雪菜は石の上に腰を下ろしてスマホのメモに小説を書き始めようとした。

 石の上? 雪菜が秘密の場所と名付けた場所だ。秘密の場所というのはネイティブアメリカンの教えで、「自分が秘密にしている場所」ではなくて「自然が色んな秘密を教えてくれる場所」の事。雪菜の一番のお気に入りの場所だ。

 スマホ? 雪菜はパソコンを持っていないっていうのもあるけれど、スマホでチマチマと執筆作業をしていくのが好きみたいだ。


 雪菜が石の上に座って、書きたい事を頭に巡らせていると、「チッチッチッ」と可愛い鳴き声がした。振り向くとすぐ側にエナガがやってきてくれていた。思わず雪菜の顔がほころぶ。

「オス!」

 雪菜とエナガは挨拶を交わす。小さくて離れた目がなんて可愛いんだろう。エナガはすぐに飛び去ってしまったけれど、こんな小さな幸せを沢山の人に感じてほしいなと思いながら、再びスマホに目を向けた。

 新しく開いているメモの欄にはまだ何も書かれていない。どうやって書き始めたら良いか浮かんでこない。


 ふと、主人公は神奈川の役所で働いている雪菜の三つ年上の兄をモデルにして作ろうかな? と考えた。雪菜が今一番気になっている人物だ。

 雪菜の兄、とおるはこの役所で働くようになってもうすぐ四年になる。六年前にとある事故で頸髄損傷の大怪我を負い、車椅子生活を余儀なくされている。身体は不自由だが、物凄い努力をして、今は普通に働いている。


 雪菜は毎日気が気じゃなかった。

 もしもお兄ちゃんが感染しちゃったら、リスク高いだろなって思う。実際の所はよく分からないけれど、感覚神経、自律神経などが正常に働かない人達が感染しちゃったらどうなるんだろう? そんな人達の事、周りの人達は考えてくれているのかな?


 これまでも、雪菜は心配になった時、たまにLINEを出していた。透からの返信はいつも素っ気なく「大丈夫だから心配なく」だけ。

 お節介はやめようとと、今回もずっとLINEを出すのは我慢してきた。

 でも今回の小説を書くにあたり、兄の現状を知りたくなってLINEを入れた。


「お兄ちゃん、今仕事行ってるの?」

 それに対しての返信は「勿論。大忙しだけど心配なく」というもの。

 余計に心配になった雪菜は色々と調べてみた。この役所にコロロンウイルス対策本部というものが設けられ、主に障害を持つ人達の窓口を請け合うようになった透は今、大忙しの日々を送っている事を知った。

「マジか〜。感染リスクが高い関東圏で、疲労という感染リスクが高まる要素を背負い込んで、感染するとリスクが高い人が一生懸命になって働いている。

 その一方で、感染リスクの低いこの土地で、仕事もせずに毎日のほほんとしか暮らす事が出来ない元気な人がいる‥‥‥」


「変わる事、出来ないよな。もしも、お兄ちゃんを在宅勤務にでもしてくれていたなら、小説を書く為の取材を名目にこっちに呼び寄せようかと思ったのに‥‥‥」


 なんかやっぱり小説になんか出来そうにないな、と思った。どうやったら「平和な元気な世界が戻ってくる」っていう小説が書けるんだろう。その日、雪菜は少し落ち込んでいた。


「あーあ、やっぱり書けないな。小説家なんてなれそうにない。とりあえず、今日の出来事をWeb投稿サイトの『小説家になっちゃう?』に入れておくか」

そう思い直して、今日の一連の出来事を思い出しながらツラツラと書いていった。

 雪菜はFacebookもblogもやっているけれど、そこに書く勇気はちょっと無い。その点、自分の事を全然知らない人達しか読んでいないこのサイトに投稿するのは気が楽だ。


「まー、今回は小説にもなってない物だし、日記みたいな物で誰も見てくれないだろうけど、どうせ暇だし、短編小説として入れとこ」

 雪菜は「小説家になれない」という題を付けて投稿ボタンを押した。


 投稿してニ時間位たった頃かな? 雪菜は自分の小説情報のページを開くと、「感想」という欄に「一件」と書いてあるではないか! 雪菜がこのサイトを利用し始めてから感想を貰った事はまだない。ドキドキした。

「何書かれてるんだろ? 批判されてたら怖いな」

 そう思いながら、ホームを開いて、コメント、書かれた感想と辿っていく。そこに書かれていた事は‥‥‥


「雪菜の、作品を人に届けようとするときに一番大切な思いに純粋さがあって、作品が完成したらいいのに、と思わずにはいられませんでした。(中略)結果書けなかったとしても、雪菜は立派な物書きのひとりだと思います」


「雪菜は立派な物書きのひとり」‥‥‥その言葉がたまらなく嬉しかった。作品、完成させたいなと思った。完成出来ないかもしれないけど、もうちょっと頑張って書いてみようかな? と思った。

 ノンフィクション小説ではないけれど、コロロンウィルスとこの世界の状況を見ながら、雪菜が伝えたい事を物語にして書いていく事に決めた。


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