢出来ないのは、自分の気持ちを分かってもらえない事かな〜。難しいけど、何かなるほどって思える事あるね」
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